星占術と吊るされた先輩
どうにか校舎に向かい、教室でホームルームを済ませてから、授業へとそれぞれが向かう。共通授業以外はほぼ被っていないため、スピカはそわそわとする。
「大丈夫? 先生に行って、選択授業の変更言う?」
ルヴィリエに心配されるが、スピカはぶんぶんとストロベリーブロンドの髪を揺らす。
「大丈夫。私、本当に魔法について全然知らないから。せめて王都の平民レベルになってくる」
「そうか……もしなにかあったら、いつでも僕たちを頼ってくれ」
スカトもまた心配そうにスピカを見る中、アレスだけが「あのなあ……」と呆れた顔をしてみせた。
「こいつも俺らと同い年で、幼女でもなんでもないだろ。自分のことは自分でできんだろ」
「だが彼女、魔法のことが……」
「今まで使えなくっても生きていけてたし、アルカナ集めだって授業中に先生の目を盗んではやらんだろ」
そう言いつつも、アレスはスピカにそっと耳打ちをした。
「とりあえず、なんかあったら先輩に頼れよ。アルカナ集めに巻き込まれそうになったら、授業中断してでも逃げろ」
「うん……ありがとね」
三者三様に心配と激励の言葉をもらってから、スピカは教科書と筆記用具を持って授業へと向かった。
(心配かけちゃったなあ……うん、アレスの言う通り、アルカナ集めにさえ巻き込まれなかったら大丈夫だろうし。私の取った授業は基本的に基礎教養ばっかりだから、アルカナ集めをしたがるような先輩たちはいないと思うし……)
そう思いながら、スピカはそわそわとしながら教室へと急いだ。
****
基礎教養として、魔法歴史学、神殿学、魔法基礎教養などを取り、それで早速スピカはへこたれそうになる。
(……これ全部、暗記じゃない。こんなにたくさん、覚えられるものなの……?)
魔法についての知識がほぼないスピカからしてみれば、王都の基礎教養の量に愕然とし、それらに普通に触れていた王都の人々にさらに愕然としていた。これらは平民であるアレスすら学校で学んでいた計算になる。
どうにか覚えやすいようにと、教科書の必要項目に赤線を塗り、あとで暗記用ノートをつくろうと思いながら、スピカは歩いた。
次は今までの比にならないくらいに、ひたすら暗記をしなければならない星占術である。
(なんで魔法に星座の暗記が必要なんだろう……訳がわからないよ本当に……)
スピカは頭の中で文句を言いながら教室に入ったとき。
なにかがぶら下がっていることに気が付いた。
「え……」
頭上を見て、目を見張った。人がロープでぶら下がっているのである。ぶら下がって……教室で……。
スピカは一瞬頭が真っ白になるが、ときどき教会にシュルマの説教を受けに来た人が起こした事件で、慌ててシュルマが救出に出かけているのが頭を掠めた。
……教会に人生相談に来るほどに思い詰めている人は、天井からロープでぶら下がることは、すなわち。
「し、しっかりしてください! 早まらないで!」
スピカはおたおたと教科書とノートを手前の席に置くと、どうにか机の上に乗って、隅の掃除道具入れからモップを取り出して、ぶら下がったロープを降ろそうと試みようとしたところで。
「お待ちください。死んでません」
「へ……?」
「しゃべれているでしょう? ロープを首に括り付けていたら閉まって声が出ません」
ぶら下がっている人がひょいとスピカのほうに顔を向けてきた。
癖のついたくすんだオールドブロンドに、目の下に隈を浮かべたやつれた頬。鋼色の瞳は世を儚んでいるように見えなくもないが。
ロープはたしかに首ではなく、何故か足首に括られ、天井にぶら下がっていた。全体的なボサボサ具合でミノムシに見えなくもない。
それにほっとして、スピカはモップを持ったままへたり込んだ。
「よ、よかったぁ……」
「そんなことより、あなたはここになにしに?」
「ええっと……星占術の教室ってここですよね?」
「たしかにそうですけれど……あなた、新入生ですよね。どうしてこのような授業を? 既に中等学校で終わらせたかと思いますが」
そう執拗に言う先輩に、スピカは「あれ」と首を捻った。
(私が取ったのは全部王都の基礎教養だって聞いた上で入れたんだけど……星占術だけ扱いが違うものなの? もっと基礎教養過ぎてお前常識がないんかバーカという扱いなの? それだったらもっとアレスあたりから馬鹿にされてたと思うんだけどな)
実際に自分の時間割を見せても、アレスは「ふーん」以外になんの反応も示していなかった。口が悪いが面倒見のいい彼は、思うところがあったら絶対に口にするはずだが、なにも言っていなかったのだった。
「ええっと……私、王都の外出身なんで、あんまり魔法に触れずに育ったから、ちゃんと魔法について勉強しようかと思って、基礎教養取りました。はい」
まさか、アルカナカードの使い方も魔力の増やし方もわからないから勉強したいなんて本当のことは言えず、当たってはいないが間違ってもいないことを口にすると、ぶら下がった天井の先輩は「ふむふむ」とやつれて尖った顎に手を当てて考え込んだ。
「……たしかに、それなら新入生がいてもおかしくないでしょう。ただ、できれば僕の下で授業を受けたほうがいいでしょうね」
「ええっと?」
正直、天井にぶら下がった人が気になるから、この人の真下で授業を受けたいなんて思わないんだがとスピカは思ったが、この先輩に無下な反応をすべきか迷った。
(生徒会執行部の人も、さすがにこの人を生徒会に入れてはいないと思うんだけれど……天井にぶら下がっているし)
生真面目なイブのことを思い浮かべ、彼女だったら絶対に目を釣り上げて「授業中に天井にぶら下がるとはなにごとですか!?」と怒るだろうと想像した。
スピカの想像はさておいて、天井にぶら下がった先輩は続ける。
「基本的に王都では、星占術は初等学校から中等学校にかけてカリキュラムを終えていますから、よっぽど基礎教養を再び履修したいと思う者か、単位不足のために単位取得のために取りに来る者しか取りません」
「ええっと……つまりは」
「……端的に言って、この授業を取る者は問題ありな者しかいません。絡まれたくなければ、大人しく僕の下で授業を受けなさい」
「えっ」
それにスピカは顔を引きつらせる。
「……あのう、ここ。大アルカナ中心の学園ですよね?」
「そうですね」
「授業、そんな問題児しか来ないんですか?」
「普通に単位が取れる生徒はこの授業取らないと言ったでしょう」
「先輩は? ええっと……お名前お伺いしても……」
「……ハングドマン」
「はあ?」
ハングドマン《吊るされた男》なんて苗字あるかあとは、さすがに王都の常識にも魔法の常識にも疎いスピカにすらわかる。
「ユダ・ハングドマンですから、ユダでもハングドマンでも、お好きにどうぞ」
「はあ……ユダ……先輩……?」
後輩に本名教えられないほど、この人もまずい人なんだろうか。
スピカはもう仲良くなった新入生カルテットに戻りたくなっていたが、魔力を増やさないことには、この学園を生き残れないし、最悪の場合自分ひとりでアルカナ集めに遭遇したら逃げなければいけないのだ。授業くらいひとりで受けられるようになるべきだろうと考え直す。
「よ、ろしくお願いします」
「ええ……」
それから程なくして、生徒たちが教室に入ってきた。
ユダの警告通り、どうにも柄の悪い生徒ばかりが入って来て、スピカは引きつった口元が見えないよう必死で教科書で覆った。もっとも。
スピカの頭上の人間に誰も関わりたがらないせいか、どう見ても真新しい制服を着ているスピカに対して視線は向けられるものの、誰ひとりとしてちょっかいはかけられなかった。誰もスピカの頭上のユダに関わりたくなかったせいだろうか。
これもまた、暗記しなければならない授業だからと、いちいちノートを取っては赤ペンで書き込みを加えつつ、スピカは考え込んだ。
授業が終わり、一応スピカはユダにお礼をした。
「あの、ありがとうございます。おかげ様で、誰にも絡まれずに済みました」
「そうですか、それはよかったです……どうぞお気を付けて」
「……あのう、ユダ先輩のアルカナって、普通に【吊るされた男】でいいんでしょうか?」
「そうですね。逆にこれだけ【吊るされた男】だとアピールしているのに、実は【皇帝】だったら嫌かと思いますが」
「そ、そうですね……あのう、この天井にぶら下がっているのは、アルカナの能力かなんかなんでしょうか?」
「あなたみたいな変わり者以外に話しかけられないでしょ。変人のふりをすれば、大概の常識人を捌ききれますから……そろそろ昼食ですから、早くお友達のところにでもお行きなさい」
「あ、ありがとうございます……」
何故かユダに「変わり者」認定されてしまったことに、スピカは釈然としなかった。
ただスピカを眺めるユダは、やつれた顔にはそぐわぬほどの、穏やかな笑みを向けられていたことは、彼女は知らない。
「……どうぞ、壮健でありますように」
****
生徒会執行部。
学園アルカナの権力は専ら五貴人に集中し、その五貴人が実行部隊として命令をしているのが生徒会執行部であり、学園のありとあらゆる情報が送られてくるが。
その中で、入学式早々に行われたアルカナ集めの情報の集計が成されていた。
「……アルカナカードの計算が合わない」
そうイラついた声を上げるのは、会長のオシリスであった。大量の紙束を見続けたせいで目がしぱしぱとして、メガネを取って、少しだけ目を細める。
それにイブが「会長!」と手を挙げる。
「カード奪取成功した生徒を捕縛し、カードを吐かせますか?」
「……イブ、すぐに暴力沙汰にするのは止めろ。この間も独断で革命組織の隠れ家に殴り込んでいっただろ。路地裏の連中をいちいち刺激するな」
「どうして会長は革命組織を庇うんですかぁー! あの人どう考えたって平民を悪の道に引きずり込む悪辣非道な人ではないですか! 野放しにするのは倫理に反しますよぉ!?」
「イブちゃんイブちゃん、それだけじゃあ平民の皆さんの心を慰めることはできないわ」
そうイブをたしなめるのは、背中までのプラチナブロンドをハーフアップにした深紅の瞳の美女であった。制服を着ているだけでも気品が漏れ出て、派手ではないが目を見張るほどの気高さが漂っている。
「イシス先輩……ですけどぉ」
「今回のアルカナ集めは、なにも学園の秩序を乱そうとする革命組織の皆さんを懲らしめようってことだけではないのよ。平民の皆さんにも夢を与えて、自分たちものし上がれるという希望を胸に学園生活を送ってもらうものですもの」
「ですけどぉー……既に新入生が襲撃されたって例も出てるじゃないですかぁ。いくらなんでも新入生が入学式早々にアルカナカードを失っては、学園生活を送れないじゃないですかぁ……」
「だから、それがおかしいんだよねえ」
イシスの言葉を継いだのは、ブロンドの髪を編み上げたいかにも軽薄な雰囲気の青年であった。
彼は続ける。
「もしアルカナカードが持ち主から離れたら、その分だけ魔力の供給が途切れる。つまり学園内での使用可能な魔力が減る。いくら上等な万年筆が何本あっても、インクが入ってない万年筆は使えない。だから実際に使用可能な万年筆の数は減るはずなんだけれど」
「……減ってないってことですか? それ、普通におかしくないですか?」
アルカナカードを奪われたら、普通に学園内の使用可能な魔力量が減るはずだが、減っていない。つまりそれは。
「……誰かがアルカナカードを勝手に補給している」
学園内の魔力量の計算を終えて、オシリスは苦々しく告げる。
「……五貴人がまた勝手にやってるんだねえ」
軽薄な口調でエルナトは言うと、イシスは心配そうにオシリスを見る。
「どうするの? まだ初日でこんなおかしなことをされて……五貴人を放置しておく?」
「……【世界】がなにを考えているのかはわからんが、今は放置しておけ。どうせあれははしゃいでいるだけなんだから」
どうにも先輩たちはなにやら事情がわかったようだが、イブは訳がわかっていない。
「ええっと……現状を放っておいてもいいんですか? 誰か殴ったほうがいいんですか?」
「だから今は誰かを殴る方向は止めておけ……だが、問題児がこの現状に乗じておかしなことをしないよう、監視だけは頼もうか。頼めるか?」
オシリスに言われ、イブは目を輝かせる。
「はい! 生徒会執行部の名にかけて!」
「かけるなかけるな」
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【吊るされた男】
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