アトランティス

第1話 箱庭に住まう者たち

割れる音がした。

薄く張り巡らされたそれらが踏みつけられ、割れる音。

ひやり、とその場が冷気に包まれる。

テラスへと続く窓際に設置されたティーテーブルに着いた少女は注がれたばかりの紅茶に口をつけようとしてその動作を止めた。

視線を紅茶に向けたままなにかを思案するように目を細める。

大きな窓から差し込む陽の光に照らされて、ふわりと長いプラチナブロンドの髪が揺れた。

醸し出す冷たさと相まった他人を寄せ付けない美しさはさながら一枚の絵のようだ。


「ルナ」


小さく呟かれた声はそれでも凛としていて芯を感じる。

その様にぞくりと背を震わせたルナはその空気の持ち主へと声を掛ける。


「眞白さま。いかがされましたか?」


憂いを帯びたようにも見えるその表情は作り物のように色が読み取れない。


「……#眞烏__マオ__#を」


呼んで、と小さく口を動かせばルナと呼ばれたその少女はどこか不満げに返事をし、部屋の戸を開ける。


「眞烏……さん、いますー?」


扉から顔を出し長い廊下の左右を見比べる。それに合わせて高い位置で結んだ二つの結び髪がゆらゆらと揺れた。

探すつもりはあるのだろうか、声は小さく呟かれただけである。


「姫様がお呼びですか?」

「びゃっ」


首を左に向けたその瞬間、後ろ近くから聞こえた声にルナはびくりと肩を震わせた。


「眞烏!…………さん」


取ってつけたような敬称に眞烏は小さく笑みを零す。


「まったく。これくらいで驚いているようでは姫様の専属従者としてまだまだですね」


嫌味ったらしい溜息をつきながら眞烏は眞白の部屋の戸を覗き込む。


「あーあ。ここまで冷気が来ていますね。これはこれは、大分ご機嫌が斜めのようだ」


そう言って眞烏は肩を竦めた。やれやれと言いながら、ルナを押しのけるようにして室内へと入る。


「お呼びでしょうか?姫様」


その言葉にぴくり、と眞白の眉が動いた。どうやら眞白は姫と呼ばれることが好かないらしい。けれどそれを咎める気もないのだろう。

ティーカップの持ち手を指でなぞりながら言葉を続ける。


「北の森にネズミが……三匹。内、二匹は既に片付いたから、あとは……」

「北の森、ね」


そう言って眞烏は眞白の視線の先を見る。


「その一匹はどうします?飼います?」

「……飼い主が気になるわ」


眞白はそう言うとティーカップを持ちその香りを楽しむ。


「承知しました。姫様」


そう言った眼鏡の奥の紅い瞳が細められる。少しばかり長い、黒い前髪の向こう側、まるで夜の中で燃え盛る炎のように紅が射抜く。


「眞白さま、眞白さま!お掃除なら私が!私が行きます!」


言葉の意味を知ってか知らずかルナは入口の戸を閉めると眞白へと走り寄りぴょんぴょんと跳ねながら甘えるような声を出す。


「ルナ」


主従の関係、その一線を弁えないような行動に直ちに眞烏が苦言を呈す。


「眞烏」


眞烏がルナを注意するように、眞白がただ一言その名を呼べばすぐにその意図を理解したかのように眞烏は溜息をつきつつもこくりと頷き部屋を後にした。ルナのことは良いから早く行くようにという指示を正確に受け取ってのことだろう。


「あ、ちょっと眞烏さん!私も眞白さまのお役に、」

「ルナ」


そう言って眞烏の後を追おうとするルナに声を掛ける。まだあどけなさの残る自らよりも年下の少女をその場に居合わせてはならないと思ったからだろう。


「あなたはこちらで。一緒にお茶にしましょう」

「眞白さま……」


感激したかのように瞳を潤わせ、ティーテーブルの近くに置いたままになっていたワゴンから早速もう一組のティーセットを用意する。


「はい、はい!眞白さまとお茶、嬉しいです!」


こんな所を眞烏に見られでもすればルナはこっぴどく叱られるだろう。眞烏はこの屋敷の一番の古株であり、眞白と年端が変わらないというのにその執事であり、この屋敷にいるものの中で眞白と共に過ごした時間が誰よりも長い。眞白のいないときはこの屋敷の全権限が彼に一任されるくらいにこの屋敷では中心となる人物なのだ。

けれど、そんな眞烏の言いつけや注意がどうでもよくなるくらい、ルナは眞白が好きだった。目の前に大好きな人がいて、その人にお茶に誘われる。その状況で断れる人がいるだろうか。

見つかったって怒られたって今このときが大切。

そう思いながらルナはそっと眞白の向かいの椅子を引いた。

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