生徒会の提案
スピカの胸中に嫌な予感がひしめく中、入学式は幕を開けた。
意外なことに学園長の話は、スピカの知っているどの校長先生の話よりも早く済み、続いて生徒会長の挨拶がはじまる。
先程新入生たちを席に案内したモスグリーンのメガネの青年であった。鋭利な目で、席に座る新入生たちを見ると、拡声器を付けてしゃべりはじめる。
『諸君、入学おめでとう。生徒会執行部の代表を務めているオシリス・ジュピターだ。ここ、学園アルカナで勉学に励み、卒業のさなかにはさぞや素晴らしい人間になってくれるだろうことを祈っている……さて、前置きはこれで省略し、本題に移らせてもらう』
それに新入生たちは困惑したように、互いに顔を見合わせた。
『今年度、学園アルカナには奇跡が訪れた。学園アルカナ建校以来初めても言ってもいい話だ……端的に言おう、建校以来初めて、全ての大アルカナが揃った……!!』
途端にスピカは顔が突っ張りそうになるのをこらえる。それは教会で暮らしていたときから、何度も何度もシュルマに「顔で全てを悟られるな」と注意して覚えた、面に感情を露わにしない教えだ。
既に事情を知っているアレスは口をとんがらせるだけに留めたが、周りは「まさか……」「【運命の輪】が……!?」「それ以前に、【世界】がここにいるの!? 王族!?」と
混乱している。
「【運命の輪】だっていいじゃない。入学生の中にいるってことは、普通に学園生活送ればいいんでしょう? だってここ、治外法権だから、外の法律は適応されないじゃない」
ルヴィリエがそう当たり前のように言うが、スカトは生真面目に「そう簡単には言うが」と言い咎める。
「生徒会長もなにも考えなしで通達した訳じゃないだろ。だって【世界】がいるってことは、王族が生徒にいるってことだ。王族の危険が及ぶようなことを言うのか? これだけ貴族と平民の扱いに差がある場所で?」
「そうだけど……」
ルヴィリエが困った顔をする中、スピカは背中を冷たい汗が流れていくのを感じた。
(……なに考えてるんだろう、生徒会長は。私を誘き出したいの? 王族がいるから処刑? そもそも学園アルカナの召喚を断れないから入学したのに、入学早々処刑? おじさんが言った通り、【世界】がいるんだったら、逃げる方法も考えないと……)
そうひとりで考えている中、ふいに隣のアレスがぱっと手を出してきた。スピカは訳がわからないままアレスを見ると「アインス、ツヴァイ、ドライ」と手を振った。途端に出てきたのは、ころんと丸い粉砂糖をまぶしたクッキーだった。
驚いてスピカはアレスを見ると、アレスはウィンクする。
「あんまひとりで考え込むなよ。落ち着け。そして冷静になって把握しろ」
「……うん、ありがとう」
「あ、それ食べていいから。生徒会が注意してくる前にさっさと口に入れとけ」
「ありがと」
そのままクッキーを頬張ると、口の中ですっと溶けてあっという間になくなってしまった。クッキーが消えてなくなったと同時に、スピカの迷いも幾許か払拭される。
(そうだよね……少なくとも今は私ひとりじゃない。アレスもいるし、まだ誤魔化しは利くはず……そもそも、生徒会長はどういう理屈で全てのアルカナカードを把握したんだろう? いくらさっき蝋印を確認していたからって、ひとりで全員分の確認は不可能だ……あの人のアルカナカードの能力? ううん、生徒会長だけじゃなくって、生徒会誰かの能力かもしれないし……)
入学生のスピカは、情報が足りない。でも足りないなりに、いくらなんでも早過ぎる生徒会長のアルカナカードの把握を疑問に思った。
その中、オシリスの言葉は続く。
『そこで、この記念すべき今年度に向けて、五貴人からの提案があるそうだ』
「え、ごきじん?」
スピカは振り返ると、それはルヴィリエが教えてくれた。
「生徒会長もたしか、次期宰相って言われてる人だから、決して身分が低い訳じゃないんだけどね。生徒会は権限を行使する執行部と、生徒会に提案する五貴人に分かれているの。そして五貴人は、全員上級機族で固められてる。本来だったら王族である【世界】の地位は、そんな毎年毎年入学してくる訳じゃないから空白なんだけれど……」
「今は五貴人の枠が全員埋まってるって訳か……」
オシリスが顔を仰いだ先に、ぱっと照明が向けられる。講堂の上層の席であり、そこはカーテンで仕切られて中を見ることすらできなかった。
そのカーテン越しに穏やかな声が響いた。
『ごきげんよう、新入生の皆。僕は【世界】。今年度は記念すべき年だからね、ひとつゲームを提案したいと執行部に提案したんだ』
その声は天上の声。教会の礼拝の中、神官が語る声とはこういうものだったのかと思わせるくらい、皆がありがたい気分になるような、澄んだ男性の声であった。
【世界】は穏やかな声色で、言葉を紡ぐ。
『この学園の大アルカナを全て集めて欲しいんだ。【愚者】から【審判】までを一枚ずつ、
かぶりはなしだよ……もっとも、【世界】は僕しかいないから、【世界】以外の全てのアルカナカードを集めたら、生徒会執行部に問い合わせて欲しい、が正しいかな? 過不足なく集められたら、そのときは五貴人のお茶会に招待しよう……そのとき、君たちの望むものを叶えてあげる。この王族である【世界】のアルカナにかけて、君たちを祝福しよう』
途端に全員、ざわっ……と沸き立った。
オシリスの『以上だ』の声で話題は打ち切られたあとも、周りのどよめきは止まらないでいる。
一方、冷静になったとは言えど、いよいよもって逃げないと駄目ではないかとスピカは考え込んでいた。
(……これ、暗に【運命の輪】を巡って鬼ごっこしろってことじゃない……しかも学園生徒全員が鬼で? 冗談じゃない……いくらなんでも、アレスひとりと同盟だけじゃ、全然足りない……)
スピカがひとりで、どうやって学園を脱出するかを考えはじめた中、ルヴィリエとスカトは顔を見合わせる。
「……生徒会長はものすごく生真面目な次期宰相の人だ。こんな乱痴気騒ぎを許容するなんて、なに考えてるんだ?」
「というより、そのカード集め、私たちのカードまで狙われない? やーだー、なんで知らない人の人生ゲームに巻き込まれないといけないの!」
ルヴィリエの悲鳴に、アルスは「なになに?」とニヤニヤと笑みを浮かべる。
「俺の場合は、正直痛くも痒くもないんだけどねえ……だって【愚者】ですし? ありふれてますし? お前らそんなに稀少価値の高いアルカナだったんだ?」
(ああ、そっか。それで皆のアルカナカードを聞いてくれるつもりなんだ)
そうスピカがほっとする中、スカトは苦虫を噛み潰した顔になる。
「僕は正直、乱闘に向いてない。アルカナカードで殴られたらおしまいだ」
「……ぶっちゃけお前はアルカナカード使わず、肉弾戦したほうがいいと思うよ? お前どう考えたって実践済みだろ」
「まさか君と似通っているなんて思わなかったけどな」
そう言って溜息をつきながら、スカトは自身のローブの下からカードフォルダーを取り出し、見せてくれた。
「【隠者】だ。はっきり言って強くない」
「なあるほど……で、ルヴィリエは?」
「私? んーんーんーんー……まあ、あなたたちは悪用しそうもないもんねっ」
そう言ってルヴィリエもまた、カードフォルダーを引っ張り出すと中身を見せる。
「【正義】。正直私も強いとは言えないかも。そういえばスピカは?」
「ああ、私……」
スピカはローブの中でカードフォルダーを掴むと、表面をなぞった。
(アレスには既に言ってるから、大丈夫だよね……)
そう言いながら、カードフォルダーを見せようとしたものの、アレスにぱっと止められた。
「つうかこいつも俺と一緒なんだわ。はっきり言って俺らのカード、相手に見せたら同じ【愚者】同士で喧嘩になるから、あんま見せるなって列車でも注意したとこ」
「……昨日揉めていたのはそれか?」
「そうだったの……大丈夫よ、スピカ。私が絶対に守ってあげるからね! まあ、たしかに【愚者】は結構見覚えあるから、私たちのところになんていきなりカードのカツアゲになんか来ないでしょうしね」
ふたりが納得してくれたのに、心底スピカはほっとした。
(【隠者】も【正義】も、私の住んでた町にはいなかったけど……ふたりとも堂々とカードのことを教えてくれるってことは、私のこと信じてくれるんだな。うん……ふたりは絶対に巻き込んじゃ駄目だ……)
そう意を決して、スピカは入学式が終わって早々、学園の脱出について考えることとなったのだ。
****
新入生は新しい教室でクラスを割り振られ、教科書を配られる。どの内容もスピカの町の高校よりも難しいものだったが、やってやれないことはないだろう。
(もっとも……私、授業受けられるのかなあ)
既に脱出する方向で考えているスピカは、同じクラスになったアレスと、寮への帰りにこっそりと打ち明けると、当然ながらアレスに呆れられた。
「はあ? 今日入学したばっかりで、もう脱走すんの、お前? 正気?」
「だ、だって……! これから生徒会主催のカード狩りがはじまるんだよ!? それって……要は生徒会にとって都合の悪いアルカナカードを見つけ次第処分しろってことじゃない……アレスにはもう伝えてるけど、スカトもルヴィリエも私のアルカナカード知らないんだよ? ふたりを巻き込む訳にはいかないじゃない」
「そうは言ってもさあ……あの門番のとこに『退学します! 出してください!』なんて真っ正面から言いに行くの? そんなの速攻で生徒会に怪しまれるだろ」
「うう……それはそうなんだけど……でもここに町はあるし、寮には食堂だってあるんだからさ……物流はあるんだよ。それにどうにか紛れ込めば、外に出られると思ったんだけど……」
さすがにスピカも、なにも考えずに「学校ヤダ!」と言い出した訳ではない。この学園を贔屓にしている業者だって外部の人間だっているはずなのだから、その外部利用者の出入り口さえ探りを入れれば、出られるんじゃないかと思ったのだ。
もっとも、門番以外は全員大アルカナだとは聞いている。学校を出たいという申し出を聞いてくれる大アルカナでなくてはいけないという条件が付くが。
スピカの提案に、アレスはガリガリと赤毛を引っ掻いた。
「まあ、たしかに。いくら超すごいアルカナカードであったとしても、無から有はつくれないはずだしな」
「じゃあ!」
「でも誰が味方で誰が敵かわかんねえとしょうがないだろ。だってお前平民、生徒会には【世界】がいるってなったら、誰の味方になるかなんてわかりきってるもんだろ」
「うう……でもアレスは、私の味方じゃない」
「……まあな、だって俺、王族も貴族も嫌いだし」
【世界】を敵に回してもかまわない相手を探し出すのは骨が折れそうだ。ふたりの作戦会議はそろそろ打ち切って寮に帰ろうとしたときだった。
「やあ、新入生のおふたりさん。おふたりさんも仲がいいね。恋人同士かな?」
いきなり甘い声をかけられ、ふたりはばっと顔を向けた。
そこに立っていたのは、金髪碧眼の、声に負けずに甘いマスクの青年だった。隣には可憐なプラチナブロンドのセミロングな少女がしなだれかかっている。
アレスはスピカの前に立って、ばっとスピカを庇うように腕を上げて、口元を吊り上げる。
「男と女が歩いてたら、それだけで惚れた腫れたっすか? それ古くないです?」
「愛に古いも新しいもないと思うよ」
そう言って、ふたりをゆったりとした笑みを浮かべながら見比べていた。
……生徒会の提案したゲームを告げる鐘の音が、静かに鳴り響いたようにたしかにスピカには聞こえた。
****
【隠者】
・×××
・×××
・×××
【正義】
・×××
・×××
・×××
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