聖女の魔力は万能です/橘由華
薬用植物研究所の食堂の片隅に、普段はない木箱が積み上げられていた。
中身はワインで、王宮から運び込まれたばかりだった。
「随分な量だな」
「はい。話には聞いていましたけど、こうして見ると多いですよね」
王宮から来た人達がいなくなった途端に、食堂に木箱が運び込まれるのを一緒に見ていた所長が呆れたように口を開く。
事前にどれくらいの量が来るかは聞いていたのだけど、実際に目にすると聞いていたよりも多く感じる。
所長も同じように感じたのだろう。
「これ全部、領主からの贈り物だったか?」
「そう聞いています」
王宮の文官さんから聞いたところによると、これらのワインは魔物の討伐に向かった領地の領主様から贈られた物だそうだ。
領地の魔物が減ったことにより、今年の葡萄は豊作だったらしい。
魔物の減少と豊作の因果関係はよく分からないのだけど、これも【聖女】様のお陰と各地の領主様が自分の領地でできたワインを献上してくれたのだとか。
問題はその量だ。
一つの領地からだけであれば、それほどでもなかった。
しかし、何故か皆示し合わせたように同じ時期に送って来たため、これほどの量が一度に来ることになってしまったのだ。
何故、同じ時期に来たのか?
所長の推測では、ワインの仕込みが終わり、醸造所にも少し余裕ができる時期だからじゃないかという話だ。
言われてみれば、元の世界でも、今くらいの時期にワインの新酒が解禁されていたような気がする。
後は、収穫の秋だからというのもありそうだ。
「それにしても、どうやって消費しましょうか?」
「お前、あんまり飲まないもんな」
木箱を見ながら途方に暮れる。
お礼として私宛に来た物なので、私一人で消費するのが筋かもしれない。
けれども、一人で消費できる量ではないのだ。
地下室のような保管場所もないので、早急に消費した方がいいと思うのに。
「試飲会でも開きましょうか?」
「試飲会?」
「色々な地方のワインがあるので、飲み比べてみるのも楽しいかなと思いまして」
「あぁ、確かに。同じ領地にある醸造所の物なら飲み比べる機会もあるが、領地を跨いでとなると中々ないしな」
どう考えても無理そうなので、贈ってくれた領主様には申し訳ないけど、自分だけで消費することは早々に諦める。
頭を切り替えて考えて、すぐに思い付いたのは試飲会だ。
日本の居酒屋にも飲み比べセットとかあったなと思いながら、思い付いたことを口にすると、所長も賛成してくれた。
所長曰く、夜会では色々なワインが出るのだけど、主催者の領地のワインが出ることが多いらしい。
もちろん、美味しいと有名な醸造所のワインが取り寄せられることもある。
けれども、そういった夜会は高位貴族が開く大きなものや、ワイン好きが集まる夜会であることが多く、研究所にいる人達が参加する機会は少ないだろうという話だった。
「折角だから、ワインに合いそうな料理も用意しましょうか」
「それはいいな!」
所長もワインがいける口のようで、試飲会の話をすると目が輝いた。
ついでに料理も用意しようかと言うと、満面の笑みで即座に頷いてくれる。
期待感を露わにする所長は全面的に協力してくれるようだ。
そのまま話を続けると、あっという間に試飲会の詳細が決まった。
◆
所長と決めたことを元に、準備に奔走した。
食堂の料理人さんとも話し合い、試飲会で出す料理を決めたり、必要な食材を手配したりした。
そうしていると、試飲会の日はあっという間にやって来た。
試飲会の会場は研究所の食堂だ。
壁の一面沿って並べられたテーブルには、産地や醸造所毎にワインが並べられ、反対の壁に沿って並べられたテーブルには、ワインに合いそうな料理が並べられている。
それ以外のテーブルはいつも通りの配置で、各自で飲みたい物や食べたい物を取ってきて食べる形式となっていた。
貴族が参加する会としては異例の形だけど、普段から研究にのめり込み、薬草採集のために森へ足を運ぶこともある研究員達にとっては気にならなかったらしい。
むしろ目新しい形式を面白がってくれていた。
所長が言っていた通り、色々な産地のワインを飲み比べることができると言う点も、多くの研究員の興味を惹いたようだ。
社交が苦手な面々が揃っているのに、思っていたよりも参加率は高い。
もっと言うと、研究所で働いている人以外の人も参加していたりする。
研究員達から珍しい催し物があると聞いた人達が参加を希望したからだ。
普段から研究所と仕事をしている人に所長が参加者を限定したこともあって、人数は少ないんだけどね。
それでも、いつもより多くの人がいる食堂は、とても賑やかだ。
「同じ醸造所のワインでも結構違うものだな」
「使っている葡萄の品種が違うのかもしれないな」
「態々違う品種を育てるのか?」
「ワインの種類を増やそうとするなら、手っ取り早いだろ」
「まぁ、分かりやすくはあるな」
何杯目かのワインを口にした団長さんが、感嘆したように言った。
団長さんも試飲会の話を聞いて興味を示したうちの一人で、所長の招待客として参加していた。
その隣で葡萄の品種について言及したのは所長だ。
幼い頃から仲が良く、今も休日には一緒に飲むことがある二人は、普段もこうして感想を言い合っているのだろうか。
そういえば、最近はお互いに忙しくて、飲む機会に恵まれなかったとも聞いている。
案外、いい機会ということで所長が誘ったのかもしれないわね。
「同じ品種でも、栽培している土地によって出来上がるワインの味が変わるらしいですよ」
水が入ったコップに手を伸ばしながら、昔聞いた話を披露する。
ワインも飲んでいるんだけど、合間に水も飲むのは酔い過ぎないためだ。
前に団長さんと飲んだときに、飲み過ぎて、つい羽目を外しちゃったのよね。
幸か不幸か、記憶が飛ぶこともなく、酔いが覚めてから非常に気まずい思いをした。
そのときの二の舞とならないよう、気を付けているのだ。
「詳しいな」
「なんだ、セイ。普段飲んでるところは見ないが、実はいける口か?」
「いけません。そういう話を聞いたことがあるってだけです」
目を細めながら感心した口調で話す団長さんとは対照的に、所長はニヤニヤと笑いながら揶揄ってくる。
顔色は変わっていないけど、既に酔ってるのだろうか?
まったく、もう!
じとりと半目で睨めば、所長は小さく笑い声を漏らした。
「ん、料理も美味いな」
「それは何だ?」
「豚肉のペーストか?」
「茹でた豚肉を解して、再度固めた料理でリエットと言います」
話題を変えるためか、所長は目の前に置かれた皿から、オープンサンドを取って、口に運んだ。
オープンサンドは、ライ麦で作られたパンの上に豚肉のリエットと薄切りにした林檎を載せて、ほんの少しブラックペッパーを振り掛けた物だ。
リエットは前日から作り置きができて宴会料理として都合が良かったのと、ワインに合いそうだったので作ってみた。
この世界にはない料理で、レシピは私の記憶頼りだ。
ただ、困ったことにうろ覚えだったのよね。
幸い、説明を聞いた料理人さんがいい感じに味付けをしてくれ、とても美味しく作れた。
リエットは、初めて食べる所長の口にも合ったようだ。
所長はワインを一口飲んだ後、片眉を上げ、ニヤリと片方の口角を上げた。
そして、所長の手はすぐさま二切れ目のサンドイッチへと伸びたが、横から別の手が伸びた。
団長さんだ。
「セイの故郷の味か。俺にもくれ」
「自分で取ってこいよ」
「面倒だ」
「仕方ないな。後で別の料理取ってこいよ」
「あぁ」
遠慮がない団長さんの様子に、少し驚く。
所長が団長さんを揶揄って、団長さんが反論しているところは見たことがあるんだけどね。
団長さんも所長と一緒で、少し気が緩んでいるのだろうか?
黙って見ていると、二人はそのまま気安い様子で遣り取りを続けた。
二人で飲んでいるときは、いつもこんな感じなのかな?
団長さんの知らない一面を見れたことが少しだけ嬉しい。
そうして、ふわふわとした気分で眺めていると、お開きとなる時間はすぐに来た。
飲み比べということで、普段はあまり飲まない面々も飲み過ぎたらしい。
酔い潰れて、机に突っ伏したまま寝ていたり、研究室の床の上で寝落ちている研究員さんもいた。
潰れていない人達で食堂の簡単な片付けと共に、そういった人達の回収も行う。
粗方片付けが済んだら解散だ。
「それじゃあ、行くな。今日はお疲れ様」
「所長も最後までいてくださり、ありがとうございました。気を付けて帰ってくださいね」
「おう。ま、責任者だからな。気にするな」
研究所の入り口に待たせてあった馬車の前まで、所長を見送る。
王宮の外から通って来ている人達の中では、所長が最後だ。
責任者ということで、最後まで残っていてくれたらしい。
お礼を言うと、所長はニッと笑った。
「ホーク様もありがとうございました」
「片付けまで手伝わせて、すまんな」
「こちらこそ、色々と食べさせてもらったからな。片付けくらい構わない」
招待客だったにもかかわらず、団長さんも途中で帰ることはなく、片付けまで手伝ってくれた。
手伝いを申し出られたときに一度は断ったのだけど、本人の「問題ない」という言葉によって、結局手伝ってもらってしまったのよね。
結果的に非常に助かった。
団長さんには主に酔い潰れた人を移動してもらった。
流石、騎士様。
周りが引き摺りながら運んでいる中、普段から体を鍛えているからか、細身とはいえ重さのある男性を簡単に肩に担いで運んでしまった。
あれには思わず目を丸くした。
他に介抱してくれていた人達も、団長さんが悠々と抱え上げた姿を見て歓声を上げていたわね。
「じゃあ、頼んだ」
「分かった」
団長さんの勇姿を思い返している間に、所長と団長さんの間で遣り取りが終わり、所長が馬車に乗り込んだ。
頼んだって、一体何を頼んだのだろう?
次回の薬草採集のときの護衛だろうか?
内心で首を傾げながら所長が乗った馬車を見送ると、団長さんから「行こうか」と促される。
行こうって、どこへ?
きょとりと団長さんを見上げると、団長さんはフッと息を零して笑った。
「セイも部屋へと戻るだろう?」
「戻りますけど……」
「ヨハンから部屋の前まで送るように頼まれたんだ」
「へ?」
予想外の一言に、変な声が出た。
送ると言われても、私が住んでるのは研究所。
この入り口から部屋までの距離はほとんどなく、これから第三騎士団の隊舎まで戻らないといけない団長さんに見送ってもらう程の距離ではない。
夜も遅いのだし、明日のためにも早く帰った方がいいのでは?
思ったことを口にすれば、団長さんは困ったように笑う。
「セイが言う通り、大した距離ではない」
「なら……」
「それでも心配なんだ。ヨハンも、もちろん私も」
団長さんにジッと見詰められてしまい、言葉に詰まる。
えーっと。
いいのかな?
もう、いいんじゃないかな?
断るためにぐずぐずと引き伸ばすよりも、さっさと受け入れた方が、団長さんも早く帰れるし。
よく回らない頭は、考えを楽な方へと促す。
そして、最終的に私はこっくりと頷いた。
研究所から自室までは本当に大したことがない距離で、あっという間に部屋の前に着いてしまった。
部屋の中に入るのを見届けるまでが見送りだと言うので、ドアの鍵を開けて、一歩中へと入った。
何となく名残惜しい。
けれども、早く解放してあげなければいけない。
未練を残しつつ、くるりと体を反転させる。
「送ってくださり、ありがとうございました」
「こちらこそ、今日は楽しかった。ありがとう」
「私も楽しかったです。それじゃあ、おやすみなさい」
後は、ドアを閉めるだけ。
そう思っていたのだけど、最後に団長さんはやってくれた。
団長さんとの距離が近くなる。
疑問に思う間もなく、前髪越しにふわりと何かが触れた。
えっ? 何?
今のは一体、何?
「おやすみ、セイ」
混乱する私を他所に、団長さんがドアを閉める。
最後に見えたのは、少し照れたような笑顔だった。
額に触れた物は何だったのか。
思い付いた瞬間に、一気に酔いが覚めた。
そのまま、頭を抱えてしゃがみ込んだのは、言うまでもない。
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