思い出のカーネーション

となし

思い出のカーネーション

 多くの植物たちの命を奪い取る季節がやって来た。

 それには漏れなく私も含まれている。

 一度目の冬を越えたなら、二度目の冬を越えることはないのだ。


 私の生きていた時間が、あなたの人生のどれくらいを色づけることが出来たのか。

 彼の誕生日には満開の花を見せることが出来ていたのだから大した悔いはないが、もし話が出来るなら是非一度聞かせてほしい。

 まだ幾許か《いくばくか》の猶予がある。この睡魔に身を任せて、眠りにつくとしよう。



 最初の一回目は、七歳の誕生日に母親が贈ってくれたことが切っ掛けらしい。

 物好きな少年。それが彼に対する第一印象だった。


「大きくなぁれ~」


 朝起きて、夜寝る前に、水やりの度に何度も話しかけてくれた。


 そして七日後、彼の愛情虚しく私は――ものの見事に枯れた。

 何分水が多すぎたのだ。

 根が腐ってしまってはどうしようもない。


 水やりの度に尋常じゃない程の水を貰うのでいつかなると思っていたが、七日は短すぎた。もっと生きていたい……。


 とんでもねぇクソガキだな! と思って少年を見る――泣いていた。

 少年は自分を枯らせた相手だ。

 もっと咲いていたいと思わなかったわけではない。

 ただ、少年はごめんなさいと、声を出して泣いていたのだ。


 この少年になら、また世話させてやらないこともない……そんなことを思ったのは内緒だ。

 こんなにも和やかな気持ちで終われたことがはじめてだった。


 それから少しの歳月を経て、また私は目を覚ました。『私』を自覚したと言った方が分かりやすいかもしれない。


 二度目の少年は少しだけ背が伸びていたが、一度目と何ら変化のない様子だった気がする。


 朝起きて私のところまで駆け寄り、夜寝る前に母親の敵でも見るかのようにスゴい形相でこちらを見つめてくる。

 何より、水やりの度に手がスゴい震えていた。

 訂正……めちゃめちゃ変化していた。


 風もないのに揺れる、私にビクついている少年をみて更に身体を揺らすことになったりもしたっけ。


 少しだけ少年のことを知れたその生は――思い届か

 ず儚くも散った。

 流石に種から育てるのはまだ難しかったらしい。

 私の姿を見た少年は泣いた。大泣きだった。


 一度目を彷彿とさせる良い泣きっぷりに――聞こえもしないだろうが――あやす真似事なんかもした。

 また次もあるって、と思わず口からこぼれた。


 知らずの内に、少年が次もまた育ててくれることを期待していたのだろう。


 三度目。当たり前のように『私』を自覚した。

 場所は一回目、二回目と変わらず窓際のニッチにポツリと置かれている。


 案外気に入っているのだ。

 テレビを見ている少年、食事をする少年、何かを真剣に取り組む少年を眺めることが出来る格好の場所だったから。


 毎朝、毎晩、水やりの度に記憶と重なる少年を何時からか好ましく思っていたのだろう。

 この時間がずっと続けば良いのに……。

 変わらない愛情を注いでくれる少年に、その思いは募るばかりだ。


 満月の夜。揺れるカーテンの隙間から射す月明かりでさえも、私を祝福してくれているのではないかと錯覚した。

 風に煽られて出来た一筋の線がちょうど私を照らしてくれている。

 ゆっくりと、慎重に。

 最初の一つは、月明かりを一心に浴びた左の一番小さな蕾からだった。

 自らを存在を証明するように、固く閉ざされていた蕾が開き始める。

 少年は喜んでくれるだろうか。

 ――きっと泣かせてしまうな。そうに違いない。

 咲き誇る花の色は白くて、私はそれを知っていた。

 偶然にも少年は立ち会ってくれているようで、喜びから一層、白さが際立ったかもしれない。

 少年の流す涙は、ただ静かで、泣き叫んでいた頃が嘘のようだ。

 成長したね、少年。



 微睡みを漂う感覚に、懐かしい声が私を呼び戻そうとする。

 どうやら彼に呼ばれているようだ。

 けれど少し、あと少しだけこのままでいたい……。

 意識はゆっくりと沈んでいく――。



 四度目の私は……わたしは……。


 私が『私』と自覚はしていたが、それもうっすらとしていた。

 朧気で、曖昧で。

 私を、『私』が眺めているような……そんな感覚になることが多々あった。


 最初に見ることができたその景色に、少年はいなかった。

 ぐるッと辺りを見回して……何かの間違いじゃないかと、涌き出る不安は私を支配した。


 来る日も来る日も見回して、ようやく分かったのが私を育ててくれているのは目の前のおじさんだということ。

 花弁は一枚一枚剥がれ落ちていくのに対し、涙がこぼれ落ちるわけもなく。


 弱った私は良いエサだったのだろう。

 虫が集り、病気にかかり、それでも枯れることはなかった。

 いっそ枯れることができたならどれほど悲しみが軽減されただろう。


 葉は落ち、茎はボロボロ、花は萎んできている。

 この身に咲いた一輪の花。色は黄色だった。

 そんな私は……当たり前のように捨てられた。


 地面が私の視界になってからどのくらいたったのか、私は久し振りにその顔を見た。


 瞳に涙を貯め、鼻を赤くしたその顔は。

 体つきも変わり、背が大きくなっていたとしても。


 ――少年かい? せっかくカッコ良くなったんだ、泣いてちゃ台無しじゃないか……。


 見間違える筈がないだろう……ッ。

 会いたいとどれほど思い焦がれたか。

 まだだめだ。枯れることは許されない。


 ――この身にもう一度、花を付けるまで枯れない。枯れたくないッ。

 

 少年に抱えられながら、ひたすらに願った。


 わたしの一生は、発芽し、成長し、開花してその一生を終えていく。

 ただもしも、その一生で二度、開花させることができたなら――。

 私は少年のために生きて、生きて、生きて……生きていたい。


 …………その一生で、私は花を咲かせることが出来ただろうか?



 五度、目。……ろくどめ?


 七歳の誕生日に母親が贈ってくれたことが切っ掛けらしい。

 物好きな少年。それが彼に対する第一印象だった。


 とんでもねぇクソガキだな! と思って少ねんを見た――泣いていた。

 このしょうねんになら、また世話させてやらないこともない……そんなことを思ったのは内緒だ。


 朝起きて私のところまで駆け寄り、夜寝る前に母親の敵でも見るかのようにスゴい形相でこちらを見つめてくる。

 何より、水やりの度に手がスゴい震えていた。

 ショウネンが次もまた育ててくれることを期待していたのだろう。


 毎朝、毎晩、水やりの度に記憶と重なる――を何時からか好ましく思っていたのだろう。

 この時間がずっと続けば良いのに……。

 変わらない愛情を注いでくれる――に、その思いは

 募るばかりだ。


 私は……わたしは……?

 何色の花を咲かせることが出来ただろうか。


 七度目。

 大人になって大きくなった少年と二人暮らし。

 少年はイケメンになった。異論は認めない。

 透き通るような優しげな声――きっとそうだ。


「ふわぁ~。おはよう」


 彼が持つ落ち着いた雰囲気は大人特有のものだ。

 おはよ。

 何故か、こちらの声は届かない。


「しっかり育ててやるからな」


 少年が育てる……誰を?

 ここには私と彼しかいない。

 もしや私というものがありながら、浮気……。


 そんなことを思ってみるも、彼の視線は私に釘付け

 だ。こちらからは欠片も外す気はない。

 ……私の魅力にやられたのだろう。

 彼はうんと頷き、視線をはずして去っていった。


 彼との生活は心踊るものだが、不便さもある。

 私が動けないことだ。カラダに悪いところでもあったのか……。

 今日も今日とて、すこぶる快調だと思ったのだが。

 小さな疑問を残して、日々は去っていく。


 彼との日常は笑顔が生まれるくらい暖かなもので。大切なものだから失くしたくないものが毎日ちょっ

とずつ増えていって……。


 私が『私』に気付いたら、失くしたものがどれだけ大切なものなのか知ってしまうから。

 ソレが怖くて、私は知らない振りをする。


 彼の誕生日、その家には沢山の友達がきていた。

 それに彼は嬉しそうな笑みを浮かべる。

 私に見せる一方的に与えるものではない自然体な笑み。


 私の声は届かない。

 私の想いは届かない。


 ――当たり前だ。窓を見てみなよ、『私』は何に見える?

 カーネーション。

 彼が育てる、花の名前。


 知らない振りをしていたけれど、自然とすんなり認めることが出来た。

 思い返してみればそうとしか言えない事実があったからか、彼が一人の女性と仲良さげに話しているのを見てしまったからか。


 幸せそうな彼を見ると、報われた気持ちになる。

 少年の時から見守り、育ててきた子だ。

 幸せになってほしい――。

 人間であればきっと、泣いていただろう。

 青色の花が咲いていた。



 長い夢を見ていた気がする。

 最近はモノ忘れが激しくて、昨日のことすら覚えていないけれど。

 でも、もう大丈夫だろう。

 彼は幸せになったのだ。

 私はそろそろ終わりを迎えよう。


 一夜限りの花開き。見届ける影が一つ。

 溢れ出る思いは、その花を染める。

 七色に染まるカーネーションはその役目を終えた。


 多くの植物たちの命を奪い取る季節。

 その身を茶色に染めた今の姿からは、生前どのような花を咲かせたのか、皆目検討もつかないだろう。


 凍えるような寒さの訪れは、別れの合図――。


 ――それは冬の始まりを連想させる。

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