第二章 その3
「ようやくかよ」
電話越しの声がほとほとあきれ返っていた。
「既読スルーとか、激怒まっさ中って思うだろ。説明をさせろ、説明を」
聞き馴染みのある声は、若干の焦りと感情の高ぶりが隠れようなかった。名村である。須田の友人で、輪島によれば交際申請の手続きを済ませていると言う。
「いやそれは別の機会でいい。というか、電話じゃない方がいい」
てっきり冷却期間を設けての尋問がようやく始まると思っていた名村は肩透かしを食らってしまい、須田にとってこの件以外にLINEのメッセージやメールに返信せず、折り返しの電話をしない理由が見当たらない。いや、一つヒントを思い出した。夕方輪島から電話があった。いつもと変わらない語調がかえって取り繕っている平静を浮かび上がらせていて、かといってこれは問うてはならないジャンルだと直感が告げていた。須田だけでなく、輪島とも中学以来の歴史がある。あとは部活で疲れていて面倒はゴメンこうむりたいという極めて個人的な理由もあった。
「会長とひと悶着あったってことだな」
返事はすぐに返ってこない。三つほど呼吸をした時間があって、
「普段呼んでいる通りでいいぞ、プライベートで役職名で呼び合うカップルがいるか? 俺に気を遣うな」
「そこかよ!」
名村は慎重に会話を進めているつもりだった。引け目があった、と言えばそれまでだが、須田も輪島もその性向を少なからず把握している。頭がいい、と言うのは簡単な表現だが、それは経験と言ってしまえば元も子もない。学級委員や、その長、それこそ中学生のころの生徒会それらの業務によって事態に対する引き出しをいくつも用意している。そんな二人を間近に見ていたのだ。だからこそ、自身から手りゅう弾を投げるような真似は決してしないことにしている。いやすでに一発放り込んでしまってはいるのだが、その件は友人曰く保留してくれるとのこと。よって、友人が言う別の懸念に協力してやぶさかではないのに、ほじくるのがまさに横に置いた件に関わること。こういう鬱憤が猛烈なツッコミをさせたとしても無理からぬことである。
「で、今回会長を怒らせた原因は何?」
思わず立ち上がってしまっていたので、ベッドまで移動して腰を下ろした。
「心当たりはない、わけはないのだが。なぜ怒らせたのかが分からん」
いたって冷静な普段通りの話し方だが、意気消沈と言うか覇気がないのは聞こえてくる。その声が日中の経緯を話した。冗長的になっているのは友人らしくないなと名村は思いながら、あえて注意しないことにした。
「分からんな」
一通り聞いて、名村は吐き捨てるように言った。
「だろ」
電話の向こうで須田の肩を落ちるのが見える。
「他に策があるのにお前が言わなかった、ってのは分かるんだが、それでなんで会長が怒るんだろうな」
「……」
「友和、聞いてんのか」
「ああ。お前、なんで他に策があるって分かった」
「話を聞いていてもそこが折り返し地点だったってのは明白だ。嘘つかれたとはいえ、お前にそんな怒るか?」
「それより、お前なんで会長とひと悶着あったって知ってた」
「今更かよ!」
ベッドから腰を上げる。えらい勢いとなって。本当に今日の友人とは間が合わない。こんなのは初めてだった。そうとうにやられていると容易に想像がつく。だから、ゆっくりと腰を下ろして、
「電話があったんだよ。この件じゃないぞ。声が変だった」
「……そうか」
「微妙な間、やめろよ」
「悪い」
友人から「悪い」と言われると、胸が痛む。その原因を話さなければならない。言ったとしてもこの胸の痛みから解放されるわけはない。事情が事情だけに彼としては輪島とともに須田に話した方が良いと思っている。しばらく経ってからでも。けれども、今の状況はどっちにしても望ましくない。引っかかりながらも、話しを前に進める。
「で、他の案てのは何だったんだ?」
「……」
「だから! 沈黙止めろっての」
「いや、これは話せん」
「きわどいわけだな」
「そうなる」
「分かった。俺は普段通りに接する。お前にも会長にも。緩衝材としてはそれ以外にやりようがない」
「そうしてくれるか」
何も解決してないのに電話の向こうの友人の声から安堵が聞こえてきた。それ以上雑談をすることもなく、電話をすぐに切った。それから数分してLINEのメッセージが来た。「気分が少し落ち着いた ありがとう」。絵文字もスタンプもなかった。いつも通りの文章スタイル。
「お前に感謝される身分じゃないぞ、俺は。ああ、こういうことか」
名村は大きくため息をついて座っていたベッドに大の字になった。まぶしいくらいに明るい天井を見ながら、きっと友人は相変わらず善後策を思案しているだろうと思った。ゆっくりと体を起こして名村はLINEのメッセージを輪島に送った。
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