中篇
『……ここ、○○大付属病院では昨夜から……』
『……政府は厚生労働省を中心とした対策チームを発足させ……』
待合室に置かれたテレビに映るニュースやワイドショーなどは、朝からずっと原因不明の大量死の話題で持ちきりだった。
政府発表によると、現在判明しているだけで、この謎の症状によって昨夜一晩のうちに日本全国で少なくとも二万人が亡くなっていた。これは、日本の一日あたりの平均
世界全体では正確な数字は不明だが、各地で夜間の間に概ね人口に比例した死者が出ているとみられた。
どういう理屈なのか昼間には発生しないようで、今は新たな死者は出ていなかった。それでも事後の対応などで、待合室含めて病院内はなにかと騒がしく殺気立っていたため、孝雄は静かな非公式屋外喫煙所(無許可、条例違反)に退避することにした。
「まさか、ここだけじゃなく世界規模だったとはなあ」
「よそでも死人が動いてたのが目撃されてて、リアルゾンビネタだってんでネットじゃお祭り騒ぎになってるよ」
「こりゃあ、マジで
そして、昨日と同じく、休憩しにきた武井と雑談していた。
「昨日の爺さんなんだがな。あの後、防犯カメラチェックして、足取りを辿ってみたんだが」
「へぇ」
「さすがに病室の中まではカメラがないんで、中で何があったのかはわからん。ただ、爺さんが病室から出てくる五分ほど前から、その病室の扉が映ってる映像にブロックノイズが出てた」
「おおぅ?」
「そんで爺さんが自分で扉開けて部屋から出た後、爺さんの姿にモザイク被せるような感じで時折ノイズが乗ってた。ずっとじゃなく、一〇秒から二〇秒に一度くらいの頻度だったが」
「まさか」
「コンピュータウィルスならともかく、そういう話じゃないしな。現実の有機物でできた生のウィルスには不可能だな。というか、こりゃ冗談抜きにオカルトの領域だわ」
「なあ、武井さん。一昨日ここで亡くなったのが十三人で、昨日は?」
「急患含めて、二百七人だな」
「一昨日、武井さんが廊下で発見したのはすぐに倒れたんだよな」
「そうだな」
「で、昨日遭遇したのは明らかに動いて襲ってきたと」
「だな」
「一昨日、昨日とでパワーアップしてない?」
「……」
武井は無言になったが、しばらくして口を開いた。
「あんた、予定じゃ明日退院で、もう普通に生活しようと思えばできなくもないんだろ。ちっと早めて、今日中にここを出たほうがいいんじゃねえか?」
「うーん、それも考えたんだけども。でも、どうせなら間近で見たくなった。何が起こるか」
「物好きだねえ」
「まあ、入院費とか払っちゃってしな」
滅多に無いイベント、それも本物のゾンビ騒ぎに少々浮かれていた。
孝雄は午前中に今日の分の診察を受けた後、夜に備えて軽く仮眠を取ることにした。昨夜はろくに眠れなかったのもあって、あっさりと寝入ってしまった。
*
孝雄は夕方くらいに起きられればいいかと思っていたが、実際に目覚めた時には午後十時を回っていた。
病院はすでに消灯時間を過ぎていた。
夕食も食べそびれてしまった。患者衣のまま近所のコンビニに行くのも気が引けた。
スマホでネットでも見ようとしたところ、
(圏外?)
この病室は一応携帯使用可となっていて、これまで普通に使えていたのだが、今はなぜかつながらなくなっていた。
場所を変えればどうかと思い、孝雄は同じ階の小ロビーに行くことにした。そっと病室を抜け出す。
昨日と同じく、病院の廊下は静まり返っていた。幾分照度を下げた天井のLED電灯と非常口のランプとが廊下を照らしていて、歩くのに困るほど暗くはない。
(お、つながった)
孝雄はまず、ニュースサイトを見て回った。ざっと見た限りでは、大量死のニュースが非常に多かった。もっとも、目新しい情報は少なかったが。
次いで、馴染みの掲示板サイトに行ってみた。有名な大手掲示板ではなく個人運営の小ぢんまりとしたところだ。こういう場合特に、大手では情報が多すぎて、ずっと張り付いてでもいないと追いきれない。
ここでもやはり、話題の中心は大量死の件だったが、死体が動いたことへの関心も高かった。
―――――――――――――――――――――――――――――
【社会】新種の奇病か 全国で死者二万人以上★3
508:菜々氏のどん兵衛さん ID:fg.Jk.L15
脳を破壊するってのはゾンビ映画じゃ定番だが
現実であれに通用すんのか
脳が機能してるからってのは説明としてはわかりやすいが
実のところ医学的根拠ゼロだろ
あの状態じゃ脳が活動しつづけるのも体を動かせるのも説明つかん
509:菜々氏のどん兵衛さん ID:HK.op.L8
そもそも医学や科学で説明つく鼻しなのか
もうこれ完全にオカルトの世界じゃね
現実だけど
510:菜々氏のどん兵衛さん ID:Qz.e6.L3
>>505
警察や司法が健在なうちは、頭にナイフぶっ刺すのはやめとけ
まだそこまで危機的な状況になってねえし
最初から死んでたのか、ナイフで殺されたのか区別つかんかもしれん
よくて過剰防衛、下手すりゃ殺人罪になりかねない
511:菜々氏のどん兵衛さん ID:oW.ce.L5
てか医学的にもあんだけ動いてたら死んでると言えるのか
死の定義自体で揉めそう
512:菜々氏のどん兵衛さん ID:se.qx.L3
>>510
もしアレが襲ってくるようになったらどうすんの
動きは鈍くても力はすげえらしいし
513:菜々氏のどん兵衛さん ID:iM.st.L8
たすk
t
514:菜々氏のどん兵衛さん ID:Fb.tt.L1
逆に死んでたら死んでたで、遺体損壊になるんじゃね
515:菜々氏のどん兵衛さん ID:5S.gt.L18
>>513 どうしφ?
516:菜々氏のど&衛Жさん ID:f#.貴t.L1霎
Vクフフフフ右芍E濶EE蔚ΘШ畿窺゜畿蘊
渦1畿:句々氏偽ど鑼%頤_ん Iλ:Γ$.駆窺*闔偶畿
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―――――――――――――――――――――――――――――
「なんだこりゃ? バグった?」
最後のほうの、一番新しい部分で文字化けを起こしていた。リアルタイムで追加更新される新規書き込みもすべて壊れていて、読めない文字の羅列が次から次へと流れていった。
試しに他のスレッドを確認してみようとしたところで、突然、スマホの画面が真っ黒になって、完全にバッテリーが切れたことを示すアイコンのみが薄っすらと浮かび上がった。
「え? 何で? さっきまで充分あったのに……」
バッテリー低下の警告すら出ないまま、突然切れてしまったのである。
スマホをつんつんしても、何の反応も無かった。物理的に壊れたか、それともクラッシュを引き起こすような変なリンクでも踏んでしまったのか。
その時、ふっ、とロビーの明かりが消えた。ロビーだけでなく、廊下の電灯から非常口のランプまですべて消えていた。窓から差し込む月の光と、街の明かりだけが孝雄の周囲を照らしていた。
「な……なんだ……?」
肌が粟立った。
事ここに至って、ようやく孝雄も何かがおかしいと思い始めた。
窓の外にはいつも通りの地方都市の夜景があった。幹線道路を走る車の音、JRの電車の音などが聞こえてくる。ガシャンという衝突音らしきものは車の事故かなにかだろうか。いずれにせよ、そこは至って普通の世界だ。
対して、窓の内側は気味が悪いほどに静寂に満ちていた。ガラス一枚を隔てて、こちら側が別世界になってしまったかのようだった。
などと孝雄が感慨にふけっていると、まるで何事もなかったかのように再び明かりがついた。
「はは……な、なんだよ、おどかしやがって……」
そう言って、部屋に戻ろうと振り返ったところ、いつの間にか、ロビーの片隅に男が立っていた。
「ぉわぁっ!?」
昨日とよく似たシチュエーションだったが、まったく予期していなかったのもあって、孝雄はまたもや縮み上がった。人が近寄ってくる気配も、足音もまったくなかったのだ。ゾンビ物の映画などでもそうだが、こういうのは下手に走って来られるより、気配もなくいつの間にか忍び寄られる方がずっと心臓に悪い。
男はあの老人よりは若そうだが、同じように顔を俯けて静かに立っていた。
昨日のように絡まれたくもないので、孝雄はじりじりと距離を取りつつ廊下に移動しようとした。
男の両目はバラバラに動いていて、それでいて顔はまっすぐに孝雄にむけていた。
男は両腕を前に突き出した。そして、ベルトコンベアで運ばれるかのように、すーーっと進んできた。
「ひっ!?」
孝雄は慌てて後ずさろうとしたが、脚がもつれて尻餅をついた。
孝雄は恐慌をきたしている思考の中で、男の動きがどうおかしいのか気がついた。
(脚が、動いてない!?)
両足をまっすぐ伸ばした男のかかとは浮いていて、爪先立ちのような姿勢になっていた。そして、その姿勢のまま、脚をまったく動かすことなく、滑るように孝雄のほうに移動してきていたのだ。
男は孝雄に近寄ると倒れこんできて、孝雄の上に覆いかぶさった。
その口が、ほとんど顎が外れてるんじゃないかというくらいに、ガバっと開かれた。
「ぅ……お……うぉろ……」
男は体を痙攣させながら舌を突き出して、嘔吐しそうにえずいた。前触れの唾液がたれてきた。
孝雄の脳裏には、いくつかのホラー映画のシーンが浮かんでいた。
ゾンビ系やバイオ系ホラー映画における吐瀉物とは『穢れ』そのものであることが多い。単に汚くて臭いだけではなく、浴びた被害者も『穢れる』ことを意味するのだ。そして、その結果は禄でもないことになるものと相場が決まっている。
フィクションの話とはいえ、それを連想してしまうのは不可避であった。
もちろん現実世界においても、感染症患者の吐瀉物は感染症を媒介する
「や、やめろーっ!」
「ぅお、ぷっ、ぶほっ、おっぉおろっ……」
男がいよいよ酸っぱい波動砲を解き放とうとしたとき、
「どっせぇぇいっ!!」
「ぅおろろろろろろっ!」
武井が駆けつけて、男に体当たりを食らわせた。波動砲は狙いを逸れて、床にぶちまけられた。瞬時に、酸っぱい臭いが辺りに広まった。
武井はすかさず暴れる男をうつぶせに押さえつけ、両腕をひねり上げて背中側に持っていった。
「山路さん、結束バンドお願い!」
「お、おぅ」
一緒に来た同僚の山路という警備員に指示を出して、ナイロン製のバンドで男を後ろ手で拘束した。
この結束バンドは、万が一、昨夜よりも拘束すべき患者が大幅に増えた場合に備えて、昼の間に急遽取り揃えたものだった。元々はPCケーブルを束ねるためのオフィス用品なので、強度には不安があった。できれば鉄製の手錠がほしいところではあるが、病院にそんなものはなく、皮や布製の拘束ベルトが少数常備されているだけだった。今はこのバンドが機能することを祈るばかりであった。
山路は事態が飲み込めていないのか、困惑していた。
「なんなんです、こいつは!?」
「上から連絡があったろ。こいつが、その動死体だ」
「あれ、マジだったんですか……。えーと、こういう場合、『ほぅりぃ・しっ!』とでも言えばいいんですか?」
「あるいは『ふぁっきん・くれいじぃ!』とか?」
現実逃避気味に、気の抜けたやり取りをしている警備員たち。何気にマニアだった。
「安藤さん無事か?」
「あー……、まあなんとか? とにかく、助かった」
看護師の三田も遅れてやってきた。
「昨日よりずっとアグレッシブになってるよーな」
「やっぱり、状況がどんどん悪化してるんじゃ……」
その時、一番近くの病室からだろうか、「ひぃぃっ!」という悲鳴が聞こえてきた。
武井と三田は互いに顔を見合わせると、即座にその部屋へと走った。孝雄もなんとなくその場のノリでそれに追随した。
病室に入って照明のスイッチを入れたが、それで明るくなった部屋の中の状況は困惑させられるものだった。
四つあるベッドのうちの一つを、三人の患者が取り囲んでいた。他の三床には割り当てられてるはずの患者の姿がないところを見ると、恐らくこの三人が同室の患者なのだろう。
三人は何をするでもなく、ただベッドに横たわっている患者を無言で見下ろしていた。部屋に入ってきた孝雄たちに反応する素振りも無い。
ベッドの方の患者はといえば、首にはムチウチ用の頚椎サポーターをはめ、手足はギブスで固定されていて、身動きが取れない状態だった。逃げようのない状態で三人にじっと見つめられて、訳がわからず混乱していた。
「な、なんなんだよ、あんたら!? お、俺に何か、用か!?」
ベッドの患者が問いかけたが、三人は無言のままだった。
そうするうち、三人はお辞儀をするように腰を曲げ、顔をベッドの患者へと近づけていった。何をするつもりなのかは皆目見当がつかないが、その姿は何か非常に不吉なものを感じさせた。
「ひぃっ!? なに、やめ、やめろ! お、おいっ! そこの人、見てないで助けてくれ!」
ベッドの患者の悲鳴がいよいよ切羽詰まったものとなり、そこで武井らに気づいて、助けを求めてきた。
病室内の意味不明な状況に呆気に取られていた武井らだったが、そこでようやく我に返った。患者三人が何をするつもりにせよ、今は引き剥がしたほうが良さそうだった。
「えー、皆さんベッドに戻ってくださ……冷たっ!?」
三田が声を掛けながら立っている患者の一人に触れたところ、その体の冷たさに驚いて手を離した。
「こ、これっ、
指示代名詞だけだが、そのときには武井も既に他の二人を引っ張ろうとその腕を掴んでいたので、三田の言いたいことは伝わった。
ふと、三田が触れたソレが、三田の方へと向き直った。
「え?」
ソレはそっと両手を伸ばして三田の頬に添えると、無造作に三田の頭を120度以上グルっと横に捻った。顔が背中を向き、ゴキリと異様な音を立て、三田の体が一瞬ビクリと強張った。そして、力が抜けて床に崩れ落ちた。
今目にした光景がどういうことなのか理解できず呆然としていた孝雄に、三田を始末したソレが顔を向けた。その視線はやはりカメレオンのように左右バラバラにあらぬ方向へと向けられていたが、顔だけはまっすぐに孝雄のほうを向いていた。
ロックオンされた。孝雄はそう理解はしたものの、ではどう行動すべきかというのはまったく思い浮かばなくて、ただ立ちすくむばかりだった。
「ちぃっ!」
武井は舌打ちをして、手近のソレの一人を投げ飛ばし、孝雄の前にいるソレにぶつけた。二体はもつれ合って床に倒れた。
その隙に、最後の一人がベッドの患者に右腕をかざしていた。
「ぎゃあああああああああああああああああ!」
ベッドの患者が絶叫をあげた。よくよく見れば、ソレの指先はベッド上の患者の胸に埋まっていた。
「なっ!? やめろっ!」
武井がソレの腕を掴んではがそうとするが、びくともしなかった。そうするうちに、どんどんとソレの腕は沈み込んでいって、もう手首までが埋まっていた。隙間からは血が溢れ出ていた。患者は白目をむいて、激しく苦しみ悶えていた。
「おおおぉああぁ、ぐ、ぎ、ぎぎ……ぎ…………かひゅ…………」
限界まで全身を強張らせて、声というよりは、肺に残った空気が漏れだしただけのような音を出したのを最後に、患者の体が弛緩した。
「し、死んっ……!? こっ、こんのぉぉぉっ!!」
武井は警備員とはいえ、
当然、恐怖も感じていたが、しかし今は激情がそれを上回った。
武井はソレの頭部を全力で殴りつけた。すると、先ほどまでまったく動かせなかったソレの体がよろけて、血にまみれた腕がすっぽりと抜けた。
武井はすかさず脚を払ってソレを床に押し倒してうつ伏せにさせると、後ろ手に捻り上げた。その体勢でも、ソレはなおも体を動かしてもがいていたが、ただ意味もなくデタラメに動かしてるかのようで、拘束から逃れようという意思は感じられなかった。
とりあえず、結束バンドで後ろ手で拘束した。
一方、武井に投げ飛ばされたほうは、三田を殺した者と絡まりあって、さらに三田の遺体をも巻き込んで床に転がってジタバタと手足を動かしていた。こちらもやはり、その動きは不規則で、デタラメで、意味がなく、そこに意思が介在してるようには見えなかった。コレに比べれば、ただの虫ケラでさえ、ひっくり返せば起き上がろうという意思を見せる。
なまじ人の形をしているだけに、その壊れっぷりがひどく際立っていた。
遅れて山路が来て、取り押さえるのに加わったが、そのすぐそばにいる孝雄はといえば、すっかり腰を抜かしてへたり込んでいた。
彼は今の今まで、この、死体が動くという現象を甘く見ていた。昨日も、そして先ほどロビーで遭遇したときでさえ、なんだかんだで生命の危機に直面するほどの事態にまでは至らなかったのだ。また、ゾンビ映画好きではあっても、映画と現実は違うはずという先入観もあった。
だから、現実でいきなり人が殺されるという事態の急変に、思考が追いついていなかった。
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