交渉人、川井ラムネ

富本アキユ(元Akiyu)

第1話 交渉人、川井ラムネ

韓国人の男が4人の人質を取り、立てこもってから13時間が経過していた。

緊張が走る現場にやってきたのは、片手にラムネを持った若い女。


その女――

交渉人、川井ラムネ。


「電話繋いで。変わって」

「お前、また人の現場に!!」

「うるさいわよ、タコ」

「誰がタコだ!!」

「タコみたいな頭してるからタコでいいのよ。いいじゃない。タコも結構可愛いあだ名よ。人質と犯人、無傷で解放したいなら私に任せなさい」

「チッ……。ほらよ」


川井ラムネの手に電話が渡される。


「ねぇ、イ・ヴョンスさん。私から提案があるの」

「誰だてめぇ!!うるせぇ!!お前の言う事なんか聞くか!!」

「そんな怒らないでよ。ねぇ、お互いの為に取引しない?」

「あ?」

「もう13時間もずっと緊張しっぱなしでしょ?あんたは警察の突入を恐れてるし、あたしも仕事終わりで眠い。オマケにあんたのせいでこんな残業。だからさ、明日にしない?」

「明日だ?ふざけるな。さっさと金と逃走用の車をよこせ」

「もう夜よ。お互い眠いでしょ?人間、睡眠は大事よ。ちゃんと寝なくちゃ。今の状態で逃走用の車を運転して事故って死んじゃったなんてオチになるのも嫌でしょ?人間、休憩とのメリハリが大事よ」

「……まあな」

「ねぇ。お腹空いてない?あんた、夜ごはんは食べた?」

「食べてない」

「あんたと人質の人の分の食糧と水を用意するわ。受け取ってくれない?ついでにさ、変わりといっちゃなんだけど子供の人質を一人だけでも解放してくれない?子供一人減ったぐらいでは、あんたにそこまで影響ないでしょ?」

「……いいだろう」


人質の分の食糧と交換で、子供一人が解放された。


「流石だな。川井。やるじゃないか。この調子でどんどん人質を解放させろ」

「違うわよ。これはあたしの本音よ。あたしも眠いの。だから明日じっくりやろうって提案したの。子供の解放はついでよ」

「ついでってお前な……。人の命がかかっている重大な場面だというのにお前は――」

「はいはい。13時間も粘って人質一人解放する事もできないタコは黙ってな。さっさと海に帰りな」

「この野郎……。一人解放したからって調子に乗りやがって……」


翌日。午前8時。


「おはよう。イ・ヴョンスさん。ねぇ、昨日はよく眠れた?」

「ああ」

「そう。それはよかったわ。ねぇ、朝ごはん食べてないよね?韓国人の朝は、ご飯にお味噌汁がいい?それとも目玉焼きにパン?どっちでも用意させるわ。ご飯ならキムチの方がいいかしら?私、韓国人の食生活なんて詳しくないの。ねぇ、どっちがいい?」

「ご飯に味噌汁。後は、キムチも欲しい。人質は解放しないぞ」

「わかってるわよ。まずは朝ご飯食べて落ち着いてからにしましょう。昨日みたいに準備させて、丸腰の私が近くまで持っていくわ」

「いいだろう」


川井ラムネは、朝食を持って行った。


「ねぇ。ヴョンスさん。ご飯の味付けはどうだった?お口に合ったかしら?」

「まあまあだな」

「よく寝てご飯も食べて、ひとまずこれで落ち着いたわね。ねぇ。人質は皆大丈夫?あと3人いるわよね?体調を崩してる人とかはいない?」

「大丈夫だ」

「そう。ならよかったわ。そろそろ本題に入ってもいいかしら?確認なんだけど、あんたの要求は、お金と逃走用の車でよかったのよね?」

「ああ」

「他には?何か欲しい物はある?」

「警察は俺が逃走したら捕まえない事だ」

「お金と逃走用の車。そして警察は捕まえない事が条件ね?うーん……あたし個人のアドバイスとしては、それは難しいと思うの」

「なぜだ」

「だってあんたが逃げるって事は、人質は置いていくんでしょ?だったら警察としては、そのまま捕まえに行くと思うの。それではダメよ。あんたが捕まっちゃう」

「ならどうしろっていうんだ」

「逃走用の車ではなく、ヘリにしない?」

「ヘリだと?」

「そう。ヘリ。空からなら警察もなかなか追いかけてこないでしょ?」

「俺はヘリなんて運転できない」

「そう。ならあたしの知り合いで運転の上手い操縦士がいるの。その人を一人つけるわ。警察関係者じゃないから大丈夫。約束するわ。ねぇ。その代わり、人質を一人解放してくれない?お年寄りには、今の状況、体力的に辛いと思うの。だから解放してあげて欲しいな」

「……本当にヘリを用意するんだろうな?」

「本当よ。あたし、嘘が嫌いなの。あたし男運がなくてね。今まで付き合ってきた男達、皆嘘つきで浮気してるのにしてないとか平気で嘘つくような男ばっかりだったの。あたし男を見る目ないわね」

「……それは大変だな」

「あら、同情してくれるの?あんた意外と良い人ね。じゃあ交渉成立でいいかしら?」

「……いいだろう」


お年寄りが一人解放された。

人質は残り2人になった。


「やるじゃねぇか。川井」

「ねぇ、タコ。ラムネがなくなった。2本買ってきなさい」

「俺に命令するな!!俺はこの現場のリーダーだぞ!!ラムネなんてなくてもいいだろう」

「ダメよ。急いで買ってきなさい」

「チッ……。おい、誰かこいつにラムネ買ってこい」


タコこと頭がスキンヘッドの三橋警部は、部下にラムネを買いに行かせた。


「ねぇ、ヴョンスさん。あなた家族は?」

「俺は独身だ。それくらい警察なら分かるだろ」

「そう。親とか兄弟とか友達は?」

「皆韓国にいる」

「どうして日本に来ようと思ったの?」

「俺は日本のアニメが好きだ。絵が得意だからアニメの仕事を日本でやりたかった。だが現実は甘くなかった。それで金がなくなって――」

「それで人質を取って立てこもったのね」

「ああ」

「ねぇ。あたし、あんたが描いた絵を見てみたいな。このままだとさ、あんたが描いた絵を世の中の人、誰にも見てもらえないままになるんだよ?」



「ラムネ2本買ってきました」


三橋の部下がラムネを買って戻ってきた。


「……俺には才能がなかったんだ」

「あんたまだ28歳でしょ?若いじゃん。好きな事あるなら、何歳になってもあきらめる事ないよ。……って言ってもさ、あたしもまだ25歳なんだけどね。あんたより年下の女が何言ってんだって話だよね。……ねぇ、喉渇かない?ずっと話してるとさ、何だか喉渇いてきちゃった。ラムネは好き?喉渇いてる時ってさ、炭酸飲むと爽快なんだよね。そっちに持って行こうか?今買ってきたばかりだから冷たくて美味しいよ」

「ああ……」


川井ラムネは、ラムネを持って行った。


「今更なんだけどさ。あたしの名前、川井ラムネっていうの。ラムネだよ?ラムネ。あたしと同じ名前の飲み物なの。いや、あたしの名前の方がラムネから来てるのかな?あたしの親も変な名前つけるよねー。そう思わない?」

「そうだな」

「あっ、今初めて笑ったね」

「いや、こんな状況でなんて話をしているんだろうと思ってな」

「そうね。それは言えてる」

「ラムネ。お前は、いつもこんな風に犯人と話すのか?」

「状況によるわね。皆あんたみたいに話しやすい奴ならいいんだけど、全然話を聞く気のない奴もいるわ」

「そうか。お前の仕事も大変だな」

「あら、分かってくれる?同情してくれるなら残り2人の人質を解放してくれるか、あんたが大人しく自首してくれたら一番ありがたいんだけどね」

「できない相談だ」

「だよねー。そう上手くはいかないよね。ああ、そうだ。用意するお金なんだけどね。日本円がいい?アメリカドル?それともウォンで用意しようか?」

「アメリカドルがいい。どうせ高飛びするつもりだ」

「そう。ドルね……。ドルだとちょっと用意するのに時間がかかりそうなの」

「かまわない」

「ねぇ。待ってる間の時間が惜しいわ。何か絵でも描いてよ」

「……いいだろう」


川井ラムネは、ペンと紙を渡した。

そしてイ・ヴョンスは、アニメのキャラクターの絵を描いた。


「凄い!!ほんとに絵上手いわね!!流石はプロを目指そうとしてる人間なだけあるわ」

「…………そんなに褒めてくれたのは、俺の母親以来だ」

「あんたのお母さん?どんな人なの?」

「いつも優しい人だった……。俺の描いた絵を褒めてくれて……」

「お母さんは韓国にいるの?」

「いない。乳癌で俺が18の時に亡くなった」

「そう……。ごめんなさい。嫌な事聞いたわね」

「昔の話だ。気にするな」

「あんたが今、人質に取ってる二人の人にもね、家族がいるの。今、どんな思いでいるか考えてみて欲しい」

「……ああ。巻き込んでしまって申し訳ないとは思っている」

「じゃあせめて、どっちか一人解放してくれない?人質は一人いたら十分でしょ?」

「……わかった」


人質の女性が解放された。

人質は最後の一人になった。


「ありがとう。段取りが出来たから、ヘリも今からこっちに向かわせるわ」

「ああ」

「もうすぐお別れね。何だか名残惜しいわ。あんたとは、違う形で出会ってもっと長い事、お話してみたかった」

「そうだな。俺もだ」

「ねぇ。最後に一つ相談があるんだけどいいかな?あんたが今取ってる人質と私、交換する事はできない?あたしがあんたの人質になる」

「……いいだろう」

「おい、川井。自分が人質になるなんて正気か!?現場はどうする!?」

「どうするってあんたがリーダーでしょう。本当に使えないタコなんだから。勝算はある。大丈夫。彼を説得してみる。いい?もしも1時間以内にあたしが出て来なかったら突入して」


建物内で川井ラムネは、イ・ヴョンスを説得していた。


「ヴョンスさん。まずい事になったわ」

「どうした?」

「警察が1時間以内に突入してくるつもりよ。ヘリも今こっちへ向かってるけど間に合わない。あんたの罪を軽くするには、自首して出てくるのが一番得策なの。よく考えて欲しい」


現場は、静寂のまま30分が経過した。

そして建物内からイ・ヴョンスと川井ラムネが出てきた。


「彼は説得に応じて自首するわ」


こうして事件は解決した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

交渉人、川井ラムネ 富本アキユ(元Akiyu) @book_Akiyu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ