聖夜祭前夜

 フリーダ・フォルトゥナ。

 稀代の名女優として名高く、彼女が公演を開けば、そのチケットはたちまちプラチナチケットと化し、販売開始五分で完売という快挙を成し遂げる。

 彼女が主演を務めた『黄昏の巫女姫』は、今や劇団の看板演目となり、たびたび再演が繰り返されている。

 しかしその反面、かのフリーダ・フォルトゥナ本人については謎が多い。

 ストロベリーブロンドの夜会巻きに、プラチナ色の瞳。気品に包まれた言動にもかかわらず、彼女は本名も出自も不明のままであった。

 彼女が今稼ぎ出すお金は、全て彼女の美貌と演技のもの。家柄からのものではない。

 そしてなによりも、彼女がその稼ぎ出すお金で、【黄金の夜明け団】の最高スポンサーとなっているのが、最大の謎となっていた。


「……【世界】のゾーンをもってしても出自不明なんて、ありえますの?」

「ありえるでしょうねえ。だって我々だってゾーンを展開できますよぉ。ゾーンで隠してしまえば、いくらこの国は【世界】のゾーンの中だとて、出自は簡単に隠せるじゃありませんか。それに、【世界】だって【運命の輪】を人海戦術を使わねば特定することすらできないでしょう? いくら国内にゾーンが張れ、情報を閲覧できるとて、できることには限度があるということですよ」

「……まあ、そうですわね」


 タニアとヨハネが車内でゾーンを展開していながらも、車は目的地へと近付きつつあった。

 フリーダ・フォルトゥナの舞台である。

 聖夜祭に向けて、演目は当然ながら黄昏の日を題材とした『黄昏の巫女姫』であり、その舞台にはおそらくは【黄金の夜明け団】の面子も見に来ている。

 ひとつでも多くの情報を持ち帰るために、こうしてふたりは来ていた。

 やがて、車は緩やかに劇場付近の道に停まる。

 ようやくゾーンを解いてから、ふたりは連れ添って劇場へと向かう。辺り一面、社交界で見たことあるような紳士淑女で満ち、それらを見ながらふたりが歩いている中。


「やあ、久し振り。少しだけ話をしたいんだけれど」


 急に角から声をかけられ、タニアは「まあ」と顔をしかめた。


「あなた方と話すことはなにも……」

「いえいえいえ。あなた方の回収も任されていますから。まさかあなた方から会いに来てくださるとは思ってもみませんでしたが」


 タニアは思わずヨハネを睨んだが、同時に彼女はアイオーンが入念にルヴィリエの預言を精査して、計画を立てていたことを思い出す。


(……てっきり回収するのは……それとも、わたくしの思っている以上に、回収する人数は多い?)


 考察するより先に、彼女の口からは嫌みが飛び出た。


「……チケット、枚数は足りますの?」

「私、一応神官長なんですよ。神殿へ幾許か寄付されていますから、余裕で足ります」

「……そうでしたわね。この演目、完全に神殿側の演目ですものね」


 それ以上はなにも言うことがなく、ヨハネの目的の面子を回収して、舞台へと急いだ。


****


「トートさんトートさん、やりましたよぅ!」


 パタパタとアテュが走ると、トートと呼ばれた白いタキシードの男が顔を上げた。


「ほう? アテュ。潜入ご苦労。悪い学園アルカナの面子になにもされてないな?」

「手癖の悪い奴に会って、あいにくアルカナを取られかけたんですよぅ。カードフォルダーを腰にチェーンで留めてたんで無事でしたけど」

「そりゃ災難だったなあ? それで、抜けた情報は?」

「はぁーい」


 既に舞台袖には俳優たちが集まり、大道具小道具がスタンバイして、演目のたびにそれらを切り替える作業に移っている。

 荘厳な音楽が響き渡り、観客席から拍手が鳴り響いている。

 主演で立っているフリーダの美しさに、誰もが釘付けになっている。

 かつてこの世界を見捨てた憐れな巫女姫の末路を、悲劇的に演じている。

 この世界が歪んだ原因。そしてこの世界の再起のためにやらなければならない原動力。

 そのためにも、この演目は必要だった。

 アテュの持つ【調整】のアルカナによる預言の情報を、トートは黙って聞いていた。


「……そうか、【運命の輪】が見つかったか」

「でもその子、学園アルカナに革命を起こしておきながらも、【世界】を殺すこともせずに、普通にのうのうと学園生活送ってるんですよぉ……どうします? 味方に引き入れるには決め手に欠けますけど」

「いいや? 彼女は仲間に引き入れよう……【世界】の圧政に反逆した気高き少女だ。我々の施行にも、きっと賛同してくれる」


 トートの言葉は、軽薄にも関わらず、不思議と重みのある声色をしていた。

 それこそ、台詞を話すフリーダの不思議な声色と同じく、誰もが聞き入れてしまうような、危うい声の色だった。


「諸君。我々はついに、あの圧政を敷く【世界】をはじめ、五貴人と名乗る不届きなこの国の病巣にメスを入れるときが来た。聖夜祭。そのときこそ、この国は大きく変わるのだ……黄金の夜明けのために!!」


 舞台上の歓声と、集められた真っ白な装束の面々の歓声は、ほぼ同時であった。


「黄金の夜明けのために」


 彼らは凜々しく声を上げた。

 彼らは自らが行うことは聖戦であり、この国を正しい方向へ導くものなのだと、信じて疑っていない。

 それぞれの真っ白な衣装は穢れなき証拠。

 黒いトゥニカやカソックに似た学園アルカナの制服と反対の色を着た彼らは、いよいよ学園アルカナに攻め込もうと考えていた──……。


****


 学園アルカナは戦場になる。

 このことを既に知っているのは、生徒会執行部面々に五貴人、革命組織、そしてそれに連なる者たちに学園運営側である。

 学園運営側は、既に非戦闘員である生徒たちの保護のほうに向かっているし、聖夜祭を穏やかに過ごせるようにと、寮で足止めの準備にかかっている。

 その中で、スピカとアレスの配置が決まった。

 ようやくいろいろと指示を飛ばしていたカウスは、寝転がって体力魔力温存の体に入ったのを見て、編成が終わったのだなと察する。


「……遊撃、ですか?」

「そうだ。【星】にしごかれて、少しはできることが増えたんだろう?」

「ハハハハ……」


 タニアにしごかれ、ゾーンをつくり続けてなおかつ維持する羽目になり、魔力も魔法のコントロールも五貴人居住区襲撃よりはだいぶ様になったとは思うが。

 それでもいざというときにできるかどうかはわからない。

「あと」とカウスは、スピカを見た。


「貴様、フリーダ・フォルトゥナは任せる」

「……はい?」


 唐突な宣言に、スピカは目をパチパチさせる。アレスも、唐突なカウスの申し出に、困惑の目で彼を見た。


「あのう……カウス先輩? フリーダ・フォルトゥナを捕縛拘束っつうことでいいんでしょうか?」

「単純に相性の問題だ。他の連中だと貴様らでは荷が重いが、あの女ならやれるだろうと。あとあの女は、【黄金の夜明け団】の中でも切り札だ。あの女は絶対に逃がすな」


 あちこちで飾られた彼女の絵を思い返す。

 ピンクブロンドの美しい女性は、真っ白なイブニングドレスに身を包み、今頃は神殿に伝わる聖書をモチーフにした舞台で主演を務めている頃合いだろう。

 その彼女と、なぜかスピカが対峙させられている。


「ええっと……他の面々は?」

「それは生徒会にでも任せておけ。取りこぼしは革命組織が始末する。あと、今回は本当に魔力は消耗戦だ。デネボラにはあちこち走らせて魔力の貸出はするが、くれぐれもエリクシールの供給があると思うなよ」

「あれ? 前に五貴人居住区に潜入するときは、アセルス先輩がくれましたよね?」


 たしかにエリクシールは万能薬であり、相当の富豪でなければ手に入らないものだ。それをホイホイくれたアセルスもかなり人がいいんだろうが。

 カウスは顔をしかめた。


「あいつに今回は任せてやるな。あれは可哀想だ」


 意図がわからないまま、ふたりは「わかりました」とだけ答えた。


「そういや、なんかつくるっつってたけど、できたのか?」


 寮に帰る際に、アレスにそう尋ねられて、スピカは小さく頷いた。


「一応は」

「ふーん。まあ、楽しみにしてるわ」

「聖夜祭……少しでも一緒に過ごせる時間があるといいよね」


 そうスピカが小さく言う。それにアレスはちらりと彼女を見た。雪こそ降り積もらないものの、今日は冷え込む。

 スピカは震えて縮こまるのに、アレスは手を出して彼女の手に指を絡めた。きゅっと握ると、末端が冷え切って真っ白になっていた彼女の手にも、少しだけ熱が戻る。


「明日頑張れるように、キスしておく?」


 アレスの問いかけに、スピカは小さく頷いた。

 彼女の前髪をすいて、そこにアレスは唇を落としたあと、彼女の赤くなった頬、鼻先に落とし、最期に軽く彼女の唇を食んだ。

 大人しくされるがままになっていたスピカは、彼の袖をずっと掴んでいた。


「……私、フリーダ・フォルトゥナ探し出せるかな……」

「わかんね。俺も付き合うから」

「……うん。ありがとう」


 正直、不安しかなかった。

 生徒会執行部に籍を入れたままのスカトとルヴィリエは「預言が変わるかもしれないから」と、どこに配属になったのかを教えてもらえなかった。

 カウスもなにやら歯切れが悪いし、そもそも五貴人は全員学園内に残っていない。

 この唇の温度にかけて、どこまでやれるか走るしかないのだ。

 ……頑張ることなんていつでもやっている。安寧のために、走るしかない。

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