第七話 11月1日

 崩れ果てた家の瓦礫の山々の間を、月白色の髪の少年――アルヒが俯きながら歩いていた。

 アルヒが七年間暮らしてきたはずの街は形を失い、土埃が舞う道にはアルヒ以外誰ひとりとして通らない。

 どうして、こうなってしまったのか。どうして、失わねばならなかったのか。どうして、何もできなかったのか。

 悔いが、無念が、アルヒの心を占めて止まなかった。


 頬を涙が伝い、涙は地面に落ちて土に染みる。

 泣いたって、悔いたって何の意味もないことを、アルヒは知っていた。

 知っていたはずなのに、知っていたはずなのに――。


「泣いてるの? アル君」


 俯くアルヒの頭の上で、幼くも凛とした声がなった。


「っ……!」


 アルヒは奥歯を噛み締めながらも、涙を振りまきながらも、その声の主の顔を見る。

 丸い輪郭に、長く伸ばした細く艷やかな金髪。赤く澄み切った宝石のような瞳が、アルヒを見つめている。


「エリー……」


 自分よりもわずかに背の高い少女の名前を呟き、アルヒは唇をきつく結ぶ。

 涙はさらに溢れ、アルヒは彼女に抱きつきたい気持ちを抑えて拳を固く握った。


「だめだよ、泣いちゃ。どんなに悲しくっても、私の前では泣いちゃだめなんだよ?」






「そっか。『悪魔』が」


 アルヒは金髪の少女――エリーに昨夕起こったことを伝え、空を仰ぐ。

 貧民街から少し歩いた空き地、もともと何もなかったその場所で、アルヒとエリーは数ヶ月前より密会を続けていた。

 今日もまた約束の日であったが、昨日のこともあってアルヒはすっかり忘れていた。しかし、彼女の方は律儀に会いに来てくれていたのだ。


「大変、だったね。私も昨日ここにいればよかった」


「そんな。危ないよ」


「でも、ここにいれば、お母さんを失ったアル君を、すぐに抱き締めてあげられた。慰めてあげられたのに」


「…………」


「グレースちゃんは大丈夫? 怪我はない?」


 エリーとアルヒの妹グレースとは面識がないが、アルヒの話によく出てくるので心配してくれたのだろう。

 アルヒは泣き笑いの表情を浮かべて、コクリと首を下に振る。


「そっか。よかった。アル君はひとりじゃないんだね」


「でも、バージルは……」


「バージル君の家族はみんな……?」


「うん。ドラゴンに潰されちゃったって」


 エリーは一瞬目を驚かせて、すぐに悲痛の顔になる。


「その魂が世界樹を辿り神のご慈悲をいただけますように」


 追悼の言葉を述べたエリーはまたすぐに表情を変えて、


「これから、アル君たちはどうするの?」


「どうするって?」


「どうやって生きていくの? お母さんがいなくなっちゃったなら、ご飯とか困っちゃうでしょ?」


「……バージルは、助けてくれたクラレンス様の所へ行くって」


「バージル君のことじゃない。私は、アル君のことを聞いてるの」


 赤い双眸が、アルヒのことを真っ直ぐに見据えている。しかしアルヒはいくら見つめられようと、喉から声を発することができない。


 昨夜、クラレンスに判断を迫られてから、アルヒはまだ答えを出せていない。

 バージル同様、アルヒもまた復讐したいというのなら、引き取って鍛えてくれるとクラレンスは言った。

 だがアルヒは、この胸に残る息苦しさが何なのかまだわかっていない。どうしてか、復讐したいという気持ちではないような気がして、何も決められないままでいた。


 エリーは胸に手を当てて俯くアルヒの顔を覗き込んで、優しくその頬に手を添える。

 その手は無理矢理にアルヒの面をあげさせ、再びアルヒの目はエリーの赤い宝石眼と対峙した。


「アル君は、バージル君のようになりたいの? 復讐するために、自分の命を無駄にするの?  ……私はイヤよ。私は絶対、そんなことのために死にたくない。……アル君は、どうなの? どう思うの?」


「…………」


 真剣なエリーの表情にアルヒは喉を詰まらせる。

 もちろん、言っていることもそうだが、何よりその美しく整った顔に見惚れてしまったのだ。

 アルヒはパクパクと口を開閉させて、ようやく声を絞り出す。


「母さまが死んだのは悲しいし、悔しい。でも、母さまはって言ったんだ」


「だから?」


 少し、分かったような気がした。母の最期の言葉の意味と、自分がどうしたいのかが。


「――だから、俺は復讐はしない。自分が本当にしたいことを見つけて、頑張って生きたい。母さまが願った通りに」


 言い切ると、エリーはアルヒの頬から手を離し、深く頷いた。


「それでいいと思うわ。私はそうするべきだと思うし、そうして欲しい。アル君とはもっと一緒にいたいから」


 微笑むエリーにアルヒもまた微笑みで返し、青い空を仰いだ。

 この青い空の遥か彼方で、母が優しくアルヒの決心に賛成してくれているような気がした。


「さ、もう帰らなきゃ。次も――」


「――1がお尻につく日に」


「うん。じゃあね」


 エリーは手を振りながら、空き地から出ていく。

 アルヒはまだ立ち上がらない。エリーが帰ったのを見送ってから、アルヒが帰るのが決まりだった。

 角を曲がったエリーの姿が見えなくなってから、アルヒは力強く立ち上がった。


「俺も、帰らなきゃ」


 今はなき我が家ではなく、簡易療養所へとアルヒは歩き出した。



 それから、およそ13年の歳月が経った。

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