ゼロにはならない
教室に入るのがドキドキする。俺は誤解されて嫌われていたんだからな。
……髪を切ったから夏休みデビューしたって馬鹿にされるんだろうな。
俺は深呼吸をして教室の扉を開けた。
生徒たちは誰も俺も見ていなかった。俺は胸をなでおろす。
今日は随分と静かだな。まあいいか、あとで作詞しなきゃ。
そう言えば隣のクラスの小池さんの事が気になった。
あの時歩道橋で出会えて良かった。あの高さから落ちても死なないかも知れない。だけど大怪我することは確実だ。
あの時は小池さんと話せて暗い気分も吹き飛んだんだ。感謝しなくちゃな。
……俺はなんで暗い気分だったんだ? どうせ何か誤解を受けていたんだろう。忘れちまったよ。
自分の席に着くと男子生徒が近づいてきた。
やっぱり顔がうまく認識できない。こいつ誰だ?
「……九頭龍。お礼を言うのが遅くなってすまない。あの時は助かった、お前のおかげで。感謝している」
俺に向かって頭を下げている男子生徒。
……身に覚えがない。そうだ、適当に返事をしてやり過ごそう。
「あ、そう。良かった。じゃあな」
「い、いや、まて、それ以外にも、色々お前の事を誤解していた節がある。それも含めて謝りたいんだ」
俺は訝しんだ顔をしているだろう。なんだってこんな状況になったんだ。今さら俺が誤解されていた事が判明したのか? 意味がわからん。
俺は教室を見渡す。
変な事実に気がつく。ほとんどの生徒の顔が認識できない。だけど、一部の生徒は顔と名前が認識できる。あの子は豊洲さん。あっちは有明。こっちは月島さんだ。
その時、静寂の中、知らない声が聞こえてきた。
「武蔵!! わ、わたし、お見舞いに行きたかったのに、あなたのお父さんに止められて……。ねえ、武蔵……武蔵……、無事で良かった……」
ぼやけている顔から涙らしきものが流れている。
顔が認識できそうでできない。声を聞くたびに頭がズキズキと痛む。
「えっと……、ひ、ひ、ひな……、わかんね」
「日向よ、武蔵……。ああ、事故で記憶が混濁しているのね。……ねえ、私間違えていたの――」
わからない。何故か無性に苛つきがこみ上げてきた。俺はそれを飲下す。
苛つくと心に良くない。無心で対応するんだ。俯瞰して自分を見る。そうすると敵意から身を守れた。
……心の中で歌でも歌おう。
日向と言った女子生徒が俺に近づいて来る。
「……ねえ、やっぱり誤解だったってわかったのよ。……そうよね、あんたが嘘告白なんてするわけないもんね。ずっと私達仲良しで相思相愛だったもんね。……信じきれなくて本当にごめんなさい。……あっ、大五郎君とカラオケに行ったのは相談に乗ってもらっただけだから……」
声を聞くと軽症だったはずの頭がズキズキと痛む。
――くそっ、なんだってんだ。この状況は? 俺はクラスメイトから嫌われている。空気みたいな存在のはずだ。
一度、俺は自分の状況を理解する必要がある。
顔が認識できる奴らから今までの俺の情報を集めてみよう。
日向は、頭を抑えている俺を無視して喋り続ける。
「ねえ……、私達……また付き合えるよね? ……ずっとこれからも一緒だよ」
何故かわからないが、俺の顔面から表情が消えた。
心の奥で暗い感情が広がる。胃がキリキリと悲鳴を上げる。
隣の男が大五郎か? この子と大五郎の距離の近さを見ると吐き気がしてきた。
冷たい声が勝手に出ていた。
「――いや、無理だろ。俺、お前の事知らないし」
日向は衝撃を受けたのか、よろよろと後ろに下がる。
その肩をさっきの男が支える。
顔が認識できない生徒たちが何かを言っている。声がうまく認識できない。かろうじて、俺の事をひどい男だ、と言っているのがわかった。
さっきの男、大五郎が俺に向き合う。
「……きっと事故の影響で記憶が混濁しているんだ。……なあ、みんな、とりあえずあまり刺激しないようにしよう――日向さん、ゆっくりとコミュニケーションをとれば――」
そういいながら、日向と呼ばれる女子生徒を慰めていた。
それを見て俺は胸にチクリとした痛みを感じた。
だが、それが何かわからない。なんだってこんな感情になるかわからない。
わからないから、俺は周りを気にせず自分のノートに今の思いを書き綴った。
――もう誤解はされたくないんだ。
その思いだけが強く心に残った。
***************
今日は夏休み明け初日だから午前中で授業は終わった。
もう後は帰るだけだ。……弁当どうすっか。天気もいいから公園で食べるか。
帰りのHRが終わると、教室全体が弛緩して生徒たちが騒ぎ始める。
今朝よりも声が認識できるようになってきた。まあこれは慣れだろう。
ちらほらと顔が認識できる生徒も増えてきた。
「終わったー! カラオケ行こうぜ!」
「俺今日バイトだぜ!」
「マジ部活だる」
「ねえねえ、今日って『ハム助』の配信日だよね! 超楽しみ!」
「うんうん、心響く声っていうか、あれよ、彼は本物よ!」
「歌うますぎっしょ。新曲らしいから後でチャットしながら配信聞こ!」
背中から汗が出てきた。
歌い手『ハム助』これは俺の事だ。強制されて始めた事だけど、いつの間にか俺の趣味に変わっていた。
……登録数とか気にしていなかったけど、意外と人気があるんだな。まあ気にしないようにしよう。
そう思いながらカバンを持ち上げて帰ろうとした時、また日向さんに声をかけられた。
相変わらず彼女の顔が認識できないけど、髪型と声質で覚えた。
「……む、武蔵、今日は一緒に帰らない? お、覚えて無くても一緒にいればいつか……。幼馴染でずっと一緒だったんだから……、ねっ、帰ろうよ」
幼馴染? 俺にそんな存在いたのか?
「幼馴染……、すまんが意味がわからん。あ、いや、別に言ってることを否定しているわけじゃねえが、俺、誤解されるのが嫌だから嘘言わねえし……」
「……あ……、う、ん」
悲しそうな顔をする日向
今日はまっすぐ帰って配信準備をしたい。それに、なんだか俺はこの子と話すと胸が痛くなって頭がズキズキする。だから今はあまり話したくない。
「明日また話そうぜ。……俺今日親父にお願いされた用事が――」
「おーい、九頭竜ー! お客さんだぞ!」
俺の声を割り込むように入り口から大声で呼ばれた。
教室の入り口を見るとそこには――マスク姿の小池さん? が立っていた。
なんだかあの日会った時よりも随分と痩せている。
うん、まだふっくらした部分もあるけど、魅力的なむっちり感だ。
やっぱり――『可愛いな』
「わりい、日向さん、ちょっと行ってくるわ。また今度話そうぜ」
「あ、う、ん……」
大五郎と呼ばれる男、大柄でスタイリッシュな髪型だからすぐにわかる。
そいつが日向のそばに近寄る。俺は視界から二人を消した――
教室を生徒たちが小池さんを見て驚いていた。
それだけ痩せれば驚くよな。夏休みになんかあったのか?
俺が小池さんに近づくと、小池さんはマスクをゆっくりと外す。その瞬間、クラスに衝撃が走った。
「――――っ!? マジ!?」
「ヤバ……、天使様じゃん……」
「え……あの小池? 偽物でしょ……」
「だ、誰だよ、あいつの事ブサイクって言ったやつ……、あ、俺だ……」
「ナイススタイル……」
「てか、九頭竜もあんなにイケメンだったなんて…」
「ね、今までの事件って誤解みたいだし……、いまさら仲良くできるかな……」
俺は嫌われていたんだろ? なんだか無性に苛ついてきた。
……心を落ち着けると、だんだんとクラスメイトの声が聞こえなくなる。小池さんだけを見つめる。
俺は小池さんに笑いかけた。小池さんの顔がはっきりくっきり見える。
はにかんだ笑顔がとても素敵だった。
自然と声が出た。
「おう! 元気にしてるみたいだな! よかった」
「……あ、う、うん、ちょっと、ここだと、緊張しちゃって……」
「そか、まあ知らないクラスだからな。一緒に帰るか?」
「え、あ、い、いいの? そ、その……お、お礼をしたくて……」
「ん? じゃあアイスでも買ってくれよ。食いながら帰ろうぜ」
小池さんはなにやら深呼吸をしていた。
そして、俺の手を握りしめる!?
後ろから日向の悲鳴が聞こえてきた。
「む、武蔵!? て、手なんて私でさえ――」
「日向さん……、今は様子を見よう……。僕たちはひどい誤解をしていたんだ」
俺は振り返った。相変わらず日向の顔が認識出来ないけど……身体が震えているのがわかる。
何故か罪悪感が浮かび上がってきた。
俺は罪悪感を振り払うかのように周りを見渡す。
ていうかクラスメイト全員が見てんぞ!?
小声で俺に向かってささやく。
「ひっぐ……、事故の事、今日聞いて……、無事で、本当に、良かった……」
あっ――そっか、心配かけちゃったんだな。
俺は小池さんの肩を空いている手でぽんっと触る。
ゆっくりと小池さんは俺から手を離した。流石に俺も恥ずかしかった……。
「あ、ありがとな。怪我はもう大丈夫だ。行こうぜ!」
「あ、う、うん―――」
小池さんは顔を真っ赤にしながら小走りで俺の前を歩く。
俺はそれを見ると、晴れやかな気持ちになれた。
今日は気持ちよく歌えそうだな――
頭にチラつく誰かの顔を振り払うように俺は歩きだした。
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