聖夜の狂騒曲・3
(聞いてない聞いてない聞いてない聞いてない聞いてない……! 畜生、俺ぁ騙されたのか……!?)
ラストは、他の【黄金の夜明け団】の面子とは違い、彼らの思想にも願いにも、なんの思い入れもなかった。
ただ、彼はごくごく普通の小アルカナであり、庶民であり、貧民街出身だった。
暴力と欲に塗れた世界で、強くなければ生き残ることすら困難だった。
女は色を売り、男は力を売り、明日を買う。明後日より先のことなんて全く読めない世界で、ただ貧民街の人間の例に漏れることもなく、力を振るい続けて生きるしかなかった。
年寄りと子供、稼げない人間から片っ端から死ぬ。それではあんまりだと、貧民街にも教会をつくられ、そこでは治療も食料も得られることができたが、それは今日を凌ぐためだけのもの。明日の保証はなかった。
幼少期は教会で貪るようにしてパンを食べていたラストも、いつしかビールを買い、それに溺れて生活するようになっていた。
そんなどうしようもない生活で、特に学園アルカナに通うような、魔力、知力になにより財力の不自由がない者たちには理解できない生活を送っている中。ずいぶんと実入りのいい仕事が手元に転がり込んできた。
「……【だれでもできます、せいびしぼしゅうちゅう】……?」
簡略化されたスペルで書かれ、教会で必要最低限の読み書きしか習っていないラストでも、かろうじて読める字で書かれていたチラシだった。
整備士が必要な機械や乗り物なんて、当然ながら貧民街には存在しなかったし、そこそこ技術の必要な仕事は、余計にここに住まう者たちではなかなかできないものであった。
しかし、給料はずいぶんといい。
ラストは他の連中に見つからないようにと、見つけたチラシを丸めて口の中に咀嚼し、他にも見つけるたびに、それを濡らしたり破いたりして詳細を読めないようにしてから、面接会場に出かけた。
ラストは【黄金の夜明け団】の勧誘チラシだとわからずに、入団してしまったのだ。
煤けた色の繋ぎを着ていたラストからしてみれば、ここの連中は全員真っ白な服を着ていて、胡散臭いことこの上なかった。
彼は案内されるがままに、【黄金の夜明け団】のリーダーの元に送り届けられた。
真っ白なタキシードに、真っ白な顔。そして真っ白な髪と、ここまで漂白されていたら存在感が気迫になってもおかしくないというのに、やけにくっきりとした造形の持ち主であった。
「おやおやおや? 貧民街ではなかなか人が集まらないのだけれど、珍しいこともあるものだね? しかも……君、魔力を持ってるね?」
「はあ? 俺ぁ生まれてこの方、魔力なんか使っちゃいねえよ!」
「ああ、そういうことか」
いきなりその美貌の持ち主は、なにやら分厚い本を持ってくると、それをラストの額に当てた。
「君、売られたんだね?」
「売られた?」
「大アルカナさ! 庶民が一生遊んで暮らせるだけの金が手に入るから、庶民が教会で見てもらって大アルカナを引き当てたら最後、それを売り飛ばしてしまうのさ! 残念だったね、もし君の手元に大アルカナがあったら、君はより一層金を稼ぐことができただろうに!」
それにラストは目を見開いた。
今まで本当にけったくそ悪い生活を送っていたのだ。
気付けば親もなく、子供を売り飛ばそうとする大人から逃げ回り、体躯が大きくなってからは殴って街の外にほっぽり出さなかったら、明日の命すら危うかった。
貧民街では、皆魔力も気力もなく、体が小さいままでなかなか育たないのが普通だったのに、ラストは毎日空きっ腹を抱えて生きていた。
そして蓋を開けてみれば、自分はとっくの昔に貪られて放り捨てられていたときたもんだ。
「……ざけんな。誰だ!? 俺の大アルカナを売り飛ばした奴は!」
「そうだね、君の親だろうね。残念だったね」
「畜生! それで自分たちは悠々自適に生活ってか!? ふざけんな、それは俺の金だ……!」
「そうだね。もし君が力を取り戻したいんだったら、俺に協力してくれないかな? そのための技術は、君に全て提供しよう」
「協力? そもそも、ここはいったいなんなんだ……」
「このふざけた階級制度を壊し、新たな秩序をつくろうとしている……【黄金の夜明け団】さ」
彼は悠然と笑った。
その金色の瞳には、熱がなかった。
彼曰く、この世界のためにつくったアルカナを、国は認めなかったらしい。
彼曰く、力がある者を飼い慣らす精度が、今のアルカナ精度らしい。
彼曰く、異議を唱えたら、彼自身の力を奪われてしまったらしい。元々彼は魔法学者だからこそ、アルカナなしでもある程度は魔法は使えるらしいが、それでも彼ひとりで魔法を使うにはあまりにも時間がかかり過ぎる上に、金も材料も人手も必要だとのこと。
彼が魔法を取り戻すために、こうやってつくられた組織が【黄金の夜明け団】とのことだった。
理屈はさっぱりわからなかった上に、ラストは明日以上の保証があればどちらでもよかった。少なくとも【黄金の夜明け団】の人間は、貧民街に住んでいる暴力に塗れた人間と違い、近くにいても空気がひりつくこともなく、睡眠がよく取れた。おまけに彼の住処じゃ滅多に見ることもない鉄の車の整備を教えられた。
全くしたことのないものだったが、一度覚えればやってやれないことはない。
金がもらえる、衣食住に困ることがない、ビールを好きなだけ飲める。訳のわからない教義や、合い言葉のように使われる「黄金の夜明けのために」の言葉こそ気に入らないが、ラストにとって、ここは教会の神官が語って聞かせた天国ではないかと錯覚しかけていた。
そんなときだった。
彼の……トートの力が、唐突に戻った。
「君たちにはずいぶんと苦労をかけたね。でも大丈夫。君たちを黄金の夜明けへと誘おう……!」
「黄金の夜明けのために」
「黄金の夜明けのために」
皆が歓声を上げたあと、それぞれがトートから洗礼を受けた。
彼の奪われた力というものは、どうにも通常の大アルカナとは違うアルカナらしかったが、ラストにはそれがなんなのかがよくわからなかった。
こうして彼が洗礼を受け、魔法の使えない小アルカナの代わりに与えられたのが、【欲望】だった。聞いたこともないアルカナ名だったが、トートの創り出したアルカナはそういうものらしい。
教えられた通りに使えば、体中に活力がみなぎった。貧民街で培った暴力が、彼をそのアルカナへと駆り立てた。
全ての力を試したが、一点だけはトートから注意を受けた。
「【欲望】の力は強力だけどね、ライオンの肉体変化だけは使ってはいけないよ?」
「あん? なんでだ。使えば大概の人間はびびってこちらへの攻撃をやめるだろうが」
「意識が引き摺られやすいんだよ。今流通しているアルカナに、似た力で【力】のアルカナが存在しているけれど、あれは完全に理性が蒸発し、獣になってしまっている。意識は肉体に引き摺られやすいから、ライオンになった結果、自分が人間だということを忘れてしまうかもしれない。やめておいたほうがいいと、俺は思うよ」
そう言われ、納得していた。
それでも【欲望】の力は凄まじく、他のトートアルカナと対戦をしても、相手の骨を折っておしまいになるものだから、とうとう彼は対戦からは出禁を食らってしまった。
だが、誰も勝てないのだから、誰にも負けないと、そう高を括っていた。
括っていたのだが。
ラストは目の前で、ブクブクと体型を変える女性を恐怖で見つめていた。
暴力にまみれ、明日の命の保証すらなかった貧民街ですら、こんな目を合わせただけで生死の狭間に揺れ動くような体験なんてまずない。だが、目の前の女性は、服を破き、鋭い金色の毛並みで、ラストを殺さんと襲ってきたのだ。
「ひぃぃぃ、ひぃぃぃぃぃぃ…………!!」
彼はトートから警告を受けていたのに、気付かなかった。
【欲望】と【力】は似たアルカナなのだと。もし【力】に遭遇した場合、理性を蒸発してでも、ライオンにならなければ勝つことはまず無理だということを。
(なれるか!? この女……完全にケダモノになってやがる!! 自分を人間だと忘れてるんじゃねえのか!?)
目の前で女性がライオンに姿を変え、そのまま殺そうと襲いかかってこられたら。どれだけ貧民街で強かろうが、命の危険しかない。
ラストは必死に彼女に噛まれまいと顔は押さえ込んだものの。前足を押さえるには腕の数が足りない。逃げようにも今この元女性に背中を向ければ、死ぬ。
自分もライオンになって対応するか? 考えたが、彼女のように理性が蒸発し、元に戻れる保証もないのに、そのままライオンとして生活するのはごめんだった。
【欲望】の力を持ってしても、だんだん腕が痺れてきた。そろそろ脚も、ライオンに押し巻けそうになっている。
(食われる? 死ぬのか? 冗談じゃない……!!)
だが、今はアルカナカードに触れることすらできず、自分自身もライオンになって元に戻れる保証がどこにもない。
そんな中。
「助けようか?」
ひょいと声をかけてきたのは、先程ボロ雑巾にようにうち捨てた男であった。杖にもたれかかって、かろうじて立っているが、骨が砕けているために、痛みで声を節々が突っ張っている。
「はんっ、俺にすらやられてる奴が、ライオンなんかどうにかできるのかね?」
「一応はね。念のため確認するけど、君はゾーンを溶かすことできるの?」
「ぞーん? とかす?」
ラストは意味がわからなかったが。彼は激痛の中でも、自身のカードフォルダーにどうにか触れた途端に。
学園内の景色が、みるみる内に茶色に塗りつぶされた。
木の椅子。台。そしてその場を支配するのは、ぼろぼろの男。彼は「よっこいしょ……」と言いながら椅子に座りつつ「デネボラさん……今イシスちゃんが旦那さん迎えに行ってるから、もうちょっとだけ待ってて」と、デネボラと呼ばれた雌ライオンに声をかけた。
意外なことに、デネボラは大人しく言うことを聞いて、丸くなって寝そべってしまった。
「……どういう手品だ」
「ゾーン。僕のゾーンの中だと、人は言うことを聞くしかなくなるから……デネボラさんも今はライオンの姿を取っていても人だからね。元に戻すのはちょっと僕たちだと難しいけど
。さて……君、全然大アルカナの力を知らないみたいだけど、ちょっと話をしてもいいかな?」
「なんだ、なにを……」
「ここの議長は僕であって、君じゃないよ? 今、この場の発言力が一番強いのは僕だ。君からは、【黄金の夜明け団】の話を聞かないといけない。もし今ゾーンを解けば、間違いなくデネボラさんは君を襲って食い殺すけど、君が僕にきちんと話をしてくれるんだったら、殺さないようにしばらくゾーンに留めておくことができるけど、どうする?」
あれだけ弱々しかった男が。実際に骨は折れているし、しゃべるときもところどころ呂律が回っていないが。
実際にデネボラが大人しくなったのは彼のゾーンとかいう力のせいだろう。
どうするべきか。ラストの答えはすぐに出た。
「なにを聞きたい?」
残念ながら、ラストは【黄金の夜明け団】について、なんの愛着も未練もなかった。
明日を守るために平気で暴力を振るう男は、暴力を振るわれることに弱い。今ライオンをけしかけられれば間違いなく死ぬし、実際に彼がゾーンを発動させなければ、ライオンはすぐにでもラストを食っていた。
彼は、明日を生きられるのだったら、他のことはどうでもいい。
明後日以降の話なんて、どうでもいいのだった。
****
【欲望】
・アルカナカード一枚指定し、所持者の魔力を食らう
・所持者の力の強化
・ライオンへの肉体変化(自由意志で肉体を変える)
*本来は【力】の上位互換アルカナだったが、ラストがライオンへの肉体変化を拒んだ。
*本来は小アルカナがいた場合は、小アルカナからいくらでも魔力を搾取することのできるアルカナだったら、ラストは暴力装置にしか使っていなかった。
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