第七話 おてんば娘

「その子は君の妹かな? ダメじゃないか、女の子を連れて来ちゃ」


 にこりと笑いかけながら近づく金髪の男──ベネットに、アルヒは妹を庇うように構える。

 彼が妹に害をなすとは到底思えなかったが、いつもの癖、というやつだ。

 他の子とは妹は、いつも何かしら被害を蒙っていた。だから、アルヒが若干といえども警戒するのも無理もない。

 しかしその警戒を隠すように、アルヒも笑い返して口を開く。


「妹です。可愛いでしょう?」


「本当に」


 歩み寄ってきたベネットはグレースの顔をジロジロと見つめ、またしても笑みを浮かべた。


「後でお茶でもしないかい?」


「ちょっと。さりげなく口説こうとしないでください」


 アルヒの注意にベネットは肩を竦めると、


「それで? 妹クンはどうやってここに入ってきたのかな? アルヒクンが連れてきたわけではないんだろう?」


「ああ、そうだ、グレース。毎度毎度思うんだけど、一体どうやって入ってきてるんだ? 門を守る騎士がいたはずだろ?」


「兄さまは私が来るの嫌なの?」


「嫌なわけないだろ。ただ……」


 グレースが来てこっぴどく叱られるのはアルヒなのだ。しかし、妹を大切に思うアルヒは自分が叱られるのを妹のせいにはしたくない。


「そこの女は誰だ」


 突然後ろからかかった低い声にアルヒは肩を驚かせる。

 声は、もちろんグレースでもベネットでもない。

 昨日初めて耳にしたばかりの低くくぐもった、しかし威圧感のある声。


「隊長……」


 恐る恐る振り向けば、萌葱色の甲冑から覗く赤い瞳がアルヒを冷たく見下ろしていた。

 アルヒは体の向きを変え、上司に妹を紹介しようと乾いた喉を震わせる。


「その、こちらは俺の妹のグレース・クリーヴズです」


「彼女は何の用でここに来た? 本来ならばここに女がいてはならない。しかし、早急に対処が必要な事項があって来たのならば、例外的に認めよう。さあ、話せ。お前は何故ここに来た?」


「兄さまの忘れ物を届けに来たんです。渡したらすぐに帰ります」


「どのような忘れ物だ?」


「えっと……」


 アルヒはやや懐疑的な目をグレースに向ける。

 彼は騎士団入団前、つまり修練生の時もクリーヴズ家から遠く離れた寮で暮らしていた。

 入団後は前の寮からそのまま荷物を持ってきたので、グレースの暮らす家に忘れた物は何もないはず。

 それにグレースはアルヒの修練生時代、よく用もなく寮に侵入して来ていた。だから今回もその類いだろうと思ったのだが。


「はい! 兄さま!」


 そう言ってグレースが渡してきたのは、赤い布の載ったバスケットだった。

 バスケットからは懐かしい香りが漂い、アルヒはまだ何も入っていない腹を鳴らした。


「これは……、ベンリパイ?」


「うん、兄さまの大好物! おばさんが作ってくれたの」


「それは嬉しいな! だけど……」


 アルヒは恐る恐る首を回し、隣に立つ巨人を見上げた。

 すると真っ先に鎧の奥の赤い瞳と目が合い、たまらず肩を震わせる。


「アルヒ・クリーヴズ!」


「ひっ」


「この娘を今すぐ家に返せ! その後は外周10周! ベネット・バックスは守衛に伝えろ! お前らは何のために目がついているのか、と。それから……」


「あっ」


「このパイは没収する!」


 無慈悲にもグレースの手からベンリパイの入ったバスケットが捕られ、アルヒは名残惜しく目で追ってため息をつく。


「兄さま……」


 アルヒは唇を尖らせたグレースに向き直し、情けなく笑った。


「グレース。ごめん、今日はおばさんのパイは食べれなさそうだ。今度の休みに帰るから、その時に一緒に食べよう」


 くしゃくしゃと頭を撫でてやると、妹は満面の笑みで頷いた。


「わかった! 約束だからね! 絶対帰ってきてよ、兄さま!」


「よし、じゃあ門まで──」


 送る、と言おうとするも、いつの間にやらいなくなっていた。

 その変わり身の速さに驚き呆れつつ、アルヒはベネットに向かって言った。


「迷惑かけてすみません。行きましょう」


「りょーかい。君も大変だねえ。お転婆な女の子を妹に持つと」


「可愛いからいいんですよ」


 アルヒが妹への溺愛を見せると、ベネットは肩を竦めてスタスタと先へ行ってしまった。

 それについて行きつつ、やはりアルヒはグレースが侵入できた方法がわからず、首を捻ったのだった。






「今日も兄さまとあんまり喋れなかった」


 屋根の縁に座ったグレースは、足をプラプラとさせながら独りごちた。

 眼下には、塀の周りを走る兄の姿がある。

 目を凝らせば、彼の汗がキラキラと空中で輝いているのが見える。


「やっぱり、兄さまはカッコイイな」


 本来ならば、もう少し兄と話していたかった。そのためにわざわざ監視の目を避けて入ってきたのだから、そのくらい許されてもいいはずだ。

 そうしなかったのは、彼が本気で困っていそうだったことと、彼の横にいた鉄鎧の大きい人の気迫が恐ろしかったからだ。

 しかし恐らく、もう少しまともな理由が考えられていれば、結果は違っただろう。

 グレースは頭が良くないから、咄嗟のことで上手に対応できなかった。

 手から出てきたのがパイだったのだから、仕方がない。


「しょーがない、しょーがない」


 今度は夜に行けばいいだけだ。それをやって昔兄には怒られたが、彼のことだ、許してくれる。


「門の人も、通りかかった人も、殴っちゃえば、通してくれるもんね」


 兄がどこにいるかも見えるし、壁も登ればそれでおしまいだ。

 グレースを止めるものは何もない。


「よいしょっと」


 グレースは屋根の縁に立って、空を仰いだ。


「んー! 気持ちい」


 兄にはまた今夜会える。だから今は、叱られる前に家に戻らなくては。

 グレースは灰色の髪を靡かせて、空を飛び降りた。

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