草魔法師クロエの二度目の人生 自由になって子ドラゴンとレベルMAX薬師ライフ/小田ヒロ


  <真夜中の薬草採取>



 広葉樹は色とりどりに葉の色を変え、山々は錦の衣をまとったようだ。来週には初雪が降るのではないかと皆が噂する、晩秋のローゼンバルク。すっかり日が落ちるのも早くなった。

 祖父は隣の領主との会合、兄は冬の備蓄のための狩りに出ている。二人共夕食時には戻ると言っていたけれど、何かあったのか間に合わなかった。

 なので、私は子ドラゴンのエメルと侍女のマリアと先にご飯を食べ、寝る支度をして、エメルに手持ちの種の説明をしていた。

 すると、バタンと玄関の扉が乱暴に開かれる音と、ちょっと興奮気味の男たちの声が聞こえた。


『どうやら帰ったようだね。リチャードかな? ジュードかな?』

「うん。寝る前でよかった。『お帰りなさい』って言いに行こう」


 私がナイトドレスに若草色のガウンを羽織って、エメルを肩に乗せて自室を出ると、エントランスは騒然としていた。


「一体どうしたの……お、お兄様っ!」


 そこにはゴーシュに抱かれて肩から血を流し、意識を失っている兄がいた。

 慌てて階下に走りおり、人をかきわけてそばに行く。


「お兄様! お兄様! どうして? 何があったの?」


 思わず縋り付きそうになる私を、執事のベルンが優しく背中から抱え込んで止めた。


「クロエ様、ジュード様は狩りの最中に、突然舞い降りた鳥型の魔獣にかみつかれたそうです。今、医師を呼びにいっていますからね。ひとまず落ち着きましょう」

『魔獣が出たのか? 普通の狩場に?』

「魔獣に? ……エメル……どうしよう……」


 兄の顔色はこうしている間もどんどん白くなり、先ほどまで荒かった息も静かになってきた。逆にそれが恐ろしい。


『ジュード……』


 運よく領都の診療所にいた医師が駆けつけ、兄を診察してくれた。


「うーん……傷自体は浅いんだ。しかし魔獣の唾液に含まれる毒が次期様を苦しめている」


 先生が傷口を縫って、包帯を巻きながら難しい顔をしてそう説明する。


「毒か? お館様の留守中になんということだ……。解毒薬は?」

「魔獣の体液毒はたいていマンドレイクの根と実の抽出成分で良くなるが、今手元にはないし、町の薬師の下にもないだろう。夜が明けてから西の森に総出で探しに行くしかない。それまでは手持ちの薬でなんとか間を繋ぐ……」


 先生とベルンが忙しく看病しているなか、私は完全に邪魔であった。そっと後ずさりして兄の部屋を出て、自室に戻る。


「マンドレイクの解毒薬……レベル52のあれだ」


 脳裏に浮かぶトムじいの記憶を手繰り寄せる。動物系の毒に万能のようだ。しかし、どんな優れた薬であっても、投与が遅れれば意味がない。

 一度目の人生であらゆる毒を試したが、魔獣の毒は未経験だ。どういうペースで症状が進んでいくのか想像もつかない。


「……急がなきゃ!」


 私はガウンを脱ぎ捨て、クローゼットに走った。


『今から採取に行くの?』

「エメルが反対しても行くよ。マリアたちを説得する時間すら惜しい」


 一刻を争う事態であることを断言できる。私はかつて毒のエキスパートだったのだ。


『本当は夜の森になんて子どものクロエを行かせたくないけれど……やむを得ないね。今、〈魔親〉のジュードが死んだら、オレも死ぬ』

「エメル、手伝ってくれる?」

『もちろん。でもオレの指示に従うこと。クロエがいかに強くても、夜は危険だ。オレは鼻が利くからまだましなの。それに安全な移動のために捕縛するよ? いい?』

「我慢する。捕縛が一番早いもの」


 この時期、夜は気温が零下になる。私は兄のお下がりをしっかり着込んで、そっとバルコニーに出た。


『いくよ……捕縛!』


 私はエメルの草網に囚われて、上空に舞い上がった。


 何十回も訪れている西の森も、夜は見知らぬ顔をしていた。気味の悪い漆黒が続く。マンドレイクは湿った土を好むから、森の中央の沼を目指す。

 森の上空をエメルと飛んでいると、月明かりで森にドラゴンの影が映る。こんな心細い時であっても一人ぼっちではないことに、両手を握り締め感謝する。


『クロエ、着いた。下りるよ』


 エメルは私が木々にぶつからないように、慎重に地面に下りてくれた。


「結界! ……よし。じゃあ、地表近くの釣り鐘の形をした群青色の花を探して。茎はないから」

『地面のそばなの? じゃあお互いにライト全開だね。ライト!』


 エメルと眩い光球を上空に飛ばし、ひょうたんの形の沼のほとりを白く照らす。動物たちが驚いてかさかさと移動する音が聞こえる。

 私は見たことのないその植物の生えていそうな場所をトムじいの知識を頼りに推測し、片っ端から駆け寄って這いつくばるが、そう簡単には見つからない。青色の何かに飛びついても、その場所にあるのはイヌフグリだったりキキョウだったり。がっかりしながら次に進む。


『クロエー! ちょっと来て~! なんか見たことない独特の匂いがするやつ見つけた~!』


 沼の向こう側を探索していたエメルから声がかかった。

 私は慌てて立ち上がり、木の根に躓きながらエメルの元に走った。そこには濃い緑の大きな葉に隠れた、小さな群青色の花……脳裏の知識と合致する!


「これみたい。エメル。一株丸ごと持って帰ろう。丁寧な作業をする余裕がない」

『そうだね。落ち着いたら株を増やしてここに戻そう』


 エメルがサクッとマンドレイクを引き抜き、私の手のひらに載せる。私は状態を確認し用意していた草籠に入れた。


「うん、バッチリ。ありがとう。急いで帰ろう!」

『よし。……待て! クロエ!』


 エメルが声を上げるのとほぼ同時に、私の結界に何かがかかった。自動発動の草縄が引っかかったものを捕獲しようと四方に伸びあがるが、何一つ捕まえられない。グネグネと蠢くだけ。


「どこ? どこなの?」

『しまった! クロエ、上だ!』


 頭上に赤黒い双頭で翼のある生き物が現れ、猛スピードでこちらに向かってきた。まさか魔獣? 私は術の方向を瞬時に修正し、改めて詠唱した。


「草縄!」


 ようやく敵を見つけた蔓が天に向かって伸びていく。しかし魔獣にたどり着くも、細い種類の草は簡単に引きちぎられていく。私はフォームを使おうとしたが両手は籠で塞がっていた。


「エメル!」

『わかってる! 凍結!』


 エメルの口から魔獣に向けて、冷気のブレスが吐き出された。しかし、触れたもの全てを凍り付かせるはずのその術は魔獣に届いた瞬間、ジュっと音を立てて蒸発した。


「うそっ!」


 氷とすこぶる相性の悪い魔獣だったようだ。ひょっとしたらこいつが兄を……。

 エメルは〈氷魔法〉以外の魔法の発動に入るが、もう魔獣はほぼ真上に来ている。


『風切!』

「草壁!」


 エメルの〈風魔法〉が魔獣の翼を切り裂き、私の〈草魔法〉が魔獣と私との間に毒であるザラナンの葉を織り込んだ壁を、下から築いていく。

 しかし魔獣のスピードは重力に沿っている分速く、重い。私の〈草魔法〉の威力はフォーム無しのため今一つだ。奴が我々の術で力尽きるのが先か、奴の牙が私に届くのが先か!

 私は草壁に魔力を上乗せし、ザラナンの葉を増殖させながら叫ぶ。


「エメルー! 一旦逃げてー!」

『逃げるわけないだろーっ!』


 エメルは既に魔獣の上を取っている。私が万が一倒れても、連れ帰ってくれる。そう思って、さらに魔力を引き上げると、魔獣は毒を浴びながらも草壁を体当たりで崩し、目の前に迫ってきた。あまりのおぞましさに思わず目を閉じる。

 その時、私の真下を強靭な魔力が駆け抜けた。慌てて目を開けた瞬間、ズンッと地面が揺れ、魔獣めがけ、周囲の木々が一斉に幹や枝を伸ばし、魔獣の体を隙間なく串刺しにした。

 魔獣は断末魔の叫びを上げて、血の色の瞳を何も映さない漆黒に変えた。

 マンドレイクの入った籠を抱えたまま尻もちをつくと、馬のひづめの音がもうすぐそこに聞こえる。もちろんこんなことができるのは……、


「クロエッ!!」

「おじいさまっ!!」


 あっという間に、私は馬を下りて駆け寄った祖父の腕の中にいた。


「おじい様……あ、ありがとう……ありがとう……」


 今更ながら恐怖が身に染みて、涙がボロボロと零れる。


「……はあ。ったく! 気がそがれた。説教は落ち着いてからだ。しかしなぜ人里に近いところに魔獣が……こんな夜更けに素材の採取に来たことと関係があるのか?」


 エメルが木々の上から急降下し、祖父の肩に乗った。


『ジュードが魔獣の毒で重篤だ』

「……なるほど。クロエ、ここで泣いていてもジュードは救えん。しゃきっとして薬を作れるな?」

「……はいっ!」

「それでこそ、わしの孫じゃ」


 エメルはマンドレイクを抱えて一足先に飛び去った。私は祖父に抱かれたまま馬で駆ける。


「おじい様、どうして私の居場所がわかったの?」

「……クロエは嫌かもしれんが、お前らの服にはわしの木の繊維をねじこんでいて、追尾できるようにしている。悪く思うなよ。実際このように役に立ったしな。文句があるならばとっととわしよりも強くなり、今日のような隙を作らぬことだ」


 八歳の孫が夜更けに屋敷から抜け出したのを感知して、慌てて旅先から駆けつけてくれたということ?


「嫌なはずない。私を心配してのことだもん。ありがとうおじいさま……」

「寿命が縮んだぞ。ジュードのためとはいえこのようなこと、今回が最後だ! よいな?」


 私がコクコクと頷くと、祖父は小さく呟いた。


「強く怒ることもできんとは……わしも焼きが回ったな……」

 

 屋敷に帰ると、私が消えたことはとっくにバレていたようで大騒ぎになっていた。


「お嬢様! 夜中に抜け出すなんて、なんてことを……」


 マリアや侍女の皆は泣き、男性陣は膝に手をつき大きく息を吐いていた。


「マリア、みんな、ごめんなさい」

「皆の怒りは最もじゃ。しかし、クロエには真っ先にジュードの薬を作らせる。明日以降、皆の分も含めわしがクロエにきつく説教する。それで納得せよ」

「「「はい」」」

「よし、クロエ、エメル様、お願いします」


「魔力注入!」

『抽出……原液のままでいいな』


 私がマンドレイクの根、エメルが種と作業を分担することで、二時間ほどで水薬に仕上がった。ふと思いついて、兄の好きな、穫れたてのりんごの果汁を成分が変わらない程度に注ぎ込む。全て飲み干してほしいから。

 小走りで兄の部屋に行き、先生に渡す。先生が兄の体を起こし、少しずつ口に流し込むと兄は一度だけむせたが、無意識の中時間をかけて、全部飲んでくれた。

 兄の顔は透けてしまいそうに真っ白で……エメルとしっかり抱き合って見守る。


「他の皆様の言い分もわかるけど、僕は医者としてクロエ様を褒めるよ。クロエ様のおかげで希望を繋げられた。夜が明けてからではきっと……ありがとうね」


 先生は、私が危険な目に遭ったと知らないから……私は首を横に振った。

 そして、翌日の夕方、兄が目を覚ました。


「クロエ……ごめん。心配かけて」

『あの魔獣はしょうがない。ジュード、気に病むな』

「うん……うん、エメルの言うとおりだよ。おにいちゃまが元気になったなら、それだけでいいの」

「クロエ、呼び方がちっちゃな頃に戻ってる……って実際クロエは小さいんだよな」


 下唇を噛みしめ涙ぐむ私を、兄がそっと撫でてくれた。


「クロエとエメルのリンゴ味の薬、とても美味しかった。二人の気持ちが……こもってたから」


 危険な真似をして、みんなに心配をかけるという大きな失敗をしたけれど、大好きな兄がこうしてここにいて笑っている。よかった……。

 思わず布団の上から兄にしがみつくと、エメルが無理やりその間に首から突っ込んできた。兄と声を上げて泣き笑いする。

 〈魔親〉な私たちと子ドラゴン。三人一緒なら、すぐそこまできている冬も、きっと寒くない。

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