第八話 鈍色の長髪
「え? ミナレナ?」
アルヒは目を丸くして、前方を走る金髪の青年──ベネットを見た。
彼は走ってはいるが、アルヒと違って隊長からの罰則は受けていない。しかし何を考えてか隣を走り出したと思えば、いつの間にか前を走られていた。
独りで走るのは寂しいので構わないが、読み切れない彼の行動にただ困惑するばかりだ。
ベネットは器用に後ろ向きで走りながら、カラカラと笑った。
「ちがうちがう。見慣れない、と言ったんだ。キミたち兄妹は揃いも揃って見慣れない髪の色だろう? もしかして、他国の人だったりするのかなーって思ったのさ」
「あー」
アルヒにとって何度もされた質問だ。グレースに関して触れたのは、ベネットが初めてだが。
「俺のは地ですけど、グレースのはよくわかんないんです」
「よくわからない?」
首を傾げるベネットに、アルヒは昔のことを思い出そうと眉間に皺を寄せる。
「……いつだったかな、家に帰ってきたグレースの髪が、突然あの色になってたんです。前は母さんによく似たキレイな赤色だったのに」
あの時は本当に驚いた。
花のように綺麗だったスカーレット色の長髪が、一瞬にして灰色に変わってしまっていたのだから。
それに、瞳もだ。黄色だった瞳も、くすんだ赤に変わってしまった。
今はもはや、彼女の瞳はアルヒを映さない。
「へえ。それは不思議だね。……でも、ボクはキミの妹以外にそうなったコを知っているよ」
「えっ!? 一体誰なんですか!?」
思わず声が裏返ったアルヒは、掴みかからん勢いでベネットに走り寄る。
驚くのも当然だった。何故ならば、グレースの症状は高級医者に頼っても『不明』。一時期は治すのを諦めていたほどだった。
しかし同じような人がいるのならば、原因が分かるかもしれない。
そんなアルヒの期待を知ってか否か、ベネットはヘラヘラと笑って肩を竦めた。
「さあ。でも、キミも騎士ならいつか会えるさ」
「それじゃ──っ!」
──グレースは一向に元に戻れない。
そう言おうと噛み付くアルヒを、ベネットは笑って両手を胸の前で振った。
「まあまあ。その人の名を言ったところで、妹ちゃんの髪が元に戻るわけではないだろう?」
「ぐ……」
「これも、本当は言っちゃいけないことなんだ。叱責を恐れずここまで話したボクを褒めて欲しいぐらいさ。それに、知りたいなら自分で調べればいい。ボクは止めないよ」
ベネットの言う通り、グレースと同じ状況に立たされた人間を一人知ったところで、何かの解決に繋がる訳では無い。彼の言う人がその状況から回復したというのならその限りではないが、彼の口ぶりからするにそれもないのだろう。
アルヒは足りない頭でそこまで考え至り、不承不承ながらもベネットを追及するのを止める。
彼は満足したようににっこりと笑うと、
「じゃ、ボクはこれで! 朝礼があるからね! キミも、なるべく早く終わらせて来るんだよ! じゃないと、こわーい隊長がまた怒っちゃうかもね!」
「ひぃ」
鎧男の恐ろしい眼光を想像し、アルヒは身を竦ませる。
まさか命令した本人がそうするとは思えないが、まだアルヒは彼という人間を知らない。
ベネットの言を真実にする前にと、アルヒは気合を入れて足を速めた。
「遅い!」
「ひぃっ!」
訓練場に到着した途端に一喝され、アルヒは肩を飛び上がらせる。
萌葱色の騎士はその甲冑を鳴らしながらアルヒを向き、赤い眼光で彼を見下ろした。
「妹はきちんと帰したのか」
「あっ、はい! ……たぶん」
アルヒは思わず目を逸らし、地面を見つめて小さく呟いた。殆ど心の中での言葉のつもりだったが、耳聡いオーブリーが聞き逃すはずもなく。
「多分とはなんだ! もし残っていたらどうするつもりだ! ここは穢れた大地に最も近く、危険が常に伴う! 侵入を許しただけでなく、中で何か大事があれば責任問題ともなる! 今すぐ妹に連絡を取り──」
オーブリーが言葉を続ける度、アルヒの肩は縮こまっていく。
心の中ではとうとう幼子になりかけた頃、果敢にもオーブリーを止めた声があった。
「まあまあ! 大丈夫ですって、隊長!」
「ベネット・バックス。貴様はまた楽観的なことを」
オーブリーは鬼気を放ってベネットを睨みつけたが、彼は相変わらずの笑顔でひらりと視線を躱す。
「だって、いくらここが危険だって言ったって、ボクらがいるじゃないですか。そうそう危険なんてないと思いますよ? それに、エリッククンたちが見て回っても誰もいなかったって言ってるんですから!」
「それは本当か? エリック・ニックス」
鎧頭が向いたのは、快活な笑みを浮かべる青髪の男性だ。
エリックと呼ばれた彼は腰に手を当て、胸を張ると、
「オレの目を舐めてもらっちゃ困るな、隊長! 屋根まで探したけど女はどこにもいなかったぜ。な? ヒューゴ」
次に話を振られたのは、エリックによく似た、彼より少し髪の長い男性だ。
髪が短ければエリックと見分けられないだろうその顔には、彼とは正反対に呆れが滲み出ていた。
「おい、隊長には敬語使えって言ってるだろ……。コイツの言う通り、いませんでしたよ、どこにも。不審な点はいくつか残りますがね」
「コイツとはなんだ、コイツとは! 兄と呼べ!」
ヒューゴの発言にエリックは腹を立てているが、ヒューゴは目を合わせようとしない。
弟に無視されたエリックはさらに憤慨するが、顔面を萌葱色の鎧に掴まれて大人しくなった。
「──不審な点とはなんだ」
「それが、門番はそんな少女は見ていない、と言ってるんですよ」
「そんなはずはない。ここに入るには門を通るか、壁を登るかしかない」
「なら、壁を登ってきたんじゃないのか?」
ようやく顔面を解放され、エリックは赤くなった顔を擦りながら言った。
その発言に対し、同意を示したのはベネットだ。
「あの壁を? やるなあ、あのコ」
「普通の女性であれば不可能です。我々でも越えられないようになっているのに」
ヒューゴの言う通り、駐屯所を囲う壁は優に27ホリを超えていて、成人男性が20人肩車しても上端には至らない。
手をかけられる場所もないので、アルヒでも、というより、どんな人だろうと超人的な脚力がない限り越えることは不可能だ。
「どうなんだ? アルヒ・クリーヴズ。貴様の妹はそのような身体能力があるのか?」
「……いや、そんなことはないと思いますよ」
アルヒは最後に付きかけた「多分」を飲み込み、展開を見守る。
懸念すべき点はあるが、それは今ここで話すべきでないと珍しくアルヒが自制をかけた結論だ。
「あったとしても、やっぱりあの壁は無理だと思うけどなあ」
ベネットの感想に、ヒューゴが深く頷いた。
「できるのなら、あの『聖女』ぐらいでしょう。何でも自分の望み通りになるという」
「──ふん。下らんな。大方、門番がぼさっとしていたのだろう。貴様らが同じようなことをすれば注意で済まない。分かったら、各自持ち場に就け!」
「「はい!」」
ヒューゴの冗談もオーブリーによって一蹴され、グレースの問題は結局不明のまま片付けられた。
おそらく今日の報告書には「門番の怠慢により一般人が侵入。即時対応により解決」とでも書かれるのだろう。
しかし、オーブリーの一声によりアルヒには新たな問題が発生した。
「あの、俺は……?」
「貴様は門番の見張りでもしていろ」
「え゛」
「と言いたいところだが、残念ながらそこに人員を割ける余裕はない。新入りの貴様の指導係は、アルフレッド・ネヴィル2番指揮だ。指導期間は本日のみ。本日中にここの全ての地図を覚え、明日からは一人で動けるようにしろ。以上だ」
「ありがとうございます!」
アルヒは気怠そうな仕事が撤回されたことに感謝を叫び、敬礼した。
しかし、アルフレッド・ネヴィルとは一体誰の事だろう。
と思ったが、修練場に残っているのはアルヒも合わせて3人のみだった。
1人は、アルヒも知っているベネット。となれば、残りの茶髪の男性がそうか。
「貴君がアルヒ・クリーヴズ卿か」
アルヒの予想通り、アルフレッドと思わしき人物が近付いてきた。
彼は茶色の瞳でアルヒを見下ろすと、
「俺はアルフレッド・ネヴィルだ。貴君の指導は私が承っている。指導期間は本日のみだが、不明な点があれば俺に聞くように。これより、本庁舎の案内をする。その後は周辺の町の見廻り、問題がなければ修練場で修練をして構わない」
「承知しました!」
「ついてこい」
アルフレッドはアルヒに背中を向けて歩き出す。アルヒはその背中に三つ編みに結われた茶髪を見つけ、
「やっぱ、討魔には変わった人が多いな」
と目の前を歩く彼には聞こえないように呟いたのだった。
「だー! 疲れた!」
息を吐き出したアルヒは、勢いのままにベッドの中に飛び込む。
ふかふかのベッドはその日の疲れを一瞬の後に拭い取り、夢の扉が開きかける。
「遅かったな。何してたんだ?」
「──リアム。いたのか。……さっきまで、ネヴィルさんと戦ってたんだよ」
背後でルームメイトの声が聞こえ、アルヒは止むを得ず起き上がった。
ベッドの上で胡坐をかいたリアムは、よほど本が好きなのか、またしても開いた本を片手にアルヒを眺めていた。
「何戦何敗?」
「聞けよ、5戦2敗だ! 凄くないか?」
「まあまあだな」
「えー。先輩に勝ったんだぜ? もっと反応くれよ」
「言ったって、ネヴィル2番指揮は文将だぜ。剣しか取り柄のないお前が勝ったって別におかしくはないだろ」
「そうか? でもネヴィルさんの剣術凄かったぞ。なんかこう、ズバッて感じで」
アルヒが勘で何となく剣を振っていたのにも関わらず、ネヴィルはそれを見切ったような動きをしていた。
隙を狙ったつもりが逆に腹を斬られた時は驚いた。今も、木剣で殴打された箇所が痛む。
「あの人は努力家だからな。剣術も、ほぼほぼ独流って話だぜ」
「へえ! だから見たこと無かったわけだ。ところで、リアムはどこにいたんだ? 朝見かけなかったけど……」
「朝礼の時はいたぞ。お前が見てないだけだ」
「マジ? 気付かなかった。朝は? 修練場にはいなかっただろ?」
「まあな」
リアムは頷きもせずそう言うと、本に目を落とし始めた。
「…………って、答える気無しかよ。ま、いいや。俺は寝る!」
「待てよ。お前、そのまま寝るつもりか? 風呂は」
信じられない、とでも言うようなリアムの反応に思わず笑みを浮かべつつ、アルヒは掛け布団を頭の上まで上げて、
「入らない!」
「怒られるぞ」
「でももう23時だぜ? それに、1日くらい入らなくったって……」
「汗臭いんだよ、お前。そのまま隣で寝られるのは困る。浴場は何時だって開いてるだろ。行ってこい」
「ちぇっ」
最初から風呂に入らないつもりはなかったが、リアムのリアクションが思いの外良かったので舌打ちしつつほくそ笑む。
そのアルヒの笑い方が気に入らなかったのか、リアムが「気持ち悪いな、お前」と怪訝な顔を浮かべたのを見て、アルヒは満足して浴場へと向かった。
「よっ、と。さて、兄さまはどこかなー?」
星が瞬く空の下、騎士団の駐屯所を囲う壁の頂上に立つ影があった。
風に揺られる長い髪の毛は鈍色で、闇夜に隠れて視認は困難だ。しかし、煌々と光る赤い瞳だけは闇夜に浮かび、妖しい色を放っている。
少女、グレース・クリーヴズは最愛の兄に会うために一度は追い出されたこの場所に戻ってきていた。
時間は、彼女の親を務めているクリーヴズ夫妻が寝静まった頃。
「起きてる時でもいいけど、なんかモヤモヤするしね」
グレースであれば、夫妻が起きている間でも気付かれずに邸宅を脱走することは可能だ。
しかし、亡き母の代わりにグレースたちを大切に養育してくれている夫妻を、騙すような真似をする訳にはいかない。
同じような理由で、彼らが起きる前に家に戻らなければならない。兄にが寝る時間を考えると、彼に会える時間もあまりない。
「早く行かないと──っと」
グレースは軽く跳んで壁から足を離し、ふわ、と羽のように地面に降り立つ。
顔を上げ、兄がいる建物を探そうとして──、
「あれ?」
グレースは何かが自分の視界を覆っていることに気付いた。
それが目の前にあり、人であることが分かるまで、数秒を要した。
それは、萌葱色をした鋼鉄の甲冑。グレースを睨みつけるのは、自分と同じ赤色の瞳。
「さっきの人──」
頭の悪いグレースでも、この人物だけは覚えていた。名前は知らないが、アルヒの上に立つ人であることは知っている。
「この人を殺しちゃえば──」
兄が家に戻ってくるかもしれない。
そう思わず口にしてしまったグレースだったが、目の前の人物に動揺する気配はない。
まるで、粛々と侵入者を見張る番犬のようだ。
「まさか、一度ならずや二度までも同じ罪を犯すとはな。グレース・クリーヴズ──いや、罰せられるべき侵入者よ。貴様の罪は貴様の命を以てして贖え」
剣を抜く音が静夜の下に響き、一つの星が黒い剣身の上で瞬いた。
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