第三話「宵駅の旅路」
閉じた扉の前で、
「おー、ここかー」
ーーそれは昨日に
早朝、蒼空は少し大きめの学生服に身を包んでいた。肩の部分には、青色の
「はっはっは! 似合うじゃねえか!」
照れた顔を浮かべて新品の学生服を着る蒼空を、友禅は高らかに笑いながら
「親父、これちょっと大きくないか?」
「なぁに、すぐに体のほうが服に追いつくさ」
蒼空は明日からの
村に着くと、見慣れた面々が、蒼空を見送るために家の外で待っていた。村の人たちは皆、寂しくなると口々に言い、「道中に食べろ」と食べ物やおやつをリュックがパンパンになるまで詰めこんだ。
「いいか、蒼空。道沿いに六時間ほど歩けば駅に着く。まっすぐ行くだけだから、迷うこともないだろう」
父の
蒼空はやや緊張した
「一応地図を渡しておくから、困ったらこれを見ろ」
そう言い、友禅は
「わかった」
友禅は笑顔を浮かべながら、やや不安げな蒼空の肩をバシッと叩いた。
「頑張ってこいよ!」
蒼空は、その言葉に表情が
「ありがとう! いってきまーす!」
見送る人達に大きく手を振り、力強く歩き出した。初めての一人旅に気持ちが
山歩きは慣れたものだ。蒼空は、周りの木々を眺めながら山道を
段々と不安になったが、出発の時に父に言われた通り、そのまままっすぐに進んだ。すでに道と呼べるものは見当たらなかった。いよいよ不安になり、来た道を振り返ると、歩いて来たはずの道は見えず、周囲はすっかり深い森に変わっていた。
「ははっ……。これは……、ヤバいかも……」
背負ったリュックを地面に
蒼空は気を取り直すと、
『
「あっちが北か」
ウタの力で、かろうじて東西南北はわかった。一度行ったことがある場所であれば、ウタで調べることができる。だが、
「そういえば、地図があったな」
出発の時に父から地図を渡されたことを思い出し、上着のポケットを探ると、
「はぁ? 何だこれ!?」
紙の中央上部に、でっかく筆で書かれた『駅』の文字。そこから一本の線が、蛇のようにうねり繋がっていた。線の近くには下を向いた矢印があり、矢印の横には『現在地』と小さく書かれていた。
「地図って言ってたよな……?」
その
見送るときに「なぁに、心配すんな!どうにかなるだろ!」と高らかに笑っていた父を
仕方なく、正しいと思われる方向にとぼとぼ歩く。しばらく歩いてみたが、景色は変わらず、ますます迷ってしまっただけに感じた。
木の上に登れば何か見えるかもしれないと思いつき、リュックを下ろして近くの一番高い木にするすると登ってみる。てっぺんで周りを見回してみたが、どこまでも木々が続くだけで、駅はおろか、道らしきものも見当たらなかった。
違和感をたしかめるために、もう一度地図を見てみると、先ほどは下を向いていたはずの矢印が上を向いていた。気のせいかもと思いつつ、地図を見ながら周囲を歩いてみると、矢印が蒼空の動きに合わせて回転した。
「これ、ウタの地図か!」
地図のからくりに気付くと、
「よし! 急ぐか!」
蒼空はリュックを背負い直すと、地図が示す『駅』の方向に駆け出した。
それから一時間ほどで、ようやく道らしい場所に出た。道端には飾り気のない
「おぉ! 着いた!」
やっと道が見つかり
すっかり日が沈み、辺りが暗くなった頃、遠くに明かりを見つけた。駆け寄ってみると、開けた場所に小さな駅舎がぽつりと建っていた。
駅舎に入ると、中には誰もおらず、ベンチと『自動券売機』と書かれた機械が置いてあった。
蒼空は駅に来るのも初めてなら、電車に乗るのも初めてだった。父から、駅に着いたら券売機で切符を買うのだ、と教えてもらったが、そもそも買い方がわからない。
とりあえず券売機の前に立ってみる。どうやって使うのかと機械を眺めていると、突然、画面が光り、キツネのような大きな耳としっぽを持つ二頭身のキャラクターが現れた。
『こんにちは! ボクは切符の妖精のキッピーです』
「……おぉう……こ、こんちは! 俺は蒼空だぜ」
蒼空は、機械が喋ったことに
『目的の駅名を教えてください!』
「ええと、京都! 京都まで!」
『京都駅までの料金は6,200円です!』
「おう!」
『…………』
「…………??」
それきり、キッピーは黙ってこちらをニコニコと見たままだ。
動かない。何でだろう、と蒼空は首をかしげた。
『お金を入れてね!』
「あー、なるほどな。金、金」
蒼空はお金を使うのも初めてだった。ほぼ
家を出る前日に父から渡された封筒には、
紙幣が吸いこまれると、画面の中で笑顔のキッピーが、手慣れた手付きで紙幣を数えはじめた。ピシッと最後の紙幣を指で弾くと、軽い音を立てて、切符とお釣りが出てきた。
『切符とお釣りを忘れずにお取りください! ありがとうございました!』
「おう! ありがとな! キッピー!」
キッピーがお
切符とお釣りを取ると、財布の中に大事に入れる。切符を売る機械かぁ、スゴイなぁ、これもウタの力なのか、と感心し改めて機械を見つめた。
不意に、券売機を見つめつづける蒼空の足元に、
「おい、蒼空」
「うわっ!」
蒼空は、
「チッ。でかい声出して驚くんじゃねぇよ」
「ん?……あぁ!? キッピーか?!」
「おう。オレだよ。お前、ちょっとそこ座れ」
驚きながらも、キッピーに
キッピーはベンチの背にもたれかかると、面倒くさそうに蒼空に話しかけた。
「ぶっちゃけ聞くけど。お前、家出か?」
「いや、ぜんぜん違げぇよ」
「そうか。ならいいんだけどよ」
キッピーは、まだどこか疑ったような目で蒼空を見てくる。
「っていうか、キッピーは画面の外にも出られるのか?」
「駅構内ならな。お前みたいな怪しい客を調べるのも、オレの仕事なんだよ」
画面の中にいた時とは打って変わり、
初めてのことばかりで
「俺は、京都の雲雀倭歌学園に入学するんだよ」
「あぁ……なるほどな。そういやぁ、全国の駅でお前ぐらいの子供が切符を買ってたな」
「そっか。歌人を目指してるのは俺だけじゃねぇんだな」
「当たり前ぇだろ!」
キッピーは素朴な蒼空の言葉に、疑うような眼差しを弱める。
「ん? てことは、キッピーは他の駅のこともわかるのか?」
「全国各地の券売機にいる『オレ』は
「へぇぇ。キッピーってすごいんだな!」
キッピーは褒められてちょっと得意げになった。
「キッピーはウタで動いてんの?」
「オレは
夕焼けの空を
蒼空自身も歌儡を作り、父に勝負を挑んだことがある。狼の歌儡と共に、父に襲いかかったが、あっけなく返り討ちにされた
しかし、こんなにはっきりと自我を持って会話し、動く歌儡を見るのは初めてだった。
通常の歌儡であれば、詠み手の命令には従うものの、あまり複雑な動きはできない。短歌の効果が切れれば歌儡も消えてしまうので、長時間存在することもなかった。
「俺、キッピーみたいな
「まぁな。駅内であればオレは無敵だぜ」
「へぇぇ。すげぇんだなぁ」
ひとしきり蒼空に褒められてキッピーは気を良くした様子で、しっぽをパタパタと振る。蒼空に向けられた疑惑も晴れたようだった。
「まぁ、家出じゃなきゃいいんだよ。ところでお前、火あるか?」
どこから取り出したのか、キッピーはいつの間にか
「あぁ、えっと。ちょっと待ってくれよ」
蒼空は目の前に人差し指をスッと立てると、じっと見つめた。
『宵駅の旅路の縁を仄々と
静かに
「フゥー……。なかなか
キッピーは蒼空に気にせず、心底
「客がめったに来ないこんなド田舎じゃないと、おちおち
「キッピーは火は出せないのか?」
蒼空の
「無敵っつっても、やれることは業務に関係あることだけだ。こんな小さな火すら出せねぇよ。上の奴にどやされるからな」
「しっかし、今どき切符の買い方も知らねぇガキがいるとはな」
「ずっと山で育ったからな〜」
蒼空は両手を頭の後ろに組みながら、ちょっと恥ずかしそうに応えた。
「蒼空、知ってっか? 京都はすげぇ都会だぜ」
「そうなの?」
「街もでかけりゃ、建物もでけぇ。人も死ぬほど沢山いるんだ」
「へぇぇ、楽しみだなぁ」
「街に染まって、不良になったりすんなよ。オレは犯罪者に切符は売らねぇからな。よく覚えておけよ」
「あははっ! 大丈夫だって!」
「まったく、のんきなやつだな」
キッピーは苦笑すると、お腹のポケットから携帯灰皿を取り出し煙草を押しこんだ。灰皿をポケットにしまい直すと、ベンチからぴょんと飛びおりた。
「ここは設備が少ない無人駅だからな。全部手動なんだよ。……さぁ、来るぜ」
キッピーはとことことホームへ出ると、端へ向かって歩いていく。蒼空はその後ろについて歩いた。
「さ、ここだ。蒼空、ちょっと離れてろよ」
ホームの端には丸い台座が置かれていた。キッピーが台座の中心に立つと、台座に光る文字が浮かびあがり、詠力陣となった。
『聞こゆるは
キッピーが
「白線の後ろに下がらねえとマジで怪我するぞ!」
ホーム中にキッピーの
速度を落とさずに駆けてきた牛たちは、線路上で幾重にも重なる詠力陣に突っ込んだ。詠力陣を通過するごとに、牛たちは徐々に速度を落とす。キッピーが乗る台座の前まで来るとぴたりと足を止め、二頭の哦獣はブルルッと
詠力陣は消えずに残り、列車全体を輪切りにするかのごとく包みこんでいた。
哦獣とは自然の中で
普通の獣よりも際立って
こちらから近付かない限り襲ってくることはないが、危険な存在であることは変わりない。
人類は古くから、哦獣を飼いならす
蒼空は、これまで山でたくさんの哦獣を見てきたが、巨大な牛の哦獣が何両もの客車を牽く光景に圧倒された。
「ふぅ……到着だ」
その迫力に驚いたままの蒼空は声も出せず、目の前で低く
「すげぇだろ? 今どき哦獣が牽くタイプの夜行列車なんて珍しいんだぜ。鉄道ファンには大人気なんだがな」
キッピーが得意げに話す。
「す、すっげぇー!!」
蒼空ははっと我に返ると、
「今は、長歌で動かす哦獣なしのタイプの列車が主流だが、俺はこの哦獣タイプの列車が好きだ。こいつらだって失業してタダ
キッピーは親指を列車の方にクイッと向けた。
「乗れよ。客席はどこに座ろうが自由だ」
「おー、わかったぜ!」
感動で目を輝かせた蒼空はリュックを抱え、列車に飛び乗った。客室を足早に移動し、窓際の席に座ると、窓を開けてキッピーに声をかける。
「キッピー! 本当に色々ありがとな!」
「何もしてねえよ」
「俺、頑張ってくるよ!」
「おう。とりあえず、ま、無事入学してこいよ」
哦獣が牽く先頭車両の窓から運転手が顔を出した。ホームを見回し安全確認を行うと、前方に指を差し、短歌を詠唱した。
『あしびきの山を駆けたる
哦獣を受けとめた詠力陣が粒子を残して消え、二頭が低く重い
窓から顔を出した蒼空がキッピーに声をかける。
「キッピー!」
「あん?」
やにわに蒼空が短歌を
詠唱し終えると、キッピー目掛けて人差し指を軽く振った。指から白くて小さな光がふわふわと飛ぶ。光はキッピーの目の前まで行くと、小さな音を立てて
「またなー!」
「ガキが、いっちょまえに気ぃ遣いやがってよ」
キッピーは、蒼空が
「業務でも
『
キッピーの両手に現れた五句体は、ひと筋の白い光になって列車に向かい飛んでいく。光は列車の上まで飛んでいくとパンッと弾けた。列車を包みこむようにキラキラと
「おぉー!!」
蒼空は車窓から身を乗り出してホームにいるキッピーを見た。
「キッピー、ありがとう! いってきまーーす!」
キッピーは無言で、親指を立ててみせ応えた。列車は徐々に速度を上げ、キッピーの姿は小さくなっていく。そして夜の闇に沈んだ風景が車窓に流れ出した。
ーーいってきます、と蒼空は心で
今日一日で色んなことがあった疲れからか、窓の外を見ているとすぐに眠気がやってきた。蒼空は座席に横たわると、キッピーが見せてくれた星を思い浮かべて
明日の朝には京都だ。
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