ツンデレ悪役令嬢リーゼロッテと実況の遠藤くんと解説の小林さん/恵ノ島すず


  <私の婚約者は、実はツンデレかわいい>



 夏休みのある日、小林家リビングにて。

 いつもはどこまでも楽し気に笑いあっていることの多い小林詩帆乃と遠藤碧人が、どこか緊張した面持ちで話し合っていた。


「さて、乙女ゲームあっちの世界もそろそろ夏休み……、ってことで、次に来るだろうイベントは、気をつけなきゃいけない、よね」

 少し憂鬱そうな詩帆乃に、碧人はうなずき返す。

「ああ、あの初見殺しのバトルイベントか。今のままだと、たぶんバルがパートナーになるよな? そうすると……」


「うん、バルならかなりうまく立ち回らせないと……。もしこのイベントのパートナーがバルだとしても他の攻略対象者だとしても、ヒロインのフィーネちゃんも、そのパートナーも、下手したら死ぬ可能性があるんだから」


 詩帆乃の言葉の後、しばし、沈黙が流れる。

 フィーネをはじめとする、乙女ゲーム【マジカルに恋して】、略称【まじこい】の登場人物たち。そう、ただの登場人物であったはずなのに、碧人の実況と詩帆乃の解説の声があちらに届き始めたのを境に、すっかり異世界に生きる友人としか思えなくなった彼女たちの、【死】の可能性。

 その重さに、この場の空気が押しつぶされたかのようだった。


「……いや、ダメだね。ジークが神様だって思ってくれてる私たちがこんなんじゃ、あっちまで不安にさせちゃう!」


 気合を入れるように頭を振って詩帆乃がそう言うと、碧人はうんうんとうなずいて、笑顔を作る。


「そうだよな。俺考えたんだけどさ、このイベント、要は回復魔法使える人間複数人がいれば余裕なんだろ? ゲームではフィーネと攻略対象者の誰かの二人組で行く流れになってたけど、いっそその二人組って縛りを崩せばいいんじゃないのか?」


「あ、それいい! リーゼロッテの手記見た感じ、リゼたんみんなでわいわいするのに憧れてたみたいだし! リゼたんも今いる攻略対象者も、みーんなで行かせればいいんだよ!」

「おー、楽しそうじゃん、それ」


 解決の糸口をつかみ、心からの笑顔でうなずきあった詩帆乃と碧人は、すっかりいつもの楽し気な雰囲気を取り戻しつつあった。


「よし、じゃあ今回はそういう方向で……、今日も元気に神様やっていきましょう、【実況の遠藤】くん!」

「そうだな、楽しみながらがんばろう、【解説の小林】さん」


 おどけたようにあちらの世界における自分たちの役割で呼びかけあった二人は、彼らの声を聞き彼らを【異界の神々】と崇める王子、ジークヴァルトへと語りかけていく――。



 ――――



 来週から、王立魔道学園は夏休みに入る。

 そのため、私たち学園生は、本日学園裏山の【大掃除】を行う予定だ。

 この【大掃除】とは、掃除とは付くがいわゆる普通の清掃活動ではない。

 私たちの通う学園その裏手に位置する山、そこに潜む無数のモンスターを、私たち学園生全員で力を合わせ、狩りつくすことを指す。


 というのも、学園に通う生徒たちはすべて魔法が使えるが、この国に暮らす人々の大多数は使えない。

 となれば当然、学生とはいえ特別な力を持つ私たちは、その力を民を守るために使うべきだろう。また、私たちが魔法を学ぶ上でも、実戦は重要だ。

 そのためこの学園は、あえて魔が溜まりモンスターが湧いて出る山の前に建てられている。

 しかし、学園が長期休暇になると、モンスターに対応できる私たち学園生がごっそりと不在になってしまうため、休暇前には徹底的に山のモンスターを狩りつくしておく必要がある。

 その狩りが、いつしか伝統的に【大掃除】と呼ばれる学園の恒例行事となったというわけだ。


 そんな大掃除の直前。

 早朝から、校舎の裏手、裏山の手前の広場に学園生と教職員が集っていた。

 今日は日頃と違い皆一様に運動着を身に着けていることもあり、皆それぞれに常とは違う様子だ。

 これが初めての大掃除となる一年生たちは緊張した面持ちで。上級生や教職員たちはそんな彼らをほほえましく眺めたり、鼓舞したりしながら。各々装備や道具類を確認したり、軽い準備運動などをしたりしている。


 王太子であり最高学年の三年生に所属する私は、立場上表には出さないように気を張りつつも、一年生たちと同様に、いやもしかするとそれ以上に、緊張していた。

 というのも、この山は定期的に間引きをしているためにそれほど強いモンスターが出るわけではないはずなのだが、つい先日グリズリーが出たらしい。

 そのグリズリーはすぐに騎士見習いであるバルドゥール・リーフェンシュタールが討伐したそうなのだが、本来この山にいるはずはない強力なモンスターだ。

 その一頭限りの異常であったならいいのだが……。


「フィーネさん、あなた、思いあがっているのではなくて?」


 ふいに、どこまでも冷たく、苛立ちすら滲むような厳しいリーゼロッテの声が響き、私の思考を打ち切った。

 侯爵令嬢であり私の婚約者でもあるリーゼロッテは、この学園唯一の庶民であるフィーネをなにかと気にかけ、同じ一年生同士ながら時に指導のようなことまでしている。今日もそういったことだろうか……?


「も、申し訳ございません……」


 そう言って頭を下げたフィーネの顔面は蒼白で、わずかに震えている。

 あまりよくない雰囲気に私がそちらに駆け寄ろうとした瞬間、私よりも彼女たちに近い位置にいたバルドゥールが、フィーネをかばうかのように割って入っていくのが見えた。


「おいリーゼ、お前またフィーネ嬢をいじめているのか?」

「バル……!」

「あ、いや、そんな、あのっ」


 バルドゥールに問い詰められたリーゼロッテは憎々し気に彼を睨み、フィーネは睨み合いを始めてしまったリーフェンシュタールのいとこ同士をオロオロと眺めている。


「いじめだなんて心外ね。わたくしは事実を述べただけ。フィーネさんはね、この山で単独行動をしようとしていたの。いかに実力者とはいえ、思いあがっているとしか表現できないのではなくて?」

 リーゼロッテがふん、と強気にそう言い放つと、バルドゥールは重いため息を返した。


「それにしたって、言い方というものがあるだろう。こんな衆目の前でさらし者にするように叱責するなど……」

「あ、いや、その、確かにリーゼロッテ様のおっしゃる通り、一人でなんて無謀かな、とは、私もちょっと思ってまして。ただその、いっしょに行ってくれる人が思いつかなかっただけっていうかその、ほら、私って浮いているじゃないですか……!」


 バルドゥールがリーゼロッテを窘めようとしたのを、フィーネがわたわたと遮った。

 彼はふむ、とひとつうなずき、リーゼロッテからフィーネに視線を移す。


「なるほど。そういったことであれば、俺がフィーネ嬢に同行しよう」

「やっ、それはちょっと気まずいというか、その……」


 バルドゥールの申し出に、フィーネは視線をそらせてなにやらごにょごにょと言っていたが、声が小さすぎてよく聞こえない。


「バル一人増えたところでなんだというの? 先日この山の異常と出会ったのは他でもないあなたたちだというのに、たった二人で他にもなにがあるかわからない山に挑むだなんて、愚かとしか言いようがないわ」

「先日の異常であるグリズリーには、俺とフィーネ嬢だけで十分対処できた。俺たちなら、まずどんな敵も敵ではない」

「まあまあ随分と大きく出たこと! それこそが油断、慢心、思い上がりというものではないかしら!?」


 当事者のはずのフィーネを置き去りにするかのように、リーゼロッテとバルドゥールの口論は激化していく。

 次第に険を増していく声音とぶつかり合う視線に、もはやフィーネは涙目だ。


 しかし、私もバルドゥールとフィーネが組んで行動するのであればまず問題ないのではないかと思うのだが、どうしてリーゼロッテはあんなに険しい顔を……?


「リーゼ、お前さっきからいやにつっかかってくるが、いったいなにが気に食わないんだ? 言いがかりのようなことまで言って……。ジークヴァルト殿下に友人として認められているフィーネ嬢に、嫉妬でもしているのか?」


 あきれたようにバルドゥールが言うと、リーゼロッテの怒りが更に一段増した。ような気がする。

 キッと吊り上がった瞳でバルドゥールを見上げるリーゼロッテは、一転して静かな声音で、淡々と告げる。


「バルはどうしても私がフィーネさんをいじめているということにしたいようね。私は事実、あなたたちの実力不足と思い上がりを憂いているだけよ。ああ、そうね、この大掃除でのモンスターの討伐数で、勝負いたしましょうか? 私と、あなたたちで。あなたたちの実力が劣っているという証左、叩きつけてさしあげますわ」

 

 うん、ダメだな。

 さすがにリーゼロッテでも二対一というのは不利だ。

 というか、リーゼロッテこそ先日グリズリーが出たばかりの危険かもしれない山に単身挑むことになってしまっているのは、どう考えても冷静じゃない。

 バルドゥールがフィーネに同行する方向で丸く収まるかと思った場は、もはや見守ってはいられないほどにめちゃくちゃだ。

 リーゼロッテとバルドゥールは、普段は兄妹のように仲が良いのに……。


 私が意を決して騒ぎの中心に割って入ろうと歩みを進め始めたその時、天より、【神の声】が響く。


『ジーク、すぐに止めてください。このまま山に入って今回のボスモンスターと出会ってしまうと、バルとフィーネちゃんじゃ敗北バッドエンドの可能性があります。それにリゼたんだって危険です。できるだけ複数人で動いて欲しいです』


 !?


 聴こえたコバヤシ様のお言葉に、血の気が引く。

 一部言葉の意味はわからなかったが、バルドゥールとフィーネで挑んで、敗北しかねないモンスター、だと……!?


「みんな、待ってくれ!」

「ジ、ジークヴァルト殿下……」

「えっ、あっ、……殿下!?」


 反射的に叫び三人の間に割って入った私に、リーゼロッテは顔色を悪くして私の名を呼び頭を下げ、バルドゥールは黙礼、フィーネは一拍遅れて二人に続いた。


「急に割り込んでごめんね、みんな。頭は上げて。先ほど、この山に非常に対処の難しいモンスターが出現するとの神託が下った。できるだけ複数人で動くべきとのことだ」

「ええっ!?」


 私が取り急ぎ要点だけを伝えると、三人の顔色が変わった。

 フィーネがわかりやすくうろたえている背後で、リーゼロッテとバルドゥールはアイコンタクトを交わしうなずきあい、引き締まった表情で私を見つめる。

 先程までの諍いなどなかったかのような通じ合いっぷりに、なんだか複雑な気分だ。


『これからその山に向かうと、バジリスクが出ます。出現位置は一応後で伝えますが、そこに行かずともあちらからフィーネちゃんを狙ってくるはずです。バジリスクから麻痺か石化を食らってしまうと動けなくなってしまうので、それを解除できるよう回復魔法が使える人員が複数人いると安心かと。できればアル含め、みんなで行ってください』

『バルは近距離攻撃特化だからなー。二人で行ってたら、フィーネが動けなくなった時点で詰みだ』


 なるほど。相手がバジリスクとあっては、いかにバルドゥールとフィーネであっても、苦戦を強いられるだろう。

 回復魔法含めなんでもバランスよく使えるリーゼロッテや私が、いっしょにいた方がいい。アルがいればなお安心だ。

 エンドー様とコバヤシ様のお言葉にこっそりとうなずき返してから、声を張る。


「神々より、本日フィーネ嬢の前にバジリスクが出現するとの予言がされた! この場の全員、それから神官アルトゥル・リヒターで対処せよとのことだ」

「なっ……、バジリスクですか!?」

「この山に、そんな恐ろしいモンスターが出現するなんて……」


 私の言葉を聞いたバルドゥールとリーゼロッテは顔色を悪くさせたが、残る一人フイーネだけは、いまひとつピンと来ていない様子だ。


「バジリスクって……、あの、すごいでっかいくせに食べられるところが少しもないっていう蛇、ですよね……?」


 きょとんとした表情で首を傾げたフィーネのあまりの危機感の欠如に、力が抜ける。

 なんと説明したものか……。


「た、食べる食べないの問題じゃありませんわよ! バジリスクはその身に多種の毒を宿しておりますのよ? 視線で人を石化させるとも聞きます。もし麻痺毒や石化で身動きが取れなくなったときに回復してくれる仲間がおらねば、むしろこちらが丸のみにされてしまいますわ!」

「ひええっ。あ、毒持ちだから食べられないし危険なんですね!?」


 ぴしゃりとリーゼロッテが叱りつけると、ようやく危機感を抱いたらしいフィーネがぶるりと身を震わせた。


 リーゼロッテはふんとひとつ息を吐いてから、不機嫌な表情で続ける。


「そうよ。バルとあなただけでは、まず対処できなかったでしょうね。あなたが回復役に徹して後方にいればいいけれど、もしあなたが前に出ていて麻痺などすれば、バルでは治せないもの」

「そう、ですね。私たぶん、後ろで大人しくなんて、できないと思います……」

「だいたいあなた、ヒーラーの割に魔法杖の扱いが得意ではなかったと記憶しているのだけれど?」

「一応練習してはいるんですけど、今のところ一メートル以上離れると、どうにも……」

「話にならないわね。一度きちんと、杖の扱いに長けた人物の指導を受けるか、そういった人物をよく観察して、手本とするべきよ」

「わかり、ました……」

「その点もバルではダメね。リーフェンシュタールの剣は、特殊なものだもの。だいたい、バジリスクのことは知らなかったとしても、先日グリズリーが出たばかりの山なんて、警戒してしかるべきでしょう!」

「はい……」


 次第にヒートアップしていくリーゼロッテと、それに比例するかのようにしょぼしょぼと頭が下がっていくフィーネ。


 そこに、バルドゥールが険しい表情で割り込んでいく。


「おいリーゼ、そのくらいにしておけ。言っていることは正しいにしても、どうしてお前はそう、フィーネ嬢に対してあたりがキツいんだ」

「私は、誰かが言わなければならないことを言っているだけよ。あなたのように無責任に甘やかすことが、フィーネさんのためになるとは思わないけれど?」


 バチリ、と。バルドゥールとリーゼロッテの視線のぶつかり合いの中心に、火花が散ったかのようだ。


 どうして先ほどから、この二人はぶつかり合っているんだ?

 バルドゥールは“ジークヴァルト殿下に友人として認められているフィーネ嬢に、嫉妬”と言ったが、それが兄妹のように育ったいとことの衝突の原因になるとは思えないが……。


『バルはフィーネちゃんに嫉妬って言ってましたけど、これむしろ、クーデレなバルに嫉妬してるんですよね』

『要するに最初のは“私はフィーネさんをとても心配している。私もフィーネさんといっしょに行きたい”だし、さっきのはそれプラス“私は杖の扱いが得意だから、バルじゃなくて私を頼るべき”ってことだと思うぞ』

『リーゼロッテの手記を見る限り、そんな感じですね。“せっかくの課外授業、お友達と仲良く行動している周囲がうらやましくて仕方なかった”みたいなことが書いてあったので。で、そんなことは素直に言えないリゼたんは、どこまでも愚直に愛を貫けるバルに嫉妬してるのもあって、ツン全開になってしまっているというわけです』


 聞こえてきた神々のお言葉に、吹き出さなかった私は、えらいと思う。

 なるほど、そういうことか。

 まったく我が婚約者殿は、不器用すぎてかわいくて困るな。


「はいはい、リーゼロッテもバルドゥールも落ち着いて。フィーネ嬢が困っているよ」

「……っ! 申し訳ございません、殿下」

「申し訳ありません、お見苦しいところをお見せしました」


 なおも激論を交わしていたリーゼロッテとバルドゥールは、私の言葉に慌てて頭を下げた。


 フィーネがほっと息を吐いているのを確認した私は、続ける。


「なんだかさっきの二人は、我が子の教育方針でぶつかる両親のようだったよ。二人ともフィーネ嬢のことを心配しているという部分は共通しているのだから、そう熱くならないで、ね?」


 私が思わずくすくすと笑いながらそう言うと、リーゼロッテは赤面し、バルドゥールははたとなにかに気づいたように止まった。

 それからちらとリーゼロッテを見た彼は、今までの彼女の言葉の裏を察したようで、あきれたようなため息を吐く。


「なっ、なによバル。別に私は、フィーネさんのことを心配してなんか……!」

「いや、もういい。わかった。すっかり忘れていたが、お前の言動が殊更キツくなるのは、いつだって照れているときだったな」


 リーゼロッテはなおもかみつこうと頑張っていたものの、私の言葉で今やすっかり状況を把握できたらしいバルドゥールはあきれたようにそう返した。


「ふふ、それじゃあ、アルも誘って、みんなで仲良く行こうか。バジリスクは難敵ではあるが、回復役が複数人いればそう怖い相手ではない。この【大掃除】には学園生同士、連携して動くことを学びながら親交を深めるという意義もあるんだから、仲良く楽しく、ね?」


“せっかくの課外授業、お友達と仲良く行動している周囲がうらやましくて仕方なかった”


 コバヤシ様が暴露してくださったリーゼロッテの思いを聞いて思い出したこの【大掃除】の意義を言葉にしたら、予想通り、リーゼロッテの表情が一気に明るくなる。


「し、しかたありませんわね。殿下がそうまでおっしゃるのであれば……」

「こんな風に面倒なやつで申し訳ないが、こんなでも実力は確かで杖の扱いにも長けている。山で戦う際には、フィーネ嬢はリーゼの側にいるといい」


 彼女の言葉を遮りそう言ったバルドゥールをリーゼロッテは睨んだが、先ほどまでの険悪なものとは全く違うすねたようなものだったし、彼の提案を否定はしない。


『表面はツンだが、どこか嬉し気な表情は隠しきれてないぞ、リーゼロッテ!』

『フィーネちゃんもそういうことだってわかってほっとして笑顔が戻ってますし、この感じならみんな仲良く行けそうですね』

 エンドー様とコバヤシ様のおっしゃる通りだろう。


 リーゼロッテは優秀で、自分にも他人にも厳しい。

 孤高というイメージを持たれがちで、さらにそこに本人の照れ隠しが混じると、かわいそうなくらい周囲に誤解されてしまう。

 彼女のことをよく知るバルドゥールですら、嫉妬によるいじめでもしているのではないかと勘繰ったほどだ。


 お友達、すなわちフィーネ嬢と仲良く、というのは、本来かなり難しかった。けれど、だからこそ憧れで、今それが叶いそうなことが、嬉しくて仕方ないのだろう。


「……~~~~っ! フィーネさん、勝負よ!」

 ほっこりとした気持ちで私が、いやたぶん他のみんなも、見守っていたリーゼロッテが、突然、その空気に耐えきれないとばかりにそう叫んだ。


「へっ、しょ、勝負ですか!?」

「おいリーゼ、なにを……」

 いきなり振られたフィーネは驚き戸惑い、バルドゥールはいぶかし気な表情だ。


 そんな二人をキッと睨みつけ、リーゼロッテは続ける。


「フィーネさん、バジリスクに関しては共闘いたしますが、それ以外の討伐数で勝負いたしましょう。もしあなたが勝てば我が家のアフターヌーンティーにご招待いたしますが、もしあなたが負ければ、我が家で茶会のマナー指導実践を受けていただきますわっ!」


 ……。

 …………?


 それはつまり、どちらでも同じことでは……?

 照れ隠しでか違う言い回しになっているが、どちらもお茶会の誘い、だよな……?

 

「リーゼロッテ様のおうちで、お茶! お、お菓子は付きますか!?」


 フィーネは気づいているのかいないのか、興奮した様子で、キラキラと輝く瞳で、リーゼロッテに詰め寄った。


「あたりまえでしょう。リーフェンシュタール侯爵家を侮らないで欲しいものだわ」

「おいリーゼ、いくつか日持ちするものも用意して、気に入れば持ち帰らせてやれ」

「バルに言われるまでもなくてよ。当然、各種潤沢に用意させていただきます」


 瞬間、リーゼロッテとバルドゥールのそんなやり取りを聞いたフィーネの瞳に、炎が宿る。


「甘味、甘味、貴重な甘味、高級品……! 貴族様のおうちの、おいしいお菓子、お土産付きっ……!」


 そう呟いた後キリっと表情を引き締めたフィーネは、ぴしりと背筋を伸ばし、堂々と告げる。


「こうしちゃいられませんね。さっさとリヒター先輩見つけて呼んできて、とっととバジリスク退治しちゃいましょう! それから、残りのザコ敵の討伐数で、リーゼロッテ様と勝負ですっ!」

「あ、待てフィーネ嬢! 俺もいっしょに行く!」


 言うなり猛然と駆け出したフィーネの背中を追いかけ、バルドゥールも駆け出した。


 ……早いな。フィーネの方は、身体強化まで使っていそうだ。


 駆けて行った二人を呆然と眺めていると、ふいに私のすぐ隣から、あきれたようなため息が聞こえる。


「はあ、まったく、あの子ったら……」


 そう言いながら仕方ないとばかりの柔らかな笑みを浮かべたリーゼロッテは、次いでキリっと表情を引き締め、私にぴしりと頭を下げる。


「ご助力感謝いたします、殿下。それから、私の力不足について謝罪させていただきたく……」

「ま、待ってリーゼロッテ、頭を上げて? 感謝は十分伝わったし、謝罪なんて必要ないから」


 急にかしこまってしまった婚約者に慌てた私がそう言うと、リーゼロッテは謝罪の言葉を飲み込み、そろりと視線を上げる。


「……けれど、殿下を煩わせてしまうなど……」

『んー、ジークの登場で空気が変わったのは事実です。それもあって一見北風と太陽っぽいですが、むしろ飴と鞭、あ、いや順番的に鞭と飴になるのかな? まあとにかく、リゼたんはジークの方が優れていて自分はダメだと思っているのでしょうが、実際には二人が揃うと効果的なのではないでしょうか』


 リーゼロッテの自戒にかぶせる様に、コバヤシ様のお言葉が響いた。


「え? 私はむしろ、その人のために憎まれ役に回ってでもきちんと言うべきことを言えるリーゼロッテのことを、尊敬しているのだけれど……」

「……えっ?」


 思わず出てしまった私の言葉に、リーゼロッテは虚を突かれたかのように硬直した。

 どうやら本当に彼女は私の方が優れているなどと思ってくれているらしい。


「リーゼロッテ、私はただバルドゥールたちが気づくきっかけを与えただけで、君がずっと真心を込めて説得していたから、二人はわかってくれたのだと思うよ。私の助言は、神々のご神託があってのものだし……、……⁉」


 むしろ私こそリーゼロッテや神々に頼ってばかりで情けない、そう続けようとした瞬間にほろりと流れたリーゼロッテの涙に、私は絶句してしまった。


「……あ、も、申し訳ございません、殿下。いやですわ、人前で、こんな、みっともない」


 リーゼロッテは涙を流し続けながらも、人前で弱さを見せることを恥と感じているのか焦ったように涙を拭おうとする。


「ああリーゼロッテ、そんなにこすっては赤くなってしまうから……」


 私は懐からハンカチを取り出し、そっと彼女の目元をぬぐった。


「あ、ありがとう、ございます……」


 ど、どうしたらいいのだろう。

 なぜリーゼロッテがいきなり泣いたのか。

 私がなにか悪いことをしてしまったのだろうか。

 ハンカチで顔を覆ってしまった彼女をどうすればいいのか。

 少しもわからない私は、うろたえ身動きがとれなくなってしまう。


『嬉し泣きっぽいし、頭でも撫でとけば?』


 その時軽く聞こえてきたエンドー様のお言葉に、反射的に飛びついた。

 うつむいたリーゼロッテの髪に触れて撫で始めてしまってから、これでいいのだろうかと考える。


「……っ! …………っ‼」


 よく考えれば、人目を気にするリーゼロッテは振り払いそうだな。

 そんな私の予想に反して、おとなしく私に頭を撫でられるままの彼女は、ふるふると震え、ますます顔を隠してしまった。押し殺したような嗚咽が、かすかに響く。


 ええと、これは……。


『リゼたんは誤解されがちな子なので、今みたいに自分のことを理解されたり優しくされたりするのに弱いんですよ』

『あー、逆ハールートのとき、ちょっろかったな。手記での孤立ぶりから考えれば理解できなくもないんだけど、それにしたって驚くくらいあっという間にフィーネになついて……』

『あはは、リゼたんわかりづらい上にスペック高すぎて隙がないからねー。孤立しがちで寂しい思いしがちなんだよね。本当は、こんなにかわいくていい子なのに……』


 聞こえてきたコバヤシ様とエンドー様のそんなやりとりに、これまでのことがカチカチっと繋がった。

 そう、確かにリーゼロッテは誤解されやすい。

 バルドゥールが誤解していたように、フィーネへの忠告や指導を、第三者にいじめととらえられてしまうこともあるようだ。

 故に、私が三人の間に割って入ったときには、バルドゥールと同じような誤解に基づき責められるとでも思い顔色を悪くしたのだろう。

 誤解が解けた今気が緩んだのもあって、嬉し涙につながったに違いない。


 なんていじらしいのか。


 一度知れば、リーゼロッテはこんなにもかわいい。コバヤシ様がいい子というのもうなずける。

 それこそ幼い子どもをほめるときのような気持ちが、リーゼロッテを撫でる手に籠る。

 まあ問題は、一度知れば、の部分なのであろうな……。

 神々のお声が聞こえてくる前の私は、自分にも他人にも厳しい彼女に対し萎縮していた部分があり、彼女のことを、まったく理解できていなかった。


 となれば、神々のお声を聴くことができる私こそが、世にリーゼロッテの愛らしさを伝えていく使命を担っている……?


「どうすれば、リーゼロッテの愛らしさを皆にもわかってもらうことができるのだろうか……」

「……はっ!? な、なにをおっしゃっておりますの、殿下!?」


 知らずぽつりと口にしてしまった独り言に、リーゼロッテが顔を上げ叫んだ。


 良かった。涙は止まったみたいだ。

 ようやく見えた目元はほんのりと赤いが、それ以上に頬やら耳やらが真っ赤なので、痛々しい印象はない。


『ジークは、今の感じでリゼたんを愛でててくれればいいんですよ! リゼたんはジークに弱くて、すーぐかわいくなっちゃいますからね! このかわいいを一度見た人間が、その後もリゼたんをおっかないと思い続けるなんてありません!』

『だな。理解者が一人いれば、そうやって段々誤解されることも減っていくはずだ。ほんの小さなきっかけで、きっとリーゼロッテの良さは伝わる。さっき、バルもフィーネもそうだったろ?』


“自分は愛らしくなどない。未来の王太子妃として、周囲に侮られるわけにはいかない”といったようなことを一生懸命主張しているリーゼロッテの声をかき消す勢いで、コバヤシ様とエンドー様のお声が響いた。

 そういえば、以前にもそんなようなことを神々はおっしゃっていたな。

 この場の他の学園生たちの顔色を観察してみれば、ぶしつけにこちらを観察している者はおらず各々準備を進めているのだが、なんとなく空気が緩い。こう、生暖かいというか、ほっこりしているというか……。

 漏れ聞こえた範囲で、リーゼロッテの愛らしさを察した者が多くいるのかもしれない。

 少なくとも、リーゼロッテが最初にフィーネを叱りつけた時のように、リーゼロッテを恐れ委縮している人物はいなさそうだ。


「殿下、聞いておられますの⁉」


 そう言って私をにらむリーゼロッテは、本人としては先ほどフィーネやバルドゥールを叱りつけていた時と同様に凛と厳しく詰め寄っているつもりなのだろうが、明らかに照れているのだとわかってしまうその表情と顔色が、かわいらしくて仕方がない。


『はー! リゼたんってばかわいさの天才!』

『普段のツンがキツいからこそ、デレたときとか実はデレだってわかったときの破壊力が増すってことだろうな』


 コバヤシ様の興奮したような賛辞に、冷静なエンドー様のお声が続いた。


 おっしゃる通りだ。

 今日も私の婚約者は、実にツンデレかわいい。


 このわかりづらいかわいらしさを私だけで独占するのも悪くはない、とは、一瞬だけ思ったものの。

 しかし彼女が周囲に誤解され孤立するなんてことがあってはならないと思いなおした私は、これからも彼女のかわいさをどんどん引き出していこうという決意を、新たにした。

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