仮面
「はい、トルネードキャラメルアイスだよ。これ食べて落ち着こうね」
俺たちは学校帰りに商店街にあるアイスクリーム屋さんに寄っていた。
俺は小池さんからカップに入ったアイスを受け取る。
小池さんは四段に重ねられたアイスを手に持っている。
天道はそんな小池さんを見て「はわわ……」と唸っていた。
「ありがと、小池さん。……ていうか、なんで俺がハム助だってバレたんだろうな? 二人は知らなかったもんな」
「うん、九頭龍君がお歌がうまいのは知ってるけど、配信? しているのは知らなかったよ」
「そうっすね、先輩カラオケうまかったっすけど、配信しているタイプじゃないと思ってたっすよ。……ていうか、小麦さんって歌が超好きで、いつもハム助さんの事を話しているっす」
「そっか……、嬉しいけど複雑な気分だな……。そういや、クラスで大丈夫そうだな?」
天道は照れ隠しをするようにアイスをなめる。
「へへ、小麦さんが色々助けてくれたのもあるし……、先輩を見て勇気を出して前に進もうと思ったっすよ。そしたら、みんな意外とお兄ちゃんの事件の事なんて気にしてなくて……、あっ、多分うちの教室だけかもしれないっすけど」
俺たちはアイスを食べながら天道の話を聞く。
「……えっと、私の事は大丈夫っす。……先輩がバレたのって、ハム助さんのファンクラブの人が先輩の歌を廊下で聞いたって言ってたっすよ」
俺は記憶を思い起こす。
……そういや、テラスの廊下で雨宮の前で歌を口ずさんでいたような気が。
その時か? それだけで俺がハム助ってわかるもんなのか? ていうかファンクラブなんてあったのか……。
「それに、先輩、タクヤさんと友達じゃないっすか。タクヤさんが先輩を連れて消えた放課後、あれ一年生の間で伝説的な出来事になってるっすよ。……多分私が嫌な目に合わなかったのも、私が先輩と……と、友達だからだと思うっす」
なるほど、有名人と友達である事がこんな副作用を発揮する時もあるんだな。
今まで俳優の息子ということを隠していた。ハム助として配信をしている事を隠していた。
面倒が起きると思ったからだ。親父に迷惑がかかると思ったからだ。
だけど、それが人を守る事もあるんだな……。
俺はポツリと呟く。
「……歌、歌ってて良かった」
言葉にして見ると、本当にそれが実感できた。
俺は歌うことで嫌な事から逃げ出していた。誰かの力になるなんて思わなかった。
素顔で歌うのが嫌だから配信の時は子供の頃親父からもらったハムスターの仮面を被っている。
「そうだよ、九頭龍君のお歌を聞いているとすごく心が落ち着くんだよ? 不思議な歌声だよね〜。まるで私の事を歌っているみたいで」
「あっ、そうっすね! 先輩の歌を聞いていると自分の事を慰めてくれているみたいっす。……せ、先輩の歌、私好きです」
俺は笑顔で二人に答えた。
そうだな、俺は誰かと友達になったとしても本心を隠していた。
雨宮も日向も、天道にだって歌なんて歌ったことがない。
あの事故がなければ考えもしなかった。
――歌なんて歌ってもどうせみんな裏切る。
――お前は誤解まみれの人生を過ごすんだ。
――どうせこいつらも有名人と知り合いになりたいだけだ。
頭からはっきりと声が聞こえてきた。
……暗く、重く、悲しそうな声。まるで子供が癇癪を起こしているようで、泣いているようで――
その声を聞くと、俺も悲しい気分になっていく。親父から貰ったハムスターの仮面を被っている子供の頃の自分の姿が頭に浮かんだ。
……過去の誤解……ひどい事が沢山あった。それこそ子供の心では耐えきれない事ばかりであった。
そんな時、俺は、あの事故の時みたいに――、自分を傷つけたものを忘れようとして――
ハムスターの仮面を被って俺は自分の心を隠していた。
「九頭龍君……大丈夫? なんだか悲しそうな顔になってるよ……」
「せんぱい、お腹痛いっすか? 大丈夫っすか?」
二人はいつの間にか俺の背中をさすっていた。
手の温かさが悲しい気持ちを和らげてくれる……。
――優しさなんて……裏切られる……だけだ……、僕は歌を歌っていれば――
俺の中の心の声はひどく繊細で震えていて、悲しそうであった。
それは仮面で覆い隠していた自分の気持ちのようであり、本心のようであり、俺は何故か歌いたい気分になっていた。
「わりい、もう大丈夫だ。……なあ、ちょっとここで軽く歌ってみてもいいか――」
「え、いきなりっすね? せ、先輩が恥ずかしくなければ私はいいっすよ」
「うん、お歌聞きたいな」
悲しい気分を吹き飛ばしたかった。俺と同じ気持ちになっている誰かを慰めたかった。
うまく出来ないから俺は歌を歌っているんだ。
コメントは一切見ていなかった。
人の悪意を見るのが怖かったからだ。それでも、俺は配信を続けていた。
歌っていないと、俺が壊れてしまうからだ。
俺はベンチから立ち上がる。
商店街は学校帰りの生徒や買い物中の奥様たちで溢れている。
アイスクリーム屋の店主と目が合った。ダンディーなひげのおっさんが何故かウィンクしてきた。
電柱の陰に隠れている雨宮の姿が見えた。
商店街の奥にあるカフェに向かっている日向たち女子グループと大五郎の姿が見えた。俺たちには気がついていない。
俺に陰口を叩いていた生徒たちも大勢いる。
白戸たちが学校の方から商店街に向かっている。その後ろには真っ赤な顔をしたメガネ男子と小麦ギャルが歩いていた。
音響もマイクも何もない。あるのは……ハムスターの仮面だけである。
俺はカバンの中からハムスターの仮面を取り出した。
「ほえ? 可愛い仮面だよ。……九頭龍君、それカバンに入れてたの?」
「か、可愛いのかな……、ちょ、リアル過ぎじゃないっすか?」
これがあると自分の心も隠せたんだ。
歌う時も学校に行っている時も片時も離さなかった仮面。俺という存在を隠してくれた大切なモノ。
俺を心配してくれて、何度も導いてくれたモノ。
親父が南米で買ってくれた魔除けの仮面。
俺は仮面を被り、ハム助へと意識を切り替えた。
――これがハム助としての最後だ。次は――俺自身で歌うんだ。
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