百魔の主/葵大和
<断章:記念すべき、舞踏会>
ほのかな活気が戻りはじめたレミューゼの昼下がり。
メレアは王城へと続く中央通りを軽い足取りで歩いていた。
「あ、〈白神〉様だー!」
ふと、すれ違った少女が嬉しそうな声をあげながらメレアを指差す。
「こら、指を差すんじゃありません!」
「ごめんなさい……」
「あはは、それは良いんだけど、白神様ってのはなんだか呼ばれなれないなぁ」
メレアは隣を歩いていた少女の母親を制して苦笑する。
「普通にメレアって呼んでほしいな」
「メレア! ――様!」
敬称もいらないと言おうと思ったが、どうにも母親のほうが恐縮しきっているのであえて言うのをやめた。
かのムーゼッグ王国との戦い以降、救国の英雄のごとく扱われるのは、嬉しいと同時にやはりむずがゆい。
――俺は、〈魔王〉だ。
それでもこうして普通に接してくれることを、ありがたく思う。
「メレア様は今度のパーティーで踊るの?」
「パーティー?」
ふと少女がそんなことを言った。
「そう! ぶとうかい? っていうやつ!」
「ぶとうかい……舞踏会か」
少女の母親に事情を聞くと、どうやら三日後にレミューゼ王国の建国を記念した式典が開かれるらしい。舞踏会というのは、その日の夜に祝いの意味を込めて行うパーティーの一環であるという。
こうして日常を得るまでに多くの物を失ったレミューゼにおいては、なんだか空元気のような気もするが――
「……いや、こういうときだからこそ必要なんだろうな」
メレアはなんとなく、ハーシムがこの式典を通例どおり行おうとしたことに彼の思いを見た。
「うん、もし出席することになったら俺も踊ってみようかな」
「メレア様は踊りもできるんだ!」
「ふふ、どうだろうね」
そんな会話を最後に少女たちと別れ、メレアは再びレミューゼ王城へと続く道を歩いていく。
その後、王城へたどり着いてハーシムと面会したメレアは、まさしく少女が言っていた建国記念の式典と、夜に行われる舞踏会への出席を求められたのだった。
◆◆◆
「お前、踊れるか?」
「さあ、どうだろうな」
ハーシムの執務室に呼ばれたメレアは、彼の侍女アイシャに差し出された紅茶入りのカップを手に持ち、妖しげな笑みを浮かべる。
「なんだ、てっきり『踊れるわけないだろ!』とうろたえるものだと思ったが、意外と余裕じゃないか。『リンドホルム霊山から出土した生きた化石』と呼ばれているくせに」
ハーシムがわざとらしく驚いて見せながら告げる。
「最後のは余計だ。でも、俺を育ててくれた面々を思い出してくれればわかる」
「……ああ、たしかにお前を育てた百の英霊たちは王族出身者も多いか」
「そういうこと」
メレアは霊山で暮らしていたときのことを思い出す。
その生活のほとんどが戦うための訓練であったり、魔術に関する教練であったりしたが、そこにまったく切れ目がなかったわけではない。
ときには英霊たちの昔話や、彼らの好む芸術の話、戦い以外の人の営みについても聞き、同じようにして学んだ。
「ちなみにお前の踊りのセンスは彼らにどう評されていた?」
「……」
「お、なにやらお前の余裕が崩れるポイントを見つけたぞ。おい、言ってみろ」
突かれたくないところを突いてきた。メレアは内心で思い、しかし最後には観念して口を開いた。
「――『まだ犬のほうがうまく踊れる』、『生まれたての小鹿のよう』、『音感を向こうの世界に置いてきてしまったのだな……』、ほかにもいくつかあるけど、聞くか?」
「……いや、よしておこう。おれの方がつらくなってきそうだ」
思った以上の形容にひるんだのか、ハーシムは一転して憐れむような表情を浮かべる。
「で、でもそれから練習してだいぶ踊れるようになったぞ!」
正直メレアにとっては普通の戦闘訓練以上につらい時間であった。
メレアに踊りのセンスがまるでないことがわかってからは、主に女性陣と〈楽王〉の号を持つ英霊が、その踊りの拙さを改善すべく大いに尽力した。
――『あんた、これじゃあいずれ舞踏会で赤っ恥を掻くわよ!』
――『〈
――『おお、我が息子よ、なんといたわしい……』
心配する英霊たちの声が脳裏によみがえる。
「まあ、逆に言えば英霊たちの必死の指導があったということで、多少信用しておこう。ちなみに、ほかの魔王たちはどうだ?」
「んー……」
メレアは仲間たちの顔を思い出す。
「シャウとかサルマーン、あとマリーザあたりはたぶんそつなくこなすだろうね。そういう雰囲気がある」
「ああ、たしかにそうかもしれん」
「あとリリウムも大丈夫そう」
「それは間違いない。彼女は王侯貴族の子女が多いアイオースでもうまくやっていた。おれが保証する」
ひとまず問題がなさそうなところを思い浮かべたあと、さらに順を追って考えていく。
「アイズは……経験はないかもしれないけど、少し練習すればうまくできると思う」
「ふむ」
「それで、たぶん問題は――」
二人は同じ顔を思い浮かべ、同時に小さくため息をついた。
「エルマは……だめかもね……」
「ああ……」
◆◆◆
記念式典当日。
昼間はレミューゼ王ハーシムによる建国記念の挨拶があり、夕暮れ時までささやかな宴が街中で続いた。
そして夜。
レミューゼ王城の大広間を開放し、年齢や身分に関係なく、それぞれに思い思いの着飾り方をした官民が集い、舞踏会が幕を開けた。
「一緒に踊っていただけますか?」
「あんた、無理してるのが顔に出てるわよ」
「……バレた?」
メレアはこの舞踏会に臨むにあたって、自分を偽ることを決めていた。
「あんまこういうの得意じゃないからな! 俺の中にある社交界の花形的なキャラクターになりきるしかないんだ……!」
「まったく涙ぐましい努力ね」
そんなメレアにやれやれと肩をすくめて答えるのは髪と同じ紅いドレスに身を包んだリリウムだった。
「英霊たちにも『死ぬ気で王子様になりきれ』って言われてたし……」
「熱心な教育ね……あながち間違ってはいないけど」
「……それで、踊ってくれる?」
「……」
内心を言い当てられたせいか徐々に素のおどおどとした表情が戻ってきはじめたメレアをじとっと見たリリウムは、しかし最後に小さく息を吐いて手を差し出す。
「喜んで、我らが魔王の主さま。最初にあたしを選んだのは正解ね。最初からエルマなんかと踊ったらこの舞踏会が崩壊しかねないもの」
全部バレている。観念したようにがっくりと肩を落としたメレアだったが、それでも手を差し出してくれたリリウムをこれ以上落胆させまいと襟を正す。
「英霊たちに仕込まれた古き良き踊りをあたしに教えて頂戴?」
「喜んで、お嬢さん」
「ふふ、案外悪くないわね」
その後、メレアはかつて英霊たちに教えられた踊りの作法を一つ一つ思い出しながら、リリウムを飽きさせないよう、精いっぱいに彼女とホールを踊りきった。
◆◆◆
「メレア、くん。うまく、できなかったら、ごめん、ね?」
「全然いいよ、アイズ。俺だって特別うまいわけじゃない」
白と金のドレスに身を包んだアイズの手を取る。
彼女の小さく細い手は少し震えていて、彼女が緊張していることをメレアに知らせた。
――大丈夫、絶対に踊りきる。
そんな状態でいながら、自分の誘いに乗ってくれたアイズに、絶対に恥はかかせたくない。
メレアはさらに気合を入れなおしてアイズの手を優しく引く。
結果から言えば、アイズはその舞踏会において最も多くの視線を集めた。
彼女がメレアの手に従って踊ればその美しい金の髪が流れるように揺れ、白い肌の中でほんの少し上気した頬が
周囲の観衆からは『可憐だ……』『この世の奇跡だ……』『もう死んでもいい』などの大仰ながら真に迫る声が上がり、アイズが踊り終わったあとには全員が胸を押さえながら息を吐いた。
「ありが、とう! とっても、楽しかった、よ」
「俺もだよ。一緒に踊ってくれてありがとう、アイズ」
メレアに礼を告げたアイズは、恥ずかしそうに頬を赤らめながら、少し跳ねるようにして仲間たちのもとへ戻っていく。
その後ろ姿を見送ったメレアも、心の奥にじんわりと暖かなものがあふれるのを感じた。
「……さて」
そしてメレアは次に誘う人物を探す。
「マリーザは――なんか倒れてるな……」
聞けばメレアがアイズと踊っている光景を見た直後、『ああ、我が主たちがあのように美しく可憐に踊りを……もうわたくしには未練がございません』という言葉とともに鼻血を出して倒れたらしい。
――大丈夫かな……。
少し心配だが彼女を介抱しているサルマーンとリリウムが腕で丸を作ってこちらに見せているのでたぶん大丈夫だろう。
そういうわけで、メレアは最後の相手を探した。
◆◆◆
「俺と一緒に踊ってくれる? エルマ」
その人物はすらりとした黒のドレスに身を包み、周囲の者とは一線を画した凛々しさをたたえてホールの端に立っていた。
「いいだろう、望むところだ」
どことなく表情は硬い。しかしメレアの手を取る仕草は整然としている。
――綺麗だな。
エルマの美しさはリリウムやアイズとは違って、どこかほかを寄せ付けない孤高さのようなものがあった。
周囲の者たちもそれを察してか、彼女の手を引いた様子はない。
整った容姿、鍛え抜かれた四肢、一糸も乱れぬ凛とした立ち姿に、切れ長の目からこぼれる鋭くも妖艶な光。
あのハーシムでさえ、ドレスを身にまとったエルマを見たとき、『……壮麗だな』と、まるで絶景を称えるかのような言葉で彼女を評した。
「ちなみにエルマ、踊りは得意?」
「無論だ。私とて踊りの一つや二つ、心得ている。そういうメレアこそ、私についてこられるか?」
「む、俺にも意地があるからね。問題ないよ」
「では、期待しよう」
最初に手を引いたのはエルマだった。
一歩、二歩と音楽に合わせて優雅なステップを踏むエルマ。
メレアもそれに後れを取るまいと続く。
それからしばらくの間、二人の間には無言の時間が流れた。
しかしその中で乱れなく揃う二人の一挙手一投足は、ホールにいたすべての観衆の目を奪い、二人の白髪と黒髪が緩やかに舞うたびに、ほうっと心を奪われたかのようなため息が、彼らの口から自然と漏れた。
◆◆◆
そうして建国日記念として開かれた舞踏会は無事に終わりを告げた。
翌日、魔王たちの拠点である星樹城の食堂で、リリウムとエルマが共に食事を取る時間があった。
「ねぇ、エルマ、昨日の舞踏会のことだけど――あんた踊りできたのね。すごく綺麗だったわよ?」
「ま、まあな」
リリウムの素直な誉め言葉に少ししどろもどろになるエルマの姿があった。
「〈剣帝〉の末裔として子どものときから鍛錬漬けでしょ? そのあともずっと傭兵業をしてたっていうし……どこで踊りの技術を身に着けたの?」
「……」
エルマはすぐには答えない。
手に持っていたスプーンをいったん机に置き、それからゆっくりと――両手で顔を隠した。
「エルマ?」
「……前だ」
「ん?」
「一週間前だ」
「えっ?」
ふと見るとエルマの両耳が真っ赤に染まっている。
顔を隠している両手の指の隙間から、わかりやすく恥ずかしがる表情がのぞいていた。
「実は少し前に舞踏会の話を聞いて、この一週間で必死に練習したのだ……ああっ、言わせないでくれ!」
「あー……」
リリウムはなんとなくすべてを察し、優しくエルマの肩を叩いた。
「でも、一週間であそこまで踊れるようになったのはすごいじゃない。さすがに普段から身体を使っているだけあるわね」
「メ、メレアに恥をかかせるわけにはいくまいと思って……!」
なんといじらしいことか。
リリウムはこの彼女の努力を皆に知らせたいという欲求に駆られたが、それこそ彼女の努力をふいにしてしまうことだと思って、ひっそりと心にしまっておくことにした。
「うう……」
「あんた、なんだかんだ一番乙女っぽいわよね。なんだか羨ましいわ」
リリウムは恥ずかしがるエルマの肩をぽんぽんと優しく叩き、困ったように、それでいて楽しそうに、笑った。
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