第7回 真のチートは教育

 今、というか少し前から「チートもの」というジャンルがラノベ、WEB小説では流行っている。

 チートと言うと、要は規格外のスペックを持った主人公が、一切の工夫や努力をせずに問題を解決するというもの。実はドラえもんがそう。未来の道具はチートアイテム。未来を知るドラえもんがチートキャラ。そもそものび太もチートキャラ。生まれた時代を恨むがいい。

 ただ、そんな規格外スキルは「異世界だから生かせる」とも言える。逆を言えば異世界に行かないとそれは規格外でもなんでもない。既存の知識である。

 ところが、現実世界でも規格外スキルを手に入れることができる。題名の通り「教育」である。

 環境やその他の要因で上限はあれど、例えば日本であれば義務教育などで「一般的な計算や読み書きができる」スキルと「問題なく生きていける社会性を得られる」スキル、そして重要なのが「ある程度の常識の基礎」が手に入る。別の国や世界で生きていくわけでないなら、これだけのスキルがタダでもらえるのだ。もらっておこう。そして、これらのスキルを持った状態であれば、異世界に転送されてもそこそこのチートができるだろう。ただし言葉の壁はすぐには超えられなさそうではある。

 何より学習の仕方を教われるのは大きい。得手不得手はあるかもしれないが、たとえ神などに意思疎通のチート能力をもらえなくても、学習方法さえマスターしていれば後天的に言語習得は可能なのだ。ビバ義務教育。

 だから学校行け、とは言わない。あなたがこの先異世界へ転送される予定があるなら行っておいて損はないぜ、という話。

 現実の社会に出てからも、受けた教育の基礎と言うのは意外と役に立つことが多い。というか、基本的に99パーセントは学校で覚えたことは無駄になる。

 じゃあ、何故勉強するのか。何故教育を受けるのか。

 逆に聞く。

 あなたは、生まれてすぐ自分が死ぬまでのレールを敷かれて嬉しいか?

 自分で決めたいだろう?

 やりたいことをやりたいだろう?

 やりたいことを実行するには、障害がある。他人だ。

 他人と自分を明確に分け、自身が優秀でなければ、達成できない事が出てくる。

 それを目に見える形で手に入れるために、学習をする必要がある。

 高学歴が素晴らしいとかっていう話でもない。

 学歴は社会に「出るまで」は必要。「出た後」は紙くず。そこまでではないが。

 他人は、どんな人「だった」よりはどんな人「であるか」ということに興味がある。かつて東大生だった人がそのまま高給取りになっていれば話は早いが、そうでない人もいる。逆に、中卒高卒で年収が億を超える人も、今はもう珍しくない。だが、たとえ学歴が低くてもそれは「目に見える能力」がそこに留まっただけで、別の才能はやはり学習し、練習し、鍛え、育てていたから芽が出たのだ。

 一番のポイントは、自分の強みをいち早く知り、いち早く伸ばせる人だけが、成功することができるということ。それが分からないなら、目に見える能力を伸ばすべく学習を知ろ、ということなのだ。

 むやみに親や先生は「勉強しろ」と特に理由もなく言う人がいる。

 はっきり言うが、理由もなく嫌なことをしろといって従う人間は少ない。

 「何故」勉強するのか。明確に理由を言える人は少ない。本当に少ない。ごくごくわずかだ。

 当方は違う。勉強は、教育はチートなのだ。

 物を学べる環境はあからさまにチート能力養成所であり、何かを覚えるたびに能力が開花し、別のチートスキルの解放条件を満たす。ただ、その解放ルートが明確でないため、先の見えない勉強よりも目先の快楽に身を委ねたくなる。いや、委ねてもいいんだけど。

 身近な話をするなら、ゲーム。

 作ったことがある人ならわかると思うが、これらはプログラムでできている。言語は何か。日本語ではない。機械語である。極端だな、C言語やjava。最近ならUnityなど。これは環境か。まあでも大差はないのでいいか。

 この文法は、日本語とは大きく違う。世界で最も話されている英語が元になっている。英語が分かればいいわけでないのもポイント。

 言語を理解し、文法を理解したなら次は数学だ。機械は0と1でできている。常識である。ならゲームも0と1でできている。つまり数字だ。計算だ。計算をしないゲームは存在しない。敵が出るのも、ジャンプも、ミサイルの発射も、好感度の上下も、すべて計算である。計算が失敗するとバグが起こる。大変重要である。

 計算も問題なくなると、BGM、音楽だ。今でこそただ演奏されたデータを再生するだけでいいが、ファミコン時代はそうはいかない。どこでどんな音を流すか、何和音か、リソースはどこまで使用していいのか。効果音とかぶらないようにするためにどうするか。

 音楽が用意できたら絵だ。グラフィックだ。そう美術だ。かわいい女の子、かっこいい勇者、どこにでもいる街の人、王様、飛行機、などなど書かなければいけないものが多い。

 そして重要なのがシナリオ。国語。伝えたいことを伝える能力。相手が伝えたかったことを読み取る能力。ゲームを楽しめている人は、少なくとも国語が一定以上なければならないため、楽しめている人は国語熟練者だと思っている。

 さて、ここまで読んでいただければわかる通り、ゲームを作るだけではなく楽しむためにも教育という物がどれだけ必要なのかが分かると思う。ゲームをゲームとして楽しむためには、ある程度知識や教養がなければ遊べないのだ。「ゲームの楽しみ方はその人それぞれだ」という意見もあるだろう。それでいい。なら今からそのゲームの世界へ転生してくれ。きっとゲームのキャラ以上の動きはできないだろうから、どこかの街で「やあ、ここは○○のまちだよ」という仕事についてくれればいいと思う。ゲーム(人生)を楽しむなら、ゲーム(人生)を知るところからだ。

 今回はこの辺で。

 ありがとうございました。 

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