第三章 その1

 始業式。昨今の猛暑のせいもあって体育館に長時間いるのは避けられ、また感染症による密集を避けるため、各教室に持ち込まれた画面越しでの九月の始業式。ここぞとばかりに校長が長話になるのは夏休み中の生徒の素行についての反省を促す点でも、二学期の学校運営の展望についてでもなかった。全校生徒のかなりな割合で今回の校長の話を大して長くはない、むしろ文化祭で冊子にまとめてもらいたいとさえ思う内容だったのには理由がある。校長がはにかみながら話したのは「恋と失敗」というテーマについてだった。「おっさんの昔話とかキモイ」とか言いそうなギャルっぽい女子でさえ傾聴とまでは言わないものの少なくとも耳を開いてくるくらいだった。校長が全校生徒に黒歴史を披歴したのはかつて社会科を担当していたからではなく、ましてや屈折した自己顕示欲を発露したわけでも熱中症で前後不覚になっていたからでもない。交際履歴の浅い若人たちに先生として教員としてまた人生の先輩として過ちを犯させないようこれまでの経験を教授していただけないだろうか、との提案がなされていたのである。不純異性交遊の禁止が掲げられている学校であってもそのような提案をばかばかしいと一蹴する教員があったとしたら浅慮としか言えない。それこそなぜ禁止されているのかを裏付ける他にない確証になるし、それをしなかった上で交際上のトラブルがしかもメディアに取り上げられるような内容であったとしたらそれこそ盛大に叩かれる材料を自ら差し出しているのと同じだ。私共は交際に当たりなぜそれが禁止されているのか自らの体験を元に教授してまいりましたが、などという言い訳ができないのである。新制度のこの高校においてそんな仮定をできない校長ではない。なぜ校長が先陣を切ったのかと聞かれたならばトップダウン型にした、というシンプルな理由であり、続いて自身の恋愛を披歴するのは反りの合わない二学年の主任。弱点をさらしたことのないならば、それこそ肉を切らせて骨を断つ要領で思わぬ情報を仕入れられる。となれば、やはり校長が断る理由はなかった。「前途ある生徒たちのため」という大義名分は効果的である。提案した生徒会にしても、今の校長にしても。

 実は純粋異性交遊の新制度が発足されて以降、親の恋愛歴、祖父母の恋愛歴について関心を示す生徒が増えたようだ。データとしての信ぴょう性は低い、なんとなくの風聞なのでアンケートなりを取ってデータ化しなければならないと、副会長の業務がさらに増えてしまったのは彼にとっても予想外だった。

 で、教員全員を巻き込んだ暴露大会もどきがなぜ実施されるに至ったのか、それは須田が講演会などの代替の妙案がどうあっても浮かべることができなかったためである。やはりこれは個人の業務ではなく、生徒会全体で検討しなければならないと思っていたある朝。登校してみると、ちょうど生徒会顧問と廊下で鉢合わせした。熱中症で干からびたわけでもないのに、普段以上にあてにならない感が半端ない。顔もむくんでいるようで、さらには血色も悪い。

「ああ、おはよう」

 挨拶さえも力なく、まだ夏だからという理由で幽霊かと思うくらいだった。普段なら無視するところだが、何か気になって生徒会室へ移動し、電気ケトルをセットし用意してあったコーヒーを出した。

「ああ、ホットの方が良いと思ってたんだ」

 カップを渡すと熱そうに啜ってつぶやいた。注意して耳をそばだてなければ聞き漏らしてしまうほどの小ささ。普段うざいくらいに陽気な分ギャップがひどい。

「ああ、染みるなあ。アイスコーヒーよりも冷徹なクールキャラの須田がこんなあったかいなんて」

 などとしみじみとただ事ではなくなっていた。「フラれまして」から始まり、途中から馬耳東風になっている須田なんておかまいなしに何の脈絡もなくただただ愚痴り続けること三十分。長時間聞く側に回るのに慣れたのはどっかの良くしゃべる女子のせいか、おかげかなんて思っていると、

「おかわりもらえるか」

 とコーヒーを所望してきたついでに

「大人の人って耐性があるとばかり思っていました」

 と何のフォローにも感想にもなってない独り言を沈黙の代わりにぼやいてみると、

「大人だってね、キッツい時はキッツいんですよ。生徒に見せないようにとか、そりゃ努力はしますけどね、キッツいもんはキッツいんですよ。おんなじこと繰り返している気もするし、次の人とはうまくいくようにってしてるんだけどなあ。ああ、沁みる」

 おかわりを啜る前にやはり愚痴る。何のフォローにも感想にもなってない独り言でも言おうかとしていると、

「須田には分かんねえよなあ、まだまだ青いもんなあ」

 と二口目の熱さに浸る。だが、その一言が天啓となってしまった。あの顧問から着想を得るとは打開策がようやく浮かんだのにどこか納得と言うか、承服と言うか、すとんと腹に落ちないと言うか、ともかくそんな気分になりつつアイディアをまとめ始めることができたのである。結果が二学期初日である。

 生徒たちがこれまで以上に教師陣に親近感を抱いている、というデータが出されたのは、全教員が恋愛歴を吐露した、クリスマス前のことである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る