第二章 その4
バスに乗っていた。彼女は車両の後ろの方の一人かけの席だから、高速道路を通行する長距離バスではない。路線バスのようだ。他に乗客は一番前の席に一人いる。男性である。乗降するドアの側の席から時折、運転手にであろう声をかけていた。彼女は風景を眺めることにした。窓外には鮮やかな街が広がっていた。そこには自分と同年代の男女が連れ添って歩いていた。その顔すべてが輝いていて、曇っている表情は一つもなかった。彼女は窓から顔を離した。天井を見、車内を見、ちょっと後ろを見て、それからうつむいた。スカートの裾を手が強く握っていた。取り繕うようにパッと手を離すと彼女は一番前の席の彼を見た。やはり運転手と会話をしていた。口論をしているのではないらしい。あくまでも淡々と口が動いている。なんだか急に恥ずかしいような気持になって彼女はまたうつむいた。足が動いて靴の先が見えた。確か何か月か前に買ったはずなのにどこか新しい色だった。そのスニーカーを見ていると、つま先を上げて下ろしてそんなリズムをしたくなった。音をたてないように何度か繰り返した。前を見ると、彼がこちらを向いてきた。うるさかったのだろうか、迷惑行為を咎められるだろうか。彼女はよそよそしく居住まいをただして、軽く頭を下げようとした。けれど、しなかった。彼がうなずいたからである。何をしてうなずいたのか知れない。それでも肯定を示すそのジェスチャーによって、彼女はバスの席を立ちたくなった。前の方へ移動したくなった。何かに呼ばれている気がしてもう一度窓の外を見た。自分と同じくらいの若い男女が皆ジェスチャーをしていた。手を振る人、手招きのような手つきをする人、万歳をする人、ライブで盛り上がっているように手を何度も突き上げる人、いろいろな人たちがいた。彼女は泣きたくなった。胸が暖かくなった。車内の彼を見ると、彼はもう一度うなずいた。彼女の胸はもっと熱くなった。すると、彼女は停車ボタンを押した。どこかすっきりとした表情で。
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