第二話「清流の扇舞」

 国立雲雀ひばり倭歌やまとうた学園――古都ことの東に位置する、歌人かじんの育成を目的として創設された小中高の一貫校である。卒業生には政府機関や中央省庁、大手企業に入る者を多く輩出する。創立千年を誇る名門校である。


 小、中等部は短歌を主とした総合教育を行う。

 高等部からは専門教育となり、倭歌棟やまとうたとう工藝棟こうげいとうに分かれ、それぞれ専門的な知識を学ぶ。

 倭歌棟は短歌や長歌ながうたの実践教育を行い、工藝棟は歌の効果を用いた工業製品の製作、加工、製造技術を学ぶ。


 国立でありながらも、生徒の自主性を重んじ、寛大で自由な校風で知られる。そのためか、高等部には多くの部活があり、野球部や吹奏楽部など一般的なものから、短歌部や長歌部などウタに関連する部が多くある。他にも、絡繰装具からくりそうぐ部や超自然存在研究部といった、一風変わった部も一部に存在する。

 中でも、短歌部は花形とされ、多くの生徒が所属していた。


――雲雀倭歌学園高等部 第一短歌部 武道場「聡詠館そうえいかん


 四百畳ほどの広々とした道場は、大勢の声が騒々しく響き、熱気であふれていた。

 普段は、場内のあちらこちらで部員達が集まり練習が行われているが、一週間後に入学式を控えた今日は、全面を使い学内練習試合が行われていた。


 板張りの床には白く光る境界線が引かれ、結界となった四つの試合場が作られていた。それを取り囲むように、壁面は試合を見学する人で埋め尽くされている。

 どの試合も白熱し、見学者からは、時折、歓声があがる。鈍い爆発音や、金属同士がぶつかりあう甲高い音、周りからの応援の声に掻き消されることなく、対戦者の短歌が朗々ろうろうと響き渡っていた。


 入り口に一番近い試合場では、少女が二人向かいあっていた。

 胸にサラシを巻いた長身の少女は、一尺半程もある鉄扇てっせんを開きかまえて凛と立ち、まだ余裕の表情だ。もう一方の少女は片膝を付き、剣で身を支え、倒れないでいるのがやっとの様子。


「先輩、まだやりますか?」

「……ふざけるな、苑紅そのべに! まだ終わっていない!」


 片膝をついていた少女は、剣を支えにして立ちあがった。

 長身の少女――苑紅そのべには、開いた鉄扇を持つ右手を相手に向け、はすに構える。

 剣を持った少女が、切っ先を苑紅に向けて構え直した。キッと苑紅に視線を据えると、ゆらりと少女の周りの空気が揺らいだ。


 苑紅は少女が『詠力えいりょく』をまとったことを感じた。すぐにでも詠歌えいかが来るだろうと察し、同じく詠力を纏う。歌をみ、力をイメージしてウタに乗せる準備は整った。

 少女は、自らの内に残る小さな火が大きく燃えあがり、手にした剣に燃え移る様子を思い描き、短歌を詠唱えいしょうした。


 『刀刃とうじん宿やど士魂しこんの火が七ツ 天地万物てんちばんぶつ 灰と燃えさし』


 少女が体全体に纏った詠力は、剣へと集まり、光を放つと刀身とうしんを包む炎となって発現はつげんした。

 対して苑紅は、鉄扇を少女に向け返歌へんかを詠唱した。


 『薄暮うすぐれの野辺のべに流れる清流は扇舞せんぶつら残火ざんかしずめる』


 苑紅の構えた鉄扇は、涼しげに輝く無数の青い粒子りゅうしを纏った。

 少女は炎を放つ剣を構えると、姿勢低く、大きく一歩を踏みこんだ。刀身を横ぎに払うと、炎が散り、そのまま無数の炎となって苑紅へ襲いかかる。

 苑紅は、しなやかな動きで炎を全て鉄扇で受けとめながら回った。舞うような鉄扇の軌跡きせきに沿って水流が立ち昇り、炎をしずめてゆく。

 火の威力は相殺そうさいされ、苑紅を包んだ螺旋らせんの水流は、小さく光る粒となり、きらめきながら霧散むさんした。


 少女は間髪かんはつを入れず間合いを詰め、剣を上段から振り下ろした。

 苑紅が瞬時に閉じた扇で剣を受けとめると、大きな金属音をあげて火花が散った。そのまま、いなすように刀身を滑らせ払いあげると、剣は弾き飛ばされ、境界線から登り立つ見えない壁に当たって落ちた。

 苑紅は再び鉄扇を開くと、少女にかざし構えた。その眼は鋭く相手を見据える。依然として、臨戦態勢のままだ。

 少女は苑紅に視線を合わせると、途端に力が抜け、その場に崩れ落ちた。


「……まいった……」


 敗北の言葉を認めると、苑紅は、ザンと音を立て、鉄扇を横に払い閉じた。鉄扇は光の粒子を帯び、半分程の長さに縮み、木製のただの扇子へ変化した。


「お疲れ様でした」


 苑紅は、扇子をサラシを巻いた胸の隙間に押しこむと、その場を離れた。

 入れ替わるように療治りょうじ班が、傷付いた女学生へ駆け寄り、ウタを詠唱し傷をやす。

 苑紅が、白く光る境界線の外に出ると、スーツを着た男が近寄り声をかけた。


「苑紅、さすがだな」

甲賀こうが先生、ありがとうございます」


 甲賀は苑紅を労ったが、苑紅は視線をそちらには向けずに応えた。

 苑紅は避けるように早足で歩くが、甲賀は歩速ほそくを合わせついてくる。


「来年の選抜メンバー入りは間違いないな」

「そうですか」


 まったく視線を向けない苑紅に、甲賀は気にせず話かける。


「来週には新一年が入ってくる。その時は、お前にも第二の『教化きょうか』に参加してもらうからな」

「……失礼します」


 女子トイレの前に到着すると、苑紅はそのまま逃げるように中に入った。

 苑紅の表情は浮かない。選抜メンバー入りは嬉しいが、それ以上に気持ちを曇らせることがあるからだ。苑紅の心に影を落とすのは、『第二短歌部』のことだった。


 苑紅が入部した当初一つだった短歌部は、半年前に部長が変わり、同時に『第一短歌部』と『第二短歌部』に分けられた。公には個々の育成をより促進させるために、成績で振りわけた、ということだったが、『第一』に所属するメンバーを見れば、それだけが理由じゃないのは明白だった。

 これは部員たちの間でも周知の事実だったが、部長や顧問に逆らえば即退部となることから、誰も反対意見を唱えることはなかった。


 手洗い場で顔を洗い、軽く汗を流すと気分を入れ替えてトイレを出た。すでに甲賀は立ち去っていた。

 ふぅ、とひと息ついて道場へ引き返すと、先ほどとは違い、廊下まで聞こえていたはずの声が静まり、不穏などよめきとなっていた。

 異様な雰囲気を感じながら道場へ入ると、先ほどまで苑紅が立っていた試合場で、うつ伏せに倒れた少年と、それを踏みつけて立つ人物が見えた。周りの見学者たちが、小さな声で話す声が聞こえる。


衡也ひらなりだ……」

「また、あいつか」

「さすがにやりすぎだろ……」


 そこでは、行き過ぎた『教化』が行われていた。


「……まいりました……」

「だから、俺の試合でまいったは無しだって」


 衡也ひらなりは、伏せた少年の肩辺りを蹴飛ばすと、無理やり仰向けにさせた。

 痛みで顔を歪める少年に向けて、手をかざす。


 『冥々みょうみょう天意てんいに背く愚者ぐしゃ慈雨じう石礫せきれき 轟々ごうごうる』


 衡也の手に生じた五句体ごくたいは、無数の石礫いしつぶてとなり、近距離から少年めがけ飛んだ。

 少年はとっさに両腕を交差し、顔をかばったものの、無数の小石はその身を軽く弾き飛ばした。もう抵抗する気力もないのか、少年はそのまま床に倒れ、苦しげに呻き声をあげるだけだった。


「おーい? 起きてる? まだ終わってねぇよ?」


 衡也は再び、少年に手をかざした。


 『百千ひゃくせん羈束きそくとげ浅薄せんぱく木偶でくげきする神罰しんばつとなる』


 少年の足元からおびただしい数のいばらつるが生えた。蔓は少年の全身を縛りつけると、無理やり上体を起こさせた。


「お前ら第二は、そうやってすぐに勝負を捨てて逃げようとしやがる。そんな負け犬根性だから勝てねぇんだよ」


 身動きできない少年に、衡也はニヤニヤと笑いながら語りかけた。そして、おもむろに右手に握った六角棒を持ちあげると、少年の左腕にひたりと当てた。


「その根性。俺が叩き直してやるよ」


 そう言うと、衡也は六角棒を大きく振りかぶった。


「衡也! 止めろッ!」


 苑紅の大きな声が道場内に響いた。見学者はもちろん、試合中の生徒たちまでも、その声に思わず振り向いた。


「何やってんだ! もう勝負はついてるだろ!」


 衡也は遊びを邪魔された不機嫌さを隠さず、苑紅を振り返り、睨めつけた。


「見てわかんねぇか? 『教化』だよ。邪魔すんじゃねぇよ」

「だからって、そこまで痛めつける必要はないだろうが! なんで誰も止めないんだ!」


 苑紅が周りを見ると、皆、目を逸らした。その様子に、思わず舌打ちした。足早に試合場に入ると、茨のトゲで自身の手が傷付くのも構わずに、縛りあげられた少年に触れた。


 『咎人とがびと創痍そういの身にてしょくとなし号怒ごうどしずいましめめをく』


 苑紅が短歌を詠唱すると、茨はハラハラと消え去った。崩れ落ちる少年の体を抱きとめ、そのまま床にそっと寝かせると、壁際の白い腕章を付けた生徒たちを見た。


「療治班! 来い!」


 白い腕章の生徒たちは、その様子をおろおろ見守っていたが、苑紅の声を聞いて飛び出すように駆けつけた。療治班の生徒達は、少年の周りを囲み、ウタを詠み治療を行う。

 それを見届けると、苑紅は立ちあがり、衡也を鋭く睨みつけて詰め寄った。


「お前、アイツの腕を折ろうとしただろ」

「結界で守られてるし、どーせウタで治るんだし、別にいいだろ。ってか、これ『教化』だし」

「あんな暴力が教化かよ!」

「お前。後輩のくせに、先輩に対して口の利き方も知らねぇのか?」


 試合場で睨みあう二人に、甲賀が割って入った。


「まぁまぁ、二人とも落ち着け」


 二人を両手で制し距離を取らせると、甲賀は苑紅の肩に手を乗せた。


「苑紅、お前の気持ちはわかる。しかし、時にはああいったことも必要なんだ」


 苑紅は眉をひそめ、甲賀の手を強く払った。甲賀は払われた手を軽く振りながら、やれやれと苦笑した。


「この学校の短歌部は全国トップクラスだ。中には多少厳しい指導もあるかもしれんが、『教化』によってしか培われないものもあるんだ」


 甲賀が苑紅にさとすように話しかける。その後ろでは衡也がしたり顔をしていた。


「家柄が悪く、実力もない生徒が、我が校の短歌部を名乗ることは許されない。あれぐらいのことでもしないと変わらないんだ。底辺に慣れきった者たちには響かないんだよ」


 甲賀の言葉に、ぴくりと苑紅の眉が動く。


「……底辺……?」


 苑紅の様子に気付かず、甲賀は続ける。


「ここでウタを詠むには資格がいる。底辺の生徒に、その資格はない」


 瞬間、薄く笑みを浮かべていた甲賀の頬に、苑紅の右ストレートがめりこんだ。


「ふざけんなッ! 短歌を詠むのに資格もクソもあるかッ!」


 苑紅の大声は、道場中に響き渡った。だが、その声は相手には届かなかった。全体重を乗せた一発は、食らった人間を気絶させるのに申し分ない威力だったのだ。


「苑紅! お前、何やったのかわかってんのか!」


 衡也が声を荒げる。


「あたし、辞めるわ」

「は?」

「短歌詠うのに上も下もあるか。好きな時に好きな歌を詠う。あたしはそうするし、それができねえ奴がウヨウヨいるのも見てらんないわ。イチ抜けた。そこで寝てるクソにも言っといて」


 顧問教師への強烈な一撃と、唐突な退部宣言に、周囲の生徒たちは呆気に取られていた。


「お前ッ! 短歌部を辞めた奴がこの学園で生きていけると思うなよ!」

「好きにしなよ。じゃあね、お疲れさま」


 苑紅はすみに置いてあったドテラを取りあげると、バサッとひと振りし勢いよく着込んだ。その背中には見事な刺繍が施されていた。


「待て!」


 苑紅は、もうその声には振り向かず、道場の扉から出ていった。

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