第三章 その7
速水さほりは時々思うことがある。
「タイプじゃ、ないんだけどなあ」
夏の終わりごろ切った髪。肩と毛先の間の数センチ。そこに涼やかを感じる。残暑がいい加減おさまりつつあるとはいえ秋風の予感がしているわけでもないのに、首筋が気になってしますのである。
この高校を選んだ理由は特にはない。勉強は好きではないが、とりあえずはやっておかなければならない気がする、それは中学生の頃もそうだし今も思う。積極的に予習復習をしたり問題集を大量に買ったりはしないが。それなりに勉強をする、以上。それと言うのも怠けたままだと怖い人たちが多い学校が選択肢になってしまう。かといって秀才だらけの学校は息詰まる。どっちも遠慮したい。それから、自宅から徒歩数分にあるバス停から一本で行ける所がいい。乗り換えとか面倒くさいし。後ろの方の席に座って車内を見渡すのは趣味ではないが、してしまうことだ。一番前の席だと自分だけ乗せてもらっている気がして、それは独善的な感じがした。バスに乗っているのは一人ではない、いや一人の時もあるけれども、バスの中の空間を感じられる。十人十色の乗客の姿を見ることができる。だからそういう通学をしたいとは思った。制服のデザインの良し悪しは良く分からない、ファッションとか詳しくはないし、ヘンテコだと思わないならばなんだっていい。あと、そうだな、校則が厳しくない所、ブラック校則とか聞くと背中がゾワゾワする。中学校の義務感丸出しのカリキュラムよりちょっとでも自由感が感じられれば。結果、ここになった。
クラスの人たちはどちらかというと盛り上がる人々のカテゴリーだろう。同じ中学の人は二人いたけれど、違うクラスだったし、男子だし、陽キャだし、接点なし。女子の中でも活気のある人たちが多い。ファッションが大好きな人、ヘアスタイルを気にする人、恋バナに盛り上がる人、部活に熱心な人、そんな女子たちだ。自分を含め、四人はおとなしい部類になる。陰キャの人もいる。それはそれで目立っている気もするが、陽気な男子と女子が彼女を気にしているようだ。かといってちょっかい出し続けているわけではない。はぶれないように距離感を保ちながら接触している。四月とか五月休む日が何日かあった彼女はもうそんなことはなかった。陽キャとは本当に小説や漫画の主人公みたいだ。自分は違う。陽キャはおとなしい部類の女子にも手を差し伸べる。いい迷惑だけれども。けれど、強制や無理強いを求めないスキルはどうやったら身につけられるのか気になると言えば気になる。体育祭でも気が重くなることなく、面倒だけど仕方ないかなと思うくらいで種目や応援なんかに加われたし、学期末試験の後のスポーツ大会でも猛特訓したり汗を流すことに快感を目覚めたりせずそれなりに参加できた。とはいえ、自分は陽キャにはならないし、なれないし、なるつもりはない。
けれど、やはり女子である。もうすぐ十六歳になる。恋、が気にならないのはうそになる。彼氏とかお付き合いとかできたら、高校生らしい高校生とかいうのがどういうのか知れないけれど、楽しそうだなと思う。幸いなのか、どうか、この高校には純粋異性交遊が推奨されている。入学してから知った。執行一年目だから模索中らしい。といっても周りや噂ではいろいろとくっついたらしい。おとなしい部類のグループでもすでに二人交際を開始したと六月下旬に聞いた。こんな自分にチャンスはどこにある、と生徒会にクレームでも叩きつけてやろうと思いついて乗り込むまで一か月弱。ずいぶんとスペースにゆとりのある背水の陣だった。ちょっとだけスタイル良いなと思っていた副会長は弁護士か官僚かと皮肉りたくなる眼鏡だったし。弁護士とか官僚がどういう人か知らんけれど。だけど、勢いとかなんとなく生徒会室行くようになって手伝うようになって、屁理屈眼鏡は高校生男子だと気づいて、学年五番以内だけれどアホな面があると知った。
「でも、タイプじゃないんだよなあ」
しつこいほどに嘆いてしまう。かといって。自分のタイプはなんだろうかと反芻してみた。芸能人とかタレントとか、ああカッコいいんだろうなと思う人はテレビで見ている。それはファンタジーの世界と同義であり、自分には全くリアリティがないせいか惹かれない。スポーツ選手、頑張ってるなあと思うしそれはカッコ良いなと思う。けれどやはり心惹かれない。
「私はどんなのがタイプなのだ?」
腕組みをする。体臭はきついのは勘弁だな、多弁も無言も面倒だから口数が少ない方が良いのか、勉強はできた方が良いけどそれを鼻にかける人は嫌だな、スポーツ、まあ一応動ける体ってのは元気な証だろうけど熱く語られても。食べ物をくちゃくちゃ食べるのは見苦しいし、聞き苦しい。エロいのは、どうだろうなあ、今の年代とかこれからとかだとまだ判定は早いか、中学のころまでのちょっとそっち系っぽいってだけでバカ騒ぎする男子、ああいうのはエロいとは言わないだろうが、なんか冷めるな。などなどと、タイプと思われる条件を考えてみた。どちらかと言うと、ポジティブと言うよりネガティブな、消去法的なアイディアばかり。自分らしさがいかんなく発揮していて、
「ああ、こういうのが自嘲っていうのか」
あきれてしまった。腕組みを解いて背伸びした。そのおかげか、
「ん?」
ある一点を急に閃いてしまった。
「いやいや、……。うーん」
腕組みをした。夏休み明け、席替えをして隣になったのを機に話しかけてくるようになった男子がいる。たしか陸上部だかで、さぞかし夏休みに練習をしたのだろう、日焼けが半端なかった。彼も元気なグループだ。陽キャの部類ではないが、圧が強いわけでもない。それでも陽キャたちのコミュニケーションスキルに近い手法で話しかけて来る。同じ中学出身ではなかったから、他の中学ではそういう授業して来たのかとバカな邪推さえしてしまった。その彼が
「速水さんて、交際申請手続きしてあるの?」
と聞いてきた。さぞかし嫌そうな顔をしていたのだろう、彼はその後必要以上に深々と慌てて陳謝した。気に障ったのではないが、彼もそう言うこと言うのかと改めて思い知らされたし、彼のようなキャラでもまだ申請してないのかと驚いたのも少なからずある。
「特に気になる人がいないんだったら、今度誘ってもいいかな」
とまで言い出してきた。答えに窮した。他の男子が何かの用事で彼に声をかけて彼を連れてどこかへ行ってしまった。それから彼からその件についてしつこく繰り返して来ない。この辺あたりがスキルが高いんだよな、こういうのもきっかけとしては有りなのかもしれない、彼がどういう人間かを知っていくのにはクラスの中だけでは不十分だろうし。タイプの条件のいくつかもクリアしている、だから、自分から誘いの件の返事をしてもいい。バスの後ろの席、一番前の席に座り、運転手に声を時々かける男子、彼なのだろうか。彼でもいい気がする。
けれど
何かが引っかかる、気になる。どっかに明白に書かれてあれば分かりやすいのだろうが、その何かが書かれてある本も検索記事もなかった。グループLINEを開いて聞いてみようかとしたが、煩わせるのは忍びない、というより何か恥ずかしい。思いついたわけでもなく、ただなんとなく生徒手帳を開いた。純粋異性交遊に関する条文と条項。その一つ。
「当条に違反した者は生徒会及び教職員代表で構成される調査委員会の審問に虚偽なく答弁し処分を受けなければならない」
自分の中にある何かについてもこういう処分があるのだろうかと思う。不安でも恐怖でもない。畏怖みたいな重さが降ってくるような気がした。それを振り払うように背を伸ばすと、生徒手帳を閉じ、立ち上がった。冷たい炭酸飲料でも飲んでスッキリ爽やかになりたくてしかたなかった。
「処罰云々て、あれも書いたのはあの眼鏡か」
にこやかに愚痴りながら部屋を出た。
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