崖の上のいびつな館
ep.3
「話をそらさないで。あの人との関係はどうなのか、そう聞いてるの」
都内、高層マンションの一室。大きな窓は開け放しにされていて、夜の冷たい風が薄いカーテンをはたはたと揺らす。
部屋の中は暗く、灯りはついていない。キッチンでは、半端に閉められた蛇口から、途切れ途切れに水が滴り落ちている。
女と男。
リビングには、二つの人影があった。
女は、男に背を向けて立っていた。彼女の傍に姿見が置いてあり、そこに反射した表情が、男には見えていた。
全くの無表情。男が、鏡の中の彼女を盗み見る。そして、すぐに目線を逸らす。顔ごと背ける。
彼女は、何も言わずに、立っている。先の質問に、男が答えるのを、ただじっと待っている。男はおびえた顔で、唇の右端を引きつらせて、なんとか口を開いた。
「彼女とは――」
そう言って、男がぐっと息を詰まらせた時、
プルルルル……
プルルルル……
スマートフォンに着信が来た。画面を確認しようと私が手を伸ばすが――女がぐるりと身体をひねって、男を見下ろした。
「私の顔を見て、目を逸らさずに、話して」
一切の感情を押し殺したような、抑揚のない声だった。男は、目だけを上に動かした。女が放つ鋭利な視線が、男の心臓を串刺しにした。全身が硬直した。
「会ったのはあの一度きりだ。それ以降は全く――」
額に滲む汗。男はぼそぼそ弁明を始める。しかし、女の絶叫によって、それはすぐさま遮られた。
「ふざけないで!!!!それ以上適当な言い訳をぬかしたら、どうなるかわかってんの?その女のあなたも、社会的に抹殺してやる」
眼も眉も逆三角計に吊り上げる女。握りしめた拳はわなわなと震え、長い爪が手のひらに深くめり込んでいる。そんな状況下でも、スマホの間抜けなベルの音は鳴り続いていた。
これを聞くのは、一体今日何度目だろうか。私は、画面に表示された緑色のアイコンをタップして、本体を耳にあてた。
『先生。原稿の締切、明日ですけど。進捗どうですか』
スピーカー越しに聞き慣れた声。本日すでに四回聞いた台詞を、一言一句違わず、律儀に繰り返した。
「あー……」
と、考えるふりをする。
「そうだな、とりあえず、こんなストーリーはどうだろう。ドロドロした恋愛もので、浮気性の男に裏切られた元恋人の女が復讐のためにヤクザへ転身するという――」
向こうの反応を確認する。数秒空いてから、彼は冷静な声色で答えた。
『……それ、今やってるドラマの再放送のストーリーとそっくりですね。設定が時代遅れです、他の案はありますか』
真っ当すぎるダメ出しに喰らった私は、特に気の利いた返答も思いつかず、モニターの中で取っ組み合いを始めた男女を、口を半開きにしたままぼーっと眺めていた。
『……三十分後、いつものカフェでお待ちしています。続きはそこで話しましょう』
それでは、と言って電話は切られた。女の張り手をもろに喰らった男は、真っ赤に腫れた頬を庇いながら、床に崩れ落ちている。激怒した女は彼に目もくれず、扉を開けてそのまま部屋から出て行った。自らの行いに対する当然の制裁をもらい、呆然とする彼の姿に、薄い共感をどこかで覚えながら、私は部屋を出た。
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