出会った二人

「ひっぐ、ひっぐ……、せんぱい……わたし、重たいっすよ……」


「あん? 全然軽いぞ。ったく、安心して腰抜けたって……、天童は変わんねえな」


 俺の胸の中で盛大に泣いた後、天堂は立ち上がれなかった。

 腰が抜けてしまったんだ……。

 俺がおんぶして中庭を抜けようとしている。


「おい、な、なんか妙に抱きついてねえか?」


「そ、そんな事ないっすよ……。……せ、せんぱいを近くに感じたくて」


「だーーっ、なんで前と違う反応なんだよ!? お前はいつも『せんぱい〜、私のふともも見てドキドキしちゃったっすか?』とか言いながら俺を小馬鹿にしてただろ?」


「あ、あれは……精一杯頑張ってたっていうか……。は、恥ずかしい事を思い出させないで下さいっす……」


 天道は小さい身体なのに出るとこ出ているから非常に柔らかくてほわほわしている……。

 なんにせよ、そこに天道がいるって感じられるから嬉しいことではあるが……俺も恥ずかしい。


「ふん、ま、まあ今日はいいさ」


 天堂の小さな笑い声が背中から聞こえてきた。

 少し元気が出てきたみたいで良かった……。


 正直、思い出しただけで背筋が凍りつく思いだ。

 大切な後輩が自殺しようとしていたなんて……、ギリギリ間に合って良かった。

 ……後悔はしていない。当たり前だ。


 俺は胸に手を当てる。

 はっきりと黒い何かを身体の中から感じる。

 だけど、以前とは感覚が違う。俺の意識が変わったからか?


「……天童、今の俺ってどんな風に見える?」


「え、あ、は、はい……、わ、私と助けてくれた、黒い、お、王子様……」


「はっ? く、黒い王子……?」


「え? あっ、つ、つい、正直に答えちゃったっす……」


 斜め上の返答を貰って俺は拍子抜けしてしまった。

 そういや、以前も天童と中庭で話していた時は誤解なんて受けなかったな。

 この中庭は俺んちと一緒で特別な場所なのか?

 うちは魔除けが一杯あるから、なんか理由はわかる。親父もいるし。


 中庭は……、このキモいオブジェのせいか? あと、あの大きな木もやばい雰囲気を感じるんだよな。あれってどんだけでけえんだよ。


 改めて天堂に聞いてみた。


「い、いやさ、お、俺の事嫌いじゃねえのか? 俺って……天童の兄貴をボコボコにして……、それで……」


「……う、ん。お母さんもお父さんもお兄ちゃんの事で喧嘩して、弟はグレて……、私は……、先輩の事きらいになりたくなくて……、誤解だったとわかったら嬉しくて……、ひっぐ、ひっぐ……、家に帰りたくないっす……」


 やっぱり家庭がぐちゃぐちゃになってしまったか……。


「すまん、俺のせいだな……」


「先輩のせいじゃないっす。私の家の事情っすから……。先輩は悪くないっす」


「……そっか、俺の事、嫌いにならないでくれたんだな。すげえな、天道。ほとんどの奴らが嫌ってるのに」


「……だって、せんぱいは、ひっぐ……、よくわかんなくて苦しかったっす」


 俺が誤解される原因や、嫌われる原因はわからん。

 だけど、今は天道が俺に気を許してくれている事が単純に嬉しかった。


「ありがとな、天道。……家に帰んのが嫌ならとりあえずうちでコーヒーでも飲むか」


「い、いいんですか?」


「当たり前だ。お前は大事な後輩なんだからな」



 前を向くと、中庭の出口が見えてきた。俺は沙羅さんの楽屋でのみんなの反応を思い出してしまった。

 タクヤとボブが俺の空気が変わって驚いていた。

 あれは、俺から嫌な空気を感じたんだろう。


 ……後数歩で中庭を抜ける。


「せんぱい?」

「ん、大丈夫だ。天道は後で俺んちで休んでいる事を親に電話しろよ」

「う、うん……」


 立ち止まった俺は、天道の声に反応して、再び前に進んだ。

 中庭を抜けた。

 そして、そのまま校門を出る。

 その間、天道と俺の会話は無かった。


 俺は天道をおんぶしながらレンタルサイクルの元へと向かう。

 ……大丈夫だ、誤解されても構わない。天道が助かったんだから。


 俺にとって世界は恐ろしいものだ。

 助けた人から恨まれるのなんて日常茶飯事だ。

 落とし物を拾っただけで罵倒される世界だ。


「……せんぱい、もう降りる」


 俺は天道のその言葉を聞いて、小さくため息を吐いた。

 仕方ない、やっぱり俺と天道は中庭だけしか―――




 手を握られた。

 柔らかい感触、小池さんとは違う肌感。俺は思わず天道を見つめてしまった。

 そこには、顔が赤くなって照れくさそうな天道がいた。


「え? あ、な、なんか握りたくなったっす……。え、えっと、ま、まだフラフラするから、さ、支えて欲しい、かな?」


 中庭を出ても天道は普通であった。俺を見る目が――普通であった。や、なんかキラキラしている。

 それだけで、俺は、嬉しくて……。


「て、天道、俺の雰囲気がいつもと違うんじゃないか? そ、その、なんか嫌な感じがしないあか?」


「ちょっとだけ変な空気感だけど、な、なんか陰があってかっこいいっす……、あっ、い、今のなしっす! せ、先輩なんてカッコよくないっす、あっと、でも、私を助けてくれて、超カッコよくて……、あわわ、なんか、何言ってるんだろう……」


 俺は天道の手を強く握りしめた。

 天道は「ひゃ!?」と小さな悲鳴を上げる。


「そっか、良かった。……俺んちに着いたら色々話そうぜ」


 俺は、心の中で、涙を流している気分になった。

 ったく、そうだな、俺はもう昔の俺じゃない。


 近くのレンタルサイクルポートに自転車を返して、俺達は夜の道をゆっくりと歩いた。







「はぁ〜、やっぱり、ここで待っててよかった。九頭竜君、大丈夫だったんだね?」


 俺の家の近くの歩道橋。俺が小池さんと初めて会った時の思い出の場所。

 小池さんを見ると、俺の心が安堵するのを感じた。

 なんだ、この安定感。ていうか、小池さんは俺が事故る前に出会った人だ。それなのに俺に普通に接してくれた。


 小池さんは俺と手を繋いでいる天道を見た。

 そして、やんわりと笑っていた。その顔はすごく優しそうで天使みたいであった。

 小池さんは俺から視線を天道へと移す。

 天道を見て、少し驚いた表情をしてから天道に近づいた。


「し、知らない人とお話するのは苦手だけど……、えっと、小池絵里です。九頭竜君の、と、友達です。えっと、えっと、あ、あのね……」


「あ、わ、わたし、て」


 天道が言い終わる前に、小池さんは天道を包み込んだ。小さな天道は大きな小池さんに埋もれてしまった。

 天道は突然の事で身体をジタバタさせていた。


「駄目、今はこうしてて……」


 小池さんは子守唄を歌い始めた。のんびりとした曲調から徐々に激しくなる。

 やっぱり、心に響く歌だ……。


 そんな事を思っていたら天道の身体が震え始めた。小池さんは天道の背中を優しくさする。


「もう大丈夫だよ。私も一緒だったから」

「……ひっぐ……、わたし……」

「九頭龍君がそばにいるんだよ。だから一緒に強くなろ?」

「う、うん……、お姉ちゃん……ふわふわ……、落ち着く……」

「今日は一緒にいてあげるから……」

「あ、で、でも、おうちに帰らきゃ……」

「んっとね、帰りたくなかったら帰らなくていいの」

「う、うん……」


 段々と落ち着いてきた天道は、小池さんから身体離した。

 そして、俺と小池さんを交互に見て――


「わ、私、これから先輩のおうちでお話するから……、お、お姉ちゃんにも、いて欲しい……っす」


「く、九頭竜君の家!? え、あ、こ、心の準備が!?」

「ん、いいんじゃね? どうせ親父しかいねえし。よっしゃ、それじゃあうちに行こうぜ! 俺がなんか夕食作ってやるよ!」


 二人は仲良くなれそうで良かった。

 こうして、俺達は自宅へと向かった。


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