後編

「くそっ、どうなってんだ、ナースコールやっても誰も来ねえ」

「今日は夜勤が普段の倍いるはずですが」


 昨夜の事態を受けて、万一に備えて、今夜は臨時で医師・看護師とも夜勤の人員を増やしていた。それが一人も対応に出ないというのはどういうことなのか。

 武井は携帯で警備室にかけてみた。


「だめだ、警備室も誰も出やがらねえ。そっちは?」

「警備室、こちら山路、応答願います。……無線こっちも反応ないですね」

「かぁ……肝心なときに役にたたんねえ」


 この無線機は災害時の備えとして導入されたものだったが、これを必要とするような機会などこれまでなかったため、ほとんど死蔵していたようなものだった。それが、いざ使う段になって応える人間がおらず沈黙していました、なんていうのではまったくもって宝の持ち腐れとしか言いようがなかった。

 警備員も今夜は増援があって、七人体制となっていた。そして、一応規則上は、見回りに出る際にも最低限一人は警備室に残ることになっている。病院の警備では、普段はそこまで厳格に規則が運用されてるわけではなかったが、それでも一度に全員出払ってしまう状況というのは考えにくい。


「イヤな予感しかしねえ。ちと様子見てくる」


 そう言って武井は病室から出ようとしたのだが、スライド式の扉を開けて廊下に顔を出したところで、ギクリとして動きを止めた。そして、ゆっくりと後ずさって室内に戻り、そうっと静かに扉を閉めた。

 武井の不審な挙動に、山路が聞いた。


「どうした?」

「……問題発生。というか、廊下がヤバい」


 武井は神妙な面持ちで答え、扉に向け顎をしゃくった。

 いったい何事かと、孝雄と山路もそろそろと扉に近づいて、ちょっとだけ扉を開けて覗き込んだ。


「「っ!」」


 廊下には何人もの患者が静かに立っていた。各部屋の前に一~二人くらいの間隔で、ぱっと見でも二十人以上いそうだった。中には、脚にギプスをはめているのに松葉杖もなしに立っている者、点滴のチューブを腕につけたまま点滴スタンドごと引っ張ってきた者などもいた。そして、手を真っ赤に染めている者、口周りが赤く塗りたくられているモノもいた。


「……アレ、どう思う?」

「この流れで、患者さんたちがただ息抜きに出てきた……わけないですよね」

「あれ、全部アレなのか……?」

「ナースステーションが反応ないのって、もしかして他のフロアでも……」

「考えたくねえがな……」


 その時、窓の外から救急車のサイレンが聞こえてきた。

 おや? と思う間もなく、サイレンは遠くから近くからと様々なところから同時に、ドップラー効果による音程の変化を伴って鳴り出した。

 呆気に取られて見守っていると、さらに一分も経たないうちに、それに被せるように多数のパトカーや消防車のサイレンまでもがコーラスに加わった。シンバル代わりに何かの衝突音や破砕音が鳴り、上空ではヘリコプターが速いテンポでドラムを響かせていた。

 極め付けに、窓の外が一瞬明るくなった直後、ドンッという一際大きな爆発音が響き渡り、窓ガラスがビリビリと振動した。

 手前のビル街で隠れて直接は見えないが、何ヶ所かでオレンジ色の光が明滅しているようで、立ち上る黒々とした煙を下から照らしていた。

 わずか数分のうちに、街はあっという間に様相を変えて、夜間とは思えないほどの大合奏騒音に包まれた。


「なんーーーじゃ、こりゃ……」

「どう見ても大災害な状況ですねえ……」

「このタイミングでコレって、やっぱり……」

「アレじゃねえの……」


 一同の目が、病室の床に転がされて身じろぎする三体のソレに向いた。推測に過ぎないと言えばそれまでだが、嫌でも連想せざるを得ない。


「こりゃーもう、収拾つかないんじゃね」

「ゾンビ映画も真っ青ですねえ」

現実リアルでコレはちょっと予想してなかった」


 もはや事態のスケールが大きくなりすぎて、彼らの口調もだいぶ投げ遣りなものになっていた。


「映画よりマシなのは、喰われて増えるわけじゃなさそうってくらい?」

「いや、そうでもなさそうだ」


 そう言った武井の視線の先を見ると、三田の遺体を覆っていたシーツがなにやらモゾモゾと動いていた。

 そして、三田の遺体がむっくりと上半身を起こした。いったいどういう力が働いているのか、三田は腕を使わずに、腹筋だけで起き上がったように見えた。

 頚椎が折られたせいか、首から上が座っておらず、ぷらぷらと揺れ動いていた。そして、その視線はやはりカメレオンのごとく左右バラバラに動き回っていた。


「殺されても仲間入りか……あるいは普通に死んでも同じか?」

「三田さん……」

「う、ぷっ、ぉろろっ……!」


 他の死体たちとは生前に面識もなかったので特にどうとも感じなかったが、三田はついさっきまでは普通に生きてて、言葉も交わしていたのだ。その相手のあまりの急激な壊れっぷりに、孝雄は堪えきれず、胃液を床にぶちまけた。空腹時でなかったら、もっといろいろ撒き散らしていただろう。


「ゾンビ、映画の、ぅぷっ、一番、恐、ぶほっ、ぅおろっ、げふっ、ぺっ、とこって、人が、壊れ、はぁっ、はぁ、とこ、だと、思、ぅぉろっ、んだよっ、げほっ、ごほっぐほっ」


 現実に三田の有様を目の当たりにして、やはり、と孝雄は思う。

 ゾンビ映画というジャンルにおいて孝雄がもっともおぞましいと感じるのは、人をその人たらしめる、言わばその人の根源である人格が崩壊して喪われ、虚ろとなった姿をさらし続けるという特性だった。単に生命の危機であればチート無敵殺人鬼モノのサスペンススリラーと変わらないし、群れて襲ってくるというのも異星生物エイ○アン食人植物トリ○ィドと大きな差はない。死そのものや大群といった属性はゾンビ映画特有の性質ではないのだ。怖さのベクトルが違うと言ってもいい。死んでしまったというのに、それで終わってくれない。自身や、身近な人が壊れて心が喪われてしまったら、というのを嫌でも想像させる。そうした人格の変容、崩壊と喪失こそが、ゾンビ映画の肝なのだ。そこを履き違えてはいけない。一部のゾンビ映画では、あーうー言ってノロノロ歩くだけではもはや観客を怖がらせられないと思ったのか、猛獣さながら元気いっぱいに全力疾走して襲ってくるゾンビが登場するようになったが、しかし孝雄にしてみれば、そんなものはホラー映画としては一級であっても、ゾンビ映画としては本質を見誤った二級三級と言わざるを得ない。全力で襲ってくるということは、つまりそれは闘争の表れである。そこにはまだ意思が残っていて、壊れきっていないのだ。あまりにも生き生きとしすぎており、虚無には程遠く、壊れてる感がまったく足りない。だから、ゾンビ映画におけるゾンビは走るべきではないのだ。


 ……などと、孝雄が脳内で持論を超高速で展開しながら現実逃避している横では、


「あー、無理せんでいい。これは俺でもキツい。こりゃ警備の仕事の範疇だろうから、あんたは休んでてくれ」


 先ほど殺害されたばかりのベッドの患者も動き出したので、武井がそちらも拘束しているところだった。

 一通り拘束が終わったところで、ようやく一息ついた。


「さて、どうしたもんか」

「どーしたもんでしょうかねえ。意外に力強いんで、掴まったら厄介ですね」

「ん? 外、救急車が集まってきてる?」


 どうにか復活した孝雄は、窓の外を見に行った。ここからは地上の救急搬入口が見えていた。

 急患を搬送してきたらしい救急車が三台止まっていて、さらに続々とやってきていた。


「外から人が来たなら、私らも助かりますかね」

「いや、どうだろう」

「なんか、救急の人、戸惑ってる?」


 救急隊員たちは、患者の乗ったストレッチャーを救急車から降ろしたところで、何やら言い合いをしていた。


「病院から誰も応対に出てこなくて、混乱してるっぽい?」

「あ、あのストレッチャー……」

「あー、こりゃアカンわ」


 ストレッチャーの患者が起き上がって、救急隊員に抱きついた。抱きつかれた隊員は必死にもがきだし、他の隊員が引き剥がそうとしていた。隊員の絶叫はここまで聞こえてきた。その腕を真っ赤に染めた患者が離すと、隊員は力なく崩れ折れた。他の隊員は腰を抜かして、後ずさった。

 そこへ、新たな救急車が速度をまったく緩めずに突っ込んできた。そして、ガシャンと派手な音を立てて止まっていた救急車に衝突し、起き上がった患者と救急隊員を巻き込みながら横転した。

 そして、倒れていた救急隊員が不自然な力の入れ方で、むくりと起き上がった。


「「「……」」」

「……本格的にゾンビ映画じみてきましたね」

「……これ、もう警察とか自衛隊でないとどうにもならないんじゃ」

「いや、殺傷じゃなく捕縛を第一に考える警官や機動隊じゃ難しいんじゃねえか。自衛隊でもどうだろうな。それに、三田は首を折られても動き出した。中枢神経がどうなってんのかわからんが、脳みそ吹っとばしたくらいでアレが止まるのやら」

「「…………」」


 武井の指摘に、孝雄も山路も声も出なかった。


「……と、とりあえず今私らがどうするか考えましょう」

「……だな」

「だよな」


 窓際で、外の様子を見ながら話し合った。


「あの中をすり抜けて脱出できますかねえ? あと、ここを出られたとして、市内全域でアレがいたりすると、どこに逃げたものやら」

「ここに立て篭もる?」

「いや、たぶん病院ここはアレが一番密集してるんじゃねえか? 昨日の分も動き出さんとも限らんし。長居するとロクなことにならなさそうだ」

「このフロアもすでにヤバそうな……え?」


 ふと、山路が振り返ると、すぐ目の前にアレが立っていた。この部屋に最初からいた三体のうちの一体だ。

 それが持ち上げた腕は、手首が大きくえぐれて、親指は根元から骨がむき出しになっていた。拘束していた結束バンドからむりやり引き抜いたらしい。


「……このッ!!!」


 いち早く反応した武井が飛びかかろうとしたが、その寸前に、ソレは山路に飛びついて、窓ガラスに押し付けた。見た目からは信じがたいほどその力は強かったらしく、ガラスはあっさりと割れて、ソレは山路諸共窓の外へと放り出された。


「ひっ!」

「山路!?」


 孝雄と武井は窓から下を覗き込んだ。真下は駐車場となっている。

 アレは四階の高さから落ちてもなお、ジタバタともがいていた。そして、その下敷きとなった山路も、駐車場のアスファルトに脳漿をぶちまけながら、尚も頭や手足をモゾモゾと動かしていた。


「う、うぷっ!!」


 孝雄は再び吐いた。





 さっきのアレが結束バンドの拘束を抜け出せたのはたまたまだったようで、他のアレらはまだ拘束を抜け出してきそうな兆候はなかった。とはいえ、安心できるわけでもない。


「この部屋に留まるのもヤバそうだ。とりあえず一階に移動しよう。状況がまずそうだったら病院からも避難する方向で」

「あ、あぁ……」

「俺は他の病室に生存者がいないか見ながらいくから、あんたは先に降りててくれ」


 患者をここに残しておくのは危険だと思われた。絶対安静の患者だと武井だけではどうすることもできないが、移動可能な患者であれば、できるかぎり危険から遠ざけるべきだった。

 一応、有事の際の対応を記載したこの病院の非常災害対策マニュアルでは、避難誘導が必要な場合は医師や看護師の指導の下に行われることになっていたが、しかし今はその医師らと連絡がまったくつかない。火災や震災、はてはテロやミサイル攻撃なんて状況まで想定には含まれていたが、さすがにゾンビ災害で病院の機能がいきなり麻痺するというのは想定外だったようだ。


「だいじょうぶなのか?」

「捕まるとやばいが、動きは鈍いからな。捕まらなきゃ大丈夫だろ。たぶん」

「……おれも手伝うよ」

「あんたは患者なんだから、さっさと避難してもらったほうがいいんだが……正直、助かる。行くか」


 議論する時間も惜しいので、あっさり方針が決まった。

 廊下に屯するソレを突き飛ばしたり、蹴り転がしたりしながら各部屋を見て回った。

 残念ながら、ほとんどの部屋は駄目だった。さすがにこう何度も凄惨な室内を見ていれば、孝雄もだんだん恐怖が麻痺してしまったが。

 このフロアの最後の部屋だけは無事だった。患者四人はいずれも普通に眠っていた。

 彼らを起こして、事情を説明したものの、なかなか信じてもらえなかったが、どうにか避難を納得させた。ただ、患者四人のうち、自力で問題なく歩けるのは一人で、松葉杖が必要なのが一人、残る二人は車椅子が必要だった。

 階段で移動するのが難しいため、エレベーターで移動することになった。

 近寄ってくるソレをけん制しながら、エレベーターホール前に着いた。


「ゾンビ映画でエレベーターって言ったら……」

「ま、警戒しといたほうがいいだろうな」

「デスヨネー……、って、やっぱりいぃっ!」


 チーンと鳴って開いたエレベーターの中には、あからさまにソレと思われるのが二人乗っていた。

 ただ、開くと同時に襲ってくるわけではなく、ただぼーっと突っ立っていたままだったので、引っ張り出してエレベーターの外に追い出した。入れ替わりに他の患者らが乗り込んだ。

 その間にも、廊下にいたソレらがじりじりとエレベーターホールに集まってきていた。


「武井さん、早く!」

「俺は階段で行くから、先に行け!」

「くっ……」


 武井はどうやら、エレベーターが閉まるまで外で守るつもりらしい。閉まる間際に入り込まれるというのは定番のシチュエーションでもあるし。

 ここはさっさと行かないと、長引いてしまえば武井も逃げられず、危険も大きくなる。孝雄は断腸の思いで一階のボタンを押し、次いで閉ボタンも押した。

 ゆっくりと閉じていく扉の間から、武井の背中を見送った。


 ここのエレベーターは遅い。途中で止まってソレがなだれ込んできたら、などと不安を掻き立てられた。

 しかし、幸いなことにエレベーターは何事もなく一階に着いた。エレベーターホールから見える範囲にも人影はまったくなかった。


「良かった。アレはいないみたいだ……」

「「「ふぅ……」」」


 他の患者らも安堵のため息を吐いた。


「行きましょう」


 孝雄は自力で歩ける患者と分担して、車椅子の二人を降ろした。

 そして、振り返った。エレベーターの中では松葉杖の患者が俯いたまま立っていた。


「……どうしまし……た?」


 漠然と嫌な予感がしつつも孝雄が近寄ったところで、その患者が顔を上げた。


「い゛っ!?」


 松葉杖の患者の両目はそれぞれバラバラな方を向いていた。

 孝雄は咄嗟に離れようとしたのだが、ソレに肩をつかまれ、エレベーター内に引き込まれた。そして、エレベーターの扉が閉まった。

 あっという間のことで、他の無事な患者たちにも何もできなかった。


「や、やめろーーーーっ!!」


 ソレが孝雄の上にのしかかってきた。必死になって殴り、蹴りを入れたものの、ソレは引き剥がせなかった。

 腹に異様な熱さを感じた。同時に、全身で異様な寒さを感じた。


 孝雄の意識があったのはそこまでだった。





 孝雄が起き上がった頃には、すでに日が昇っていた。

 魂が抜けてしまったような茫とした面持ちのまま、覚束ない足取りでエレベーターから出て、一階の廊下を進んだ。

 病院正面玄関ホールは荒れ果てていた。長椅子は転がり、書類が散乱し、天井のLEDライトはカバーが外れて垂れ下がっていた。人の気配もなかった。ガラス扉は割られていて、さえぎるものはなかった。

 外に出るとそこもまた、弾痕こそないものの、いったいどこの市街地戦跡かというくらいに惨憺たる有様だった。横倒しになった救急車のそばでは、パトカーがフロントガラスが割れたまま回転灯を回していた。周辺のビルや家屋からは煙が上がっていた。動くことのない死体が転がっているのを除けば、人の気配はなかった。


 孝雄はそれらの光景を左右それぞれの眼で別々に眺めながら、特に何の感慨も覚えることなくゆっくりと歩き、去っていった。

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ラザラス・リフレックス・シンドローム ~ 屍者の日 えどまき @yedomaki

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