第二話「清流の扇舞」
国立
小、中等部は短歌を主とした総合教育を行う。
高等部からは専門教育となり、
倭歌棟は短歌や
国立でありながらも、生徒の自主性を重んじ、寛大で自由な校風で知られる。そのためか、高等部には多くの部活があり、野球部や吹奏楽部など一般的なものから、短歌部や長歌部などウタに関連する部が多くある。他にも、
中でも、短歌部は花形とされ、多くの生徒が所属していた。
――雲雀倭歌学園高等部 第一短歌部 武道場「
四百畳ほどの広々とした道場は、大勢の声が騒々しく響き、熱気で
普段は、場内のあちらこちらで部員達が集まり練習が行われているが、一週間後に入学式を控えた今日は、全面を使い学内練習試合が行われていた。
板張りの床には白く光る境界線が引かれ、結界となった四つの試合場が作られていた。それを取り囲むように、壁面は試合を見学する人で埋め尽くされている。
どの試合も白熱し、見学者からは、時折、歓声があがる。鈍い爆発音や、金属同士がぶつかりあう甲高い音、周りからの応援の声に掻き消されることなく、対戦者の短歌が
入り口に一番近い試合場では、少女が二人向かいあっていた。
胸にサラシを巻いた長身の少女は、一尺半程もある
「先輩、まだやりますか?」
「……ふざけるな、
片膝をついていた少女は、剣を支えにして立ちあがった。
長身の少女――
剣を持った少女が、切っ先を苑紅に向けて構え直した。キッと苑紅に視線を据えると、ゆらりと少女の周りの空気が揺らいだ。
苑紅は少女が『
少女は、自らの内に残る小さな火が大きく燃えあがり、手にした剣に燃え移る様子を思い描き、短歌を
『
少女が体全体に纏った詠力は、剣へと集まり、光を放つと
対して苑紅は、鉄扇を少女に向け
『
苑紅の構えた鉄扇は、涼しげに輝く無数の青い
少女は炎を放つ剣を構えると、姿勢低く、大きく一歩を踏みこんだ。刀身を横
苑紅は、しなやかな動きで炎を全て鉄扇で受けとめながら回った。舞うような鉄扇の
火の威力は
少女は
苑紅が瞬時に閉じた扇で剣を受けとめると、大きな金属音をあげて火花が散った。そのまま、いなすように刀身を滑らせ払いあげると、剣は弾き飛ばされ、境界線から登り立つ見えない壁に当たって落ちた。
苑紅は再び鉄扇を開くと、少女にかざし構えた。その眼は鋭く相手を見据える。依然として、臨戦態勢のままだ。
少女は苑紅に視線を合わせると、途端に力が抜け、その場に崩れ落ちた。
「……まいった……」
敗北の言葉を認めると、苑紅は、ザンと音を立て、鉄扇を横に払い閉じた。鉄扇は光の粒子を帯び、半分程の長さに縮み、木製のただの扇子へ変化した。
「お疲れ様でした」
苑紅は、扇子をサラシを巻いた胸の隙間に押しこむと、その場を離れた。
入れ替わるように
苑紅が、白く光る境界線の外に出ると、スーツを着た男が近寄り声をかけた。
「苑紅、さすがだな」
「
甲賀は苑紅を労ったが、苑紅は視線をそちらには向けずに応えた。
苑紅は避けるように早足で歩くが、甲賀は
「来年の選抜メンバー入りは間違いないな」
「そうですか」
まったく視線を向けない苑紅に、甲賀は気にせず話かける。
「来週には新一年が入ってくる。その時は、お前にも第二の『
「……失礼します」
女子トイレの前に到着すると、苑紅はそのまま逃げるように中に入った。
苑紅の表情は浮かない。選抜メンバー入りは嬉しいが、それ以上に気持ちを曇らせることがあるからだ。苑紅の心に影を落とすのは、『第二短歌部』のことだった。
苑紅が入部した当初一つだった短歌部は、半年前に部長が変わり、同時に『第一短歌部』と『第二短歌部』に分けられた。公には個々の育成をより促進させるために、成績で振りわけた、ということだったが、『第一』に所属するメンバーを見れば、それだけが理由じゃないのは明白だった。
これは部員たちの間でも周知の事実だったが、部長や顧問に逆らえば即退部となることから、誰も反対意見を唱えることはなかった。
手洗い場で顔を洗い、軽く汗を流すと気分を入れ替えてトイレを出た。すでに甲賀は立ち去っていた。
ふぅ、とひと息ついて道場へ引き返すと、先ほどとは違い、廊下まで聞こえていたはずの声が静まり、不穏などよめきとなっていた。
異様な雰囲気を感じながら道場へ入ると、先ほどまで苑紅が立っていた試合場で、うつ伏せに倒れた少年と、それを踏みつけて立つ人物が見えた。周りの見学者たちが、小さな声で話す声が聞こえる。
「
「また、あいつか」
「さすがにやりすぎだろ……」
そこでは、行き過ぎた『教化』が行われていた。
「……まいりました……」
「だから、俺の試合でまいったは無しだって」
痛みで顔を歪める少年に向けて、手をかざす。
『
衡也の手に生じた
少年はとっさに両腕を交差し、顔を
「おーい? 起きてる? まだ終わってねぇよ?」
衡也は再び、少年に手をかざした。
『
少年の足元から
「お前ら第二は、そうやってすぐに勝負を捨てて逃げようとしやがる。そんな負け犬根性だから勝てねぇんだよ」
身動きできない少年に、衡也はニヤニヤと笑いながら語りかけた。そして、おもむろに右手に握った六角棒を持ちあげると、少年の左腕にひたりと当てた。
「その根性。俺が叩き直してやるよ」
そう言うと、衡也は六角棒を大きく振りかぶった。
「衡也! 止めろッ!」
苑紅の大きな声が道場内に響いた。見学者はもちろん、試合中の生徒たちまでも、その声に思わず振り向いた。
「何やってんだ! もう勝負はついてるだろ!」
衡也は遊びを邪魔された不機嫌さを隠さず、苑紅を振り返り、睨めつけた。
「見てわかんねぇか? 『教化』だよ。邪魔すんじゃねぇよ」
「だからって、そこまで痛めつける必要はないだろうが! なんで誰も止めないんだ!」
苑紅が周りを見ると、皆、目を逸らした。その様子に、思わず舌打ちした。足早に試合場に入ると、茨のトゲで自身の手が傷付くのも構わずに、縛りあげられた少年に触れた。
『
苑紅が短歌を詠唱すると、茨はハラハラと消え去った。崩れ落ちる少年の体を抱きとめ、そのまま床にそっと寝かせると、壁際の白い腕章を付けた生徒たちを見た。
「療治班! 来い!」
白い腕章の生徒たちは、その様子をおろおろ見守っていたが、苑紅の声を聞いて飛び出すように駆けつけた。療治班の生徒達は、少年の周りを囲み、ウタを詠み治療を行う。
それを見届けると、苑紅は立ちあがり、衡也を鋭く睨みつけて詰め寄った。
「お前、アイツの腕を折ろうとしただろ」
「結界で守られてるし、どーせウタで治るんだし、別にいいだろ。ってか、これ『教化』だし」
「あんな暴力が教化かよ!」
「お前。後輩のくせに、先輩に対して口の利き方も知らねぇのか?」
試合場で睨みあう二人に、甲賀が割って入った。
「まぁまぁ、二人とも落ち着け」
二人を両手で制し距離を取らせると、甲賀は苑紅の肩に手を乗せた。
「苑紅、お前の気持ちはわかる。しかし、時にはああいったことも必要なんだ」
苑紅は眉をひそめ、甲賀の手を強く払った。甲賀は払われた手を軽く振りながら、やれやれと苦笑した。
「この学校の短歌部は全国トップクラスだ。中には多少厳しい指導もあるかもしれんが、『教化』によってしか培われないものもあるんだ」
甲賀が苑紅に
「家柄が悪く、実力もない生徒が、我が校の短歌部を名乗ることは許されない。あれぐらいのことでもしないと変わらないんだ。底辺に慣れきった者たちには響かないんだよ」
甲賀の言葉に、ぴくりと苑紅の眉が動く。
「……底辺……?」
苑紅の様子に気付かず、甲賀は続ける。
「ここでウタを詠むには資格がいる。底辺の生徒に、その資格はない」
瞬間、薄く笑みを浮かべていた甲賀の頬に、苑紅の右ストレートがめりこんだ。
「ふざけんなッ! 短歌を詠むのに資格もクソもあるかッ!」
苑紅の大声は、道場中に響き渡った。だが、その声は相手には届かなかった。全体重を乗せた一発は、食らった人間を気絶させるのに申し分ない威力だったのだ。
「苑紅! お前、何やったのかわかってんのか!」
衡也が声を荒げる。
「あたし、辞めるわ」
「は?」
「短歌詠うのに上も下もあるか。好きな時に好きな歌を詠う。あたしはそうするし、それができねえ奴がウヨウヨいるのも見てらんないわ。イチ抜けた。そこで寝てるクソにも言っといて」
顧問教師への強烈な一撃と、唐突な退部宣言に、周囲の生徒たちは呆気に取られていた。
「お前ッ! 短歌部を辞めた奴がこの学園で生きていけると思うなよ!」
「好きにしなよ。じゃあね、お疲れさま」
苑紅は
「待て!」
苑紅は、もうその声には振り向かず、道場の扉から出ていった。
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