さよなら
「おはよう〜、二人とも〜、えへへ、友達と登校って初めてでなんか新鮮だよ」
「わ、私もぼっちだから、へ、へんな気分っす」
俺たちは昨夜の話し合いの結果、とにかく様子を見ることにした。
事故以前の状態と変わらなかったら、生徒たちの反応をみたらわかる。
雨宮と日向の反応も気になる。幸い、小池さんと天道は俺とどこで会っても友好度は変わらないみたいだ。
だから、俺達はなるべく一緒に行動することにした。というわけで俺たちは三人で登校することにしたんだ。
「おはよう! なんか昨日は親父がすまんかったな」
親父は沙羅さんの電話の後、何も言わずに秘蔵のバーボンの瓶を片手に演技の練習部屋にこもってしまった。なんとも複雑な顔をしていた。なんだか俺たちに向ける眼差しだけは非常に柔らかかったけどな。
時間も遅くなりすぎるとあれだから、あの後、俺は二人を家まで見送りをして、自宅へ帰るとそのままベッドに潜り込んでしまった。超眠かったんだよ。
そんな事を考えていると、天道が俺の顔をじっと見ていた。
「ど、どうした? なんかついてるか?」
「ほえ!? あ、いや、えっと、なんか凛々しいなって思って……。あっ、ち、違うっすよ、べ、別にかっこいいなんて思ってないっすから、勘違いしないで下さいっす!」
「はっ? そ、そうか、なんか調子狂うな……。いつも通りでいいぜ。前みたいに『くそ雑魚せんぱーい、今日もキモいっすね〜』とか言っていいぞ?」
「ひえ!? そ、そんな事、お、思ってないっすよ……、せ、先輩の意地悪……」
「ははっ、若いやつは元気があるくらいがちょうどいいんだよ」
「……せ、先輩も若いっすよ」
小池さんはそんな俺たちのやり取りを見て感心したように口を開いていた。
「ほわわ〜、これが友達同士のやり取りなんだね〜。仲が良さそうで楽しそう! えっと、クソ雑魚ってどういう意味?」
「ちょ、小池さんは知らなくていいの! いつもどおりのいいんだよ!? あっ、お菓子あるけど食べる?」
「うん!! 今朝はママが寝不足で朝食が食パンとベーコンエッグだけだったから嬉しいかも!」
「そ、そうか。一杯食べろよ」
表面的なやり取りではない。心の底から安心できる会話だ。
事故にあって黒いモヤが身体から出ていったときも平穏であったが、あれは自分であって自分ではない感覚だったと今は思う。
それにあの時はわからなかったけど、先が見えない状態だった。きっと取り返しのつかない事が起きたと思う。
何か大切なものを忘れている感覚。常にそんな状態だったんだ。
……好きっていう気持ちか。
そんな大切なものを忘れていたんだ。
さて、今日は登校時間を小池さんに合わせた。そのまま中庭でゆっくりと時間を過ごし、教室へ行くつもりだ。
俺たちは三人とも違う教室だ。……俺も、小池さんも、天道も問題を抱えている。
俺も自分の事ばかりじゃなく、二人の事を気にかけなきゃな。
天道の兄貴の件はどうしたって根強くしこりに残る。
……悪意はそれを上回る悪意で塗り潰せば覆い隠せる。
そんな暗い事を思い浮かんでしまった。
――その瞬間、背中に衝撃が来た。
「ぐほっ!?」
「九頭龍君、みんなで解決しようね! 先走っちゃ駄目だよ?」
小池さんは俺の心を見透かすように、俺の背中に活を入れてくれた……。
中庭では俺の配信の話で盛り上がり、今度うちの音響部屋でカラオケをしよう、という話になった。……配信するの忘れてた。今夜は即興で歌を作る配信でもすっか。
中庭でゆっくり過ごした後、俺達は各々の教室へと向かった。
天道は笑顔で『先輩、そんなに心配しなくても大丈夫っすよ。なにかあったらすぐに言います! 先輩の方が心配っす』と言ってくれた。
小池さんも若干の不安顔であったが、自分のことよりも俺と天道の心配をしていた。
小池さんは何も言わずに天道をモフモフと抱きしめて名残惜しそうに別れた。
俺は教室へと入る。
教室の空気感が変わったのがわかった。
視線が俺を射抜く。
慣れ親しんだ嫌悪感と敵意が混じった視線。若干の戸惑いの視線も感じられる。
やっぱ戻っちゃったんだな。まあしゃーない。俺が選んだ選択肢だ。
何故か、この時――切れかけた黒い線が見えた。
黒い線の先には幼馴染である日向が俺を見ていた。
黒い線は突然断ち切れる。
そしていきなり思い浮かんだ選択肢――
日向に話しかける――
駄目だ、口喧嘩になってクラスを巻き込む問題が起こる。先が見えない。
日向を無視する――
駄目だ、先が見えない。ドツボにハマる予感がする。
前はここまではっきりと見えなかった。
はっきりと見え始めたのが、昨日の中庭で天道を探している時であった。
以前は薄ぼんやりとわかる程度であった。
教室のざわめきがひどくなる。
「てか、あいつってなんで誤解されていたんだっけ?」
「そりゃさ、誤解だったかもだけどさ、説明しないクズ竜も悪くない?」
「……うーん、あんまり関わりたくないかも」
「別に何かしたわけじゃねえけど、やっぱ気が合わねえな」
「無理して話す必要ないっしょ」
「ほっとこうぜ」
……存外、そこまで悪い空気じゃない。以前はもっとひどかった。俺が絶対的な悪として存在していた。今は関わりたくないだけで済んでいる。
それよりも日向の視線が怖かった。日向は複雑な感情で俺を見ていた。
日向が俺に近づいて話しかけようとしてくる。駄目だ、この選択肢は先が見えないんだ。
「あんた、天道さんに何したの? あんたが天道さんをいじめて――」
……今までの俺と日向の関係を考えるんだ。俺と日向は幼馴染。昨日までの俺は日向によそよそしかった。日向は俺がいきなり冷たくなったと感じたから、俺と距離を縮めたかった。――なら、イチから関係を築き上げる。友達としての。
話すだけじゃ駄目だ。行動でしめせ。俺は日向としなかった事は――
俺は日向の手を取って握りしめた。優しく、それでいて力強く、親愛感情を伝えるように――
この時、俺は以前から感じていた日向からの愛情が……本当は幼馴染としての好意だったことがわかる。そして、俺は誤解される事から逃げるように、先が見えない日向と付き合うという選択肢を選んだ事が理解できた。……それでも好きだった事は紛れもない事実。付き合えた事が嬉しかった。平穏で幸せな二人の道があると思ったんだ。
――本当に俺は駄目な男だったんだな……、わりい、日向。本当にわりい。もう逃げねえよ。
手を握られた日向は急速に顔が赤くなった。
切れた黒い線は戻らない。残り香のような黒い線が段々と消え失せていく。
日向が感じている嫌悪感が薄まったのように思えた。
……昔みたいな関係性。俺と日向。ずっと一緒にいた幼馴染。それは恋人のようで友達以上の関係。恋人には……なれなかった。手も繋いだ事が無かった。
胸が痛い。好きだった。そう、好きだったんだ。でも、どこか胸の奥にしこりが残る感情。
「あ、あんた、ちょっと、なんで手を……、あれ? なんで嫌な言い方を、わたし……、武蔵に聞きたかっただけなのに……、ひゃ!? む、武蔵……」
俺は日向のもう片方の手を握る。
日向から色々な感情を感じる。日向は一瞬だけ大五郎を見た。そっか、やっぱ、そういう事でもあるんだよな……。
二人でカラオケを行く仲。俺の嫌悪感があろうとなかろうと日向の純粋な好意は大五郎へと向かっていったんだ。
普通の女の子が普通の恋愛をする。高校生なら当たり前の事だ。
俺のせいで色々感情を振り回しちまったんな。
もう、思い出を思い出したとしても、俺は日向の隣にはいられない。
胸が苦しい。日向から複雑な感情が流れ込んでくる。
幼馴染として俺の事を好きでいてくれる感情、淡い恋心へと変化していく過程。
日向を慰める大五郎の優しさ。俺と大五郎の狭間で揺れ動く恋心。
喋るな、行動でしめせ、俺は大切だった幼馴染の幸福を願うんだ。
「む、武蔵? なんか雰囲気が前と一緒に戻ってて……、えっと、昨日大五郎君と相談してて、武蔵とゆっくり友達に……」
そうだ、友達なんだよ。
――俺はただ、笑顔を日向に向けた。ありったけの感謝と愛情を込めて。
「武蔵?」
心の中で淡い恋心にお別れを告げる。
――さよなら、日向。
その瞬間、消えかかっていた黒い線が――完全に見えなくなった。
そして、日向は、
「あ、む、さし? あれ? なんでだろう? 武蔵との思い出が急に……、ちょ、まって……、わ、私……、そっか……、私、好きだったのに……」
日向は泣きそうな顔で俺に言った。
「……むさし、友達でいようね……」
その言葉が存外、俺の胸に突き刺さった。
教室は静まり返り、空気感が和らぐ。
そして、俺たちは別々の自分の席へと歩き出した。後ろは振り向かない。
俺たちは、いま、本当の別れを知ったんだ。
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