第3回 常識とは、環境によって構築された偏見である

 アルベルト・アインシュタインの名言「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう」という言葉をご存知だろうか。

 ネット界隈に詳しい皆さまならどこかで見たことがあると思う。

 あえてこれに一言加えるなら、タイトルにあるようにその偏見は環境によって構築されていると言いたい。

 より具体的な言葉で表すなら、その国その都市その地域、その家にしかない決まり事、文化、しきたりなどが当たるだろう。そう、小さい時によく聞くであろう「よそはよそ、うちはうち」である。

 男の子はこう、女の子はこう。

 小さい子はだめ、大人はよい。

 東に住む人はこう、西に住む人はこう。

 北の国は人殺しが合法。南の国は人と触れ合うことが違法。

 地球人は発音できる器官がある。木星人は電波を発することで意思疎通を行う。

 太陽系では惑星にしか空気がない。アンドロメダ星雲系では窒素で溢れている。

 例を挙げるとキリがない。

 つまりは、常識と言うのは「自身が生きていくうえで生きやすくなるようなセーフティアクションの集まり」と言える。

 これは例えば「お母さんに怒られないようにご飯を残さず食べると良い。これによりお父さんに告げ口されず一日が平穏に過ごせる」だったり「今日はお父さんがいないのでお母さんがご飯を作らないので私が早く帰ってご飯を作らないとお母さんが怒る」だったり「うちは両親がいない上に弟妹を食べさせなきゃいけないからパパを探すためにボクは夜の闇に消えていく」だったり。いやそれは常識的ではないか。

 ……

 常識的、とは何か。

 これは常識とは違う。

 簡単に言うなら「常識の最大公約数」と言えるかもしれない。

 世間的な「当たり前」をあらかじめ決めて、それを共有したものだ。

 例を挙げるとみだりに生物を傷つけてはいけない、とかだ。

 ところが、この「常識的」というのはより小さな界隈でいともたやすく破られる。いじめはダメだという広域的な常識に対して小規模のいじめは発生したり、服を着ることが常識であるということに対して、裸で街を歩く者がいたり、など。

 これは逆に「常識であるからこそ、それに反する行動をとることの背徳感や異常行動の共有による、仲間意識の快感」が起こるからではないかと推測される。

 理由などを明確にすることは不可能だし、何より意味を見いだせないが、分かることは一つある。それは、そのどれもが結局「常識を知ってなお行っていること」だ。

これは犯罪者の考え方に繋がるかもしれない。例えばお金がないから財布を奪う、不当な稼ぎで金を得る、それは生きるためだ。自身の生命が脅かされたからそう言う行動に出る。まだわかる言い分だろう。最近の例で言うなら転売は悪い事だ。何故か。それは流通の常識を知りながらそこへ介入するからだ、と言い換えることができるかもしれない。流通に必要なお金が最小で済むからだ。

 少し前の例を出すなら漫画村。作者に還元されない。出版社に還元されない。還元されないと、新しい良いものが生まれない。つまり消費されるだけ。漫画界に温暖化の波が来る。もう来ているのかも。

 問題は、それらの悪い事を「他の人もやってるから、いいじゃないか」と、本人の罪の意識が多人数と共有することで薄れていることだ。そう、悪い事が常識ならそれは生きるために問題ないことだと、すり替わってしまうことだ。

 そして、その共有している他人が近ければ近いほどに、その罪の意識は薄くなる。まさに「赤信号、みんなで渡れば怖くない」状態から「赤信号、わたしだけ渡らないから村八分」なわけだ。そりゃ渡ることが常識になる。ダメだよ。

 さて。

 ともすればこの常識は危険なもので、極端な話「常識」と「常識的」は本質的に別物で、また多くの人は自分が持っている「常識」が他人も当たり前に持っている「常識」が同じものなのだ、と勘違いしていることである。

 まったく非常識である。

 あなたは私ではない。私はあなたではない。

 あなたは朝食を食べるだろうが、私は食べない。

 あなたは文学をたしなむだろうが、私は漫画しか読まない。

 あなたはサンドイッチを食べるだろうが、私はリンゴしか食べない。

 あなたはリザードンが好きかもしれないが、私はポリゴンZの方が好みだ。

 あなたは、私と違う。

 あなたの中にある常識の中に私を当てはめて勝手に絶望するのは自由だが、私の常識をあなたの中に勝手な解釈で理解したふりをするのをやめてくれ。


 そう、齟齬が発生するのだ。


 こればかりはお互いが深く知り合おうという努力をなくして積み重ねることはできない。

 日本語と言うのはえてして複雑で自由で、なにより書かれていることすべてが真実ではないという非常に面白い存在である。

 奥ゆかしい、とも言えるだろう。

 表現ひとつとっても分かりやすい言葉に置き換えることもできるし、複雑で分かりづらい言葉を使う時はその言葉でなければならないから、というのを知っているだけでも、小説やメッセージのやり取りで相手の言いたかったことに気が付けるかもしれない。

 ただ、お互いを知ろうという努力が、それを成せるのだ。

 だから、常識はずれなことが起こったときはどうか、なぜそうなったかを考えてから対応してほしいと思う。

 神秘的な物語ミステリーも、そう言う意味では常識から外れたものではないのだろうから。

 今回はこの辺で。

 ありがとうございました。 

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