愛情
この時期の中庭は風が吹き抜けて気持ち良い。
放課後の中庭で一人ベンチに座っている――
私、天童みゆきは自分の事を嫌な女だって自覚していた。
気を許した人に対して攻撃的な事を言ってしまう。
直そうと思っていても直らない。……自分の性根が腐っていると思っていた。
中学の時よりはマシになったけど、高校に入学してから仲の良い友達は出来なかった。
一人でご飯を食べるのが私の日常であった。
そんな時見かけたのが、中庭で一人ベンチで肩を落として寂しそうに座っている男子生徒。
私はその人の雰囲気が妙に気になって声をかけた。
これが、私と九頭竜先輩との出会い。
『ふーん、先輩なのに落ち込んでるんっすか? 雑魚っすね、先輩〜』
『あははっ、からかってるだけっすよ〜。先輩、女の子と喋った事あるんすか?』
『抱きつくなって? ふふっ、顔赤いっすよ。これは、先輩で温まってるだけっすよ〜』
『と、友達? い、いっぱいいるに決まってるっすよ。ほら、私、美少女っすから……』
『せんぱい、せんぱい! 赤点回避出来たっす! ……べ、勉強教えてくれて、感謝してるっす……。あっ、せんぱい、エッチな事要求しようと思ってるっすね? まったく、せんぱいは――』
この中庭で先輩と話している時が一番幸せだった。いまならそれがよくわかる……。
先輩の困った反応を見るのが楽しかった。
攻撃的な私の事をうまく扱ってくれる先輩。一緒にいて……すごく落ち着く。話すとすごく楽しい。大人の態度を崩さない先輩と会えるのが楽しみだった。
先輩に好きな人がいるのも知っていたけど、それでも私と一緒に話してくれるなら心を押し殺す事が出来た。先輩の好きな人は先輩の幼馴染。……先輩と話せるだけで満足だった。
不思議に思った事がある。
中庭で会っている時の先輩と、校舎内で会っている時の先輩と……雰囲気が違うように感じられた。
校舎で時折出会う先輩からは……、得も知れぬ威圧感と嫌悪感が生まれる。正直、怖かった。
でも、中庭にいる時の先輩は違った。おっとりしていて、恥ずかしがり屋で、面倒見がよくて、優しくて……。
同じ先輩なのになんでこんなにも違うんだろう? って思った。
実際、私はクラスメイトから先輩に会うのをやめた方が良いよ、と言われたことがある。
先輩には悪い噂や事件が一杯あった。
……先輩にはその事を聞いたことはなかった。だって、聞いたら、あの中庭の大切な時間が終わってしまいそうな気がしたから……。
『せ、先輩……、な、なんであんな事を……、わ、私、……」
……大事件が起こった。それによって大切な先輩の事を信じられなくなってしまった。
私は裏切られた気分であった。噂は本当だったんだ。嫌悪感がどんどんと膨らむ。家族を傷つけられた憎しみが腹の中で黒い塊となって、それを先輩にぶつけたくなってしまった。
でも……先輩との中庭での思い出が私の中にある。
あれを思い出すと温かい気持ちになる――
先輩があんな事をするわけない。でも、事実、先輩は暴力事件を起こした……。
嘘だと思いたいのに、その結果が私の心を苦しませる。
なんでこんな気持ちになるかわからない。どうしていいかわからない
ただ――先輩を思うと気が狂いそうになった。
夏休み終わり頃……私が間違っていた事が判明した。
お家に陸上部の顧問の先生と――、警察がやってきた。
そして――お兄ちゃんが……逮捕された。
頭が良くて、陸上部のエースで、みんなから人気があって、私に優しかったお兄ちゃん。
先輩が起こした暴力事件によって、お兄ちゃんが大怪我を負ってしまった。
最後の陸上部の大会、大事な大事な試合だったのに……。
全治一ヶ月の大怪我であった。
だけど、先輩は間違った行動をしていなかったんだ。
すごく悲しそうな顔で私に謝っていた。
真実から目をそむけたくて、私は殻にこもった。
……お兄ちゃんが悪かったってわかった時、安堵した自分の心がとても浅ましく思えた。
先輩は悪くなかった。女子マネージャーを守るために行動したんだ。
そう思うと、すぐにでも先輩に謝りに行きたかった。すぐにでも先輩に会いたかった。
お兄ちゃんの事を忘れて、先輩の事を考えている自分が……どうしようもないクズな女だと思ってしまった。
中庭は私にとって大切な場所。
私は一人でベンチに座っている。放課後の部活動の音が耳に入ってくる。
夏休みが終わって、先輩に謝ろうとしたら、無視されちゃった。
すごく、悲しかった。……だって、先輩は私の事を見ていなかった。存在を認識していなかった。それは…すごく悲しいこと。
お兄ちゃんがした罪に対する申し訳なさと、先輩を疑っていた罪悪感をどうにか胸に押し込めて……、吐きそうな気持ちで勇気を振り絞って先輩に謝ろうとした。
『……すまん、本当に誰かわからん』
そう言われた時、私は絶望というものを初めて知った気がした。
お兄ちゃんが捕まった時でさえ、どこか他人事のように思っていた冷たい自分がいた。
――先輩から存在しないものだとされて、悲しみで身体が震えて動けなかった。ううん、私が悪いって頭ではわかってる。
先輩はもう、私の事が大嫌いなんだと思った。
私が中学時代、クラスメイトから無視された事がトラウマになった事を先輩に話したことがあった。
……どんなひどい事されてもいい。無視されることだけは、どうしようもなく悲しみが押し寄せてくる。心の痛みで胸が引き裂かれそうであった。
『――本当に知り合いだったのか? また今度話そうぜ――』
わけがわからなかった。
私は先輩の心を知りたくて知らず知らずのうちに手を伸ばしていた――
だけど、その手は先輩に届かなかった……。
教室へ行っても先輩はいなかった。
中庭に行っても先輩はいなかった。
登校中に探しても先輩はいなかった。
夏休み明けの教室、私は一人ぼっちになった。お兄ちゃんの事件がみんなに知れ渡っていた。関わってはいけない犯罪者の妹。誰もが私をいないものとして扱った。
私が一番恐れていた無視が始まったのだ。
誰も目を合わせない。私を見下している。行き過ぎた正義が怖い。もう学校に来たくない――
心が壊れそうであった。実際、もう壊れていたのかも知れない……。
それでも、私は先輩に……最後に逢いたかった。
これだけ先輩に会えないと、まるでこの世界に先輩がいないような気がしてきた。
無視されるのは心が苦しくて悲しいけど、もう、いいんだ。
私は、先輩を傷つけて、苦しくて、これから学校中でずっと犯罪者の妹って言われ続けて……、もう無理だから……。
放課後、校門に芸能人が来ているみたいだけど、私には関係なかった。芸能人なんかよりも先輩に逢いたい。クラスメイトは私を押しのけて我先に校門へ行こうとする。
私は先輩がいる教室へと向かった。
最後に少しだけでも話したかった。
『――す、すまん――』
先輩とぶつかった時、先輩に抱き止められた――
恥ずかしさと嬉しさと……浅ましい自分への嫌悪感がごちゃまぜになる。
『せ、せんぱい、わ、私――』
先輩はスタコラ走り去ってしまった。でも、先輩は私に言ってくれた。明日の朝、中庭で会おうって。
他人みたいな先輩。それでも、先輩は私と話してくれるって言ってくれた。
私はその場で崩れ落ちてしまった。
その後、先輩の……元カノである東雲先輩から慰められながら色々話を聞いた。
事故にあった事――
嫌悪感が無くなった事――
誤解していた事が間違えだって気がついた事――
先輩の記憶が曖昧な事――
東雲さんの事を思い出しても、まるで初対面みたいな感じであった事。
私は頷く事しか出来なかった。どうでも良かった。ただ、先輩がこれから幸せになれると確信した。
曖昧な記憶なのに、私に中庭で会うって言ってくれたんだ。
だけど……、明日の朝は……私は……。
もういいんだ。最後に抱き合えただけで十分だよ。
そして、私は中庭へと向かった。最後はここがいい。
そして、先輩との思い出を反芻しながら……、もうこのセカイで生きている価値が無いと思ってしまった――
「見ろよ、あいつの兄貴って犯罪者なんだぜ」
「マジで? ああ、あのチャラ男の妹か」
「てかヤバくね? 兄貴が犯罪者って、ははっ」
「って事はあいつもなんかしてんじゃね? お前声かけてこいよ。金払ったらパパ活してくれるんじゃね?」
「ばかっ、俺は面倒に巻き込まれたくねえよ。ったく、見るからにビッチだろ」
通りがかった男子生徒が私を指差して笑っていた。
……もう耐えなくていいんだ。これ以上生きてたら一生苦しい思いするだけだもん。
こんな声は無視しなきゃ。
それでも、意識の無い悪意の言葉が私の胸を串刺しにする。
痛くて痛くてたまらない。
だから、今夜、私はいなくなる。さよなら、せんぱい――
**************
気がつくと辺りが真っ暗闇になっていた。
私は中庭で寝てしまったようであった。警備員さんに見つからなかったのが不思議だったけど、都合が良いと思った。
ここには変なオブジェが一杯ある。先輩と笑い合ってオブジェを見て回った。思えば私は先輩に素直になる事が出来なかった。
『はははっ、天童は本当に馬鹿だな、よし、俺が勉強教えてやんよ』
『よっしゃ!! 平均点超えたじゃねえかよ!! 超嬉しいじゃん! ――あっ、わりい、つい嬉しくて手を握ちゃったぜ』
『ば、馬鹿野郎!? お、俺はお前のお色気になんて負けねえよ!? ったく、ほ、他の奴だったら勘違いしちまうぞ? ほら、飯食おうぜ』
『ん? なんだ、今日は随分と素直だな。そんなお前にはこれをやるよ。……ったく、もっと素直に喜べや、誕生日だろ――、わ、わわっ、な、泣くんじゃねえよ!? びっくりしただろ!?』
『おっ!! これ俺にくれるのか!! 超かわいいじゃねえかよ!! ハムスターか……、俺にピッタリの人形だな! 超大切にするぜ』
『ディスティニーランドか……、天童と行ったら楽しいだろうな! 日向や雨宮も一緒に? ああ、みんなと一緒だったらもっと楽しいかもな!』
『任せろや、俺がなんとかしてやる。お前は俺の……大切な後輩だからな』
優しい先輩の言葉を思い出すだけで心が満たされていく。
だけど――、私はそんな先輩を裏切ったんだ。
……悩むのも今夜でおしまい。
私は誰もいない中庭の奥へと向かった――
**********
突然、背筋が凍えるような気分になった。
何故か知らない少女の顔が思い浮かぶ。
思わず俺は沙羅さんの楽屋を見渡してしまった。
俺の目の前にいる小池さんは怪訝な顔をした。
「だ、大丈夫? また調子悪いの?」
調子が悪い。確かに頭が痛い。全身に悪寒が走る。俺は何かを忘れている。
それが思い出せなくてもどかしい。
そんな事を考えなくていい。いまさっきまで素晴らしい時間を過ごしていたんだ。何も嫌な事がない楽しい時間……。
だけど、無性に嫌な予感がしてたまらない。
「い、いや、大丈夫だ。……えっと、これから打ち上げだっけ? 本当に俺も参加してもいいのか? なんだか、わりい気がして――」
「ううん、九頭竜君にはいてほしいな」
小池さんが照れくさそうに笑いかけてくれる。
――そうだ、思い出すな。お前はもう安らかに過ごせばいい。
俺は首を振った。
……おかしい。過去に最大レベルの誤解が起こった時と同じ感覚だ。
俺は誤解されなくなった。だけど、本当に終わった事なのか?
不運な事も起きていない。それで本当に良かったのか?
俺はスマホで時間を見た。ライブは早い時間だったから、もうすぐ夕飯の時間だ。
このまま打ち上げに行って、小池さんと楽しんで……それで、日向と雨宮との接し方を考えて……。違う、何か違和感がある。
メッセージアプリを立ち上げる。
そこには親父と小池さんだけが登録されてあった。
……違う。認識出来ていないだけだ。
かすれてよく見えないけど、
見ようとすると頭が痛くなるけど――
それでも俺は……。
「あっ……」
誰かの名前のメッセージがあった。
何度も送られていたメッセージは未読のままであった。
宛先は『――――』。
胸がドクンと跳ね上がる。
最後のメッセージは今日の放課後。
『――いままでありがとうございました。先輩と出会えて本当に良かったです。これからは幸せになって下さい』
そのメッセージを見た時、俺の目の前に黒い何かが横切った。
感覚でわかった。あれは俺の思い出と……嫌な記憶だ。
手を伸ばそうとするが、心が否定する。
――もうお前はいいんだ。幸せになれよ。
――辛い事は嫌だろ? 誤解されるのは嫌だろ? そんなもの捨ててしまえ。
――本当に全部思い出したいのか? ……また逆戻りになるぞ。
――絶対それに触れるな。小池さんとの仲が壊れるぞ。
俺は身体が震えて手が伸ばせなかった。
「おーい、九頭竜君〜、早く行こ!!」
「武蔵、沙羅さんを待たせるな」
「ムサシ、どしたの? お腹痛いの?」
俺は仮初の笑顔を振りまく。
「わりい、すぐ行くわ――」
そう言いながらカバンを手に取った。
カバンに付いているハムスターのぬいぐるみが目に入った。
俺はそれを見た瞬間――
心が燃えるような錯覚を覚えた。
「天童みゆき――」
知らない女の名前を呟いた。
心に名前が刻み込まれる。頭が破裂するほどの痛みが襲いかかる。
それでも俺は名前を呼ぶ。
「天童みゆき――、俺の、後輩……、俺が大怪我をさせた……陸上部の先輩、の妹……。兄貴は……警察に捕まって――、それで……それで――」
「九頭龍君?」
本当にごめん、小池さん。もしかしたら、嫌われるかも知れない。
だけど、俺は……もうこいつに負けない。
「……小池さん、わりい、俺――用事思い出した……ちょっと行ってくるわ」
俺は目の前の黒いモヤに手を触れた。
その瞬間、部屋の空気が一変する。これは――、嫌な空気だ。
俺がよく知っている……慣れ親しんだ嫌悪感と敵意にまみれた空気だ。
「……ムサシ? え、な、なんで?」
「お前……どうしたんだ……」
タクヤとボブが困惑した顔をしてる。俺の雰囲気が変わったからだろう。
そっか、こんなにも印象が変わるのか……。それのに、日向も雨宮も天堂も小池さんも、俺と話してくれたんだ。すげえな。
俺は何も言わずに外へ出ようとした。そしたら――
――思いっきり背中を叩かれた!?
背中がきしむほどの強さ。
プロレスラーの打撃を受けた時と同じ衝撃。
本気で殴った平手打ち。
「――がほっ!?」
思わず肺の中の空気が全部出てしまった。
前に倒れ込んでしまった……。
「バカバカッ!! よくわかんないけど早く行きなよ! 大丈夫、私、何があっても九頭竜君の事……守ってあげるから!!」
怒っているのに……すごく素敵に見える小池さん……。
小池さんは表情を一変させて笑顔になった。……可愛い、だけじゃない。なんだこの気持ちは? 俺は、こんな気持ちで小池さんの事を見てたのか?
可愛いなんて言葉じゃ言い表せない感情――
無くしていた思い――
「……誰にも誤解なんてさせないよ。どんな事があっても、私が……歌って、九頭龍君の嫌な空気をふきとばしちゃうもん」
無性に泣きたくなった。だけど俺は親父の息子だから泣かない。
「……ありがと、小池さん。俺も……今度小池さんのために歌を作るわ。聞いてくれよ。……じゃあ行ってくるぜ」
小池さんは手を振って見送ってくれた。
全てを思い出した俺は、心のままに走り出した――
************
俺は自転車をマッハで漕ぎ続けている。
いまの時代、レンタルサイクルという便利なものがある。
妙に感覚が鋭くなっていた。
嫌な予感が止まらない。
学校がある方角から嫌な匂いが漂ってくる。まるで小池さんと出会った時みたいな空気感だ。
こんな時間に学校なんて誰もいないはずだ。
警備員がいて追い出されてしまう。警備装置があるから勝手に侵入できないはずだ。
――俺の不運はそんなものをすり抜けてしまう。
日向との登下校の思い出をはっきりと認識できた。
雨宮との部活での思い出も思い出した。
天童との中庭での思い出も――
誤解された記憶も思い出していた。
その苦しみが俺に襲いかかるが、そんなものどうでもいい。選択肢を間違えただけだ。
俺は全速力で前に進む。
身体が悲鳴をあげている。そんなものどうでもいい。
嫌な予感だ止まらないんだ。
パトカーのサイレンの音が聞こえる。
俺を止まるように呼びかける。でもな、今は止まっちゃいけないんだ。
息が苦しくても、誤解される日々に恐怖しても――
胸騒ぎが止まるまでは――
俺のお母さんが死んだ時と同じ感覚なんだ。
夜の中庭は幻想的であった。
学校のど真ん中にあるだだっ広い空間はグラウンドにも匹敵する広さだ。
難なく忍び込めた俺は、全速力で嫌な空気の場所へと向かう。
木々が深くなり、学校の中庭とは到底思えない森みたいな木々の間を駆け抜ける。
――俺と天童が出会った場所。中庭のベンチ。
そこじゃない。先が見えない。
――教室じゃないか?
違う、そこも先が見えない。
――中庭のオブジェの前か?
そこでもない。間違えるな。
――俺が天堂に誕生日を祝った大きな木の下。
そこだ。
幾重にも枝分かれする選択肢が見えている。一つ間違えれば選択肢の先は真っ暗で何もない。感覚が冴え渡る。身体が重いのに本当の自分を取り戻せた気分であった。
ギリギリの選択肢を綱渡りのように渡っていた過去の俺。
日向と付き合うという、先が無かった選択肢をあえて選んだ俺。
確かに先は無かったな……くそが。
可愛い、というセリフに違和感があった。
俺は好きという気持ちを忘れていた。
大好きだった幼馴染、それと同じくらい愛情を育んでいた天童と雨宮。
大丈夫かも知れない、という淡い期待を抱いた告白。
弱かったんだよ、俺は。バカが。
本当に懐かしい感覚を思い出した――
俺は事故にあってから、人を好きになる感覚を認識していなかったんだ。
いま、それを思い出した――
天童が大きな木の下で座ってるのが見えた。
遠くて顔がわからないけど、俺は選択肢を集中させた――幾重にも伸びる選択肢。
一つの選択肢以外は先が見えない――
絡み合う選択肢がそれの邪魔をする。
走るルートさえ間違えたら失敗する。あの窪みで俺はつまずく、あそこはぬかるんでいる、あの道だと間に合わない――
俺は自分の中から湧いて出てくる黒いものに手を触れる。
懐かしさと苦しみが混在している思い。
俺は俺が選んだ道を行くんだよ。
大きな木の下で、カバンから何かを取り出そうとしてる天童みゆき。
再び、天堂はカバンから何かを取り出した。
それは小さなカッターナイフであった。
俺は胸をかきむしった。
誤解された過去は選択肢を間違えた結果でもあった。
誤解されるのは、俺が人と違ったからであった。
誤解されても生きていけたのは、選択肢がぼんやりとわかったからであった。
いま、俺ははっきりと自分の気持ちがわかる。
ありったけの想いを込めて俺は叫んだ――
「くそ雑魚天童ーーーーー! 俺と一緒にディスティニーランドへ行くって約束したじゃねかよーー!! 忘れたのか、このくそ雑魚後輩が!!!」
もはや罵声のような叫びが中庭に響く。大きな木が俺の声を吸収しているみたいな気がした。
俺の声に気がついて天童が力なく顔をあげた。色の無い瞳をしているのが許せなかった。
認識が出来なかった自分が許せなかった。
可愛いくせに生意気で、そのくせ臆病で、人一倍他人に気を使って、いつも何かに逃げていた天童。
俺の大切な後輩の顔だ。忘れられるわけねえよ――
天童と俺をつなぐ黒い糸が見える。
糸を触るたびに身体が壊れそうな悲鳴をあげているのに、俺は無理やり運命を手繰り寄せた。
息が切れる。糸は切れない。
俺は倒れるように天童に寄りかかった。
ははっ、まるで抱きしめてるみたいだな。
「よっ、久しぶりだな、天童。わりい、最近ちょっと記憶飛んでたわ。はぁ、はぁ……、言っただろ? 何かあったらお前を助けるってな。……ちょい、疲れたわ。少しこのままでいさせてくれや」
カランッという音が響いた。
地面に落ちたカッターナイフ。
「ふじゃ……、にゃ、にゃんで、こ、こ、に……、私……もう、せん、ぱい、に逢えない、のに……、ふぐぐっ!?」
最後の力を振り絞って、俺は天童を抱き寄せた。
ったく、これが愛情っていう感情か……。面倒なもん思い出しちまったな。
まっ、しゃーねーか。
「いいから黙ってろ。泣き止むまで俺がいてやるよ――」
天童は何かを思い出したかのように、瞳が色づき……わんわんと俺の胸の中で泣きわめいた。
そんな天堂を見て――
俺の思い出を作ってくれた大切な人たちを思い浮かべた。
天童、雨宮――それに、小池さん。
きっと、これから俺は大変な目に合うと思う。
だけど、そんなもの、思い出をなくすよりもどうだっていい。
心が弱かったんだ。俺は逃げていたんだ。
俺はもう自分から逃げない。
天童を抱きしめながら俺は心に誓った――
これは、誤解され続けてた少年が、元カノを庇って事故にあい、自分の存在を再認識して、心が傷ついた少女たちを助けてから始まる恋物語――
(第一章 完)
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