路地裏で問答
「新入生か! ア……」
最後まで言わせる前に、スカトのアッパーカットが決まった。見知らぬ先輩の顎に、スカトの拳が思いっきりのめり込み、そのまま飛んでいく。
「……【世界】の言い出したことのせいで、もう五人目か」
スカトは三年生の教室を巡っていたが、目的の人物に会うことができず、溜息をついていた。
生徒会が……というより新入生だと顔すら知らない【世界】の申し出のせいで、アルカナ集めで襲撃を受けた人々は後を絶たない。
スカトの持つ【隠者】は、はっきり言ってお世辞にも強くないカードだが、アルカナカードはどうしてもカードフォルダーを取り出そうとするときに一瞬だけ隙ができる。その隙にスカトは持ち前の腕っぷしで先輩たちをのしていた。
アレスの指摘通り、スカトはあまりにも喧嘩慣れしていた。
と、途中でふいに肩を叩かれる。その瞬間にスカトは背後に立った人物に頭突きをお見舞いしようとしたが、「う、わあ……!」とそのまま声の主はべちゃんと音を立てて座り込んでしまった。
ルヴィリエだった。
「ルヴィリエ? 無事だったのか」
「うん……私は逃げ隠れしてたから、見つからなかったみたい。皆そんなに願い事叶えて欲しいのかな」
彼女は恐々とスカトがのした先輩を見下ろすので、スカトは邪魔にならないように彼を教室の中に入れておいた。多分気遣うところはそこではない。
ルヴィリエはきょろきょろと辺りを見回しつつ、ひそひそとスカトに言葉を続ける。
「ほとんどの一年生は、巻き込まれる前に、入学式が終わったら早々に寮に帰っちゃったのに。スカトはどうして三年生の教室のとこにいるの」
「僕か? 【世界】がいきなりおかしなことを言い出したから、さすがに皆の安全が気になってな。知り合いが在学生でいるから、探しに来てたんだが……どうも入学式が終わったらさっさと校舎を出てしまったらしくて」
「そうなんだ……ねえ、私はずっとスピカとアレスを探してたんだけど、ふたり知らない?」
「もう寮に帰ったんじゃなくって?」
「うん……多分帰ってないと思ったから、心配になって一緒に帰りたいなあと思ったの。なんだかふたりから目を離すとよくないように思えて……」
女子同士で思うところがあるのか、ルヴィリエは全体的にスピカに甘く、スピカにちょっかいをかけまくるアレスを敵視しているところは、昨日列車で顔を合わせたばかりのスカトにもわかった。
「寮に帰ってないんだったら、町かな。でも僕たちだと買えるものなんて、表通りじゃないぞ」
「ええ……そりゃまだ日は高いけど……裏通りぃ?」
ふたりでしゃべっている中、ふいに窓の外で激しく窓縁を叩く音が響いた。
大きな風が巻き起こったと思ったら、男女が吹き飛ばされている。それをふたりは呆気に取られた顔で見ていた。
「……やっぱりアルカナカードでの戦いは激しいものだな。ふたりとも【愚者】だとしたら、戦うより逃げたほうが早いだろ。日が落ちる前に見つけ出して寮に連れ帰らないと」
「うん、行こう」
こうしてスカトとルヴィリエは駆け出した。
まだ日は高いが、日が高い分、影は濃く落ちる。
路地裏には日が届かない。
****
スピカとアレスは、表通りから一転初めて路地裏に足を踏み入れていた。
表通りではなにかと貴族の生徒たちが買い物を楽しんでいたようだった。彼らはおそらくは【世界】の提案に興味がないのだろう。
一方足を踏み入れた薄暗い路地裏には、生徒がひとりも歩いていない。その中でも平然と露店をしている人や座り込んでいる人がいるし、甘い腐臭が漂っている。表通りではごみがひとつも落ちていなかったが、表のごみが流れ着いたかのように、路地裏は薄汚かった。
「なんか……王都の路地裏みたいだね?」
「というより、王都だったら路地裏でも人がいんのに、ここはもっと駄目じゃねえか。汚い上に人もいねえ。なんなんだよ……でもここだったら物流を追って学園を出るのなんて無理じゃねえの?」
「うん……あのう、すみません」
露天商に声をかけると、ほけほけとした顔の老婆が顔を上げた。学園アルカナの敷地内にいられるということは大アルカナの持ち主なんだろうが、彼女の大アルカナはいまいちわからなかった。
「いらっしゃい。占いかい? それとも授業に使うものでも買いに来たのかい?」
「あっ……そうじゃなくって……この学園で物はどうやって売買してるんですかね……」
まさか品を卸す車に乗って学園を脱出したいなんて素直に言える訳もなく、スピカの言葉はどうしても尻すぼみになる。
それに気付いたのか、老婆はカロカロと笑った。
「商売のことは教えられないけどね、あんたの悩みを少しは解消してくれそうな子のことは紹介できるよ?」
「え……?」
「それなにする人? 今アルカナの奪い合いがはじまってるから、下手なことされるとすげえ怖いんだけど」
スピカが素直に聞こうとする中、アレスは水を差すようなことを言って老婆を睨みつける。それにますますもって老婆は面白そうな顔をした。
「そうだね、なんか久々に出てきた【世界】の坊ちゃんがいい加減なことを言ったらしいね。まあ、心配ないよ、あの子はどうにかしたがってるからねえ」
そう言いながら、年輪の刻まれた指を差し示した。
「そこを真っ直ぐ歩きな。そしたら行き止まりに着く。その行き止まりの問答に答えたら、入れてもらえるから」
「その問答は教えてくれないの?」
「残念。これ以上のことは坊ちゃんに怒られるからねえ。さあ、買い物も占いもないんだったら、商売あがったりだ。さっさと行きな」
それ以上は老婆は口を噤んでしまった。
スピカはアレスと顔を見合わせてから「ありがとう」とだけ言って立ち上がった。
「さっきのおばあさん、私がここを脱出したいって知ってたのかな?」
「さあな。ただ脱出を手伝ってくれるって意味なのか、他に意味があんのか、あの言い方じゃ全然わかんなかったけど。それに、あのばあさんの露店以外だと人がいる店もほとんどねえけど……これ平民の買い物、できんのかなあ……」
そうこう言っている間に、行き止まりに辿り着いた。しかし問答をすれば入れると言っていたが、どこでなんの問答をすればいいのか。
表通りの建物の裏しか見えないのに、どこかに入れる場所が見当たらない。
「あのばあさんに騙されたか?」
アレスが目を細めている中。
『0と21のアルカナカードは?』
いきなり声をかけられ、思わずビクンとスピカは肩を跳ねさせ、辺りを見回す。壁以外にはやはりなにもない。
アレスも驚いた顔で見回しているが、声の主が見当たらない。
「今のが問答か? あんまりにも簡単過ぎねえ?」
「うん……」
アルカナカードには全て番号が振られている。
この国で全国民にアルカナカードを配られている人間からしてみれば、楽勝過ぎる問題だった。
「0は愚者、21は世界」
『正解。では、このふたつの真ん中のアルカナカードは?』
「10と11のカードでいいのかな? ええっと10が運命の輪、11は正義……だったかな?」
『正解。ではこの学園にいる運命の輪は?』
その声に、思わずふたりは黙り込む。
声の主がどこにいるのかはわからないが、少なくともスピカが【運命の輪】の所持者だということを知っている。
アレスは苦虫を噛み潰した顔で、スピカの手首を掴む。
「なんかやな予感がする。帰るぞ」
「……待って」
スピカはてこでも動かないとばかりに、足を突っ張らせるので、アレスは唇を尖がらせる。
「こいつが生徒会の罠かもわかんねえんだぞ? あの五奇人だって顔出してなかったし、こいつだって顔を出してないし」
「……そうかもしれないけど、そうじゃないかもしれないでしょ。私だってずっと嘘つき続けたから思うんだけどね、騙そうと本気でかかったら、もう誰も信じられなくなるの。私が嘘をつかなくってもいい相手以外信じられなくなるの。それって、ものすっごく、しんどいよ?」
アレスはスピカの言葉に少しだけ怯んだのを見てから、スピカは自分の胸をたくさん叩きた。
声に出すのは、どこで誰に立ち聞きされるかわからない上に、あの露天商の老婆まで巻き込むんじゃないかと思うと気が引けた。
ここに辿り着いて声をかけた以上、どこかで見ているんだろうと、自分だと訴える。
やがて。
『どうぞ』
途端になにもなかったはずの行き止まりに、ぽっかりと穴が開いた。中は見えない。
スピカとアレスは顔を見合わせる。
「行こう」
「……あーあーあーあー……、もうどうなっても知んねえからな!?」
ふたりはこうして、穴の中へと足を踏み入れたのだった。
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