第4話   お見合い相手とホテルで

「わぁ、すごいわ。遠くまで見えるのね」



 案内された部屋は広くて、遠くまで景色が見えた。まるでどこかの展望台みたいだ。会議でも開けそうな大きなダイニングテーブルがあり、お酒が並んだカウンターもある。ちょっとしたパーティーも開けそうな部屋だ。見たところにベッドはなく、安心していられる。


 大きなテレビに広いソファーは、見たこともないほどゆったりしている。




「飲み物は何がいいかな?この部屋にあるのは、コーヒーと紅茶、オレンジジュースくらいかな?他の飲みもが良かったら持って来てもらうけど」


「それならオレンジジュースをいただけますか?」


「買っておいて良かったよ」



 光輝さんはミニ冷蔵庫からオレンジジュースのペットボトルを出すと、グラスに注いでくれた。光輝さんはコーヒーをカップに注いだ。



「この部屋は、俺のオフィスにしている。会社に行くこともあるが、ここで仕事をしていることが多い。自宅より落ちつくし、食事にも寝る場所にも困らないからね」


「ホテルに住んでいるの?」


「自分の経営しているホテルの1室を私室にしているだけだ」


「お金持ちなのね」



 窓辺から光輝さんいるカウンターの前に歩いて行く。カウンターの前には椅子が並んでいる。光輝さんはカップを持って、背の高い椅子に座った。



「一生懸命、わたしは高校時代からバイトをしていたけれど、お婆さまの介護の為に、バイトを辞めさせられてしまったの。大学を卒業したら家を出るためにお金を貯めていたのに。わたしは家族に捕らわれて、どうしても逃げ出すことができないの。お姉ちゃんは逃げ出したのに。いらないわたしが残されて、お婆さまは、わたしの事を忘れて、わたしの事をお姉ちゃんだと思い込んでいるの」



 わたしは光輝さんの隣に座って、自己紹介のようにわたしの人生を話した。


 両手を出して、痛くなる掌を見せた。苦しかった体罰と孤独、空しい人生、重すぎる思いを伝えた。


 光輝さんは、黙ったままわたしの長い話を聞いていた。



「この部屋に住めるようにしてもいい」


「どうするの?」


「このまま結婚しよう」


「わたしは光輝さんと結婚するの?」


「好きになれなかったら、別れればいい」


「そんなに簡単に決めてもいいの?」


「いいだろう?結婚しろと言われているんだ」


「わたしは自由になれるの?」


「それは分からない。美緒ちゃんの心がどう感じるかどうかだ。ただ家族からの呪縛は俺が解いてやる」


「……ありがとう」




 わたしは感極まって、顔を覆って泣いていた。




「そんなに泣くな。目が溶けてなくなるぞ」


「うん」



 でも、涙が止まらない。


 光輝さんは、部屋にある電話でどこかに電話をかけている。電話を切ると、わたしの背負ったままのリュックを下ろして、鞄を椅子に置いてくれた。



「スマホの連絡先、交換してくれるね?」


「うん」



 わたしはリュックからスマホを取り出した。古いスマホだ。姉が中学時代に使っていた物だ。それを譲り受けた物だから、電池がすぐなくなる。人に見せるのは恥ずかしい物だ。



「ずいぶん古い機種だね」


「電話はできるわ。すぐに電池がなくなるから、いつも電源を落としているの」



 わたしはスマホの電源を入れた。


 暫くしてから電源が入った。そろそろ寿命かもしれない。



(わたしもよくやく二十歳になったから、自分で買えるようになったのかな?機種変しようかな?スマホって幾らくらいするんだろう?)



 支払いは親名義になっている。勝手に変更すると叱られるのかな?


 毎月の支払い、幾らくらいするんだろう?ちゃんと調べてみよう。



(あれ、このスマホの本当の名義人は姉になるのかな?姉のお古をもらったのだから)



「電源を落としていたら、連絡がつかないじゃないか」


「そうね、そらなら、これは無駄ね」



 起ち上がったばかりのスマホの電源を落として、リュックにしまった。



「ちょっと待てよ。連絡先の交換をしようと言っただろう」


「連絡がつかない電話に登録をしても無駄よ」


「美緒ちゃん、勝手に完結させるな。無駄かどうかは、後で考えろよ」



 光輝さんは、初めてわたしに怒った。



「もともと電源を入れないことの方が多いの。こんなスマホに登録しても、どう考えても無駄よ」



 スマホのお陰で、涙は止まったけれど、目が腫れぼったい。


 きっと酷い顔をしていると思う。



「光輝さん、洗面所を貸していただけますか?顔を洗いたいの」


「こっちだ、おいで」



 わたしはリュックからハンドタオルを出すと、光輝さんを追いかけた。



「この扉の奥が洗面所だ。タオルは新品が置いてあるから使ってもいい」


「……でも」


「心配はいらない。ここはホテルだ。サービスの一環だよ」


「分かりました」



 わたしは丁寧にお辞儀をした。それから扉を開けて洗面所に入った。


 洗面所の奥にトイレがあり、それと並ぶようにお風呂があった。お風呂はガラス張りで、中が見える。こんなお風呂に入ったら、隠せる場所がない。恥ずかしくないのかしら?


 顔を洗って、気持ちを落ちつかせてから出てきたら、ホテルの従業員とコックのような人が部屋に来ていた。



「美緒ちゃん、こっちにおいで」


「はい」



 わたしはハンドタオルをリュックにしまうと、大きなダイニングテーブルが置かれた場所に行った。



「向かい側に座るか?隣に座るか?」


「どこでもいいです」


「それなら隣においで、離れすぎると心配だ」



 わたしは首を傾げた。


 向かい側に座っても2メートルも離れないだろう。離れすぎとは言わないような気がする。


 わたしは言われた場所に座る。


 近すぎて、落ち着かない。


 すぐ近くに顔があり、体も触れそうだ。


 コックはダイニングテーブルの横で調理を始めた。キッチンショーというのかな?


 鉄板の上で蒸し焼き料理が始まった。ナイフで野菜を切って蒸し焼きにしている。メニューを見るとメインはお肉のようだ。牛ヒレ肉のステーキと書かれている。



「飲み物はどうなさいますか?」


「美緒ちゃんは二十歳になったばかりだったね?」


「はい。お見合いの日に二十歳になったの」


「気付いていたら、お祝いしたのに」


「気付かれないようにしていたのだから、お祝いはいらないわ」


「二十歳になったのなら、お酒を飲んでみるか?」


「飲んだことはないのよ」


「ここの梅酒は飲みやすいと思うよ。初めてでも飲めるだろう」


「それなら梅酒を飲んでみます」


「梅酒を二つもらえるかな?」


「畏まりました」



 従業員がグラスに丸い氷を入れて梅酒を注いでいる。



(あの丸い氷は、削ったのかしら?大きさもかなり大きいわね。グラスの直径よりちょっと小さいくらいね。お酒の量は少ないのね?)



 氷を1個ずつ削るのは、手間がかかるだろうな……と、目の前に置かれた梅酒を見つめる。


 つまみに、何かの薄切りが置かれていた。



「これは何ですか?」


「スライスしたニンニクをカリカリに焼いた物だよ」


「匂ったりしないの?お婆さまに叱られてしまうわ」



 匂いの残るものは、はしたないと祖母が言っていた。食べたりしたら叱られるかもしれない。叱られだけでなく、叩かれたら怖い。



「しっかり焼いてあるから、匂いは残らない。安心して食べて」


「……分かった」



 箸で摘まんで口に運ぶ。カリカリして美味しい。



「うん、美味しい」



 後味も臭くない。



「お酒も飲んでごらん」


「うん」



 初めて飲む。梅酒は芳醇な香りがして、口当たりもいい。



「これも美味しい」



 蒸し焼きにされた野菜がお皿に載せられていく。



「ポン酢、ごまダレ、味噌だれがございます。お好きな物で召し上がってください」



 コックの説明に、わたしは頷いた。


 少しずつ試してみたら、わたしはポン酢タレが一番口にあった。


 野菜は全て京野菜らしい。京野菜は写真では見たことがあったけれど、実物を見るのは初めてだ。食べた事はなかったけれど、どれも美味しい。美味しい物を食べると、こんなわたしでも幸せだと感じる。そんなことが嬉しいと思ってしまう。


 蒸し野菜の後、お肉が焼かれて、口の中でとろけるようなお肉をいただいた。



「すごく美味しい。こんなに柔らかなお肉は初めて食べたわ」


「そうか?」


「うん」



 茶碗蒸しも鉄板の上で、蒸気で蒸し焼きにして作られた。ご飯は少なめにしてもらい。お吸い物と漬物で食べて、最後に紅茶と氷菓子が出された。


 氷菓子はシャーベットだ。初夏らしくメロンのシャーベットでとても美味しい。


 コックは食事を作り終えると、一礼をして調理台を押して部屋から出て行った。



「美味しかったか?」


「うん、とても美味しかった」



 梅酒で少し酔って、頬が熱い。



「ソファーに行こうか?」


「はい」



 光輝さんが、わたしの手を握って、ダイニングの椅子から立ち上がった。


 少し酔ったのか、フラフラするのを支えてくれる。


 ゆっくりソファーに連れて行かれて、ゆったりとソファーに座る。座り心地もとてもいい。柔らかな皮のソファーだった。


 給仕の従業員がダイニングを片付けている。


 ソファーからその様子をじっと見つめる。



「どうかしたのか?」


「ここはわたしが住んでいる場所から、そんなに遠くないはずなのに、すごく遠くにいるような気がして」


「この場所は気に入ったか?」


「素敵な部屋ね」


「一緒に住むな?」


「いいの?」


「俺には美緒ちゃんをここに連れてくることができる」


「わたし、たぶん、心の病気だと思う。今日は気持ち悪くならなかったけど、せっかく食べた物を吐いてしまうかもしれないよ?」


「きっと何かのスイッチがあるんだと思う。俺も勉強をしようと思う。美緒ちゃんが毎食美味しいって思って食べられるようにしてあげたい」


「光輝さんはいいの?わたしのこと好きではないでしょ?」


「顔は好みだ。性格も可愛い。一緒にいて楽しい。結婚をしたいほど好きかどうかは、これから知っていけばいいと思う」


「……縋ってもいいですか?」



 光輝さんは微笑んだ。



「勿論だよ」



 とても優しい人だ。



「好きになっちゃうかもしれないけれど、いいですか?」


「ああ、いいとも」


「よろしくお願いします」




 わたしは光輝さんに助けを求めた。


 イカレた家から出るために、光輝さんを頼りたい。




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