第三章 その10
須田は輪島へ電話をしようかと時計を見た。二十一時三十分。きわどい時間だと思った。きわどい時間を言い訳にできると思った。と同時に、背を押された気分にもなった。電話でするのはやはり憚られる気がした。正面切って直接。動悸がした。不安ではなかった。決意とか決心とかはした自負はある。覚悟はこれが初めてだった。その晩は、なかなか寝付けなかった。
会長への報告の機を狙っていた。自分で自分の交際申請の手続きをするなんてどこかリアリティがない気がした。が、ヴァーチャルではない、タッピングの感覚はまぎれもない触覚だし、画面は目を凝らして見る必要はない。書記も会計も自分で処理をしていた。もっと意気揚々と行っていた記憶がある。こんな浮遊感で作業していなかったはず。その書記も会計もまだ来てなかった。会長もまだであった。逸る気持ちと先送りしたい気持ちがせめぎあう。とたん、生徒会室のドアが開いた。輪島である。挨拶を向けた彼女はいつもと同じ雰囲気で会長の席に座る。ゆっくりと須田は立ち上がって、会長席の前に立った。
「会長、報告があります。速水君との交際申請を済ませました」
「分かったわ。これで生徒会役員コンプリートね」
「はあ、それで、一つこれから交際を進める前に会長に言っておきたいことがあるのです」
唇をかむ須田を見上げる輪島の目は、鋭かった。どんな感情が込められているのか、読めない。読むのを妨げてさえいた。少なくともうっすらと濡れているように見えた。須田は及び腰になる感じがした。だが、踏ん張らなければならないと、自身を叱咤した。
「輪島さん、俺は」
「それ以上はダメ」
今まで聞いたことのない強い声だった。大きいのではない、叫びでもない、威圧的でもない、ただ強かった。決して曲がることのない、曲げることのできない確固たる禁止。須田は黙るしかなかった。
「絶対口にしてはいけない。いい、友和。それは決して、言ってはダメ。速水さんに礼を欠くことになる、私も友和も」
強いのは声だけではなかった。視線も、雰囲気も、そうオーラというものが見えるとか感じられるならそれ以外にはないほどに強く感じられた。須田には境界線が見えた。同じだ。境界線のあちら側にある風景の一スペースに属する事柄なのだ、きっと。法でないとしても。
「分かりました。業務に入ります」
書記と会計が入って来た。陽気に入って来た。須田は自身のことを告白した。書記と会計は歓喜した。祝賀会さえ提案しそうだった。会長がたしなめた。役員たちは作業を始めた。
輪島は口の中が苦かった。メンバー分のお茶を作った。電気ケトルが沸騰するのを待っている間、実は緑茶はふさわしくないと思っていた。コーヒーも気分じゃない、ほうじ茶? かろうじて行けるかもしれないがここにはない、紅茶なんてのはそもそも選択肢にも入らなかった。仕方なく緑茶を啜る。味がしない。刺激が足りない。舌にではない、頭に胸に腹に。そういえばと思いつく。ドラマとかだとこういう時にウィスキーとかをロックやストレートであおるのだろう。そういうシーンを何度となく見てきたことがある。けれどここは居酒屋でもバーでもない。ましてや、自分は生徒会長である。濃い緑茶に目が覚めると言いながら作業を進める一同を眺めながら、未成年の自分が恨めしくて仕方なかった。
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