第一話 不器用な青年

 晴れ晴れとした青空は、アルヒの期待と希望とを一身に表現しているようだった。

 修練場の外廊下を歩きながら、彼──アルヒ・クリーヴズはそんな感想を抱く。


「ふん、ふんふん」


 苦手とする音楽を自らの鼻で奏でながら、アルヒはリズム悪く廊下を進む。

 教官室へ向かうのはいつも憂鬱だったが、今日ばかりは違う。今日は怒られるわけでも面倒事を任されるでもない。

 ついに、憧れの聖騎士になる日が来たのだ。


 二十歳になったこの日、アルヒはようやく修練生という身分から抜け出し、『騎士』の名を得ようとしていた。

 狙うのは、もちろん『王国聖騎士団』。聖女に自らの剣を捧げ忠誠を誓う、その任に就くことを五年ほど前から目標としている。

 理由は実に簡単明瞭だ。──『聖女』エリー・ラ・フィランツェと再び相見えること。十二年前に失った彼女に会い一生をかけて護ることが、アルヒが聖騎士団を目指すたった一つの理由だ。


「ただ──」


 息を大きく吸い込み、肩を上げる。


「よっす」


「わっ」


 突然肩を叩かれ、アルヒは前方によろめいた。

 彼は前髪のかかっていない眉間に皺を寄せながら振り向き、後方の存在に気がつくなりすぐに頬をゆるめた。


「ウィル!」


 後方に立っていたのは、寝癖も直さず修練服を着た、ややつり目の青年だ。アルヒの頭一つ分大きく、声もアルヒより若干低い。

 彼の名は、ウィリアム・シャーウッド。先月誕生日を迎えたばかりで、アルヒの友人かつ討魔騎士団所属のよく笑う男だ。


「よう。お前、今日誕生日なんだってな」


「ああ、まあな。今から簡易任命式なんだ」


「それじゃ、お前も俺の仲間入りだな!」


「おいおい。俺は討魔にはならないぜ?」


「いやいや。まだわかんねえぞ? お前、なにか守るってタチじゃねえじゃん? だから俺的には討魔に──」

「おい。冗談でもやめてくれよ。俺は本気なんだ」


「おっと。すまねえ。そうだったな、お前も本気だったな。俺もお前が聖騎士になれるよう祈ってるぜ。──世界樹は魔女にも微笑むってな」


「ありがとうな。でも言っとくが、俺は別に何も悪いことはしてないぜ?」


 ウィリアムは笑ってアルヒの頭を軽く叩くと、ひらひらと手を振って屋外修練場の方へと向かって行った。

 アルヒは乱された髪の毛のセットを整え直し、ぼやく。


「まったく。あんなん言われたら緊張してきちゃったじゃないか」


 左腰を触れば、そこに常に携えられていた剣はない。そのお陰で今は物理的に身が軽いが、数分後には物理的にも精神的にも重くなっているはずだ。なにせ、この後行われる任命式では、騎士団配属を告げられるとともに、所属する騎士団の紋章が象られた剣を授かるのだから。

 そして、その色が何色になるかがアルヒにとって最も重要な事項なのである。金であればアルヒの望む聖騎士団。漆黒であればアルヒが最も忌む討魔騎士団。他にもいくつか騎士団はあるが、アルヒは何としてでも討魔騎士団にはなりたくない。


「死ぬわけにはいかないんだよ」


 母の残した遺言。「生きて」のその言葉が、アルヒの行動原理であり、生きる気力を生み出してくれるものの一つだ。だから、殉職率が最も高い討魔に行くわけにはいかないのだ。


「大丈夫。希望用紙には一文字も討の字も魔の文字も書いてない。さすがの鬼教官でも、そんな鬼──いや、悪魔みたいなことはしないだろ」


 アルヒはやけに高鳴る心臓と嫌な汗で濡れた肌を実感しながら、教官室の重厚な扉を叩いた。


「失礼します! 修練生アルヒ・クリーヴズ、騎士任命式のため、やって参りました!」


「入れ」


 扉の奥で低い声が鳴らされ、じっとりと濡れた左手でドアノブの冷気を感じながら回した。

 途端、教官室独特の張り詰めた空気が鼻をくすぐり、アルヒは頬を引きつらせる。


「ほれ、こっちこっち」


 教官室の中にはいくつかの机が並べられ、数人が座って作業をしていた。その中の一人──バイロン・タルコット教官が毛の生えた手でアルヒに向かって手招きをしている。

 アルヒは緊張した面持ちでタルコット教官の元へ歩き、教官の後ろに控える男性二人に気がついた。黒い制服に身を包む彼らにアルヒが言及する間もなく、タルコット教官は口を開く。


「よお、クリーヴズ。まずは、誕生日おめでとう」


「あ、ありがとうございます」


「そんな緊張すんなって。今日はめでたい日だろう?」


 偉丈夫はいつもきつく結ばれた唇を今だけは緩ませ、アルヒの緊張を解こうとする。


「その髪型、一体誰にやって貰ったんだ? いつも寝癖だらけのお前の頭がそう綺麗なはずがねえ」


「妹にやってもらいました」


「そう。あの似てない妹ちゃんに?」


「はい」


「そうか、来てたのか。だったら今日は早く起きれたんだな?」


「はい」


 アルヒの短い返答に何を思ったのか、タルコット教官は顔を歪めた。


「早く聞きたくてたまらねえって顔してんな? まあ、そうはやるんじゃねえ。じきに、はずだから」


「来る?」


 一考もしないアルヒの鳥になったかのような言葉にタルコット教官は肩を竦め、目線を逸らしてアルヒの肩の向こう側──ドアの方に意識を向けた。

 その視線にアルヒも追随し、その重い扉が再び開かれるのを見た。


「失礼する」


 低い声は室内の張り詰めた空気をさらに張り詰めさせた。

 瞬間、教官の背後に控えていた黒い制服の二人が右腕を直角に曲げて顔の前に上げ、腰をわずかに傾ける、討魔式の敬礼を見せる。

 驚いたアルヒも真っ直ぐ背筋を伸ばして立ち、腰を45度に曲げる。


「遅れてきてしまって申し訳ない。少々立て込んでいた。あと、直してくれて構わない」


 アルヒは腰を伸ばし、声の主の緑色の瞳を見据える。


「修練生アルヒ・クリーヴズ、キースリー討魔騎士団長にご挨拶申し上げます」


 再び一礼。


「うむ。……息災だったか?」


 男は向かう相手に恐怖を与える冷たい目を向け、しかし相手を気遣う意志を見せる。黒い騎士服に身を包む茶髪の男の名は、クラレンス・キースリー。アルヒがまだ幼少の時にアルヒの命を救った、一度は彼に勇者とも呼ばれた男である。


「はい。おかげさまで。ところで、キースリー閣下はどうしてここに?」


「君の騎士就任を祝いに、だ」


「閣下が?」


「ああ。もちろん。幼い頃から見てきている君がようやく俺たちの同志になるというのだ。当然だろう?」


「同志?」


 アルヒは男の言葉を反芻し、その意味を理解しようとする。


「すまない。まだ伝えられていなかったようだな」


 キースリーは相変わらずの無表情でそう述べ、そして一度口を噤んだ。

 彼はアルヒの後方、薄笑いを浮かべるタルコット教官を一瞥し、再び唇を開く。


「アルヒ・クリーヴズ。本日より君を討魔騎士団第四部隊所属に任命する。心して励むように」

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