第三章 その8
須田は教師陣の例の話の数々をメモし、パソコンに入力後ファイルに綴じていた。それを読み直したのはすでに二度を超えている。
本屋で彼は普段参考書の棚か文芸書の棚の前がほとんどである。コミックの棚に向かうのも多くはないが少なくもない。最近、というか夏休み明けごろから新書や哲学のコーナーにも立ち寄るようになった。さらにより最近に至っては雑誌のコーナーに立つこともある。名村がその姿を見て絶句したくらいである。
「お前も十七歳の男子だったんだな」
皮肉にしか聞こえないそれは実は感嘆と驚嘆のミックスであった。彼が男子向けの雑誌に関心を向けることが友人として感無量とさえ言えた。しかも、恋愛特集の号だったため、その歓喜が極まるのも無理ない。おちょくられたと思った須田はその雑誌を棚に返してしまったが、気づかれないうちに購入して彼にプレゼントした。須田は鞄に入れていた。渋々そうにしていながら、興味を隠しきれてないのは友人には容易に見て取れた。
その日ではないが、ある日須田と名村はラーメン店に入った。時々立ち寄るそこの味噌とんこつラーメンを名村は好んでいた。いつも通り運ばれて来たラーメンを食し始める。名村は始めた。二口食べて須田が箸をどんぶりに突っ込んだままでいるのに気づいた。
「伸びるぞ」
「ああ」
我に返ったように食べ始める須田。あっさり系のラーメン、中華そばと呼んだ方がしっくりくるような端麗スープとシンプルなトッピング。
「お前は味噌とんこつを好むな」
「ああ、腹にちょうどいい」
「好むと好きはどう違うのだろうな」
須田がこんな調子の時は話が短く済むはずはない、とは友人として了解済みだ。変な相槌も変だ。返しはいくらでもある。が、その前に
「いいから食え」
麺である。伸びたラーメンは美味くない。よって、食べることに専念しなければならない。男子である。一人は十七歳で片方はもうすぐ十七歳である。五分ほどで完食となる。
「コショウをかけるのを忘れた」
「また来ればいい」
そそくさと店を出た。
「で、さっきのだがな」
名村の方からほじくり返してきた。どこか気恥ずかしくなってきたのは問い出した本人の方である。
「知らん。哲学だか心理学だかそんなもんに頼るな。好きなら好きでいいんだ」
「さすがだな。経験者は語る」
入学草々に中三の頃から付き合っていた彼女と別れた名村の古傷をえぐる。決して気恥ずかしさの復讐という意図はなかった。けれど言った後、どこかほくそ笑みたくもなった。
「けれど、中華そばを好きというのと、人を好きと言うのとでは質が違うのではないか?」
敬意と言う語の意味の幅を太平洋よりも広く取っている奴はどこのどいつだと返す刀で切りつけたい気持ちをぐっと抑え、
「バカと天才は紙一重というが、アホと奇才も紙一重だな」
吐くように、嘆くように言った。
「俺のことを評しているのならアホでも奇才でもない。いや、アホ、か……」
予想外にダメージを十分与えられたようである。しかし、ここで反省をされても面倒以外にない。
「そういう風に紙一重って言うか、裏表って言うか、表裏一体って言うか、あるじゃないかってことだ。ラーメンで満たされた腹は見えるが背中は見えん、俺の体なのにな」
「お前の方こそ哲学っぽいこと言ってるじゃないか」
「俺のことよりお前が言ってきたんだろ。そっちを気にしろ」
「ああ、そうだな」
生返事になる。沈黙で男子たちが雑踏を歩く。名村に言われ、須田はチャリで右側通行していた警察官を思い出した。それから、自分が能動的にかかわって成立させた校則について。何をxにして、何をyとしたら、解が恋となる方程式を発見できるだろう。それを問いにしたとして、それこそ答えはもう見えているのではないか。どんな乱筆でもクセ字でも、靄の中でも晴天の山頂からでもわかるのではないだろうか。
「なんとなく腹に落ちそうな感じだ」
「そうか、食ったばっかだしな」
「上手い事言ったところで何も出んぞ」
「わーってる」
馴染みの呼吸で合いの手を打ち合う男子たち。どことなく表情が柔らくなっている。足音は往来する自動車の音で聞こえない。けれど、軽快に動いている。名村ばかりではない。須田もである。
「スイーツは無理だが、珈琲ならおごってやるぞ」
「ああ、それならこの満たされた腹に落ちるしな」
「いつぞやの雑誌の礼でもある」
「あったな、そんなこと」
男子二人は軽やかにコーヒースタンドへ向かった。
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