第三話 夕空の訣別

 時は再び13年前に遡る。


 樹歴1987年、貧民街に暮らしていたアルヒは悪魔と呼ばれる集団──主にドラゴンに乗った少年に襲われ、母親を失った。


 アルヒの親友バージルは家族の復讐を、アルヒは生きる覚悟を決めたのだった。


「アルヒ」


 簡易診療所で待っていた青髪の少年に名前を呼ばれ、月白色の髪の少年は眉を下げた。


「バージル。……大丈夫?」


「大丈夫。怪我はしてないから」


「そういう事じゃなくて……!」


 真新しい白い服に身を包んだ少年──バージルは、腕を広げて何の負傷も負っていないことを証明した。

 だが、アルヒが真に聞きたかったのは身体的な問題ではなく、彼が負ったはずの一生涯治らないであろう心の傷のことだ。


「大丈夫。お前に心配されるほどじゃない」


「でも」


「いじらしいぞ。お前らしくもない」


 光を失った緑色の瞳で見つめられ、アルヒは喉を詰まらせる。

 彼の言う通り、アルヒは大丈夫と言った相手の言葉となればすぐ信じる傾向にある。だが、相手がバージルとなれば、しかも家族を悪魔に殺された後となれば話は違ってくる。

 バージルの負った心の傷は癒えないほど深いだろうし、大丈夫と言う言葉も、意地を張っているだけにも取れる。


「つーか。お前の方が大丈夫か? 今までどこ行ってたんだ?」


「ちょっとその辺を」


「ふーん?」


「バージル。俺さ」


 疑う様子のバージルに構わず、アルヒは話題の転換を試みる。

 しかし続く言葉が出てこず、彼は少しの間黙ったままでいた。


「なんだ? 早く話せよ」


「……俺、決めたよ」


 腕を組んで立つバージルに、アルヒは覚悟の言葉を告げる。


「俺、生きる」


 たった三文字の決意を口にし、アルヒは黙る。

 それには常に冷静なバージルも驚いたらしい。しばしの沈黙から、アルヒの言葉が終わっていたことに気づくと、彼はようやく口を開いた。


「……は? 生きるのは当たり前だろ。なんだよ、決めたって勿体ぶって」


「別に、勿体ぶった訳じゃない」


「じゃあなんだよ」


「生きるのは当たり前だけど、生き続けるのは簡単じゃない。それはバージルもわかってるだろ?」


「……じゃあ、お前はこれからどうすんだよ。母親がいなくて生きられるわけがない。今までだってギリギリに暮らしてきたのに」


「それは」


「キースリーさんが、お前がいいなら俺と一緒に引き取るって言ってくれてる」


 アルヒは口を閉ざしたままバージルを見据える。


「……ただし、訓練は受けてもらうってさ」


 口を半開きにして数秒動きを停止し、覚悟を決めたようにアルヒはまた動きだした。


「──ごめんだけど、それはできない」


「は?」


「俺は」


 脈略のない呟きにバージルは首を傾げる。


「俺は、母さまが死んだとき、すっごく悔しかった。母さま一人も守れないくらい弱いんだって」


「それは俺も一緒だ。だから、決めたんだ。強くなるって。お前はそうじゃないのか?」


「強くなることが全てじゃない。復讐することが全てじゃないって、俺は思う」


「は? それはどういう──」


「殺されたからって殺し返すんじゃ、あいつら──悪魔と一緒だ」


「お前っ──!」


「がっ」


 突然襟ぐりを掴まれ、アルヒの体は宙に浮く。

 彼が目を半開きにして下を見ると、怒りに顔を赤くしたバージルが、怨嗟の炎を瞳の奥に浮かべて彼を睨みつけていた。


「俺を馬鹿にしてるのか? お前は、復讐することしか考えてない俺を脳なしだって、そういうのかっ──?」


「違う、違う。そうじゃない──!」


「だったら何だって言うんだ! お前は、お前には分からないだろうさ! お前にはまだ妹がいる! でも、俺は違う! 全部、何もかも失った! 何も、無いんだよ……っ」


 つま先が宙を切り、アルヒは苦しいながらも声を絞り出す。


「俺はっ、バージルのことは否定してない……! バージルが、自分で選んだ道だ。だから、俺は否定できない……っ! ……っとりあえず、降ろして! 息が……っ」


「ちっ」


 乱暴に襟が離され、アルヒはよろめきながら息を整える。


「……はっ、はっ」


「お前なら」


 目を伏せ、掠れた声で呟いたバージルの声は、震えていた。


「お前なら。一緒に戦ってくれるって、思ってた。信じてたんだよ。お前は真っ直ぐだから、絶対、母さんたちを殺したやつのことを許さないって」


 アルヒはいたたまれなくなって声を掛けようとするが、荒く酸素を取り込もうとする肺がそれを許さない。

 悲痛に顔を歪め、俯くバージルを見る。


「でも、違ったんだな。俺はまだ、お前のことちょっとしか知らなかった」


「バー、ジル」


 顔を上げた彼の顔は、涙で濡れていた。

 その涙は家族を永遠に失ったことによる悲しみか、それとも今親友を失おうとしていることへの後悔か。

 どちらにせよ、前を向き続けるアルヒには分からない事だった。


「兄さまぁー!」


 とてとてと、スカーレットの髪の幼子がアルヒたちに駆け寄ってきていた。

 バージルは涙を拭い、アルヒは険しい表情を無理やりほぐして笑みを浮かべる。


「どうしたの? グレース」


「あのね、おばさんがお話があるって! こんごのお話だって」


「お話? なんだろ」


 少し考えてみるが、分かりそうにもないのでアルヒは手を引く妹について行こうとする。

 しかし、バージルのことも放っておけない。


「行ってこいよ」


「バージル」


「俺は大丈夫。お前がいなくたって、生きていける」


「……? ごめん、すぐ戻ってくるから」


 妹に手を引かれ、アルヒはそこを離れざるを得なくなる。

 半身になって手を振るアルヒに返してくれたバージルだったが、何故かその表情は浮かないものだった。

 不安になったアルヒは悲痛の思いで叫ぶ。


「……バージル! そこで待っといて! お願いだから!」


 悲しげに微笑むバージルを独り残して、アルヒはその場を離れた。


 それから13年間、彼は一度としてアルヒに微笑んではくれたことはない。

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