第四話 願いと喪失

「ぷっ、は、あはははははははははははっ! は、ははははっ。……っやっべ。笑い止まんね」


「──っ!」


 アルヒは冷たくなった母の体を腕に乗せたまま、茫然と母を殺したドラゴンの上に乗る悪魔を見つめた。

 笑う白黒の髪の少年は、髪の毛で隠れていない方の目に涙まで浮かべている。


「悪魔っ……」


「ああ、そうだよ! 俺たちは悪魔だ。わかり切ったこと言ってんじゃねえよ。……ったく、ほんとお前ら人間ってのは、バカ・・だよな。自分の命が一番大事なくせして、他人を救いたいだの守りたいだの、ふざけてんのかよ。ガキみたいに理想抱えてさ、幻想抱いちゃってさ、バッカじゃねえの? ヒーロー気取りのガキめ。ああ、お前はまだガキだから言ってもわかんねえか」


 ドラゴンに乗った悪魔は、己の体の小さいのも知らずに、ニヤついた笑みをたたえて嘲笑う。

 アルヒは母の体をそっと地面に寝かせて、ゆらりと立ち上がった。

 そして大きく息を吸って、硬く硬く両拳を握りしめる。


「母さまを!」


「──なんだよ、『半魔』。お前も、復讐とか言って俺たちを殺しに来るのか? どうせ勝てないのに? 死ぬのに?」


「母さまを、ばかにするな!」


 無謀にもアルヒは握った拳を引き、ドラゴンに向かって走り出す。

 アルヒの涙は宙に漂い、ドラゴンの口から吐き出された瘴気に混じった。吸い込めば誰もが毒に侵されてしまう瘴気だが、アルヒは意に介さず突き進む。

 瘴気の中、アルヒは息を止めていた。瘴気が悪いものと知っていたからではない。呼吸をすれば、今すぐにでも涙が溢れ出してしまいそうだったから。だが、今は泣くべきところではないと必死に息と涙を堪えていた。


「なあ」


「──?」


 ドラゴンの顔まで、間近に迫っていた。しかし、声をかけられたことにより、アルヒは一瞬だけドラゴンの背の上を見てしまった。

 先ほどまで笑っていたはずの白黒髪の少年は、どうしてか今は何も顔に表情を浮かべていなかった。

 まるで、つまらないとでもいうように。


「お前の願いは、なんだ。生きることか? 死ぬことか? それとも、『ガキ』のままでいることか?」


 呆気に取られたアルヒは拳を振りかぶったまま、黙りこくる。


「なんだよ、早く答えろよ」


「俺の、願いは」


 アルヒは拳を下ろし、涙で滲む視界に慣れ親しんだ舗装されていない土の地面を見た。


「家族みんなで、幸せに暮らすこと」


 母と妹と、かけがえのない日々をもう一度生きたい。アルヒの中にある思いは、ただそれだけだった。


「────つまんね」


 沈黙が続いた後、白黒髪の少年はそう吐き捨てた。


「ぶっ」


 唐突にアルヒは何かによって体を強打し、吹き飛んだ。

 どこかの屋根の上に落下、ずるずると滑って地面に落ちる。

 ──痛い。どの部分が、とは一概には言えないが、体が痛い。骨が折れているのかもしれない。内臓が潰れてしまっているのかもしれない。

 口内に湧き出てきた液体を口の中で回すと、鉄の味がした。鼻からも、同種の匂いがする。


「──ぃ」


 伸ばされた腕を内側に曲げ、動かない足をだらりと広げるアルヒ。右に傾いた頭に付く瞳には何も映らない。

 惨めな姿を晒したアルヒに、ドラゴンから飛び降りた白黒髪の少年が向かう。


「なあ、今どんな気持ちだ? 苦しいか? 辛いか?」


「──ね」


「おい、はっきり言えよ。苦しいのか辛いのか。それとも、楽しくて仕方がないのか!」


 少年がアルヒを蹴ろうと足を後ろに引くも、体が一切動かず避けることができない。

 地面に寝かせたままの母の体が無事なのを確認して、アルヒはそっと目を閉じた。


「ああああああああっ──!」


 突然そんな咆哮が耳を貫き、アルヒは大きく目を開けた。

 視界には、足を振り抜く少年と、母、それともう一人。


「バージルっ!?」


 驚いたことにより口から血が溢れるが、拭き取りもせずアルヒは必死に目を凝らす。

 ぼやけるアルヒの視界には、間違いなく親友バージルの姿が映っていた。

 吠えるバージルは、彼と思えないほどの険しい怒りの表情を浮かべて、こちらに向かって走ってきている。

 彼は白黒髪の少年に飛びつき、そのままもつれて地面を転がりまわった。


「くそっ、何だよお前っ。俺たちの楽しみを邪魔して! ただの人間のくせして俺たちの邪魔をしてるんじゃねえ!」


「──っ!」


 バージルは転がりながらも白黒の少年に噛みつこうとしていたが、少年の子供と思えないほどの腕の力に突き飛ばされ、あっけなく地面に叩きつけられる。

 とっさにアルヒは立ち上がろうとしたが、手を付けた瞬間激しい痛みが走った。


「いっ──」


 バージルまでも失うわけにはいかない。だが、痛む体がそれを許さない。


「お前、まじでふざけんなよ。クソガキ。お前が俺たちに叶うはずがないんだよ。死ねよ」


 白黒の少年が土を払いながら立ち上がり、バージルもまた力なくも立ち上がった。


「俺はクソガキじゃない。バージルだ」


「知るかよ。俺たちの邪魔をするのはみんなガキだ。クソガキだ。……あー、いらつく。いらつくいらつくいらつく」


「お前は──」


 バージルは地面に顔を向け、表情のわからないまま呟いた。


「黙れ。しゃべんな。死ね」


 白黒の少年の吐き捨てた言葉を皮切りに、バージルはばっと顔を上げた。

 その頬には涙の流れた跡がある。


「お前は、俺の家族を殺した! 一人残らず! 父さんも母さんも、アーサーもセシルも! みんなお前に殺された!」


 バージルが叫んだ声に、アルヒはハッとなった。

 ──そうか。だから……。


「だからなんだよ」


 白黒の少年は無情に、実に悪魔らしく言い放った。

 バージルは悔しげに唇を噛むと、


「だから! ──俺はお前を殺す」


 怨嗟の炎がバージルの瞳に宿った瞬間、アルヒは自分が好きだった彼という存在を、永遠に失ってしまったことを悟った。

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