同じ経験


 ピロンッ!

 俺のスマホに通知が来た。滅多に無い事なのでメッセージアプリを見るのがドキドキする。

 アプリを立ち上げると、小池さんからの新規メッセージがあった。


『今度の土曜日か日曜日におうち来ませんか? ママも楽しみにしています。友達にメールするのが慣れなくて、緊張しちゃいます』


「おっしゃっ!!」


 俺は無意識のうちに小さくガッツポーズをしていた。

 たった一通のメールだけど、心が充足する。普通の生活をしているって実感ができる。

 幸せを実感できる。


 俺は小池さんへの返信をすることにした。

 悩みに悩んで返信したものは、とても硬い文章であった。短い文なのに、すごく考えてしまう。相手がどう受け取るか悩んでしまう。

 それでも、俺は勇気を振り絞ってメッセージを送った。


 すると、また俺のスマホがピロンッと通知が来る。

 今度は少し砕けた文章のメッセージが返ってきた。

 それを見て心に余裕が出来たのか、いつもの感じの言葉で返信することができた。


 不思議な感じだ。メッセージのやり取りだけなのに、そこに小池さんがいるように感じられる。これが、若者の必須ツールか……。


「んっ? ムサシ、なんだか嬉しそうね! へへ、お友達かな?」

「……ふん、俺が今度面談してやろうか?」


「おいおい、面談って……、ああ、友達だよ。とても良い子だから今度うちに連れてくるよ。楽しみにしててくれよ」


 俺が小池さんの家に遊びに行くんだったら、小池さんもうちへ遊びに来てもいいだろ?


 俺がそういうと二人はびっくりした顔になった。

 あれ? 俺って今までそんなに友達いなかったのか? ……日向とか雨宮って友達だったんだよな? 一日だけど日向とは付き合ってたんだよな? 二人とも学校だけの付き合いだったのか?

 確かにうちに誰か来たことは無い……。


 まあ、いいか。


 車はライブ会場へと向かっていった。










 圧巻のライブであった。

 関係者席と言っても、会場の席に座るわけではない。関係者が席を埋めるとファンが座れなくなる。タクヤはそれを考慮して、舞台袖からスタッフの邪魔にならないように鑑賞していた。

 大勢のスタッフたちが慌ただしく動いている。大勢のスタッフがいるからこのライブが成立している。タクヤとボブはどんな現場でもスタッフに対して真摯で丁寧な態度を崩さない。


「……最高だったな。楽屋までお礼に行くぞ。武蔵、お前がこれを持て」


 タクヤが俺に差し入れの手提げを手渡す。


「タクヤがね、沙羅さんに無理言ってどうしてもライブが観たい奴がいるって泣いて頼み込んだんだよ」

「ボブ、うるさいぞ」

「わ、照れてる〜」


「そっか、タクヤ、ありがとな。俺、今日ここに来れて良かったよ」


 本当に素晴らしいライブであった。感動に打ち震えて胸が締め付けられる。

 始まりからすでに終わりの時間が気になるほどであった。楽しい時間はあっという間だ。


「……行くぞ」

「はーい!」


 俺たちはスタッフたちの間をすり抜けて楽屋へと向かった。くっそ、超緊張すんな……。







 俺と親父の間に誤解が生じた事はない。

 俺は家にいる時は何も不自由なく生活できた。

 学校や外へ出ると、地獄のような生活へと変わる。ガキの頃は理解できなくて、いつも泣いていたな……。


 だから、俺が親父の仕事場に行ったことがない。俺が誤解されて親父に迷惑をかけるのが嫌だったからだ。人前で歌うのも無理であった。……中学の文化祭を思い出す。

 俺のせいで全部台無しになった文化祭ライブ。


 俺は家でしか歌わなかった。本当はいつかこんな大きなライブ会場で歌いたかった。

 あの大きな音響部屋が俺のすみかだった。

 あそこで俺は自分の心の叫びを歌に変えて配信していたんだ。


 ……もしかして、もう人前で歌っても大丈夫なのかな。


 それでも不安が残る。今までの事が嘘だったみたいに普通の生活が出来ている。

 それは俺がひどく望んていたもの。望んでも手に入らなかったもの。


 改めて、俺は幸せということを実感した。







 楽屋をノックして開けると――

 驚くべき光景が目に入ってきた。


「絵里ちゃーん、ママ頑張ったよ〜。ねえ、ご褒美に抱きしめていいでしょ? あらあら、逃げないでよ〜。絵里ちゃん成分が足りてないのよ〜」


「う、ううぅ、ママは抱きついたら離れないんだもん。おうちじゃないんだよ? あっ、お客さんだよ――えっ?」


 俺は固まってしまった。

 今世紀最大の歌姫である沙羅さんに抱きつかれている小池さん。

 状況を理解するまで時間がかかった。

 声も出ないとはまさにこの事であった。


「な、な、な、な、なんで九頭竜君がここにいるの!? え? ドッキリ!? ママ!! なんで!?!?」


「あらあら、私は知らないわよ。……ふふふ、この子が噂の九頭竜君なのね?」


「ママっ!? よ、余計な事言っちゃ駄目だよ――」


 固まった俺の背中をタクヤが勢い良く押した。

 そうだ、まずは沙羅さんと沙羅さんのマネージャーさんにお礼を言わないと。


「とととっ……、えっと……、九頭竜の息子の武蔵です。きょ、今日は呼んで頂いてありがとうございます。ライブ、超感動して、えっと、なんて言っていいかわからないですけど、とにかくすごくて……、これ、つまらないものですが」


「あら、ありがとね。ふふっ、九頭竜君に似てるわね……。それにタクヤ君があんなに必死にお願いしている姿を見たのは珍しかったもんね。あっ、私の事はいいから娘の相手をして頂戴」


 沙羅さんは俺にウィンクしながら言ってきた。

 タクヤとボブも前に出てきて沙羅さんに挨拶をする。

 俺と小池さんはお見合いしたまま、気まずい雰囲気が流れていた。

 ま、まさか、メッセージの後で、こんなに早く会えるなんて……、ていうか、沙羅さんの娘さん? うん、わけがわからなくなってきた。


 だから、俺はテンパり過ぎて逆に落ち着きを取り戻した。


「あーっ、小池さんや、さっきぶりだな。……ていうか、あの子守唄って沙羅さんが作ったものだったのか」


 小池さんも俺が喋りはじめて少し落ち着いたのか、返事をしてくれた。


「う、うん、ママが私のために作ったって。うぅ、く、九頭竜君にはママがお歌を歌っている人って知られたくなかったかも……」


「え、なんでだ?」


「……だって、わ、私の見る目が……フィルターかかっちゃうもん」


 そっか、小池さんを通して沙羅さんにお近づきになりたい奴なんてごまんといるだろう。芸能人の娘と友達。一種のアクセサリーとして小池さんを取り扱う。それは……ひどく嫌な事であった。

 俺もその気持ちがよくわかる。

 だって――


「そんな事はありえねえ……。天地がひっくり返ってもない。断言できる。俺は小池さんが小池さんだから友達になったんだ。だって、ふわふわしてて超可愛いんだぜ? そりゃびっくりしたけどよ、よく考えてくれ。俺がタクヤとボブと一緒にいるって事を」


「あっ、そ、そういえば……、し、知り合い?」


「ああ、二人は俺の……大切な兄貴みたいなもんだ。それに、俺の親父は脇役俳優してっから似たようなもんだろ? 俺も同じ気持ちになった事があっからよくわかるぜ」


「あっ……、九頭竜君って……、そっか、そうなんだ……。へへ、こんなところまで一緒なんだね」


 沙羅さんが口を挟んでいた。


「あらあら、絵里が笑顔でメンズと話すなんて珍しいわね。噂の九頭龍君は良い男じゃない」


 小池さんは恥ずかしいのか、下を向いてしまった。

 そして、下を向いたまま俺に言った。


「週末……、楽しみにしてるよ。待ってるからね」


「あ、ああ、俺も超楽しみだ。行く前に連絡するな」


 生暖かい目で俺を見る大人たち。

 なんだか、自分が本当に子供になった気分であった。



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