歪と友情

 この国の貴族は、アルカナカードの強さが物を言う。

【世界】を筆頭に、【審判】、【太陽】、【月】、【星】と並び、それらは五貴人と呼ばれて学園内だけでなく、国内でも物を強く言える立場となる。

 そして強い栄華の代償として、代々大アルカナが誕生し続けなければいけなかった。

 カウスの実家が大アルカナが出なかったばかりに貴族の爵位を剥奪され平民に落ちたように、一部の貴族は大アルカナが生まれないばかりに平民から大アルカナをひっそりと買い取るようなことまでして、どうにかして家を守ろうとしていた。

 アルカナカードの強さが物を言う。

 つまりは、たとえ大アルカナが生まれなくとも、大アルカナの種類によっては、侮蔑の対象となるのであった。


****


 サダルメリク家の三男が待望の大アルカナだったものの、よりによって持って生まれた大アルカナが【隠者】だったがために、家族から大変に残念扱いされたのは、スカトはよく覚えていた。

 おかげで貴族階級しか行かない初等学校にはほぼ行かず、下町で油を売っている生活を続けていた。ただでさえ下町は貴族に対して恨みつらみが募っているため、貴族のシャツやスラックスなんかで出かけたらたちまち追い剥ぎに襲われて最悪売り飛ばされてしまうため、彼は庭師のお下がりのくたくたになったシャツとオーバーオールを着て、下町をふらふらしていた。

 平民の格好さえしていたら下町の人々は親切で、文字の読み書きやかけ算すらうろ覚えだったスカトの面倒を見てくれたのは、下町の飲んだくれや洗濯物を干している主婦であった。

 彼はそこで最低限の知識を学び、ときどき荒れた人々がやってくるのを拳で解決するようになっていった。

 初等学校をほぼまともに行かずに、時間が経過した。

 あまりにも扱いが悪かったサダルメリク家でも、生まれてきた大アルカナなのだからまともな教育をしようとようやく本腰を入れたのだが、それまでの侮蔑と放置がひど過ぎたので、当然ながらスカトは戻らなかったが、ある出会いにより彼の人生は少しだけ変わった。


「なんだ、大アルカナのガキがなんでこんなところにいる?」


 その声を聞いた途端、スカトは言った相手を殺そうと思った。

 当時荒んでいたスカトは、悪口を聞けば、対象が自分だろうが自分以外だろうがとりあえず拳で沈めていた。スカトは殴り飛ばそうとしたが、その相手に首根っこを掴まれた上に、投げ飛ばされてしまった。

 相手の長い髪が揺れる。

 スカトは一瞬訳がわからず、目を瞬かせていたが、その自分を投げ飛ばした張本人は金色の瞳でじっとこちらを見ていた。

 年はスカトよりも五つほど上だろうか。まだ少年の面影を残していたものの、子供のスカトよりはどう考えても手足は長く、おまけに筋肉の量は彼のほうが上だった。


「……どうして、僕のことがわかった」


 スカトがそう聞くと、青年は「はあ……」としゃがみ込んでスカトに顔を見合わせた。


「貴様、わかってねえのな。大アルカナかどうかくらい、隠しとけ。大事なもん、カードフォルダーにも入れずに剥き身で尻ポケットに入れてる奴があるか。スられたらおしまいだろうがよ」

「あ……」


 当時スカトは、大嫌いな【隠者】のアルカナカードにカードフォルダーの用意すらしていなかった。おかげで彼のアルカナカードは人よりも皺がついてしまっている。

 青年は言う。


「おまけに【隠者】と来たもんだ。格好いいじゃねえか」

「……格好いい? 戦う力すらないのに?」

「なんだ。貴様誰かにそう言われたのか?」

「……父上も母上も、兄上たちも、『僕の大アルカナは弱い。がっかりだ』と言っていた」

「はあ。そりゃそいつらの目が節穴なんだろ」


 青年はあっさりと言う。


「大アルカナに弱いカードなんてある訳ねえだろ。あるのは、手持ちのカードを使いこなせるか、使いこなせないかだよ。貴様の【隠者】のカードは、たしかに戦いにゃあ向いてねえ。巷で起こってるようなアルカナカード同士の殴り合いにゃ向いてねえが、まあそれだけだ。そっちは貴様の拳で補えばいい」

「……じゃあ、どうやって戦えばいいんだ?」

「もうちっと賢くなれや。少なくとも貴様は実家が太いんだろ? その実家の太さを利用してやれ。それに、大アルカナを持っててある程度魔力を持ってるんだったら、その内学園アルカナからお呼び出しがかかるだろうさ」


 スカトはそれに目を見開いた。

 家族からはさんざん罵倒と侮蔑の言葉しか投げられなかったが、彼の拳は下町の人々を助けていた。そして通りすがりのこの青年は、あっさりとスカトの【隠者】のカードを肯定した。


「……あんたは、誰?」

「俺か? カウス。一応学園アルカナのお呼び出しを食らったから、秋になったらひと足先に入ってるわ。どっちみちしばらくはあそこに滞在予定だからな。貴様が召喚された場合は会うこともあるだろうさ」


 そう言って、カウスはにやりと笑うと、スカトに手を伸ばして立ち上がらせてやる。

 スカトはカウスを見る。まだ彼に身長でも体格でも……彼の大アルカナがなにかは聞かなかったが、大アルカナの強さでも……かなわないが。

 そんな自分でも学園アルカナに行けるんだろうか。


「僕も学園アルカナに行けますか?」

「召喚されたらな? その辺りは【世界】にでも聞け」

「僕は……! あなたに会えたら、そのときはあなたに……!」

「ガキが適当なこと言ってんじゃねえよ。貴様はせいぜい、大アルカナのダチでもつくれ。学園アルカナだったら、貴様と相性のいい奴らのひとりやふたりいるだろ」


 そう言って、立ち去ってしまった。

 思えば下町にずっといたのも、家にいても孤独が増すからだった。しかし、家の力を遣わなければ、自分の魔力は強くはならない……学園アルカナに召喚されることがない。

 それからスカトは、実家に頭を下げると、学校に行かない代わりに家庭教師を雇ってもらって基礎教養のやり直しと魔法の稽古に躍起になった。

 元々スカトは若い上に、最低限の読み書きだけは下町の人々に教えてもらった。彼には伸びしろしかなかった。

 かくして、彼は中等学校までの勉強の終了と、魔力を鍛えて増やしたことによる規定量の魔力の確保により、学園アルカナへの召喚が決定したのである。

 彼を蔑んでいた家族が一転して賞賛の声にも、「サダルメリク家の誇りだ!」という感嘆の声にも、彼の心は凪いだままだった。

 ただもう一度カウスに会いたい。学園アルカナで留年するみたいなことを言っていたが、彼がどうして学園アルカナにずっといるのかを聞いてみたい。彼の胸にあるのは、それだけだったのだ。

 最初は、本当にそれだけだったのだ。


****


「……僕は、馬鹿だ」


 思わず駆け出した先は、寮の中庭だった。まだ登校時間には早いせいで、生徒は誰も歩いていない。

 平民のような生活を送り、平民の友達を得て、毎日の学園生活を謳歌する。

 スカトはまともに学園生活を送ったことがなかったために、学園アルカナでの生活が初めての学園生活だったが。先輩の悪気のない言葉で、無残にも彼の夢は打ち砕かれてしまった。

 平民で貴族の横暴にさらされてきたアレクは、貴族も王族も嫌いと公言して憚らなかったし、そもそもスピカは平民しかいない町出身のために、貴族というものを見たことがなかった。ルヴィリエがどうして貴族出身なのかを言わなかったのかはわからないが、彼女自身、ただ波風を立てずに学園生活を謳歌したかっただけなように見える。

 それを自分は壊してしまった。


「……カウスさん、すみません。僕だと、やっぱり友達つくるの、無理みたいです」


 一度しか会ったことのないカウスにひとり、ただ謝罪の言葉を重ねていると。


「あれ、スカトもカウス先輩のことを知ってるの?」

「え……」


 振り返ると、この数日ですっかりと見慣れたストロベリーブロンドの髪が見えた。

 スピカは皆で分かれてスカトを探していたのだ。


「君もカウスさんのことを知ってるのか?」

「うん。昨日助けてくれた。いい人だったね」

「そうか……君は、貴族のことをなんとも思わないんだな」

「うーん、町で路地裏以外で買い物できない以外で、今んところは不満がないからかな? 私の町、本当に貴族を見なかったから。いないものに対しては、どんな感情も向けられないから」

「……隠してたこと、責めないんだな?」

「うーん……アレクだったら責めるかもわかんないけど」


 スピカは頬を引っ掻く。


「知られたくないことって誰だってあると思うよ? 私だってあるし、多分アレクだって、ルヴィリエだってある。嘘偽りなくなんでも話しましょっていう人だっているけどさ、それって嘘偽りない言葉をまるごと抱えられる相手じゃないと、相手を押し潰しちゃうじゃない

。それってきっと、友情に限らず人間関係を壊しちゃうよ。そこまでして言わないといけないことってなくない?」

「……僕の場合、そこまで重い物ではないけど、知られたくないことだったから」

「なら、スカトが言いたくなったらいいなよ。教えてくれるんだったら聞くし、今は言いたくないっていうんだったら待つからさ。ここは触れてもいい、ここは触れちゃ駄目って線引きするのだって、友情でしょう? だって、それは線引きしても信じられるってことなんだから」


 そう言ってスピカは笑顔を向ける。それに少なからずスカトは安心した。

【愚者】はほぼ小アルカナと同じ扱いを受ける大アルカナだが、彼女はそれを気にするそぶりもなく元気に行動し、同じ大アルカナのアレクと共に行動している。

 今はそれでいいんだろう。そう思っていたところで。

 べしっとなにかが投げつけられた。思わず受け取ると、それは先程食べ残した朝食だった。

 スカトを探し回っていたアレクとルヴィリエもまた、中庭に到着したのだ。


「お前全然食べてねえだろ。昼までもたねえだろうから教室向かいながらでもいいから食っとけ」

「もう! さっきの先輩の発言聞いていきなりいなくなるんだから、もう!」


 ふたりとも呆れたり怒ったりしてはいるものの、遠巻きにするようなそぶりはなかった。

 スカトはじんわりとしたものを感じた。


「……ありがとう。友情っていいもんだな」

「はあ!? なにいきなりくっさいこと言ってんだよ!?」

「でもアレク、顔赤いよ? スカトのこと心配してたもんね。貴族嫌いって公言して憚らないのに」

「うっせえうっせえ! 別にいいだろ、それくらい。こいつが手は出るし乱暴だけどいい奴だくらいは俺にもわかるわ」

「よかったじゃない」


 いつものようにアレクとスピカがギャーギャー言いながら騒ぎ立てているのを尻目に、ルヴィリエはスカトに尋ねた。


「そういえば生徒会執行部にスカウトされた奴、あれどうしようか。先輩にきちんと断りを入れないと、また来そうだし」


 あの絶妙に空気の読めないイブを、スカトとルヴィリエは頭に思い浮かべた。あれは言葉を濁したらしつこく食い下がってくる奴だから、すっぱりとお断りしないといけない。

 スカトは頷いた。


「先輩を見つけたら、断っておこうか」

「了解了解。うん、私も忙しくなって学園生活楽しめなくなくなるの、やだもの」


 そこで話はまとまった。

 生徒会執行部には入らない。こうしてスカトとルヴィリエの答えは出たのだが。

 それは反故するだろうことを、このふたりはまだ考えすら至らない。

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