入学式

 ふたりは寮に戻り、それぞれ女子寮と男子寮のほうへと向かう。


「それじゃあ、明日。なにかあったら食堂で」

「うん、明日」


 それだけ言って、中へと入っていった。

 スピカは寮母に入学したての新入生だと伝えたら、すぐに部屋に案内してくれた。部屋は彼女が長いこと暮らしてきた教会の全ての部屋を合わせたよりも広く、町ひとつを学園の領地にしているこの場所は、頭がおかしいんじゃないかと考え込んでしまった。


「あの……どうしてこんなに部屋広いんでしょうか? ひとりで使いきれないんじゃ」

「いえ。貴族階級の皆さんは使用人を呼んでおりますから、空いている部屋は使用人用の部屋ですね。友達ができたら呼んでもかまいませんよ。ちゃんと部屋の管理ができるんでしたら」

「わあ……ありがとうございます」

「明日から頑張ってくださいね」


 それだけ言い残して、寮母は立ち去ってしまった。


(ここで働いている人も先生も全員大アルカナだって聞いたけど……寮母さんも大アルカナなのかな?)


 彼女がなんの大アルカナなのかはわからなかった。

 それにしてもとスピカは荷物を解きながら考える。


(私、大アルカナの人たちにはおじさん以外だとほとんど初めて交流するんだけれど、皆思っている以上に自分の大アルカナのこと、教えないんだなあ……)


 スピカはアルスには教わったが、彼がどんな能力を持っているのかさえ知らない。スピカもまた、自分が【愚者】に偽装していることしか教えていない。

 おまけにここが治外法権であり、既に死亡者だって出ていることが気がかりだった。


(どこで誰が見ているかわからないし、アルスは貴族が嫌いだったし同盟を結んだから大丈夫だったけれど……もし私が【運命の輪】だってばれたら危ないもんね。今まで以上に気をつけて隠さないとな。でもいつもアルスの手に文字を書いて情報伝達なんてまだるっこしいこともできないし、どうにか内緒話ができるところでもあるといいんだけれど……)


 考えることは山のようにあったが、これ以上考えても埒が明かず、一旦明日の入学式に着ていく制服の上に着るローブだけ用意して、寝間着に着替えると一旦眠ることにした。

 ふかふかのマットレスのベッドは、教会の薄くキシキシと音がするベッド以外知らないスピカにとっては寝苦しく、快適な眠りについても考えないといけないと、ひとりで思いを募らせるのだった。


****


 翌日。スピカは手早く制服に着替え、その上にローブを羽織る。これが学園アルカナでの正装となる。

 そのまま食堂へと向かえば、食堂は意外なほどに閑散としていた。寮の規模を考えれば、もっと人がいるだろうにと、スピカは唖然とした顔で見つめる。


「おはよう、スピカ!」


 元気に挨拶をしてきたのは、ルヴィリエだった。それにスピカも挨拶する。


「おはよう。今日って入学式だよね。他の学年の人は参加しないの?」

「そんなことないはずよ。在校生も新入生も全員参加のはずだから」

「でも……食堂に人がいなくない? 今からご飯食べないと、入学式に間に合わないんじゃ」

「あー……」


 それにルヴィリエが納得したように頷いた。


「それ、貴族階級の人たちは部屋で食事を済ませるから」

「……使用人の人たちを部屋に入れてるって言ってたのは、それのこと?」

「そうそう。ここで食事を済ませるのは、平民階級か……」

「おや、新しい制服だね。新入生のご登場かな」


 いきなり声をかけられ、ビクリとスピカとルヴィリエは肩を跳ねさせた。

 現れた人を見た途端、なんとも形容しがたい姿に、どんな顔をすればいいのかがわからなかった。

 カソック風の制服にローブを着けて、そのローブは若干の毛羽立ちが見えることから、在校生なのだろうとはすぐに推測できるが。

 真っ白なおかっぱ髪の上に黒いシルクハット。顔には化粧を施されて顔色がわからないほどに白く塗りたくられている。こちらを観察するような銀色の瞳が人形のようで不気味極まりなかった。

 おまけにこんなところで意味があるのかないのかわからないが、杖を手首にかけて歩いてきたのだった。

 絵に描いたような不審人物在学生の登場に、スピカとルヴィリエは若干腰が引き気味になる。


「お、はようございます……先輩?」

「おはよう。おやおや、君たち新入生を怖がらせる気はわたしもなかったのだけどね。失礼失礼」


 ひょうきんな口調が見た目の不審さと相まって、余計に恐怖をそそられる。

 ふたりが固まってしまっているのを見て、先輩は「ふむ」と声をかけると、杖でトントンとテーブルを叩く。


「わたしも新入生たちを恐怖ではなく笑顔で入学式を迎えて欲しいものだからね。どうだね、ここはわたしにごちそうさせてくれないかな? アインス、ツヴァイ、ドライ」


 そう言ってから、先輩は杖をトンッと更に叩く。

 途端に。焼きたてでいい匂いを放ったパンの山に、ジャムの小瓶がどっさり、ハチミツにベーコンエッグ、フルーツの盛り合わせがテーブルに並んだ。

 それにふたりは「わあっ!」と悲鳴を上げる。


「あ、あの……嬉しいんですけど、いいんですか?」

「そもそも、この量は私たちふたりじゃ食べられないですけど」

「なになに、気にする必要はないさ。友達と一緒に食べてくれたまえよ」


 そう言って先輩が視線を向けた先には、正装を纏ったアレスとスカトの姿があった。

 ふたりもまた、テーブルに突然出てきた朝ご飯の山を、唖然と不審者極まりないが親切な先輩に、ポカンと口を開けていた。


「あ、ありがとうございます……あの、先輩は? もしよかったら一緒に……」


 スピカの言葉に、先輩はひらりとシルクハットを脱いで、お辞儀をした。


「なに、わたしは既に食べたからね。いい手品も見せられたことだし、新入生の諸君。いい学園生活を。有事の際には、どうぞナブー・スチルボンをよろしく」


 それだけ言い残して、再びシルクハットを被り、杖を手首に引っかけて立ち去ってしまった。

 この一部始終を、唖然と見ていたが、この訳のわからない空気を割ったのは、誰から聞こえたともわからない、キュールルルルルル……という腹の音だった。これだけいい匂いを放っているパンを目の前にして、食べないでいるのはもったいなかった。


「とりあえず、食べよっか」

「そうだな。ナブー先輩のおごりだし」


 皆でパンを皿に載せ、好きなジャムやハチミツをパンにかけると、そのままムシャムシャと食べはじめた。

 四人で食堂の長テーブルを囲んでいても、やっぱり生徒はまばらだった。

 少し近くではやたらといちゃいちゃしながら互いにスープやポーチドエッグを食べさせ合っているカップルがいるかと思えば、辛気臭い顔で固まっているグループがあり、ひとりで食べている人たちが散見している。どう考えても食堂の広さに集まる生徒の数が合っていない。


「さっきルヴィリエが言いかけてたけど……平民以外の人たちは食堂を利用しないの?」

「そうね……食堂を利用するのは、平民か変わり者の部類だから」

「つうか、さっきのナブー先輩は変わり者のほうだろ」


 アレスはもしゃっとパンにきいちごジャムをかけて頬張りながら言う。先程の不審者じみた先輩を思い浮かべた。


「あの人、貴族だったの?」

「貴族じゃねえけど、あの人の家だったら爵位なんて買い放題だよ。各方面で商売やってるから買ってないだけだろ。多分。スチルボンは王都じゃ超有名な豪商だよ。昨日の学園内の町の表通り見ただろ。あの半分はスチルボン商店の出してる店だよ」

「ふわっ!?」


 あの貴族の生徒でなければ手も足も出ないような桁の店を、あの変わり者の先輩の実家が出している。たしかにそんな豪商でもなければ、学園内の町に出店なんかしないだろう。貴族とはいえ、生徒とわずかばかりの教師しか客にならない場所で出店したい商家はなかなかいない。

 アレスの隣で一生懸命ぶどうを食べているスカトも頷いた。


「あの人の実家だったら、使用人を同行していてもおかしくなかったのに……平民と同じように学園生活を送ってるなんて謙虚なんだな」

「単純にあの人が変わりもんなんだと思うぞ……でもナブー先輩。あれ【魔法使い】か」

「え?」

「あんな訳のわからない手品、【魔法使い】でもなかったらしないよ」


 アレスはナブーがいなくなった場所を、金色の瞳を爛々と光らせて見つめていた。

 スピカにはその辺りがよくわからなかった。


(アルカナ能力って、もっと隠しておくものかと思っていたけれど……強い人は逆に誇示するものなのかな。それとも、単純にナブー先輩が変わり者だったの? うーん……どっちもありそうな気がする)


 何故わざわざ新入生に朝ご飯をおごってくれたのかはわからないし、自分のアルカナカードまで開示してくれたのかは測りかねるが、王都の常識も大アルカナの常識も疎いスピカは、少しずつ現状の認知を深めていっていることだけはたしかだ。

 食事を終え、食器を食堂のカウンターに片付けてから、いよいよ講堂へと進む。

 懐かしい雰囲気だった寮から離れ、町を抜けるといよいよ白亜の校舎が建ち並び、その中に講堂も見つかった。

 その講堂に足を踏み入れると、きびきびと案内をしている人々がいた。


「在校生は北側の席へ。新入生は南側の席へ……ふむ、貴様らは?」


 モスグリーンの短い髪に金色の瞳をメガネで覆った先輩は、スピカたち四人を見とがめると、召喚状を確認してから、席へと向かう。


「今年の新入生は実に運がいい。なにせ、今年は数十年に一度の年なのだからなあ」


 案内してくれた先輩の言葉に、スピカは居心地の悪さを覚える。


「せいぜい、学園アルカナの生徒として、模範的に過ごしてくれたまえ。こんな年、次はいつ来るかはわからないからな」


 そう言い残して立ち去るのを、スピカはダラダラと冷や汗をかきながら見送る。


「おい、スピカ。大丈夫か?」

「え……」

「顔。すっごい真っ青だぞ?」

「……なんでもない」

「大丈夫だってば、スピカ」


 ルヴィリエはポンッとスピカの肩を叩いた。


「なんにも悪いことは起こんないよ。私が、私たちがついているんだからさ」


****


【魔法使い】

・手品の絶対成功

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