悪魔で襲撃・1

 長いと思っていた午前の授業もどうにか終え、皆と待ち合わせてしている食堂へと、スピカは駆け足で向かう。

 各移動教室を繋いでいる廊下を突っ切り、中庭に面している廊下を歩いていると。

 中庭に見覚えのあるシルクハットに杖が見え、それをスルーすべきか否かを彼女は悩んだ。

 今朝は姿を見せなかった、不審人物のナブーであった。もっとも、天井からぶら下がっているユダに出会ったあとだと、彼の不審人物ぶりはユダよりはましな気がする……いや、同じくらいな気がする……いやいや。

 スピカがグルグルと考えていたら、「やあ、いい天気だね」と被っていたシルクハットを外してナブーのほうから挨拶されてしまった。

 見て見ぬふりができなかったスピカは、観念して彼の傍に寄っていった。


「こんにちは……今朝は見ませんでしたね?」

「いやいや。せっかくアルカナ集めが開始されたのだから、好カードの戦いを見学に行っていた次第さ。君たちも早速襲われたようだけれど、無事でなによりだよ」

「無事……まあ無事でしたけど。でもどうして襲われたってわかるんでしょうか?」


 スピカはナブーをじぃーっと見つつも、困惑していた。


(カウス先輩は、ナブー先輩は敵に回すのも味方にするのも止めておけって言っていたけど……そもそもこの人、どうして私たちが戦っていたことを知っているんだろう。カウス先輩の言っていたゾーン……の使い手、とか?)


 どうもカウスの言い方からして、生徒会や五貴人すらも彼を敵に回したがらないから放置しているのだから、すごい人なのだろうとは思うが、当の本人はどう見ても不審人物なため、スピカは困惑したままであった。

 スピカが困り果てていることに気付いたのか、ナブーは含み笑いを浮かべる。


「まあ、【魔法使い】だからね。学園内のことは大概耳に入るのさ」

「答えになってない……ような」

「手品の種はそう簡単に明かさないものさ。考えてみればすぐわかる話だしね。さて、後輩で早速防衛を成した君にひとつ耳寄りな話を聞かせてあげようか」

「はあ……」


 白塗りの化粧の施された顔をにゅっと近付けるので、スピカはどうしても及び腰になる。それを気にせず、ナブーはにこやかに告げる。


「……【世界】が君たちに興味を示したようだからね。悪魔に気を付けなさい」

「悪魔……【悪魔】!?」


 スピカはナブーの警告に、顔を引きつらせた。

 昨日のカウスの言葉を思い出したのだ。


(【悪魔】には関わるなって、カウス先輩言ってたじゃない……! しかもどうしてこの流れで【世界】が出てくるの……!?)


 スピカの歯がガチガチと鳴った。【世界】に目を付けられたことに、【悪魔】に気を付けろの警告で、彼女の体を恐怖が占めようとしたところで、ナブーのおかっぱが揺れたことに気付いた。


「ほら、君の友達が来たよ」

「……ええ?」

「スピカ!」


 授業を終えたばかりのアレスとスカト、ルヴィリエが走ってきたのだ。

 そこでようやくナブーは杖を手首に引っ掛けて、シルクハットをかぶり直した。


「もうわたしが守ってあげる必要はなさそうだね。頑張りなさい」

「え、ええ……?」


(もしかしなくっても……私が他のアルカナ集めに参加している先輩たちに襲われないように、見てくれていたの?)


 ナブーがなにを考えているのかさっぱりわからないが。


「ナブー先輩、ありがとうございます」


 彼はにこりと白塗りされた口元に笑みを浮かべたあと、そのまま先に食堂へと向かってしまった。

 それと同時に、ルヴィリエにがばっと抱き着かれた。


「スピカー、大丈夫だった!? まあ、ナブー先輩はなんもしないみたいだったけど!」

「ええ? うん。なんとなく、無事だった。基礎教養ばっかりだったから、人もそんなにたくさんいなかったし……ただ私の勉強が大変なだけで」

「そっかあ……!」


 スピカはよしよしとルヴィリエのブルーブロンドの髪を撫でつつ、ふたりのほうに顔を上げた。


「授業どうだった?」

「あー……俺らは何度かアルカナ集めに襲われた」

「うん。全部のしたけどな」

「のした」


 平然と言うスカトにスピカの目が点になっていたら、アレスは呆れ返った顔をしてスカトを見ていた。


「こいつ、先輩たちの襲撃を全部拳で回避したんだよ。カード使ってねえ」

「仕方ないだろ。僕のアルカナは戦いに向いてないから、拳で終わらせたほうがいい。実際に生徒会にだってなにも言われてない」

「ええ……自己防衛だから?」


 スピカはスカトがあまりにも堂々としているものだから、唖然としていた。スピカに抱き着いたまんまのルヴィリエはぷりぷりと怒る。


「もーう! 危ないことは止めてってば! スピカ、絶対に真似しちゃ駄目よ、そんな野蛮な方法」

「しないけど。でもルヴィリエは平気だったの?」

「私? 全然。どこかの教室で派手にやってるなあとは思ったけど、巻き込まれなかったもん」

「ふうん。ルヴィリエは結構運がいいね? 私も変な先輩がいなかったら因縁付けられてたかもだし」

「変な先輩?」


 皆で食堂に移動がてら、スピカはひとりで受けに行った授業の話をしていた。天井にぶら下がっていたユダの話で、皆一様に首を捻っていた。


「ええ……この学園に通うのに偽名ってありなのかよ」

「天井にぶら下がってるのはいいの?」

「生徒会執行部が許可を出しているのならいいんじゃないか」

「天井にぶら下がってるのはいいの?」

「もーう、なんでスピカには不審人物というか危険人物ばっかりホイホイするのぉー!!」

「うん、やっぱり天井にぶら下がってるのはおかしいよね。王都じゃ普通じゃないんだよね」


 食堂は相変わらず閑散としている。貴族は皆寮の自室なり、町で食べるんだろうかというほどに、食堂は平民や変わり者以外は使っていないようだった。

 皆で銘々料理を頼んで、それを大きなテーブルに囲んでもりもりと食べる。大きな肉の入ったスープを、肉を取り分けながら食べつつ、話を続ける。


「【吊るされた男】ってどんなアルカナなの? ユダ先輩は変わってる人だなあということ以外わからなかったんだけど」

「俺も会ったことねえからわからん。つうかその人、カウス先輩に関わるなって言われてなかったか?」

「あ……!」


 そういえば、カウスから関わるなと言われたアルカナのひとりであった。あまりにも変わり過ぎた人だった上に、どういう理屈か助けてもらったために、うっかりと忘れていたが。

 それに「カウス?」とスカトは眉を跳ねさせる。


「君たち、カウスさんを知ってるのか?」


 ルヴィリエはわからない顔のまま、スープの染みた肉を齧っている。

 スカトの問いに、スピカとアレスは顔を見合わせてから、大きく頷いた。


「路地裏で迷子になってたら助けてくれた」

「そうか! あの人はすごくいい人だ! 元気だったか!?」

「ああ……なんかスカトが先輩を探してると思ってたら、スピカたちの知り合いだったの」


 ようやくルヴィリエは納得いったようにスープを飲む中、スカトは目を輝かせている。


「うん。いい人だった。でも普段は学園内じゃ見ないね?」

「あの人の考えは深いからな!」

「深い人は授業さぼってるものなの……?」


 そう四人でぐだぐだと会話をしている、そのときだった。

 ルヴィリエはスピカの置いていたフォークに擦れて落としてしまった。


「ああ、ごめんね!」

「いいよ。ちょっと交換してもらってくるね」


 スピカは床に滑り落ちたフォークを拾いに屈んだとき。

 ジュワッ! と急に焦げ臭いにおいが鼻についた。


「……ええ?」


 スピカが頭上を見ると、スピカの今ちょうど座っていた場所が焦げている。

 ルヴィリエががたっと立ち上がって、頭上を見上げている。


「危ないじゃない!!」

「えー……危なくしてるんだからぁ、危なくしないと意味がなくなあい?」


 そう言って笑っているのは甲高い声。

 その姿を見て、スピカは唖然とした。

 猫の耳を思わせるような黒い尖がったお団子に髪をまとめたスレンダーな少女が、空を飛んでいたのだ。しかも、背中にはコウモリの羽を生やしている。

 まるでそれは、教会の教義で聞く悪魔の姿そのものだった。


「……悪魔」

「ここだって聞いたんだけどぉ、新入生グループからカードを強奪しなきゃあって……あーたたちよねえ?」


 華奢な足に空を飛んでいるのに見えそうで見えないスカートの中身で、人気にない食堂にかろうじている男性陣は、必死で目を逸らそうとする者、どうにか頭上を見ようとしない者で埋め尽くされていた。

 その中で、スピカはダラダラと冷や汗をかきながら、どうにか立ち上がって、皆に小さく声を出す。


「あの……さっきナブー先輩が言ってて」

「あの人?」

「……悪魔に気を付けろって」

「……それ先に言えよ」

「空を飛んでる人に、どうやって気を付ければいいんだ?」

「というより、あの人私たちのアルカナ奪うとか普通に宣言してるんだけど!?」


 四人でごにょごにょと言っている中、【悪魔】はニコリ……と四人を見下ろした。


「あーたたち、ズベンちゃんを無視するなんていー度胸じゃなーい。みんなズベンちゃんの下僕にしてあげるからー」


 そう蠱惑的に笑った。


****


 スピカがナブーに中庭で警告を受けていた頃。

 ズベンは連れと一緒にぷらぷらと中庭に歩いていた。


「なあんか、最近落ち着かないわよねー。【世界】ちゃんもなに焦ってんのかしらぁー」

「うん……」


 連れは相変わらず乏しい声しか上げず、ズベンの甲高い声以外は響かない。

 それを気にすることもなく、今日の食事は路地裏で食べるべきか、食堂で食べるべきかを考えていたら。


「やあ、ズベン」


 神々しい声が、ズベンに投げかけられた。

 それにズベンは柄にもなく顔を赤く染め上げる。


「あら、なあに、【世界】ちゃん。ようやくズベンちゃんと遊んでくれる気になったの?」

「君と遊ぶのは刺激が過ぎるから止めておこうかな、それよりも頼みたいことがあるんだけど」

「なあんだぁ。ズベンちゃんがっかりぃ。【世界】ちゃんだったら乗るのも乗られるのも大歓迎だったんだけどぉ」


 ズベンの下品な言葉を聞き流しながら、【世界】は謳うように声をかける。


「アルカナカードを四枚ほど見繕って欲しいんだ」

「あら? アルカナ集め、あーし興味ないわよぉ? 【世界】ちゃんが乗ってくれるならともかく」

「そうだね……君が成功したら、前向きに検討してもいいかな?」


 教義における穢れを知らぬ天使の似姿の青年に下品な提案ができるのもズベンだけなら、遠回しなお断りを無視していいように解釈するのもズベンである。


「いいわよ、あーたと乗って乗られて遊べるならぁ!」


【世界】から依頼されたアルカナを聞いたズベンは、そのまま連れと一緒に、食堂へと向かった。

 新入生を手っ取り早く捕まえるならば、人通りの多い食堂が一番だからだ。

 その可憐で下品で浅はかなズベンを見ながら、【世界】は微笑んだ。


「うん、また生徒会長が嫌がりそうだけれど」


【世界】の幸せは、オシリスの胃を犠牲にできている。

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