イチから始まる
「あ、あの……、東雲さんは良かったのかな? お話中だったけど……」
「ん? あいつ東雲って名字だったのか。てっきり日向が名字かと思ってたわ。まあ同じクラスだからまた明日話せばいいよ」
俺がそう言う小池さんは少し怪訝な顔をした。
……何かまずい事を言ったか?
小池さんは少しだけ思案するような表情になり、また明るい笑顔に変わった。
「うん、あんまり人間関係は詮索しないね。……わ、私、と、友達いなかったからそういうの疎いから……。へへ、パパとママはたくさん遊んでくれるんだけどね」
俺たちは商店街を歩いている。今日は夜に配信をするくらいで特に予定は無い。
それにしても小池さんは背が高いな。
俺はまじまじと小池さんを見つめてしまった。
「あ、うぅ……、は、恥ずかしいかも……。い、今、マ、マスクしてないし……」
「やっ、わりい、背が高くてスタイル良いなって思って」
「あ……、う、うん、正直、デカイって言われるからあんまり自分の体型が好きじゃないんだ……」
「いやいや、俺よりは小さいだろ? まるでモデルさんみたいだぜ」
「うぅ……、そ、そんな事言われたの初めてだから……、て、照れる……」
「まあ気にすんなって。おっ、あそこのアイス屋がうまいんだよ。よく放課後に買食いしてな――」
ふと頭に知らない誰かの顔が浮かんだ。
一人じゃない。俺と笑いながらアイスを食っている。
頭がズキッと痛んで、その映像は霧散した。
小池さんは俺の顔を覗き込む。
「九頭竜君、顔色悪いよ……。あそこのベンチで少し休も?」
「い、いや大丈夫――って、うおぉいい!?」
小池さんは俺の腕を引っ張ってベンチへと向かった……。力強いな……。
「はい、ハニーキャラメルトルネードアイスで良かったんだよね?」
小池さんがアイスを買ってきてくれた。頭痛も収まったからもう大丈夫だ。
小池さんは二つ持っているアイスのうちの小さい方を俺に手渡す。
……小池さんのアイス、トリプルじゃねえか。
「ああ、ありがとう。……ん? もう大丈夫だぞ」
小池さんは俺の顔をじっと見つめていた。
「ひゃっ! ご、ごめんなさい。なんだか知ってる人にそっくりだったから……。えっと、アイス食べよ。ふふっ……、私、放課後に友達と買食いするなんて初めてで……、あっ、か、勝手に友達って言ってごめん――」
「いやいや、もう友達みたいなもんだろ? ははっ、俺にとって高校で初めての友達かもな」
そう言うと小池さんは顔を真っ赤にしながらアイスを頬張った。
なかなかの食べっぷりで見てて気持ちが良い。
俺もアイスを食べる。……美味しい。……なんだ、何かを思い出せそうな気がしてきた。
だけど、すぐに引っ込んでしまう。
俺たちは無言になる。嫌な空気ではない。とても安らげる時間である。きっと小池さんから癒やしのオーラが出てんだろ。
小池さんから吐息が聞こえてきた。
「私ね……、あの日、本当にあそこから飛び降りようとしたんだ」
ぽつりぽつりと喋り始める。まるで、あの時とは逆で、今度は俺が聞く番であった。
俺は相槌を打ちながら真剣に話を聞く。
「もう生きるのが嫌になっちゃったんだ。身体だけは大きくて、のろまで馬鹿でブスでデブで……、クラスメイトからも嫌われていて、いつも顔をマスクで隠して……自分が生きている意味がわからなくなっちゃった」
子供たちの世界は残酷だ。容姿や人と違う所があるとイジられる。
身体的な特徴なんて悪口にするもんじゃねえ。その人特有の理由とかもあるのに。
小池さんはアイスのコーンをパクリと一口で食べきる。本当に見てて気持ちの良い食べっぷりである。
「柵に足をかけた時、パパとママの顔が思い浮かんだんだ。……でも、私がいても迷惑かけるだけって思って……。そしたら九頭龍君に後ろから抱きしめられて……」
小池さんは俺の目をしっかりと見つめて言った。
「嬉しかった。本当に嬉しくて涙が出てきちゃった。……『可愛い』なんて言われた事なかった。九頭竜君にとって何気ない一言かも知れないけど、私にとって……宝物になったの。……だから私、夏休みで変わろうとした。パパとママにも全部話して相談した。私は努力なんてしてこなかったってわかった。だから、私、夏休みで本気で努力して――」
小池さんの表情が一点した、俺を心配するような表情であった。
「……わ、私……九頭竜君が事故にあったこと、クラスメイトが話しているのを聞いて……。本当に驚いて、どうしていいかわからなくなって……、いても立ってもいられなくて、九頭龍君の教室に押しかけて、元気な姿を見て安心して……。あわわ……私なんかが手を握っちゃって!?」
なんだか俺は小池さんに親近感を覚える。きっと全部言えてないけど、もっと辛い経験をしたんだろうな。……あの時の暗い顔は忘れらんねえ。
「そっか、良かった。俺の言葉で元気になったんなら嬉しいぜ。それに俺の事心配してくれたんだろ? ありがとな」
「う、うぅ、ど、どういたしまして……」
「よっしゃ、今日はそろそろ帰るか。あんまり遅くなると親御さんも心配するしな。っていうか、もしも小池さんのクラスの白ギャルがまた意地悪してきたら言ってくれよな!」
「……う、ん。そうだね。でももう少し一人で頑張るね。夏休みで少しだけ自信が付いたし。えへへ、私の方こそ、九頭竜君をいじめる子がいたら――」
うん? なんだか小池さんの身体に力が入っている。……な、なかなかの威圧感だ。
あっ、同じ威圧感を感じた事がある。あれは――親父の友達の女子プロレスラーと出会った時だ。
小池さんは気持ちの良い笑顔で言い放った。
「私が――全力で守るよ」
俺はその笑顔を見て『可愛い』と心の底から思った。
***********
俺と小池さんはアイス屋さんの前で別れた。
向こうは親に頼まれた買い物があって、俺は配信があるから帰らなければいけない。
俺はそのままベンチに座って休んでいた。実はさっきから頭がズキズキしていたからだ。
もう収まりかけている。
そういえば、小池さんに軽く動画配信を見ているか、と聞いてみたら――
『えっとね、私あんまりそういうの興味無くて……、全然わからないんだ。お歌はちょっと古いけどモームズとか聞くよ』
との事であった。うん、ある意味気兼ねなく友達付き合いできるな。
そろそろ帰ろうとした時、ベンチに誰かが座って来た。他のベンチは空いているのに?
隣に座ってきたのは、うちの高校の制服を着ている……顔が判別出来ない女の子であった。
髪はポニーテールで……足はすらっと長い。美少女の匂いがぷんぷんする。
心臓がばくばくする。なんだ、この不安な感情は。嫌だ。ここにいたくない。
「ふ、ふん、久しぶりだな。相変わらずしけた面を……、イメチェンしたのか。全くこれだから最近の若者は。……いや、すまない。こんな事を言いたくて話しかけたわけじゃない」
くそ、やっぱりこの子も俺に話しかけてくるのか。透き通るような綺麗な声であった。
だけどその声が頭に響く。
「……ああ、そうか」
俺は今回は無難に過ごそうと思う。女の子の事を知らないと言ったら傷つける。それが日向と名前もわからない後輩の件でわかった。……あっ、俺、あの子たちの事傷つけたんだ。
でも、記憶にないんだよ。どうすりゃいいんだよ。嫌な気持ちが胸に広がる。
「……冷たいな。ふん、仕方ないか。――なんで言ってくれなかったんだ? お前が部活をやめる必要がなかったじゃないか? ちゃんと真実を知っていたら――」
判別出来ない顔を見ていると気持ち悪くなってくる。だから俺は空を仰ぎながら喋っている。話の内容がわからない。俺の信条とは違うが適当に合わせるか。
「そうか、それで?」
「――っ! そ、そうだ。私達が悪かったんだ。一方的にお前が悪いと決めつけて……。お前は悪くなかった。全部アイツらが悪かったんだ。そ、それなのに私は……お前を……、謝っても謝りきれない……」
荒い口調だけど声は弱々しくて震えている。罪悪感と後悔。
……なるほど、きっと過去に俺が部活でやめた件の事を言っているのか。あれ? 俺ってどんな理由で部活やめたんだ。ていうか、陸上自体あんまり興味ないな。
どうせ何かしらの誤解があったんだろう。誤解は積み重ねで他人の信用を失う。
信用は決して完全に戻るものではない。
その時、頭の痛みが絶頂に達した――
誤解を受けた人間にしかわからない。
――自分はそんな事していない。
いや、お前がやったんだ。
――俺はいじめなんてしていない。
いや、お前のせいで怪我をしたんだ。
――部活仲間を助けたかったんだ。
いや、お前が犯人だろ。
――嘘告白なんてしていない!!
いや、クラスメイトが聞いたって言ってた。
――みんなが幸せならそれでいい……。そんな事はない。俺の心だけが擦り切れていった――
誤解を受ける度に心がすり減る。悲しい気持ちと、親愛している人から受ける敵意。それがより一層悲しみが増す。泣いても悔やんでも自分が悪くなっても、俺は誤解を恐れずに立ち向かった。
それでも――『好きな人たち』から嫌われるのは――とても辛かったんだ。
「お、おい、どうしたんだ? 顔色が悪いぞ!? み、水を買ってくるか?」
頭の中で知らない言葉が駆け巡った。
俺は全部を理解していないが、きっと俺に起こった事なんだろう。まるで他人の記憶を見ているみたいだ。
ああ、そうか、俺は限界だったんだな。
歌が俺の精神を安定させていたんだ。
意識からこの女の子を消した。これ以上は『今は』無理だから――
俺は無性に歌を歌いたくなった。音響もマイクもいらない。
口ずさむだけでいい。
俺は軽く息を吸って、吐いて――今日配信しようと思っていた歌を口ずさむ――
自分の心を抑え込むために――
――歌を歌っている時は全てを忘れられる。
――歌に思いを乗せると、心が浄化される。
――想いを歌に乗せると、共感してくれる。
――だから、俺は歌を歌う。自分自身を肯定するために。
「――――――――――――――――――――――――っ、ふう」
時間にして一分も経っていないだろう。
流石に街中だから隣にいる女の子に聞こえる程度の声量で歌った。
頭のズキズキが少し収まった。
あっ、いきなり歌なんて歌ったら、変な男だと思われるな……。知らない奴だから構わないか。
突然嗚咽が聞こえてきた。
知らない女の子が俺に喋りかけようとしている。嗚咽が抑えきれず喋れていない。
「――――っ、あ、ん……くっ、わ、わ、私は……、ひっ、っく……、こ、この、歌……」
女の子をよく見ると判別出来ない顔の一部――泣いている両目だけがくっきり見えた。綺麗な目だな。
俺の口から言葉が勝手に出ていた。
「わりい、名前教えてくれねえか?」
「あ、あ、あまみや、ゆーこ、だ。……ひ、ひっぐ、何をいまさら……」
やっぱ適当に話すのは苦手だ。本当の事を言わなきゃな。
「そっか、やっぱわかんねーわ。俺は誤解されるのが嫌だから嘘は言わねえ。……なんか俺って、お前らの事わかんねーんだよ。わりいな、あまみやさん」
「―――――――っ……、え? そ、そんな、何を、冗談を……」
俺は背伸びして息を吐く。俺は空を見上げながら誰ともなく告げた。
「――誤解されるのも嫌だけど、誤解すんのも嫌なんだよ。だから――」
俺はあの事故から理不尽な誤解を受ける事が無くなった。
きっと、生まれ変わったんだろう。
異世界には転生しなかったけど、イチからやり直せるんだ。
ゼロじゃない。俺が誤解された過去は消えない。誤解された事実があっての俺だ。
俺はあまみやさんに笑顔を向ける。そうすると、頭痛が舞い戻ってきた。すごく痛い。尋常じゃない痛みが俺に襲いかかる。
――俺は親父の息子だから我慢することが出来た。
「――少し待ってろよ。泣くんじゃねえよ」
「――――っ」
俺の強い意志を込めた言葉を受けて、あまみやが息を飲む――
俺は今度こそベンチから立ち去った――
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