死にたくない。
目が覚めたら知らないベッドの上だった、ということはなかった。
気を失ったのは一瞬で、朦朧とした意識の中、襲いかかって来る痛みに耐えながら救急車で運ばれたんだ。……意識があるだけで身動きできなかったけどな。
だけど、事故にあったのが俺だけで良かった。俺だけ? まあ俺は一人ぼっちだからな。
頭を強く打ち付けた俺は、何度も検査を受けた。異常は全くなかった
他に幸い目立った大きな怪我はない。加速しきる前の自動車で良かった。ダンスを無理やり習得させられて良かった。身体が柔らかいと怪我をしにくい。
流石に入院することになった。
その間、親父は闇の自動車側の保険屋と交渉を行っていた。
取り合えず大事にはしたくない。無事だったからそれでいい。俺の希望はそれだけだ。
親父はひどく怒っていたが、常識の範囲内の示談で済ませる事になった。
退院した後も、病院を通いながら自宅で安静にする。
いやさ、車に轢かれたからもっとやばいかと思ったら、頭にコブが出来ただけだもんな。
病院に通う事が増えただけでいつもの夏休みと変わらない。
朝起きて、親父の朝食を食べて、親父の稽古に付き合って、家の掃除をして、配信をしたりゲームをしたり漫画を読む。普通の高校生だ。
「ったく、心配させんじゃねえーよ! このバカチンが!」
「おい!? 頭叩くんじゃねーよ! このバカ親父!!」
退院の時の親父の態度だ。
親父は俳優をしている。まあなんだ、二枚目半って感じで、バイプレイヤー的な存在として業界で確固たる地位を築いている。結構ファンがいて有名らしい。
だっていうのに変装用のマスクをしていると、地味な親父が俳優だって気が付かれない。
俺の誤解のせいで、親父にはずっと迷惑をかけた。それなのに親父は――
『糞が、ガキが迷惑かけんのは当たり前だろ? てめえがやってねえんだったらやってねえんだよ。……本当にやってたら俺がぶち殺してやるわ。てめえも悩む事があったらソープへ行け!! 大体解決すっぞ!』
ハードボイルド小説に影響されたのか、随分と破天荒な親父殿である。まあ、そんな親父が大好きだけどな。ていうか、今ならソープって言葉わかるけど……、親父……ガキにそんな言葉使うなよ。
――俺はあの事故の時、身体の中から何かが出ていくのを感じた。
てっきり俺は死んだと思った。だけど、軽症だった。
出ていったのが何かわからない。だけど身体が、心が軽く感じられた。
まるで生まれ変わった気分だ。
それでも何か大切な事を忘れている気がする。
事故の際、一時的な記憶障害が起こったが、それも収まったはずだ。
俺は誤解されまくっていた男だ。うん、覚えている。ムチムチで可愛らしい小池さんの自殺未遂を止めた。うん、覚えている。クラスで嫌われている。うん、覚えている。
あとはなんだ? あっ、歌の配信をしなきゃ。親父からの課題だったけど、いつの間にか俺の趣味になっていたんだ。
あとは……、俺には、誰も友達が、いない。
うん、わかっている。
それが……ほんの少しだけ寂しく感じられた。
************
「お、おい、武蔵。学校行けるのか? なんならもう行かなくていいんじゃないか? 芸能界入ってもいいんだぞ? あいつそっくりになってきたな……」
エプロン姿の親父が俺の心配をしてくる。俺は笑いながら首を振る。親父を見ているとそんなにうまく立ち回れる自信がない。
俺はこの朝食の時間が大好きであった。親父と一番のんびりした時間を過ごせる。
「親父、あれだ、なんか最近誤解されなくなったんだよな。電車に乗っても痴漢に間違われねえ。運も悪くねえ。意味わかんねえけどよ」
「お、おお! そういや俺も警察に呼ばれてねえな。そ、それは俺が買った魔除けが効いたんじゃねえか! やったな武蔵!!」
「いや、それは知らんがな……」
うちには様々な置物があった。親父が撮影の合間に神社に行って妙な魔除けグッズを買ってくる。それが家に溢れかえっていた。
……本当は親父は俺が誤解を受けることを気にしていたんだ。
それのせいかどうかわからんが、俺は夏休みの間、誤解をされたり、不運な事が起きなかった。……事故はノーカンだ。
「うっし、じゃあ行ってくんわ。今日映画の撮影で遅いんだろ? 飲みすぎんなよ」
「おう! お土産買ってくるぜ! ほらよ、弁当だ」
俺はどでかい弁当を渡されて登校することにした。
……あれ? 今日は午前中で学校終わるぞ?
登校しながら次に配信する歌のリストを考える。
歌を歌うことが俺にとって生きがいだ。
……親父みたいにそれを商売にするかわからんが、現時点でも小遣い稼ぎ程度には収入がある。
世間的に言うと、俺は歌い手と呼ばれる存在である。
もちろん顔出しはしていない。歌だけで勝負している。歌は親父の演歌友達のサブ次郎さんから習った。作曲も親父の友達のツィンクから教えられた。
ダンスはボブに、演技はタクヤに無理やり教えられた。
やはり一番好きなのは歌うことだ。歌と歌う時は全て忘れられる。
俺は歩きながら自分の髪を触った。夏休み終盤、親父が家でパーティーをしていた時にスタイリストさんが俺の髪を弄ったんだ。変身した俺を見て親父たちは大喜びだったけど、俺はなんだか妙な気分だった。
特に面倒だからそのままで過ごしている。どうせ髪は伸びる。気にしない。
なんだか通学路が静かである。
この登校時間は生徒たちが多い。
いつもは誤解されないとように気をつけていたが、人目を気にしなくなった。事故の影響か?
気にしなくなったというよりも、学生たちの顔が頭に入ってこない。親父やその友達はちゃんと認識できるのにな。
不思議だ。いつもならざわついている生徒たちの声も少ししか聞こえてこない。
そんな事を考えていたら、俺の前に小さな女子生徒が突然現れた。
――突然としか言いようがなかった。
この子は誰だ? 俺は顔を認識しようとするがイマイチうまくいかない。少し胸がざわつくのはなんでだろう? ツインテールの髪型はわかる。顔が――なんで――
「――ちょっと、先輩、なんで無視するんすか! ……そ、その、や、やっぱり、私、先輩ともう一度ちゃんと話がしたくて……。あの時、本当は先輩がストーカーから私を助けてくれて……、それなのに、私……先輩がストーカーの犯人だと思って……、ひどい事を言って……」
俺は周りを見渡す。
俺は自分を指差した。
「――俺?」
「そうっすよ!? 私以外誰があなたの事を先輩って言うんすか!」
知り合いなのか? しかし、記憶に全くない。……事故の影響で記憶は一時的に無くなったが、今は完全に思い出しているはずだ。
女の子に近づいて顔をじっとみる。
「は、恥ずかしいっす、先輩……」
……本当に知り合いなのか? いくら考えても思い出せない。きっとこの子は勘違いしているんだろう。
「わりいけど、違う人と勘違いしていると思うぜ? えっと、お前の名前はなんて言うの? 良かったら一緒に探そっか? 探している人の名前は?」
女の子は面食らった顔をしている。
目には涙を溜めていた。そんな顔をされると心が――ざわつく。
「せ、先輩……、じょ、冗談っすよね? 今さら喋りかけてきて怒っているんすか? ね、ねえ、先輩、お願いっす。怒ってもいいから、知らないふりをしないで欲しいっす……、それはちょっと、キツイっす……」
この子の呟きが頭に入って来ない。
とりあえず今この子に言えるのは――
「すまん、本当に誰かわからん」
女の子は泣きそうになりながら、俺の制服の裾を掴む。
その姿は俺にすがりついているようである。
だけど、俺は誤解されて失敗してきた男だ。……あれ? 俺ってどんな誤解されたんだろう。
まあいいや、これだと俺が痴漢に間違われる。
俺はやんわりと女の子の手を払った。もう二度と誤解されたくない――
「――あっ………………」
その悲痛な呟きを拾って何故か俺の胸がチクリと傷んだ。ワケがわからない。
俺は夏休み明け初日から授業に遅れたくない。取り合えず教室へ向かおう。
心臓の鼓動が速くなる。
今度は少し優しい口調で彼女に嘘偽り無く伝えた。
「もう一度言うが、俺は、お前の事は知らない。俺って誤解されやすいから嘘言わねえんだよ。……本当に知り合いだったのか? まあいいや、また今度話そうぜ。とりあえず、今は授業に遅れたくねえから先行くぜ」
泣きそうな女の子が俺に向かって再び手を伸ばそうとする。
俺は視界から少女を消した。そしたらまた俺の世界が静かになってきた。もう少女の姿は見えない。見えないから気にしない。
静かな世界が心地よさと冷たさを感じながら歩き始めた――
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