レジェンド/神無月紅
その日、レイはエレーナの二人と共にギルムを歩いていた。
当然だがエレーナは姫将軍の異名持ちであり、その美貌は大きく目立つ。
それでもこうしてデートをできているのは、エレーナが変装をしているからだ。
とはいえ、そこまで高度な変装という訳ではない。
エレーナの特徴でもある、縦ロール。
それをローブのフードを被って隠しているだけだ。
「レイ、あそこの店に寄ってみないか?」
街を歩いている中で、不意にエレーナが一軒の店を指さす。
視線の先にあるのは、レイにとってもそれなりに興味深い本屋だった。
この世界において本は非常に高価だ。
当然ながらそのような本を売っている店は、高級店に分類される。
それこそ冒険者になったばかりのような見かけの者や、見るからに貧乏そうな者は店に入れてもらえないことすらある。
だが、レイもエレーナもその辺は気にせず店の中に入る。
「いらっしゃい」
店に入ってきたレイとエレーナを、店主は観察するように見てくる。
幸いにも二人は店主のお眼鏡にかなったのか、特に何も言われるようなことはなく、店の中を見て回る。
なお、売っているものが高価な本である以上、立ち読みといったような真似は出来ない。
もしそのような真似をしていれば、場合によっては即座に店を追い出されるだろう。
(本、本か。……読書の秋ってのは向こうではよく聞いたな。この世界ではそんな風に言ったりはしないみたいだけど)
棚に並んでいる本を見ながら、レイはふとそんな風に思い……だが、すぐに納得する。
(読書の秋ってのは、本を気軽に入手出来るからこその言葉だよな。この世界だと本が高価だから、そう簡単に入手することはできない。図書館も……厳しいし)
図書館は入館するのに金が必要になる。
ただ、図書館から出るときに返して貰えるが、本を汚したり破いたりといったようなことをすれば、それを弁償しなければならない。
そういう意味でも、やはりこの世界において気軽に読書が出来る日というのは、そう簡単にこないだろう。
「レイ? どうした?」
「ん? ああ、悪い、どうにかして本がもっと作れるようになれば、安くなると思ったんだよ」
「はっはっは。それはいい。そうなれば、俺にとっても嬉しいことだが……そんな簡単に出来ると思っているのか?」
レイとエレーナの会話が聞こえたのだろう。店主は笑いながらそう言ってくる。
ただし、その口調には決して悪意はない。
先ほどの会話から、レイとエレーナが純粋に本を好きなのだと読み取ったからだろう。
「本を増やすには、まず書き手を増やす必要がある、その書き手は当然ながら文字を読むことが出来なければならない」
「それなら、冒険者とかに依頼出来るんじゃないのか?」
レイもそうだが、冒険者は依頼書を読んで自分の受ける依頼を決める。
それだけに、文字を読む能力は必須となるのだ。
もし文字を読めなければ、割のいい依頼を受けることが難しくなってしまう。
だからこそ、冒険者たちは必死で文字の勉強をするのだ。
それでも全ての文字は読めずに、報酬であったり、討伐や採取といったような単語しか読めない者もいるが、大抵の者は多くの文字を読めるようになるのだ。
そして冒険者であれば、本を書き写す、いわゆる写本の依頼を受ける者もいるだろう。
特に低ランクの冒険者や、身体を動かすのが苦手な冒険者、もしくは怪我をして討伐依頼を受けられない冒険者……といったような者たちにしてみれば、写本の依頼は嬉しいものに違いない。
だが、そんなレイの言葉に店主は首を横に振る。
「冒険者が文字を読めるのは認めよう。だが、本に書かれている文字をしっかりと理解して、間違いなく書き写せるかというのは……また別の話となる」
その説明はレイにも納得出来るものがあった。
たとえば、文字をそのまま書き写すにしても、その文字の意味を理解して書き写すのと、何も知らないでそのまま書き写すのでは、どうしても読んでいる者に与える印象が違うように思えたからだ。
実際に本当にそうなのかどうかは、分からない。これはあくまでもレイがそう思っただけなのだから。
「そうなると、冒険者は冒険者でも相応の教養を持った奴とかなら?」
「それなら良いだろう。だが、問題なのはそのような教養を持った冒険者がそこまで多くはないということだし、写本の依頼で出せる報酬も限られている」
「本は高いんだから、報酬はそれなりに出せるんじゃないのか?」
「写本を作っても売れなければ意味がない。あるいは最初からその写本が欲しいと考えて依頼を出すのなら、それなりの金額にはなるだろうが……そのような依頼が多くないのは分かるだろう?」
「貴族であれば、本を集める者もいるだろう? そのような者たちに売ってはどうだ?」
レイと店主の言葉に、エレーナが割り込んでそう告げる。
だが、それにも店主は首を横に振る。
「貴族は写本を依頼しなくても、原本を買える者が多い。それに……貴族の中にはモンスター辞典のように絵が描かれているのを好む者も多いんだよ」
「そっちの方が分かりやすいのは事実だしな」
文字だけの本とイラストが描かれている本。
そのどちらが分かりやすいのかと言われれば、多くの者は当然後者を選ぶだろう。
特にモンスター辞典の場合は、どの部位が素材として有用で討伐証明部位がどこといったことを文字だけで記載されるよりも、イラストが描かれている方が分かりやすいに決まっている。
「うむ。そうだろう。しかし、問題なのはそのような本の写本を作る場合、必要なのは文字の読み書きだけではなく、絵心も必要になることだ」
「それは……まぁ、そうか」
店主の言葉は、レイにとっても十分に納得出来るものだった。
実際にレイもモンスター辞典を持っているが、もしその絵がきちんと分かりやすいものではなく、見ても分からないような何かであった場合は、そのモンスター辞典を使えない物と判定しただろう。
場合によっては、購入した店に不満を言いに行った可能性も高かった。
(とはいえ、俺は絵心ないしな)
レイは日本にいるときから、絵は決して得意ではなかった。
練習をすれば上手くなると言われているが、いくらやっても上手くなるとは到底思えない。
「とにかく色々な理由から写本というのは決して簡単なものではない」
「字を覚えるための絵本とか、そういうのならそれなりに売れるんじゃないか?」
「そうかもしれんが、そう簡単に本を買うことが出来るような者はおらん」
「結局は本の値段が高すぎるのが、どうしようもない原因な訳か」
小学校や中学校のときにやった版画を思い浮かべたレイだったが、それをここで提案してもそうすぐに実現できるものでもないだろうと思えた。
(それにこういうのって、やるとしたら個人でやるんじゃなくて、大規模にやる必要があるんだよな。だとすると……)
レイの視線が向けられたのは、エレーナ。
先ほどまではレイと店主の話を興味深そうに聞いていたのだが、今はどのような本があるのかと棚に並んでいる本に視線を向けていた。
エレーナ・ケレベル。
ミレアーナ王国の三大派閥の一つである貴族派を率いるケレベル公爵家の令嬢。
姫将軍の異名を持つが、今の状況で必要なのはケレベル公爵家の持つ財力だった。
レイの考えている版画……それをさらに一歩進めた、いわゆる活版印刷技術。
それを本格的に行うのなら、ケレベル公爵家の力が必要だった。
もちろんケレベル公爵家だけではなく、中立派を率いるダスカーの力も必要だったが。
三大派閥のうち、二つの派閥が協力すれば活版技術も発展し、それに伴って本の値段も下がるのではないかと思えた。
(国王派は……伝手がないしな)
正確には、伝手はある。
国王派の中でも強い影響力を持っているクエント公爵家の娘であるマルカ・クエントとレイは知り合いなのだから。
だが、こうしてエレーナがレイの傍にいるのと違い、マルカはギルムにはいない。
そのため、接触をするにもかなり手間取ってしまうのは確実だった。
だからこそ、今レイが考えている活版印刷について協力をして貰うには手間がかかる。
ギルムの貴族街には一応国王派の貴族の屋敷もあるのだが、そのような相手とは繋がりがなかった。
「本が安くなれば、もっと本を楽しめる者たちも出て来るんだろうけどな」
「それはそうだろう。そしてそうなってくれれば、本屋を営んでいる者としてこれほど嬉しいことはない」
レイの呟きに店主は大勢の客が本屋にやってきている光景を想像したのだろう。
店主の口元には満足そうな、そして嬉しそうな笑みが浮かんでいた。
「とはいえ、そうなるためには色々と技術を発達させて誰でも自由に本を書ける、そんな時代にならないといけないけどな」
「読書の秋、という言葉があるんだが……」
唐突にレイの口から出た言葉に、店主は不思議そうな顔をする。
当然だろう。読書の秋というのは、あくまでも日本の言葉だ。
この世界においても読書の秋という言葉が使われることはない。
……もっとも、転生にしろ転移にしろ過去にこの世界にやってきた者たちはそれなりにいる以上、この世界に読書の秋という言葉が残っていてもおかしくはないのだが。
店主もレイの言葉を聞いて、嬉しそうな笑みを浮かべる。
「読書の秋か。それはいい言葉だな。……とはいえ、今の状況を思えばそんな日が来るのはかなり先のことになりそうだが」
「そうでもないかもしれないぞ? もしかしたら……本当にもしかしたら、本が一気に安くなるような革命が起こってもおかしくはない」
レイが考えている活版印刷の技術が広がれば、それは非常に大きな意味を持つ。
問題なのは、レイの口から出たその言葉が本当に信じられるかどうかということなのだろうが……店主は、どうせならレイの言葉を信じた方が幸せになれると判断してか、特に反論するような真似はしなかったが。
「そう言えば、ここで売ってる本の中には芸術……絵とかを纏めたようなものはないのか?」
「は? 絵ってのはモンスター図鑑といったようなものか?」
「いや、違う。芸術家が描くような絵画の類を一冊の本に纏めたようなのだ」
「絵画を本に、だと? ……そんなこと、出来るのか?」
店主のその言葉に、レイはそう言えばと理解する。
レイが知っている絵画の本というのは、あくまでも絵画を写真で撮って、それを本にしたものだ。
そう考えると、この世界にそのような本がないのは当然の話だった。
「あー……そうだな、それこそ貴族とかなら芸術家一人ずつに絵画を描いて貰ってそれを本にするといった方法があると思わないか? もちろん、その本一冊を作るのに結構な金額が必要になるし、写本も無理だが」
そう言うレイの言葉に、店主は興味をそそられ……これにより、将来的に芸術家多数で作られた絵画集が誕生することになるのだった。
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