隠れ家の住人たち・1

 穴の中に足を踏み入れた途端に、スピカは「あれ?」と口にしていた。


「スピカ?」

「なんか……音がなくない?」

「音がないって……」

「うん。町中の音というか……路地裏でも風の音は普通にしたじゃない。それがないような……?」


 スピカは何度耳をそばだてても、この場に音がないという違和感を覚える。アレスも同じく耳を澄ませて、眉をひそませた。


「……たしかに。ここだけ、なんか外と区切られているというか」

「正解だ、来たか新入生」


 そう声をかけられ、ふたりはビクンと目の前を見た。

 そこは、たしかに路地裏の行き止まりだったはずなのに、穴に入った途端にどこかのうち捨てられたバーのような場所に辿り着いていた。

 バーの棚にはビール。この国ではそれ以外の酒は十八歳以上だが、ビールだけは何故か十六歳以上から飲めるため、違法にはならない。生徒会執行部の判断はどうだか新入生は知らない。

 そのビールをジョッキに汲んで飲んでいるのは、自分たちと同じ制服の人々だが、どうも生徒会メンバーが見せたようなキリッと引き締まった雰囲気はこの場にいる人々にはないようだった。

 カソックもトゥニカも改造されてしまい、前を大きく開いてしまっている人もいれば、トゥニカのスカートを細身に変えてしまい大きくスリットを入れている人までいる。この辺りもまた、生徒会執行部の判断はどうなっているのかわからなかった。

 その人々の中心には、大きなソファーが置かれ、そこには青年が寝っ転がっていた。まだ学園アルカナの生徒のはずだが、すっかりと少年の気配は抜け落ち、精悍な青年となっている。カソックのジャケットは脱ぎ捨て、シャツとスラックスだけの出で立ちだが、その褐色の肌にシャツの白はひどく映えていた。黒髪は伸ばしっぱなしで先端があちこちにうねっているが、この青年の格好も相まって、そういうファッションだと言われてしまえば横着であったとしてもそういうものだと思わせる納得感があった。

 その脇にいるのは、トゥニカを着た女性だが、トゥニカが苦しそうと思わせるほどに豊満な胸に、細身に改造されたスカートのスリットからは、肉感のいい太股が見える。栗色の髪は緩やかなウェーブを描き、こんな極上の美女に何年経っても慣れなさそうだとスピカはぼんやりと思った。

 寝転がっている青年は、側にいる人々に「こいつらにビールをやれ」と言われ、ジョッキに汲んで汗の掻いたビールを持ってきてくれた。


「あのう……ここはいったい? あの、おばあさんに言われてここに来ましたけど……」

「ああ、あのばあさんは路地裏の番人だ。平民の味方でもあるし、ここの数少ない味方の大人だ」

「味方……あの……どうして……」


 スピカが口を開こうとすると、咄嗟にアレスが彼女の口を塞いで先に切り出した。


「すんません。どうしてこいつのアルカナを先輩たちが知ってるんすか? この学園じゃどうだか知りませんけど、一歩外に出たらこいつ処刑されるじゃないっすか。こいつのアルカナを知って、そのままこいつからアルカナカードを取り上げて、五貴人とかに願い事でも叶えてもらうつもりで?」

「フグーフグー!」


 息苦しいとスピカが抗議し、とうとうアレスに噛み付くと、アレスは「ギャー!!」と言いながらビールを少しばかし床に溢した。慌てて彼女から離れて「ビールもったいねえじゃん!」と言いながら飲みはじめた。

 スピカも「ごめんなさい」と言いながら、ホップの香りの強いビールをひと口飲んだところで、青年は「んな訳あるか」と言った。


「貴様らが【恋人たち】の名物コンビを撃退したのは確認してたよ。まさかあのふたりをさっさと退けるとはな。しかもあの変人の技をコピーして」


 ようやく寝転がっていた青年は起き上がり、ソファーであぐらをかきながらふたりと向き合った。その青年の側の女性は苦笑する。


「まるであんたが見てたかのように言うんじゃないよ。確認したのはあたしじゃないか」

「まあ、そうだな。俺はカウス。こいつは相方のデネボラ。ここにいるのは全員、生徒会とその上の五貴人を引きずり下ろそうとしているチームだ。格好付けるんだったら、まあ革命組織とかいう奴だな」


 あっさりとしたカウスの言葉に、スピカは唖然とした。

 どうにもスピカとアレスふたりで追い払った【恋人たち】の先輩は、彼らも知っていたようだったし、ナブーの技をコピーしたアレスの戦略も見抜いていたようだった。

 なによりも。彼らは今はっきりと「生徒会と五貴人を引きずり下ろす」と言ったのだ。

 たしかに老婆の言った通り、スピカにとっては力になってくれそうな人たちだった。

 スピカの頬の紅潮は、ビールのほろ酔いだけではなかったのだが、一方のアレスはビールを飲んでもなお、ちっとも警戒を緩めなかった。


「で? 先輩たちの事情はわかりましたけど。それでこいつになんの用ですか?」

「いや。こいつが【運命の輪】だとは知っている。だから一応の挨拶だけはしておこうと思ってな」


 そう言いながら、カウスはデネボラに「俺にもビール」とねだると、彼女は慣れた様子でビールをジョッキに汲んで彼に手渡し、ついでにつまみに飲んでいる面々にナッツを皿に出して配ってくれた。

 アレスとスピカにも配ってくれたところからして、彼女は世話焼きなのだろうとスピカはぼんやりと思う。

 しかし、スピカが絶対に口にしないのに、いともたやすく口にするカウスに疑問に思う。


「あ、あのう……私のアルカナ……」

「一応言っておくが、ここにいる限りは【世界】にすら手出しできねえはずだ。だから好きなこと言っていいぞ。俺のゾーンにいる限りはな」

「ぞーん……?」

「俺のアルカナの力が働いている場では、俺の都合のいい空間が成立するって話だ。一応聞いておくが、貴様はよくこの学園に来られたな?」

「……学園アルカナに召喚されちゃったら、この国を出る以外に逃げ道ないじゃないですか。私の場合、親戚も同じアルカナだったんで、親戚に【運命の輪】としての生き方を叩き込まれました。もっとも、私、王都の外の出身なんで、そもそも大アルカナの人たちしかいない環境って今が初めてで、なにがそこまで大変なのか、未だによくわかっていないんですよ」

「なるほど。だからそいつが貴様から離れないって訳か」


 そう言ってカウスはアレスを見やる。アレスはぶすっとした顔でビールを飲むばかりだった。

 スピカはカウスの指摘の意図が読めず、ふたりの顔を見比べていると、カウスは口を切り出した。


「まあ、そもそも大アルカナを親戚以外にほとんど知らないなら無理もねえが。おかしいと思わねえか?」

「おかしいって……?」

「どうして貴族ばかりが強い大アルカナを持っていると思う?」

「んん? 考えたことありませんでした……貴族は魔力をたくさん持っているから、強いアルカナが発言するって聞いてますけど」

「一応言っておくが、うちの家系は元を辿れば貴族だったが、大アルカナが途切れたせいで、地位を剥奪されて平民に落とされた。俺は久々に出てきた大アルカナだ」


 それにスピカはますますもってポカン、と口を開いた。思わずアレスを見ると、彼も大きく頷く。


「王都の都市伝説みたいになってんだよ。いくらなんでも強い大アルカナは貴族の独占状態なのはなんかからくりがあるんじゃないかって。でも、それを確かめようとした人間は皆死んでるんだよ。学園内で死んだら、ここが治外法権な以上、誰も手が出せない。しかも今回は【世界】が来てる。王族じゃん。ますますもって日和った外の連中じゃどうしようもねえよ」

「それって……私の町じゃ全然流れてきてない話ですけど、これって王都だったら普通に皆知ってる話だったんですか?」

「一部の貴族階級に多額の世話になっているような地区だったら、持つべき物が力も富も持てばいいと、一向に気にしちゃいねえが。一部のおかしい税金を取り立てる貴族の管轄じゃ、不満ってもんは嫌でも溜まるんだよ」


 昨日からアレスはたびたび「貴族も王族も嫌い」と言ってのけていると思ったら、こういうのを日常的に見てきた弊害らしい。

 逆に言ってしまえば、この圧倒的な差別を「そんなもんだろう」と気にも留めない連中もいるという話だった。

 カウスは続ける。


「生徒会連中はこぞって『今年は奇跡的な年』だって風潮して回ってるのは、アルカナカード全二十二が揃った奇跡であり、アルカナカード集めを実施させることで、より一層国の体制を肯定させるつもりなんだよ。ついでに【運命の輪】が見つかれば万々歳だという話だ」

「で、でも……前々からずっと不思議だったんです……」


 スピカはあわあわと口を挟んだ。カウスはビールを飲みながらも、じっとスピカと目を合わせてくれる。


「【運命の輪】は、はっきり言って強くありません。【愚者】のほうがまだ強いくらいで、私なんて自分の身を守る方法すらありませんもん」

「そこなんだよ。俺も疑問に思っている」

「って、先輩もどうして生徒会連中が【運命の輪】を狙っているのか知らないんすか!?」


 アレスの突っ込みに、カウスは「そもそもアルカナが全部揃う年だって稀だと言ってただろうが。俺だって今日初めて【運命の輪】を見たわ」と返す。


「ただ、わざわざ新入生にアルカナ集めをさせるくらいには、切羽詰まっているのだけは想像できる。あいつも三年であり、そろそろ卒業がかかっているからな。わざわざ学園アルカナに【運命の輪】が召喚された以上は、なんとしてでも処刑しないといけないから、こうしてゲームだと言って仕掛けたんだろうさ」

「でも……こいつから一応能力聞きましたけど、ほぼ詐欺しかできないですよ? あとは魔力が足りなくってこいつじゃ使えないって」

「ふうむ……」


 アレスにそう告げ口され、スピカは思わずアレスの足を踏もうとしたが、アレスはひょいと逃げてしまった。

 カウスはそれを眺めつつ言う。


「そうだな……この学園じゃ【魔法使い】、【死神】、【吊された男】、【悪魔】、【塔】……いくらでも危ない連中はいるのに、そいつらが野放しで、どうして最弱の【運命の輪】を血祭りにあげなきゃいけないんだろうな?」

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