第二章 その5
一週間になる。もう七月が終わる。須田は毎日登校をしていた。無論、生徒会室へ行く。確かに生徒会には生徒会の業務はある。かといって、こう夏休みに毎日来なければならない激務が山積しているわけでもない。もはや習性としか言えない。というより、会長が言っていた「生徒会は万相談所」があながち間違いではない気がしてきて、いつ何時生徒が訴えに来るかしれない。例が一人いたわけだし。部活の前後に来る生徒がいないとも限らない、という可能性があったため、新制度の発起人たる責任感からか、須田は足しげく登校していたのである。それに万が一何事かがあったら、家にいるより対処のしようがある。そう言い聞かせていたのである。
生徒会室に入ると、副会長の席に鞄を下ろし、窓を開けた。一人である。エアコンはもったいない。卓上のファンを回す。パソコンを立ち上げた。顔を冷ます程度なら床に扇風機を置いているよりかましである。鞄を床に下ろす。会長の席を見る。小さなため息をしてから起動したパソコンを操作し始めた。あの日以来、輪島は来ていない。LINEもメールも電話もない。須田からは連絡をしなかった。夏である。必要以上に汗はかきたくなかった。だが、来てもらいたいとは思っていた。幸いなのか、相談者は来ていない。自分一人で対処できる範囲ならかまわないが、女子にしか解決できないような事案を持ち込まれたらと思うと冷や汗が出そうになる。その時はその時と決意と諦念がまじりあったような気持ちを作った。書記も女子である。だから幾分心中にゆとりがあったと言えばあった。が、相談の解決という条件で真っ先に浮かぶのは会長の方だった。
タンブラーのアイスコーヒーを一口した。気を取り直そうとしたのである。キーボードを再び叩き始めると、ドアが開いた。須田は息を軽く吐いた。あきれているようだ。
「今日もか」
「副会長、まずはおはようございます! 、でしょ」
「そうだな、おはよう」
まさに夏がやって来たような勢い。速水さほりだった。来客席に鞄を下ろす。勝手知ったるみたいな顔つきになっている。
「で、今日は何をすればいいですか?」
「ちょっと待った」
近づいてくる彼女を制する。須田の画面には交際生徒たちの記録が出ていた。個人情報の保護は生徒会だからと生徒たちは納得してくれた。血判を押す覚悟もあった役員たちである。漏らせば治安維持機関や司法機関に自首する腹積もりの役員たちである。だから、部外者に見せるわけにはいかない。
「毎日来なくてもいい。というか、他にやることくらいあるだろ」
一昨日から速水が通うようになっていた。簡単に言えば手伝いだそうだ。彼女は自分に対して心象は良くないだろうと、ファーストコンタクトの一連があって須田はそう思っていた。だから、こうして三日目とはいえ毎日来るのは予想外だった。
「三日坊主にしてもらっていいのだぞ」
鞄の中から自分のノートパソコンを出して、速水に渡した。
「昨日の続きだ」
来客席に戻し、生徒会室の棚から分厚いファイルを取り出し、それも速水に渡した。ファイルを開くと手書きの文書。それをパソコンに打ち直す、その作業を昨日から始めていたのである。いかにも業務をしている体は取れる。締め切りがある、取り立てて急ぐような作業でもない。個人情報云々に関わる分野でもないから、ある意味押し付け仕事である。そうでもしないと頑として帰らない女子だと初日で肝に銘じられていた。追い返すのも邪険にするのも無視するのも得策ではなかった。
速水が初めて訪れた日。陽キャや陰キャを否定しながら、彼女の印象は快活と須田は受け止めていた。ハイテンションでもかといって陰気でもない。クラスでの立ち居振る舞いは聞き及んでいないから判断はつきかねるが、クラスを引っ張る方でもないだろう。とはいえ、ここで作業中うるさく一人しゃべりをするわけでもなかった。小一時間ごとに休憩にすると、その時はしゃべり出す。あと業務に関する質問とか、手書きの書類の誤字脱字の指摘とか。須田に邪魔になるようなことはしなかった。てっきりさんざん愚痴を聞かされるものだと思っていた須田は意外だった。ただ、休憩中にはその愚痴が始まるのだったが。陽キャに対する羨望や陰キャに対する親近感。愚痴というか、(ガールズトークとかいうやつか)と思いついた須田はもちろん女子ではない。彼の認識自体がずれているのは置いておくことにして、つまりは速水は節度を持って自分の意見を言う女子だった。弾むような声の調子が明るさを醸し出して聞きやすかったせいだろうか、耳障りになることはなかった。またそれは嫌味や皮肉はあっても、否定的なものの見方を語っているわけではないせいかもしれなかった。(ある意味、クレバーだな)。徐々に彼女に対する見方を変えようかとも思う須田だった。
「それで、副会長って、会長のこと好きなんじゃないんですか?」
昼食時である。各自の席で用意しておいたランチを開いていると、速水がぶっこんできた。幸い咀嚼後かつお茶も飲んでいなかったので、須田が噴き出すことはなかったが、盛大にむせた。
「大丈夫ですか」
ねぎらう調子だった。
「大丈夫」
むせ終わらせて絞り出すように言った。
「男女間の好意ではない、敬意というか敬慕の思いは確かにある」
淡々と答えた。いろいろと説明を付加していくと訳が分からなくなりそうだし、否定しても速水はあれやこれやとまた尋ねてきそうだった。だから、簡明に言ったのである。
「ふーん、面倒くさい、そういうの」
「君がどう受け取ろうと、これが事実だ」
「事実じゃなくて、気持ちでしょ。副会長」
諫めるのは声ばかりでなかった。声もちょこんと伸ばした人差し指もそう言っていた。
「いずれにせよ、そういうことだ。好意だとしても、会長はすでに交際申請を済ませている。俺がどうこうする話じゃもうない」
「奪えばいいのに」
「そういうことじゃない。会長が選んだことだ。それに知らぬ相手でもない。あいつなら安心だ」
「言い聞かせようとしている風にしか聞こえないけどなあ」
「君にどう聞かれようとも、すでにシステム上は完了の案件だ。もうこの話は済みだ」
「済んでませんよ、副会長はどうするかって話です」
「どうもこうもないだろ。それに君に話すようなものもない」
「じゃあ、あれば話すんだ?」
「ん?」
「相談です。私が持ち掛けたみたいに、副会長も相談ができれば誰かにするってことですよね」
「ああ、そういうことか。論理的にはそういうことだな」
「で、誰に相談するんですか」
「考えたこともない。書記、あるいは会計。いや、……誰にするんだ?」
「いや、考えたことないって」
「相談できなくとも、自分で解決する。そうするしかあるまい」
「じゃあ、私ですね。私に相談してください」
「あのねえ、君」
「会長にも他の役員にもしづらい、友人にも。ってなったら、他に選択肢有ります? ていうか、相談てかたぐるしいのを想像しているでしょ、絶対。もっと気楽に。私みたいに」
「ああ、そういう。そうだな、そういう感じの案件が出てきたなら、君にでも話すとするか」
確かに熟慮とかへ辿っていく原点として相談という語をとらえていたが、速水がよく口にするような内容であれば自分にしてみればボヤキ程度だ。それならば、距離感としてこの女子にしても悪い気はしない。本人が許可しているのだから。それにこれ以上話を長引かせるのは肩が凝りそうだ。話を早々に片付けるのにもちょうどいいころ合いはとうに過ぎていると須田は思っていた。
「てか、副会長のその『論理的』がどうとか、プチプチを端っこから一つずつつぶしていくように考えながらしゃべるのって昔からなんですか? もっと若者らしく感情爆発みたいなしゃべり方はできないですか?」
「君に指示されて矯正するはずはなかろう、さっさと食事を終えて、一息入れたら午後の作業だ」
「だから、そういうのじゃなくて」
そんな下級生たちのやり取りを、廊下で聞いていた輪島は優しく微笑んで入室せずに帰って行った。
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