第六話 黒い復讐

「討魔騎士団は、騎士団において最も忌み嫌われている。その理由は、国の防衛にも領土拡大にも役に立たない上に、悪魔の穢れた血に溺れた犯罪者が多く集まるから……ってのは知ってるだろ?」


 ベッドに腰掛けたリアムは、本の表紙をなぞりながらアルヒに聞いた。

 アルヒは肩を竦め、ため息混じりに言う。


「……まあな。だけど、それは根拠のない偏見にすぎない。実際は悪魔の手から人を守ってるし、だいいち犯罪者なんかいない」


 犯罪者ならば牢に入れられていて当然なのに、騎士になれるはずがない。

 いつからか生まれた根の葉もない噂を、民が信じ切っているのだ。

 道を歩くたび軽蔑の目を向けられ、こちらとしてはたまったものではない。


「聖騎士になりたい割には、よく知ってるんだな」


「いや、常識だろ」


「そうか? でも、お前は修練生の間では、頭が悪いって有名だったぞ」


 頭が悪いと常識の有る無しは関係ないが、アルヒの頭の悪いのは事実だ。

 悪いどころか、アルヒは常に最下位だった。しかし、わざわざここでひけらかす意味はない。


「否定はしないけど。──で? それがどうしてお前が討魔に入った理由になるんだ?」


「討魔騎士団が悪魔を殺せば殺すほど、人々の心象は悪くなる。俺は、それをドン底まで落としたい」


「どういうことだ?」


 首を傾げるアルヒに、リアムは少し勿体ぶるように脚を組み替えた後、口を開いた。


「マーヴィロス家って、知ってるか?」


 聞いた気がする、とリアムのフルネームがリアム・マーヴィロスであった事を思い出す。


「お前ん家だろ? ──ああ、家柄ってことか。知らないな。俺は貴族ってのはどうにも苦手で」


「いやいや。お前も貴族だろ。それに、マーヴィロス家は結構有名なんだぜ?」


「さあ? 聞いたことはあったかもしれないけど、頭には残ってないな」


「さすが学年最下位クンだ。学年一位の名も覚えていないとは」


「リアム・マーヴィロス、リアム……。やっぱ聞いたことないや」


「──マーヴィロス家ってのは、フィランツェ王国内で最も古い歴史を持つ家門だ。伝統を重んじ、長い間トップで王国を支えていることに誇りを持っている」


「あ、あー。なんか、聞いたことあるかも……?」


「は。本当に馬鹿なんだな、お前は。ま、その方が好都合か」


「家門が何なんだ? さっきから全然話が見えてこないんだが」


「なあに、簡単な話だよ。俺は、マーヴィロス家の三男だ。家門の唯一の落ちぶれで、数年前の事件で長男の代わりに俺が死ねばよかったとも言われてる」


 数年前の事件と聞いて引っかかることがあったが、やはり思い出せない。

 だが、その事件で彼の兄が亡くなったことにより、彼が不憫な経験をしただろうことはアルヒでも分かる。


「それはひどいな」


「だから、だ。俺は俺を見下してる連中の顔に泥を塗ってやりたい。だから、討魔に入った。討魔に入っただけでも噂がたったのに、そんな俺が悪魔を殺しまくったらどうなる? 家のヤツらの顔を想像したら滑稽だろ? だから、お前も協力してくれよ。お前が活躍すればするほど、討魔の悪名も広がる。一石二鳥だぜ」


「……お前がやりたいことはよく分かんなかったけど……、よく分かったよ。俺の目的は悪魔を殺しまくることだ。クラレンスさんは、白に入るために実績を積めって言った。どうせ、やらなきゃいけないことは同じだし、お前に協力してやるよ。貴族の顔に泥を塗るってのも面白そうだしな」


「だろ?」


 まるでやんちゃな子供のような笑みを浮かべたリアムに、アルヒは彼の本質を見出したような気がした。


「お前とは楽しくやっていけそうな気がするぜ」


「それは光栄だ。だが、名前はきちんと覚えてもらいたいね」


「さすがに仲間の名前を忘れるほど俺は馬鹿じゃないぞ」


「じゃあ、隊長の名前は?」


「うっ」


「ほらな」


 アルヒは言い訳もままならず、リアムのしてやったりとでもいいたげな顔を恨めしく見つめることしかできないのだった。






「苦し……」


 アルヒは胸を押さえつけられたかのような苦しさに目を覚ました。

 呼吸が上手にできず、過呼吸を繰り返してしまう。


 苦しいのは、いつもの悪夢のせいだろうか。

 だが、いつどんな時であろうと、悪夢が体に直接影響することはなかった。


 しかしあまりにも苦しく、これ以上寝続けることはできない。

 アルヒはうっすらと目を開け、飛び込んできたものに目を見張る。


「やあ! おはよう!」


「お、おはよう? ……あんた誰?」


 挨拶をしてきたのは同室のリアムではない。

 完全に初対面の、知らない男だ。


 男の金色の髪が差し込む朝日を反射し、空色の瞳がアルヒを見つめている。

 服は黒く、同じ討魔騎士であることを窺わせるが、その顔に見覚えはない。


「やあ。ボクはベネット・バックス。君と同じ、萌葱隊の騎士だよ」


「俺は──」


「知ってるよ。何しろキミは有名人だからね。アルヒクン」


 アルヒは不意をつかれて押し黙る。

 目の前でにこにこと笑う男はアルヒの仲間と名乗るが、やはりその顔に見覚えはない。

 もし萌葱隊であるならば、昨日の出動の時に少なからず顔を見ているはずだ。

 だが、この印象的な金髪は一度たりとも見なかった。


「ああ、昨日いなかったけど? みたいな顔してるねー。そうそう、当たりだよ。ボクは昨日の出動の時には女のコの所にいてね! どうしても離れるわけにはいかなかったんだ」


「そうなんですか。それはそうとして、どいて貰えませんか?」


 アルヒは自分の上に乗っかったベネットを睨みつける。

 その目線にベネットは怯みもせずにへらへらと笑うだけで、退く気配はない。


「キミがボクと試合してくれるって言うならどいてあげよう!」


「寝込み襲っといて!?」


 どの口が言うかと思うが、ベネットも引く気はないようだし、何せ条件が条件だ。


「やりましょう、試合。剣は?」


「モチロン、真剣さ。キミも貰っただろう?」


 腰にある剣を見せるベネット。

 アルヒは枕元に置いた自分の剣を見やって、こくりと頷く。

 すると満足したようにベネットは首を2、3度下に振って、意気揚々とアルヒの背後に回った。


「さ、行こう!」


「まだ寝巻ですって!」


 ドアの前まで無理やり背中を押されてしまい、アルヒはドアに張り付きながらベネットに向かって叫ぶ。

 ベネットはきょとんと首を傾げると、しばらく経って背中を押すのをやめた。


「そうかそうかすまない。急ぐあまり、キミへの配慮が行き届いていなかったな。さあ、早く着替えて! ボクはもう待ちきれないよ!」


「わかりましたから先行っててください!」


 出ていく様子のなかったベネットを追い出し、アルヒは起床後初めて一息つく。


「なんなんだ、あの人」


 普段からテンションの高いアルヒだが、今朝ばかりはベネットの勢いに圧倒されてしまった。

 いや、今朝だけということはないかもしれない。今後も彼のペースに乱されていくだろうことは、容易に想像できる。


「ま、楽しそうだし、いっか」


 あれほど陽気な人がいれば、少なくとも隊が暗い雰囲気であることはないだろう。

 はたと、そこまで考えてアルヒは首を傾げた。


 昨日同時に寝たはずのリアムの姿が、今はベッドの上にない。

 掛け布団は丁寧に整えられていて、彼の育ちの良さを窺わせるが、出て行く際の挨拶はなかった。アルヒが寝ぼけていて覚えていないだけの可能性もあるが。


 そんな事をぼんやりと考えているうちに着替えが終わり、とうとうアルヒの討魔騎士としての日々が本格的に始動する時となった。

 悪魔が攻め込んでこない以上、討魔騎士にすることはない。

 だが、人生何があるか分からない。1クラも油断してはならないと自分に言い聞かせながら、アルヒはドアの外へと1歩踏み出した。


「やあ! 着替え終わったんだね! じゃあ、早速行こう!」


「準備運動ついでに、訓練場まで競走しませんか?」


 ようやく冴えてきた頭で、アルヒはいつも通りの調子を取り戻してきた。

 今ならベネットの勢いにも勝てそうな気分だ。

 アルヒがほくそ笑んでいると、ベネットが突然耳元で叫んだ。


「それは妙案だ! ──用意、どん!」


 早速ベネットは走り出してしまい、アルヒも慌てて後を追う。

 しかしたった数クラル(センチ)の差は数ホリ(メートル)に変わり、しまいにはベネットが角を曲がり、アルヒは彼の姿を完全に見失ってしまった。


「はっや」


 身体能力には自信のあるアルヒだったが、ベネットの足の速さはそれを遥かに上回っている。

 果たしてその足の速さが、悪魔との戦いにおいて有効であるかは疑問だが──、


「俺ももっと鍛えないと」


 単純なアルヒにとってはその高みは辿り着くものであり、有効性は関係ないのであった。






「お、やっと来たね」


 アルヒが訓練場に着くと、石で舗装された道と訓練場の土の地面の境目にベネットは立っていた。

 彼はアルヒに気付くと半身をアルヒに向けて軽快に手を振った。

 息の上がっていない様子を見ると、随分先に到着していたか、疲れるほどの距離ではなかったのだろう。

 対してアルヒは息が上がり、すぐに試合を始めると言われると断らざるを得ない状況だ。

 しかし、その心配は無用だったようだ。


「あれ」


 土を踏む音と、剣が空を斬る音。その2つが耳に入り、アルヒはベネットの顔から訓練場の中央に目を向ける。

 そこには、朝日に剣身を輝かせながら地面を舞う鎧騎士の姿があった。

 萌葱色の鎧に、振り回される大剣。その全てに、アルヒは見覚えがあった。


「隊長?」


 あの全身鎧を見間違えるはずがない。訓練場の中央にひとり黙々と剣を振る騎士は、間違いなくアルヒが昨日会ったばかりの隊長の姿であった。


「珍しいだろう?」


 ベネットの問いに、アルヒは頷く。

 何故なら──。


「隊長とあろう者が、こんな朝早くに部下たちよりも先に修練を行うことは少ない。それも、ひとりきりで」


 ベネットの言う通り、騎士団の団長や隊長が部下を引き連れずに修練を行うことは滅多にない。むしろ、皆無といっていいほどだ。

 何故ならば、部下こそが鍛えるべき立場にあり、上司はあくまでそれを監督するだけというのが騎士団の風潮だからだ。


「アルヒクン。覚えておくといいよ。ここは討魔騎士団だ。他の騎士団の常識は通じない。たとえ団長や隊長であろうと死ぬのは当たり前だし、死なないために努力を欠かさない。──さ、というわけで、ボクたちもさっさと始めようか」


 ベネットはスタスタと訓練場の中へと入っていき、呆気に取られていたアルヒも気を取り直して追いかける。


「そうだね、ルールは通常通り、寸止めにしようか」


 剣を抜きつつ言うベネットを見て、アルヒも持ってきた以前よりやや重たい剣を抜く。

 ベネットはゆったりと片手で剣を構えると、


「合図は君の方で構わないよ」


 その言葉を受け、アルヒは準備を整えて口を開く。


「じゃあ──」


「──兄さまー!」


 突然、剣を構えるアルヒの上半身に重みがのしかかった。

 アルヒは驚いて剣を取り落としそうになり、慌てて柄を握り直す。


 なんの前触れもなく襲われたアルヒだったが、襲撃者には心当たりがあった。

 しかしそれでも驚きは拭えない。

 急いで剣を納め、自分の首に巻きついた腕を解きながら、アルヒは体を後ろに向けた。


「おはよう! 兄さま!」


 赤い瞳の少女が、アルヒを見て満面の笑みを浮かべている。


「やっぱり」


 アルヒは少女の頭にポンと手を置き、灰色の髪の毛を撫でると、


「もう来るなっていっただろ? また、今度はどうやって入ってきたんだ? ──グレース」


 そう言って、最愛の妹に笑いかけたのだった。

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