第三章 その4

 二学期と言うのは忙しい。十月に文化祭があるとはいえ、各クラスの催事は徐々に企画から練っていくことができるが、学校全体と言うとそうもいかない。チラシやポスターの作成や手配、各クラスの企画の確認、体育館ステージの時間管理などなどそれらを把握しなければならない。さらには生徒会とて自主企画を開催しなければならない。そのうえ今年からは例の件である。昼食後に猛烈な睡魔が襲ってくるのは日を追って激しくなってくるありさまだった。

 ある日の放課後である。須田が生徒会室のドアを開けると、来客用の席に輪島と速水が対面していた。速水が来るのは二日ぶりだった。須田は眠気が雲散霧消する感じがした。同時に夢で見た自転車の女子のことが浮かんだ。胸騒ぎが吐き気を催すほど気持ち悪くさせていた。それを認めないように努めた。

 ぎこちなく二言三言輪島と言葉を交わすと、速水はそそくさと出て行った。会長席に戻る輪島を見やってから、彼女がいつもらしくないのを気にも留めない体で副会長の席に着いた。パソコンを立ち上げる。業務を開始する。会計も書記も来てない。沈黙。キーボードを叩く音だけだった。須田だけの。輪島がじっと見ていることに気づいていなかった。ふと手が止まった。輪島の目がキラリと切り裂くように光った。けれどすぐに曇った。須田は部屋の片隅に移動し、電気ケトルをセットした。

「会長はどうします? コーヒー、お茶、紅茶」

 各自のカップを洗い物カゴからひっくり返す。

「紅茶」

「分かりました」

 輪島の声にいらだたしさがある。須田は気づいていないのか、気づいていないふりをしているのか、水が動き始めた電気ケトルを見つめ、じっと立っていた。振り返れば輪島が睨んでいるのに気づけただろう。もはや忌々し気を隠そうとしない視線を。それから、そんな視線になってしまっていることに自省を始める輪島を。

「お待たせしました」

 会長の席に紅茶を淹れたカップを置いた。

「ありがとう」

 努めて取り繕った差しさわりのない平静の口調。眼球が微動しても須田はそのまま自席に腰を下ろした。コーヒーを啜った。輪島が紅茶を啜る音が聞こえた。カップを机に置く音が鋭いように聞こえたが、須田はまたキーボードを叩き始めた。少しして、グーにした左手で顎を軽く叩く。思いついたようにまたキーボードを弾く。首を左右に振る。首が鳴る。キーボードを叩く。腕組みをする。ワイヤレスマウスを操る。コーヒーを啜る。

 須田がカップを置いた瞬間、

「速水さん、告白されるかもよ」

 吐き捨てるように輪島が言うと、須田の動きが止まった。体はこわばったのではないだろうかと思うほど、明瞭に動いた。

「そう、なん、ですか」

 キーボードを叩こうとする指の動きが不自然だった。ひきつろうとする頬をごまかすように口に当てる手に力がこもっている。

「交際の申し出は受けてないけれど、少なくとも好意がないわけではない男子と最近接点が多いらしいのよ」

 輪島は言いながら舌打ちをしたかった。須田にではない。自分に対してである。速水から先ほど聞いた話はもっと詳細でリアルだった。それをオウム返しではなく、当たり障りのない文言に変換している、彼への気遣いをどうしてもしてしまう自分が腹立たしかった。腹を立てる? どこにそんな理由があるだろうか、いけしゃあしゃあとそれを主張できるご身分だろうか。冷静に自省しなければ、そう思っていてももはやどこに向かっているかしれない腹立たしさはとりあえず隠しておかなければならない。

「彼女は、速水はどう考えているのでしょう」

「自分で聞きなさいよ」

 相談で来たのは須田にも明白だった。けれど、わざわざまた生徒会に持ち込むような案件にいまだなってはないのではないか、女子同士でしか通じ合わない話なのだろうか。須田はシンプルに気にはなったのだが、輪島の癇に障ってしまったようだ。

 業務を再開した。指の速度が遅い。文面が浮かばない。クリックがずれる。速水が交際を始めるかもしれない。まだ確定ではない。情報が正確ならば前段階かそこらだ。スターティングブロックに足をつけたわけではない。けれど、スタートライン近くにはいる。

 もうアップも体操も仕上がっていると言うことか。気づかなかった。それよりも、速水が初めて相談した内容について、生徒会はいや自分は解決に善処して来ただろうか。いや、していない。なぜ。業務をおろそかにしていた? 業務と言うなら速水に分けて……いや、それは本来ならおかしい。彼女が追加の相談をしてこなかったからと言って、無下にしていいはずはない。無視していた? なぜ。彼女が言わなかったから。だったら、なぜ聞いてあげなかった。相談はもういいのかと。言わなかったのは、なぜ。速水の相談を忘れていた? なぜ。約二か月の歴史が語り掛けて来る。耳をふさごうが、目を閉じようが、去来する。これを何というのだろう、そう。気になる。気になるのだ。落ち着かない。なぜか。ここは生徒会室である。副会長席で業務をしている。そう、業務を全うしなければならない。だらりと垂らした腕を一度勢いよくねじった。キーボードを叩く。印刷をする。目を通す。

「会長、文化祭の備品の貸し出しに関して」

 静かに書面を渡した。

「友和、やり直し」

 一瞥、というのもおこがましいほど一瞬の黙視。もはや輪島はあきれていた。誤字脱字、挿入した表のずれ、フォントの不統一などなどミスを上げればきりがない。副会長、いや須田らしくなかった。渡す前に目を通した段階で気づくはずだし、そもそもそんなミスのまま印刷はしない。中学以来、輪島が知っている須田という男子は。

「すいません」

「そういうの、急がなくていいじゃないの」

「ですが事前準備で手抜かりは」

「そういうことじゃな」

 勢いよくドアが開いた。会計と書記だった。二人はすぐに雰囲気の尋常な差に気づいたようで、自席に無言のまま座ると自分たちの作業を開始した。須田も席に戻り、やり直し出した。その放課後の生徒会は一時間もせず、会長権限で解散となった。

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