第5話   お見合い相手と同棲したい

 

 家にはタクシーで送ってもらった。光輝さんは、一緒に家に来て、両親に結婚を前提にお付き合いをすると告げた。祖母が起きていたので、祖母にも挨拶をしてくれた。



「静美さんと結婚を前提にお付き合いさせていただきます。早く結婚したいので、お話を勧めたいと思います」


「それはおめでたいですね。光輝さん、静美をお願いしますね」


「はい、必ず幸せにします」


「静美ちゃん、おめでとう。良かったわね」


「はい、お婆さま」



 祖母はご機嫌だった。けれど、両親は能面のような顔をしていた。


 光輝さんが帰宅した後、両親が部屋にやって来た。



「美緒、本気で結婚する気なのか?」


「そのつもりです」


「この家は、どうするんだ?跡継ぎがいないだろう?」


「お見合いを勧めたのは、お父さんやお母さんも同じでしょう?」



 両親は怒っていた。特に父親が、とても怒っていた。



「嫌われてこいと言っただろう。デートの後、もう会わないとも言っていただろう?」


「今日、プロポーズされたの。お話して、一緒になってもいいと思ったの」


「たった3回会っただけで結婚を決めるのか?しかもおまえは、嘘をついているんだぞ」


「光輝さんは、わたしが美緒だと気付いているわ」


「なんだと?自分で話したのか?」


「違うわ。光輝さんがご自分で調べられたのよ。家庭環境も調べられたみたい」



 父は顔を顰めた。


 我が家には秘密が多すぎる。



「静美がいなくなった今、美緒しかいない。美緒はこの家を継ぐんだ。相手はお父さんが決めよう。今、修行に来ている吉住はどうだ?年齢は40歳だが腕はいい。もっと修行をすれば、俺の跡継ぎになるだろう」


「40歳って……お婆さまはどうするの?」


「棺桶に片足を突っ込んだババアだ。宥めておけばいい」



 自分の母親をババアと呼んだ父の顔を、じっと見る。これが本当の父親の顔なのだと思った。とても醜い顔をしている。幼い頃はよく見た顔だけれど、中学生以来見ていなかった顔だ。



(あの時のお姉ちゃん、わたしを守ってくれたのかな?)



 気付かずにいたけれど、姉の突拍子もない言葉で、わたしの体罰は治まったのは確かだ。



「そうね、吉住さんなら、性格も穏やかで美緒とも仲良くできると思うわ」



 母も同じだ。父と同じ顔をしている。



「わたしは吉住さんというお方を知らないわ」



(40歳なんて、わたしの歳の倍でしょ?離れすぎよ。お母さんともそんなに年齢は変わらないと思うけれど……)



「知らなくてもいい。この家を継がせるために、おまえを育ててきたんだ。男に生まれてこなかったんだ。結婚相手は俺が認めた者しか許さん」



 なんて醜いんだろう?大嫌いな両親。大嫌いなお婆さま。この家には嫌いな人しかいない。



「その目はなんだ?」


「うぐっ!」



 父の拳がわたしの頬を殴った。


 その勢いで、飛ばされて床に転んで机に頭を打ち付けた。


 ……痛い。



(光輝さん、助けて)



「あなた顔は駄目よ。見えちゃうわ」



 わたしはできるだけ距離を取るように、後ろに下がる。でも、この部屋は狭すぎる。逃げる場所なんて、どこにもない。



「結婚は許さない。きちんと嫌われてこい。いいな?」


「嫌だ」



 わたしは光輝さんと暮らしたい。こんな暴力に負けたくない。



「なんだと?」


「光輝さんを好きなの」


「なにが好きだ!」



 拳でまた頬を殴られて、頭がクラクラする。



「あなた、顔は駄目よ」



 母が父の腕にしがみついてくれたけれど、手が止まっただけだった。


 父の足が、わたしのお腹を蹴り上げて、蹲ったら、顔も体中も蹴られた。


 痛くて、苦しくて、わたしは必死で堪えたけれど、いつの間にか気を失った。



「美緒、起きなさい」



 髪を掴まれ体を揺すられて頭皮が痛くて目を覚ますと、目の前に母がいた。



「お母さん、痛い」


「あなた、バカね。どうして逆らうの?お父さんの言う事をちゃんと聞きなさい」


「言いなりなんて嫌なの」


「困ったわね。お父さんの言うとおりにしないと、学校にも行けなくなるわよ?」


「……どうして?」


「授業料を払っているのは、お父さんよ」


「……」


「ほら、ベッドにあがって、今夜は寝なさい。顔の怪我が治るまで学校はお休みしなさいね。顔が酷く腫れているわ。すごく汚い顔よ。まったく中学生の頃と少しも変わらないわね。醜い顔」



 頬を叩かれて、痛みに顔を顰める。



「お母さん、痛い、叩かないで」


「自分のせいでしょ?早く寝なさい」



 早く立たないと叩かれる。わたしが呻きながら布団に入ると、母はやっと部屋から出て行った。


 母が部屋の前から立ち去った後に、わたしはベッドをゆっくり下りてスマホの電源を入れた。



『助けて、光輝さん』



 短い文章を打つと、わたしは自分の荷物を纏め始めた。


 現金、通帳、印鑑、着替えに学校の教科書とノートパソコン……。


 必要な物を幾つもの鞄に詰め込むと家を出た。



(もう二度とこの家には戻らない)



 深夜の道に車が駐まっていた。



「美緒ちゃん、大丈夫?」


「こんな時間にごめんなさい」


「早く乗れ」



 光輝さんはわたしを車に乗せると、なんとか持ち出した荷物を後部座席に載せて、急いで車を出した。





 …………………………*…………………………






 車に乗せられたわたしは、病院に行き、病院から連絡を受けた警察官が病院にやって来た。


 光輝さんは、わたしの自己紹介のような今までの人生を話した事で、家族に婚礼の話を持っていくと両親の体罰がまた始まるかもしれないと思ったらしい。


 家に帰る前にスマホの連絡先を交換して、光輝さんは念のためだからと言って、わたしにボイスレコーダーをつけた。


 両親が話した一語一句すべて録音されて、父も母も虐待と暴行の容疑で逮捕された。両親が逮捕されたことで、祖母は施設に預けられた。どんなに我が儘を言っても意見は通らない場所で、癇癪を起こしていると伝え聞いた。


 光輝さんはわたしに弁護士をつけてくれた。両親も弁護士を雇った。和服作家の父は自分の名誉を守るために減刑と示談を申し出てきた。


 わたしは光輝さんと弁護士さんと相談した。減刑は却下した。大金を出させることも可能だと言われたけれど、わたしが望むのは、大学を卒業させてもらうこととわたしの将来に口出ししない約束が欲しかった。大学の費用とその間の生活費、慰謝料含む怪我の治療費等などを支払ってもらって、今後わたしに接触しないと約束をしてもらった。


 わたしのスマホは、弁護士さんに預けて、両親に返してもらった。名義は姉の名義だから、わたしが機種変更をできる物ではない。


 両親は多額の罰金を払って、投獄はされていない。今も実家で暮らしているはずだ。けれど、もう他人だ。


 わたしは光輝さんに助けられて、家族を捨てる事ができた。


 学校の保証人は光輝さんがなってくれた。それに、住む場所は光輝さんの部屋を間借りされてもらえる事になった。


 事件後、暫くバタバタしたけれど、顔の腫れが治まる頃には、やっと落ちついてきた。



「美緒ちゃん、買い物に行こう」


「うん」



 リビングのセンターテーブルで課題をやっていたわたしは、保存をかけて、ノートパソコンの電源を落とした。


 頬の傷を隠すために、学校にはマスクをつけて登校した。まだ赤みの残る頬を隠すために、マスクをつけようとしたとき、体を引き寄せられた。


 優しく唇が重なる。



「……光輝さん?」


「籍入れようか?」


「わたし、まだ学生よ」


「学生でも結婚はできるだろう?」


「もう、お婆さまとお爺さまの婚約の話は白紙になったはずよ」



 両親が逮捕されて、祖母を施設に入れたのは、光輝さんのお爺さまだった。その昔、恋人だったお婆さまを施設に預けたお爺さまは、この婚約の話を白紙にした。だから、わたしは光輝さんとお別れしようと思った。それを引き留めたのは光輝さんだった。



「俺には守りたい女がいるんだ。分かるだろう?」



 円城寺のご家族がいる前で、わたしを引き寄せて、傷だらけのわたしを抱きしめてくれた。


 とても嬉しかった。


 わたしを救い出すときは、まだ好きじゃなかったはずなのに、わたしを救い出すことに一生懸命になっているうちに気持ちが変わったみたいだ。




「俺の気持ちは、もう分かっていると思っていたけど、まだ分からない?」


「分かっているけど、甘えてもいいのかな?」


「美緒は甘えることを覚えろ」




 抱きしめられたから、わたしは光輝さんの背中に手を回して、わたしも光輝さんを抱きしめた。




「本当に好きになっちゃうよ。いいの?」


「俺以外を見るな。俺以外を好きになるな」


「うん」




 光輝さんは体を屈めてキスをしてきた。




「美緒、籍入れよう」


「うん」


「俺がどれだけ本気で好きか、証明してやる」


「何をするの?」


「まず、籍を入れる。それから、洋服を全部新調する。それから……」


「それから?」


「それから、美緒を抱く」


「うん」



 わたしは、この優しい人を好きになった。きっと初めて会ったあの見合いの日、もう好きになっていた。黄金の鯉が跳ねたときに、好きになる魔法が発動したに違いない。苔むした石で滑った時に完全に恋に落ちたと思う。




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