第5回 逃げる、という言葉の本質とは

 皆さんは「逃げる」という言葉にどういうイメージをお持ちだろうか。

 言葉通りの意味を挙げるなら、危険を避ける行為であったり身を隠す行為であったりすると思う。

 昨今では「逃げる事は恥ではない。むしろ推奨されるべき」とまで言われるようになるほど、日常生活で「逃げる」という単語が頻発して使われるようになってきた。

 当方は、ちょっと引っかかっている。

 逃げる、という意味。その本質的な表現の矛先がどうも「逃げる側」に向いている気がする。

 どちらかと言うと、「逃げられる側」にこそ使われるべきではないのか。逃げられるようなことをしたから、逃げられているのではないのか。

 逃げることが悪いのではなく、逃げられるような行為を犯したから、逃げられている、とすれば、逃げている側は何一つ悪くない。

 ちょっと「逃」がゲシュタルト崩壊してきたので少し話題を変えよう。

 イジメ。

 今も昔もイジメは発生し、レベルの違いはあれど今もどこかで行われている。

 規模の小さいものだと小学生が何気なく行っているイジメもあるだろう。

 例えばイジメている側。本気かジャレあいかは置いておくとして、いじめた事実があったとしよう。

 あなたは「どちらが悪い」と言うだろうか。

 イジメていた子供だろうか。

 イジメられていた子供だろうか。

 それとも、双方だろうか。

 あるいは、誰も悪くなかったりしないだろうか。

 一番悪いのは、言うまでもなくこんな問題を提示した当方である。だって状況説明一切してないのにいきなり悪いのは誰とか言うんだもん。

 話を少し戻して。

 明らかな「悪さをした人物」が分かるなら断罪は簡単である。別にイジメを許容しろというわけでは無く、イジメの事実を知りながら一向に対応しない教育委員会を擁護するつもりもなく、何の判断材料も持たずに悪と言い切るのは人間には土台無理なことだということを言いたいだけなのだ。

 最近はこういう、ちょっとしたイジメであっても慎重に、まっとうな判断をするためにはどうしても「時間が必要」なのだ。だから大人たちは「相談して(解決に必要な情報を提供して)ほしい」だったり、「逃げる(解決までの時間を稼ぐ)のも手段として考えてほしい」と言ってくる。

 イジメは、逃げるだけで解決する問題ではないのは本人も分かっているし、周りの大人も分かっている。だから余計にイジメられている子供たちは本質的に逃げることでは解決しないから逃げない。逃げられないのだ。

 ただ、当方が思うに逃げるという行為を「甘え」と勘違いして捉えているのではないか、と感じる場面が多いように感じる。

 甘えは、いけない。なるべく卒業するべきだ。当方はもっと人生に甘えたいが。

 子供ながらにイジメの対象になるのは「まだ甘えてるのか」という侮辱ワードから始まるイジメが多いように思う。アニメを卒業する、特撮ヒーロー番組を卒業する、漫画を読むのをやめる、などだ。ワンピ最高。オーズは今でも大好き。

 誰しも自分が好きなことを否定されたり馬鹿にされると反発するだろう。そんなきっかけでイジメが始まると、イジメの発端を話す際に自分で自分の好きなものを否定しなければならなくなるので、原因を他の人に話すことができなくなる。それなのに「逃げてもいい」と言われると、その子供は何から何に逃げればいいのか分からなくなる。そう言う時こそ好きなものへ自分をぶつけられると一番いいが、他人に否定されたものにもう一度自分が逃げられるかと言うと、そうならないことの方が多いと思う。

 逃げるのにも、訓練が必要なのだ。

 無責任に「逃げろ」というの、もうやめませんかね。

 自分から「逃げてる」というのも、用法が違う気がする。

 小さい子がイジメられているなら「こっちで一緒にアニメ見ようぜ!」って言ってくれる方がきっと嬉しいし、会社で嫌がらせを受けているなら「いい就職情報サイトあるんだ!」って転職アドバイスをしてみてもいいし、昭和よろしく飲みに誘っても良い。

 ただ、その人だけの問題にしてしまうのだけはいただけない。

 ヘルプを出しているのなら、その上っ面に軽く波紋を立ててあげればいい。

 帰ってきた波紋に、返事の波紋を返せばいい。掬い取ってやる! とか全部根こそぎ取るべき! とかは逆効果だ。きっと。

 相手が言語化できない内は、こちらが想定している以上にその人の中で整理ができていないのだろう。何に対して腹が立ち、何に対して自分に足りない気がしていて、何に対して自分が正さなければならない部分があるか。

 一つ、逃げるという言葉にまっとうな理由をつけるなら。

 それは「命を守る行動」であることだ。

 考え方を曲げるくらいなら、死んだほうがましだ、と言って自殺する人もいるかもしれない。

 だが、生きてさえいればそんな些細な考え方よりももっと素晴らしいことに出会える可能性があるかもしれない。出会えないかもしれない。けど、死んでしまったら間違いなくその可能性はゼロになる。もったいない。

 それなら、足掻いたほうがいい。もがいたほうがいい。真っ向からが無理なら横から、下から、上から、後ろから。卑怯なんて気にするな。戦い逃げ方にセオリーは無い。人の数だけ、生き方があるんだから。

 今回はこの辺で。

 ありがとうございました。 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る